◆今週の説教2001.07.29.◆

エゼキエル書講解説教 第44回――40:1-47によって――


エゼキエル書では、40章以下が最終部分である。預言者エゼキエルの活動の初めの時期はエルサレムの陥落の預言として一括することが出来る。バビロンに連れて来られた囚われ人は、神が守りたもうからエルサレムは必ず攻撃に持ちこたえ、遂に勝利し、我々は帰国することが出来ると信じている。しかし、預言者は、神が生ける神でいます故に、不信の民を必ず罰し、エルサレムを滅ぼしたもうと告げた。 
その預言通りエルサレムが滅びたが、そこで預言者の使命は逆転する。以後、周辺の民族に関する預言が次々とあって、イスラエルに関する預言の量は多いとは言えないが、神はエゼキエルにイスラエルの回復を預言させたもう。囚われ人は帰還し、町々は建て直され、イスラエルの山々には繁栄が戻る。世界の最終戦争が地の果ての王ゴグによって企てられるが、神はその大軍をイスラエルの地で滅ぼし尽くし、ついに恒久的な平和が来る。そこまで学んで来たのであるが、回復の中心はエルサレムの回復である。それも、大都市エルサレムの再建というものではなく、宮の回復であるということを40章から学び始めるのである。辱めを受けた人々の名誉の回復というよりは、神の栄光の回復が主題である。 
さて、これまで、エゼキエルの預言を学ぶ時、一つ一つの託宣が終わるたびごとに、必ず「そして彼らは私が神であることを知る」という意味の結びの句がついていたことを我々は覚えている。その結びの言葉を軽く考えたわけではないが、毎回毎回、同じ形の言葉が出て来るので、ことの重要性は分かっていても、感銘が薄らいだかも知れない。 
我々もこれはもう分かったこととして、いちいち解き明かしはしなかった。しかし、感銘が薄れたままで終わることがないように、エゼキエル書の終わりの部分は、神の栄光の具体化としてのエルサレムの宮の回復が主題としている。大事なのはエルサレムの宮がどんなに立派に建て直されるかではなく、神の神であることが如何に現われ出るかである。44章4節に、「見よ、主の栄光が主の宮に満ちた」と記されているが、壮大な建物ではなく、そこに満ちるべき主の栄光が目標である。 
マルコ伝13章1節で、主イエスの弟子たちが、「先生、何という見事な石、何という立派な建物でしょう」と話し掛けた時、イエス・キリストがその建物の壮大さに心を奪われてはならない旨の警告を与えたもうた事は今この40章を読む時の指針である。 
人間の幸福や平安の回復が窮極の目標なのではない。もう飢えることはない。異常気象によって損害を受けることも、外敵の侵入によって生命と財産を損なわれることもなく、平和そのものの状態になる。絶え間なく続く悲劇と波瀾万丈の歴史は終わる。そのような平和が彼らの長い間の憧れであった。だが、それだけの希望なら、神を知らない多くの人々の心の中に潜む理想追求と区別がつかない。大事なことは、人間の繁栄や人間の自己実現でなく、神の栄光の回復である。繁栄した町エルサレムが主題なのではなく、神が人とともに住みたもうエルサレムこそ主題である。それが神の宮という建物の完璧な再建によって象徴されている。 
さて、第1節、「我々が捕らえ移されてから25年、都が打ち破られて後14年、その年の初めの月の10日、その日に主の手が私に臨み、私をかの所に携えて行った」。――この預言を聞く人は「あれから25年」と言う人と、「あれから14年」と言う人とに分類される。これだけの数字の中に、聞く人々はそれぞれに万感の思いを籠めるのであった。エゼキエルがユダの王エホヤキムや、国中の主だった人々と共に人質としてバビロンに捕らえ移されたのは紀元前597年であった。それから25年が経過した。その期間を生きて来た人が何を感じて来たかについて、今、語ることは控えておくが、我々のうち最近の56年を経験した人なら、彼らに或る程度の共感を覚えずにおられないであろう。 
