◆今週の説教2001.09.30.◆ |
エゼキエル書講解説教 第46回――42章によって――
42章で示されるのは祭司の部屋である。神殿の中心部分は41章に書かれていた。祭司の部屋は礼拝にとって不可欠な部分でないように見られるかも知れない。しかし、この42章で見るように、エゼキエル書では「最も聖なる場所」とされる。最も聖なる場所は至聖所ではないかと言われるであろうし、それは正当な異議申し立てであるが、至聖所を真に聖ならしめるためにこういう部屋が必要とされたということを学ぶのである。そして、こういう建物はエゼキエルがかつて祭司として仕えていたソロモンの神殿にはなかったのである。バビロンから帰った人たちが再建した神殿にもこの建物はなかった。エゼキエルに示されたことは旧約の歴史の中ではついに成就しなかったのである。
さて、ここに書かれている文章から、建物のありさまを思い描くのは非常に困難である。昔から聖書研究者たちが、この文章に基づいて建物の復元をしようと試みたが、本文そのものが分かり難く、いろいろな解釈があって、定説はない。まして我々のような者が努力しても、先人の水準を超えられないであろう。しかし、エゼキエルには宮の大きさや形について、言葉の説明が与えられたのでなく、見える建物が示された。しかも、案内する御使いが測り竿によって測って見せ、数字を読み上げて、その数字が記録されている。これは、読者にその建物の大きさと形を把握させるためである。出エジプト記25章40節では、モーセに「あなたが山で示された型に従い、注意してこれを造らなければならない」と命じられた。幕屋とその中の全ての造作や調度品を見た通りに造れと言われたのである。エゼキエルには見た通り造れと命じられたわけではないが、見たということは、当然それを造ることが出来るという意味であろう。だから、我々も聖書を読んでいるからには、出来る限り知恵を絞って、イメージを描いて見なければならない。 1節、「彼は私を北の方の内庭に連れ出し、庭に向かった北の方の建物に対する室に導いた」。 41章で読んだように、預言者は御使いに案内されて聖所の中に行ったのだが、次にそこから連れ出される。聖所から出たところは内庭であるが、「北の方の内庭」と記されているのは、北の内門から出たところにある外庭のことではないかと思われる。内庭と訳されるこの言葉は、へブル語原文では意味不明で、ギリシャ語訳の解釈にしたがって内庭と訳されるのが慣例となっている。しかし、外庭と取るのが正しいのではないかと思われる。新共同訳も外庭と訳す。 1節後半に「庭に向かった北の方の建物に対する室に導いた」とある。これは非常に難しいが、大体こういうことではないかと思われる。 すなわち、外庭に出てから、西の方に行った。すると、庭に向かっている室が並んでいる。これは礼拝者が用いる室であって、外庭を取り巻いて四方に合計30室あった。40章17節に「敷石の上に30の室があった」と言う通りである。その30室のうちの幾つかが東向きに並んでいたと思われる。その室のことかも知れないし、それの南に隣接している室かも知れない。そこに案内されたということであろう。この室についてはこれまで語られたことがなかった。 「北の方の建物」というのがまた分かりにくい。我々の知っている限りの知識を動員して考えても良く分からないのであるが、大体こういうことであろう。神殿の聖所の西、至聖所の裏に、少し空き地をおいて、幅七十キュビト長さ九十キュビト、壁の厚み五キュビトの建物があることは41章12節に書かれていた。この建物が何のためにあるかは書かれていないが、語られていないだけにますます気になる。これもエゼキエルがかつて知っていた神殿にはなかった。だから、新しい神殿には必要なものであることを暗示する。これのことを「北の方の建物」と呼んだのかも知れない。「北に隣接した建物」という意味かも知れない。 ここで周囲を見回して、エゼキエルが立っている所がどこであるか、その位置関係はどうかを見て置こう。42章の最後のところに、「このように、四方を測ったが、その周囲に、長さ五百キュビト、幅五百キュビトの垣があって、聖所と俗の所との隔てをなしていた」と書かれている。エゼキエルは五百キュビト四方の聖なる地に立っているのである。 キュビトという長さは肘から指先までに当たり、約45センチであるが、ここでは通常のキュビトに一手幅を加えた長さであると言われる。55センチ位であろうか。すると、五百キュビトは275メートル位、その正方形であるからそれほど広いとは言えない。 さて、北の方の建物に話しを戻すが、この建物に隣接して北と南に同じ規模の対称形の建物がある。それの北の方のを「北の方の建物」と呼んだのかも知れない。奥行き百キュビトに正面幅五十キュビトの広さの三階建てである。三階建てと言ったが、それは口語訳の訳語であって、新共同訳では「三段の階段状の建物」と訳している。