その後10年して、都エルサレムは完全に破壊され、人々は大量に第二次捕囚としてバビロンに連れて来られた。第一回の捕囚の時、本国はまだ国としての体面と秩序を保っていたが、今や帰るべき国がない。第二次捕囚は敗戦と殺戮と略奪と破壊を体験した上で囚われ人となる。イスラエルの山々は住む人のない荒れ地となり、人々は約束の地を遥かに離れた流刑の地に追いやられた。それから14年、見通しは一向に明るくならない。 
人々の間に希望がどれだけ残っていたか。バビロンに捕らえ移される人々に手紙を送って、預言者エレミヤは、70年の後、神が恵みを回復したもうと預言したことがエレミヤ書29章10節に書かれている。この70年という期間がエホヤキムがまだエルサレムで政治をしていた時にも預言されたことは、エレミヤ書25章に書かれている通りである。それを覚えていた人はどれほどいたであろうか。覚えていたとしても、まだ25年しか経っていない。70年の刑期が満ちるのはまだまだ先である。人々が自らを枯れた骨に譬えて、我々の望みは尽き果てた、と言ったことを先にエゼキエル書37章11節で学んだが、人々の状況はそういうものであった。もう待ちきれない。人は次々と死んで行く。希望が残っていても、死の時が追いついてしまう。神はそのような絶望状態にある人にこの預言を与えたもうのである。ここでは、「後僅かだから頑張れ」とは言われない。「捕囚期はまだまだ長く続くから希望を絶やすな」とも教えられない。また、「捕囚の期間は次の世代にまで亘るのであるから、国に帰って行くべき次の世代の子たちに信仰を継承させることをシッカリ考えよ」とも言われない。ただ、来たるべき日のエルサレムの姿、またエルサレムを中心とするイスラエルの回復の姿が描かれるだけである。さらに言うならば、回復の日にはこうなるのであるから、そのための準備をせよ、という教えもここには含まれていない。あと50年忍耐すればどうなるか、ではなく、途中を一挙に飛び越えて、終わりの日のことが示されたのである。これは帰還後の再建の具体的指示ではない。実際、囚われから帰った人々の建てた宮の規模はエゼキエルの示したものよりずっと小さかった。 
今日聞くこの預言には、後50年の間に何をして待つか、50年して帰国し、宮の再建をする時は何をすべきかについての指示は一つもない。では、何もしないで、天から新しいエルサレムが下って来るのをただ待てというのか。そうではない。人間の側にもなすべきことはある。それを自分で考えることが出来る助けが与えられる。だから、捕囚はバビロンにいる間は一生懸命に生きたし、帰国してエルサレムを再建するためにも一生懸命であった。しかし、そのことは当面の問題ではない。今日学ぶのは、エルサレムの回復が日常性の延長の上にあるのでなく、ここと断絶しているという面についてである。 
ここでは何を努めるかでなく、どういう姿勢で来るべき日を待つかが主題である。 
さて、この預言の日付は1月10日となっている。45章を見ると、回復されたエルサレムにおける礼拝の暦がある。1月にもいろいろ行事が定められている。その行事がバビロン捕囚の間で行われていたとは思われない。それらの祭りは新しきエルサレムの祭りとして定められたと見た方が良いであろう。たとい行なわれていたとしても、1月10日は何かの行事の行なわれる日ではなかった。だから、人々が呼び集められた前で預言者が脱魂状態になって幻を見、それを語ったというのではない。40章から48章に亘る幻は、1月10日に一気に示されたと見られるが、後日それが一気に語られたのである。4節に「あなたの見ることを、ことごとくイスラエルの家に告げよ」と命じられているように、エゼキエルが幻を見たことだけでなく、これが人々に語られたことが同じだけ重要なのである。この日にエゼキエルがどんな体験をしたかは詳しくは分からない。彼が人々に語ったことだけは良く分かる。 