つまり、東側から見ると、中央に最も近いところが最も高くて、だんだん低くなる三段の建物が、左右に、すなわち南北に対称形に配置されている。この建物が今日学ぶところの中心部、祭司の部屋である。 今、我々に示されているのは、新しいエルサレム神殿の幻であるが、建物が新しくなるだけでなく、祭司の職制も、礼拝そのものも、イスラエルの土地の配分も新しくされる。そのような新しい宮の中で、祭司の務めの変革は特に重要である。そのことがこの祭司の部屋によって示されるのを13節で見るであろう。 2節に、「北側にある建物の長さは百キュビト、幅は五十キュビトである」と書かれている。 この建物は長さ百キュビト、幅約十五キュビトの、東西に細長い部屋を三つ重ねて幅を五十キュビトにしたものではないかと思われる。 三階建でなく三段の階段状の建物と取るのが正しいのかも知れないが、42章5節と6節には、上の室、中の室、下の室という言葉があるから、三層の建物であったことになるのではないかと思う。 この二つの建物の目的は13節に書かれているように、「主に近く仕える祭司が最も聖なる物を食べる場所である」と説明される。 3節4節に、「二十キュビトの内庭に続いて、外庭の敷石に面し、三階になった廊下があった。また、室の前に幅十キュビト、長さ百キュビトの通路があった。その戸は北に向かっていた」と書かれている。良く分からないのであるが、この建物が内庭と外庭の両方に繋がっていたことは事実である。内庭の方の入り口がどうなっていたかが分からないが、そこにも入り口があったことはたしかである。入り口は4節に北にあると書かれているだけである。北の入り口まで長さ百キュビト、幅十キュビトの通路があった。だから、百キュビトの建物の北側が奥までずっと通路であって、その通路は北にある室とは障壁によって隔てられていたと思われる。 5節、「その建物の上の室は、下の室と中の室よりも狭かった。それは廊下のために場所を取ったためである」と言う。 一階の室の平屋根の上が二階の室と廊下あるいはバルコニーであるから、室としては狭くなり、三階はさらにせまくなるということである。部屋は大小様々であり、幾つにも区切られていた。 6節、「これらは三階であって、外庭の柱のような柱は持たなかった。それで上の室は、下および中の室より狭いのである」。 外庭は合計30の室で取り囲まれているが、その室は外庭に向いて開かれている。つまり庭に面する方は壁で仕切られず、また壁で支えられるのでもなく、柱で支えられて開かれていた。祭司の部屋も柱を用いれば、上の部屋を広く取ることが出来たが、そうしなかったという説明である。 7節、「室の外に沿って垣があり、それは他の室に向かって外庭に至る。その長さは五十キュビト」。8節、「外庭の室の長さも五十キュビトあった。宮に面する所は百キュビトであった」。 一般礼拝者のための30室は外庭に向いており、どれも五十キュビトに二十五キュビトの広さである。西の室は奥行きすなわち東西が五十キュビトであった。しかし、祭司の部屋は奥行き百キュビトであるから、五十キュビトの障壁を付け加えなければならない。 すなわち、この部屋は聖なる部屋で、そこで行なわれることも聖なる事なのである。だから、百キュビトの通路を通って部屋に入るようになっていた。 9節、10節、「これらの室の下に外庭からこれに入るように、東側に入り口があった。 外側の垣は外庭に始まっていた」。 室の下というのは1階のことである。外庭に入り口があって、入り口は東に向いており、そこから入って初め五十キュビトの間は垣あるいは障壁で外庭から隔てられ、その後の五十キュビトは右手の室の外壁が障壁になっている。祭司がこの建物で支度を整えて、宮に行って務めをする時には内庭の方にある出入口から行ったのである。 10節後半から12節の終わりまでの記事は、ここまでに書かれていた北の祭司の部屋と全く対称的な南の部屋である。 同じ建物が二つあるということはザドクの子孫の祭司が二組に分かれて勤務していたということであろう。 次に、13、14節に、この二つの部屋の機能についての重要な指示が与えられる。「時に彼は私に言った、『庭に面した北の室と、南の室とは、聖なる室であって、主に近く仕える祭司たちが、最も聖なる物を食べる場所である。その場所に彼らは最も聖なる物、すなわち、素祭、罪祭、愆祭の物を置かなければならない。その場所は聖だからである。祭司たちが聖所に入った時は、そこから外庭に出てはならない。彼らは勤めを行なう衣服を、その所に置かなければならない。これは聖だからである。彼らは民衆に属する場所に近付く前に、他の衣服を着けなければならない』。 この場所は第一に、祭司のための準備室である。祭司たちが勤めに就く時、家から普通の服装で出勤して、外庭の入り口から部屋に入ってここで祭司の服装に着替える。着替えるとは、外面の装いを替えることではない。着替えるのは、勤めのために聖別されることの象徴である。彼はもはや私人でなく、勤めに就いた公人である。いや、公人と言うだけでは足りない。