「主の手が、私をかの所に携えて行った」というのは幻である。現実にどこか高い山の上に携え行かれたと考えなくて良い。パウロがIIコリント12章で、14年前に第三の天にまで引き上げられた体験を語っているが、その所で、「体のままであったか、体を離れてであったか、私は知らない。神が知っておられる」と繰り返し言う。エゼキエルの経験も同じものであったであろう。体のままであったか、体を離れて魂が味わったものであるかはどちらでも良いのである。 
「神は幻のうちに私をイスラエルの地に携えて行って、非常に高い山の上に下ろされた。その山の上に私と相対して、一つの町のような建物があった」。その日の彼の生活の一部として、高い山の上に連れて行かれた時があるというのではない。幻だった。この「非常に高い山」がイスラエルの地のどの山であったかを特定しようとしても無駄である。エゼキエルの置かれた高い山の上に、彼と相対して、エルサレムの宮があった。しかし、現実のエルサレムは山の上の町と言えば言えるが、非常に高い山の上にあったのではない。「非常に高い」とは、殆ど天上の、というほどの、隔絶したところという意味である。現に地上にあるエルサレムがそのまま終わりの日のエルサレムに移行するわけではない。 
イザヤ書第2章で、「終わりの日に次のことが起こる。主の家の山は、もろもろの山のかしらととして堅く立ち、もろもろの峰よりも高く聳え……」と預言したのは有名であるが、現実のエルサレムの続きを考えてはならないという意味がこめられている。 
「高い山」という言葉に接すると、知恵の薄い我々は「それではエヴェレストの頂上まで行ける人でなければ礼拝出来ないのではないかと心配する。その考え方を覆すために、聖書はイザヤ書2章2節で、「終わりの日に次のことが起こる。主の家の山は、もろもろの山の首として堅く立ち、もろもろの峰よりも高く聳え」と言った後、直ちに、「全ての国はこれに流れて来る」と言う。世界で最も高い山であるから、力を尽くしてよじ登らなければならず、ごく少数の人しか頂上に達することが出来ない、というのではない。全ての国人は流れる如くに、高いところから低いところに足が軽々と動くように、容易に礼拝に参加することが出来る、いや、エルサレムに赴かざるを得ない、と預言しているのである。「高い山」とは物理的な高さを言うのでなく、聖、超越、隔絶ということを象徴する。そして、隔絶していても、そこに達するのは困難ではない。 
聖書には高い山についての記事がたくさんある。例えば、主イエスが3人の弟子を連れて高い山に登り、そこで栄光の姿を示したもうたという事件がある。これが特定のどの山であるか推測しても徒労である。高い山とは、この世を越えた象徴的な場所である。神の都、新しいエルサレムを見るためには、高い位置に行かなければならない。 
ヨハネの黙示録21章10節に「御使いは私を御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた」とある。それをエゼキエルのこの経験に重ね合わせれば良く理解出来るであろう。幻を見るだけなら、居ながらにして出来るではないかと思う人があろうが、それは違う。「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることが出来ない」と主イエスは言われたではないか。新しきエルサレムを見ることも、居ながらにしては出来ないのである。エルサレムを見ることの出来る位置まで引き上げられなければならない。 
「一つの町のような建物があった」。これは宮であるが、一つの町のように大きく、数々の建物の複合体である。そのおおよその大きさを言うならば、東西約250メートル、南北約250メートルの正方形の塀の取り巻く一郭である。塀の厚さが3メートル、高さが3メートルある。(口語訳聖書では垣と訳されている)この塀で囲まれた外庭の中に、もう一重、内塀があって、その中に内庭があり、その中に祭壇と拝殿・聖所・至聖所がある。拝殿の外側に合計30の脇間があって三層になっている。建物の高さは記されていないが、脇間が3メートル以上の高さであるから、20メートルから30メートルあると思われる。宮の裏手に祭司の部屋がある。また外の塀に東と北と南に、全部で30の部屋がある。もっとも、部屋は西側にもあったかも知れないが、合計30である。17節にある通りである。この部屋は礼拝に来る人たちのためのものである。大雑把に建物の大きさを掴んだ上で、エゼキエルの記述にしたがって見て行こう。 