彼はその勤めにある間は聖なる者、神の代理人である。 「祭司たちが聖所に入った時はそこから外庭に出てはならない」と14節に言うが、聖所に入って勤めを行なう時間の間、直接外庭に出てはならない。必ず、この祭司の部屋を通って外庭に出る。 祭司の務めの第一は執り成しであるが、執り成しは言うまでもなく人々への純粋で深い愛によらなければ成り立たない。けれども、人々への深い愛があれば執り成しが出来るのか。そうではない。神に執り成すのは単なる愛ではない。神と人との中間と言うべき位置に神によって就かせられてこそそれが出来る。それは人間が自発的に入り込むことの出来る位置ではない。「神と人との仲保者はただ一人、人なるキリストである」とIテモテ2章5節に言われる通りである。この唯一なる仲保者の務めをハッキリさせるのが祭司職であった。 祭司はこの準備室で、言葉は悪いが、人格の転換をする。彼はもはや自分のためには生きない。自分の身内のために生きることもしない。神のために生きる。神の代理人になるのである。 逆に言うならば、祭司は務めを終えてここで平服に着替える。普通の人間に戻ると言っても良いであろう。その時は職務の権能を持っていない。 第二に、この部屋は捧げ物の準備室である。素祭、罪祭、愆祭は祭壇に捧げられる前にここで整えられる。三種類の捧げ物についての説明は省略するが、ここには血を流す捧げ物は含まれない。その種類の捧げ物を扱うのは40章の38節に書かれるように、祭壇に近いところにもう一つ供え物の準備室がある。 祭司の部屋がもう一種類ある。それは40章46節に、「また北向きの室は祭壇を守る祭司のためのものである」と書かれていた。外庭から内庭に入る門が三つ、北、東、南とあるが、南門のそばの北に向いた室がそれである。「これが祭壇を守る祭司のためのものであり、その人たちはレビの子孫のうちのザドクの子孫であって、主に近く仕える者たちである」と40章46節に書かれている。主に近く仕える者とは上級祭司である。それはザドクの子孫に限られる。近く仕えるのでなく、一段低い奉仕をするのがザドク族以外のレビ族で、「宮を守る祭司」と言われた。所謂レビ人である。 祭司の部屋の第三の機能は13節に「主に近く仕える祭司たちが最も聖なる物を食べる場所である」と書かれている。 聖なる物を食べるとは神と共に食することであり、神との交わり、また神の最も良き賜物を味わうことを意味していた。古い時代に、祭壇の上に捧げ物を捧げて祈りをし、そのまま祭壇の捧げ物を下げて、礼拝者がそれを食べるのが通例であった。礼拝がエルサレム神殿に統合されて以来、礼拝者が神とともに食することが守れなくなって、過ぎ越しの食事のような機会だけが神と共に食する機会として残され、通常の捧げ物は祭司が代理で食べるようになったのではないかと思われる。 これがさらに歪んだ形になって、良き物を食べるのが祭司の役得というふうに世俗化された。しかし、この42章で祭司が食べるのは、聖なる儀式である。「主に近く仕える祭司たちが最も聖なる物を食べる」と書かれているのは、供え物の最も聖なる部分を食べる儀式が行なわれたことを示唆する。 エゼキエルが祭司職にある者として、祭司階級の堕落に心を痛め、祭司職の回復を願っていたことは確かである。彼に示された新しいエルサレムの幻において、祭司職の働きが顕著であることに我々は容易に気付くのである。しかし、彼に示された来たるべき日の姿が祭司職の回復とか充実というものとして捉えられてはならないであろう。 祭司職はやがて廃止されるべきものである。イエス・キリストは祭司職を全うしたもうた。だから、キリスト教会では祭司職を廃止した。今なお祭司職を保存しているキリスト教があったとすれば、それはキリストの全き生け贄を信じていないことを公言しているのである。 ただし、キリストが祭司職を全うしたもうたということは、彼を信ずる全ての人が彼の全うしたもうた祭司職に与って、全ての人のために執り成しをすることが出来るということである。ペテロは「あなた方は祭司の王国だ」と言う。しかし、キリストが祭司職を全うしたもうたのであるから、我々も当然祭司職を行なうことが出来るということを安易に言うだけでは何にもならない。 モーセの時代にアロンの子孫が正規の祭司になるという規定が出来た。エゼキエルにおいてはいずれもっと詳しく見ることが出来るが、ザドクの子孫こそが神に近く仕える祭司になると示された。選ばれた者が祭司になるのである。しかも、選ばれているというだけで祭司の務めを正しく行なうことが出来るとは言えない。 祭司として選ばれていた者が祭司としての職務を真実に果たすためには、祭司として整えられる部屋が必要であるということを今日は学んだ。我々が使命感を持って祭司の職務を今の世において果たそうとしても、それは浅薄な思いつきに終わるほかないであろう。今日、まことの祭司的な人が必要だということについては説明は要らない。それなら、我々は祭司の部屋をめいめいの内に持たなければならない。 |