3節に、「神が私をそこに携えて行かれると、見よ、一人の人がいた。その姿は青銅の形のようで、手に麻の縄と、測り竿とを持って門に立っていた」とある。この門は外塀の東門である。東門が正面である。 
この一人の人、これは天使であるが、神のもとから案内に遣わされたものである。「その姿は青銅の形のよう」というのは尊厳を表わす言い方で、1章4節に「その火の中に青銅のように輝くものがあった」というのを思い起こさせる。すなわち、天使と言って良いが、あの火の中にいますお方に極めて近い存在である。 
彼は手に麻縄と測り竿を持っていた。通常、天使が測り縄と測り竿をもって現われる時は審判を象徴するのであるが、今回はそれではない。建物の大きさを口で説明するのでなく、物差しを実際に当てて、その大きさをエゼキエルに確認させるためである。 
測り竿はあとで5節に出て来るように、6キュビトある。これで測れないほどの長さになると、縄が用いられる。例えば、47章3節で、宮から流れ出る流れの一千キュビトを測る時、この縄が用いられる。 
「その人は私に言った、『人の子よ、目で見、耳で聞き、私があなたに示す全ての事を心に留めよ。あなたをここに携えて来たのは、これをあなたに示すためである。あなたの見ることを、ことごとくイスラエルの家に告げよ』」。宮の大きさを正確に伝える必要があるから、測り竿が用いられた。 
その測る単位であるが、キュビトである。ただし、そのキュビトは、1キュビトと1手幅である。通常のキュビトの六分の七の長さ、約52センチである。通常の尺度より大きいのは、聖なる尺度だからである。御使いが手に持つ竿は3メートル12センチである。 
先ず東門から測り始める。6節、「彼が東向きの門に行き、その階段を上がって門の敷居を測ると、その厚さは1竿であった」。この門は東に向いている。逆に言えば、東から見れば、東門の向こうに内塀の東門が見え、その向こうに祭壇が見え、祭壇の向こうに聖所が見える。この門の外に7段の階段があって、北門も南門も階段の上にある。聖なる場所として一段高いところに宮は造営されていた。 
門の入り口については書かれていないが、幅が10キュビト、長さが18キュビトの通路があり、門の内に入ると両側に詰め所が三つずつあるほどであるから、それを覆う屋根は丈の高い大きいものであった。 
門を越えて中に入ると外庭で、そこに入る北門と南門が東門と同じ規模で設けられている。御使いはエゼキエルを北門から南門に連れて行き、次に内塀の南門から内庭に導く。内庭に入る門も三つあって同じ規模である。どの門から入っても良い。これらの門に入るために階段を8段上がる。内庭には中央に祭壇がある。エゼキエルは祭壇における犠牲を重んじている。それは捕囚の間、犠牲を捧げることが出来なかったからであろう。 
38節に燔祭を洗う部屋のことが出ているが、獣の足に土が着いて汚れているから、焼く前に洗ったのである。祭壇の近くには犠牲を屠るための台が八つ用意されている。これは宮の回復が建物の回復に留まらず、そこで捧げられる捧げ物の捧げ方の刷新を暗示する。その暗示は、キリストによって捧げられる全き生け贄に我々を導くものである。 
44節にある内庭の二つの室は祭司のための部屋である。北向きの室は祭壇に仕える祭司のため、南向きの室は宮を警護する祭司のためのものである。これは祭司制度はそのままであるが運営が新しくなることを示している。 
先に触れたが、エゼキエル書40章以下はヨハネ黙示録21-22章を指し示す。我々の目に新しいエルサレムが見えて来る。そして、我々は己が身を神に喜ばれる聖き生ける供え物として捧げるのである。    

目次へ