◆今週の説教2001.01.28.◆

エゼキエル書講解説教 第38回――35章によって――

 エゼキエル書35章の預言は「セイル山」に向けてのものである。これは次の36章で、「イスラエルの山々」に向けての預言が語られるのと対をなしている。35章12節に、セイル山がイスラエルの山々に向かって謗る言葉が記されるが、二つの山は対照的なのである。だから、セイル山に向けての預言は、それだけで単独に成り立っているというよりは、イスラエルの山々の回復の預言の導入部として置かれていると理解したい。そして、イスラエルの山々の回復の預言は、36章後半から有名な37章にかけての「イスラエルの家」の回復へと我々を導き行く。
 「セイル山」とは、15節で明らかなようにエドムの地、またそこに住むエドムの民のことを指す。そういう名の山があるのではない。イスラエルの山々と語調を揃えたのである。エドムの地は死海の南岸からアカバ湾までの低地と、その東の丘陵地からなる。この部分について「山」という呼び方が適用されたのである。1500-600メートルの高地が拡がっているということである。エドムはユダの地から見れば辺境であり、事実、ユダ王朝に長年支配されていたのであるが、この地の南の端にあるエラテ、あるいはエジオンゲベルの港は、南アラビアやインドとの貿易の拠点になってユダ王朝の重要な収入源であった。エドムの地の北部には、すでに滅びたが、ソドム、ゴモラ、ゾアルというような、かつて銅の産出で栄えた都市があった。ソドム、ゴモラの滅亡は創世記19章に記されている。
 「セイル」という名は森林の意味であって、昔この地帯を森林が覆っていたことから来たようである。その森林がなくなったのは、銅の精錬のための燃料にされたからではなかろうかと思われる。青銅時代に広い地域に銅を供給するために森林資源が用い尽くされて、再生されず、肥沃な土地は砂漠になったのである。
 後で触れるが、セイルの地に住むのはエドム人、その先祖はエサウであって、彼は狩猟者であったと創世記25章27節に書かれている。狩猟をしたということは、そこに森林があったことを示すのであって、エサウの双子の兄弟ヤコブが天幕に住む牧羊者であるのと違った道を行ったことが示される。
 一方、エドムという名は「赤」という意味で、その地の岩は赤色の砂岩で、土の色も赤だからこう名付けられたのではないかと考えられている。森林が覆っていた頃からその名があったのであろう。
 このエドムへの裁きについて、エゼキエル書では25章12節から14節までに近隣諸民族と纏めて一度語られた。「エドムは恨みを含んでユダの家に敵対し、これに恨みを返して、甚だしく罪を犯した」と記されている。「恨みを返した」というのは、ユダの滅亡の時、兄弟のよしみをもって助けなかったどころでなく、火事場泥棒のようなことをしたようである。しかし、困っている兄弟を助けなかったのは事実であるが、エドムに言わせれば恨むだけの理由があった。すなわち、血族的には近い関係にあるのに、エドムはイスラエルでないというだけの理由で、長くユダから異民族として支配される屈辱を受けたのである。だから、かずかずの恨みが積もっていた。そして、ユダの側においては、エルサレムの滅亡の際のエドムの処置が恨みとなって残った。詩篇137篇7節に、「主よ、エドムの人々がエルサレムの日に『これを破壊せよ、これを破壊せよ。その基まで破壊せよ』と言ったことを覚えて下さい」と記録されている。また、哀歌4章21節によれば、エルサレム滅亡の日に周囲の他国よりも特にエドムが冷酷・残忍であったことが窺われる。それはその通りであろうが、その歴史的事情をここで説明してもあまり意味がない。そのことはともかく、エドムに関する裁きの預言はすでに25章で語られたのである。
 セイルの地の裁きの預言がこの35章で繰り返されるのは、初めに言った通り、36章でイスラエルの山々についての預言が語られるその前置きとして、先ずセイルの山の裁きを語る必要があると感じられたからである。
 セイルの地には古くから人が住んで、ユダ、イスラエルの地よりも栄えていたが、初めはホリ人がいたようである。創世記14章6節によると、北方からケダラオメルを代表とする4人の王の連合軍が攻めて来て、セイルの山地でホリ人を撃ったという。これはその地の富が遠い国からも狙われていたことを物語る。創世記36章にはホリ人セイルの子たちのいたところにエドムが入って来たと言う。
 聖書の記事ではこの地の住民はアブラハムの子で祝福を受けられなかったイシマエルの子孫であり、そこに後にイサクの子で祝福を受け継ぐことが出来なかったエサウが加わり、エサウの子孫がエドム人になったことが創世記28章9節に書かれている。
 セイル山とイスラエルの山々についての対比を考える時、エサウとヤコブの対比を心に思い浮かべなければならない。この二人は同じ父、同じ母から、同じ日に生まれた双子の兄弟であった。素質の上からは優劣をつけられない。むしろ、慣習から言えば、エサウが兄であるから、父の家督を受ける優先権があった。そして、父イサクはエサウの方を愛していた。母がエサウよりヤコブを愛したという事実はあるが、総合的に見て、エサウの方が世継ぎになるべき者と判定されていた。父イサクも祝福が終わるまでは、ヤコブでなくエサウを祝福しているとばかり思っていた。
 けれども、実際に嗣業を受け継いだのはヤコブであった。そして、ヤコブがエサウを差し置いて祝福を受けるために、すでに年老いて目が見えなくなっていた父を欺く詐欺手段が講じられた。聖書はその事件を美化して書くことをせず、ありのままに、恥ずべき事実を語り伝えた。
 そのような見込み違いの出来事は歴史の中でしばしば見られることであるが、偶然的な些細なことや、人間の悪賢さが歴史の流れを造って行く一例なのか。聖書はそうは教えない。これは神の意志決定、神の選びなのだ。母リベカが身ごもった時、胎内で二人の子が争った。母はその時思い悩む。彼女は主に尋ねる。主は答えて言われた、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から分かれて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」。これが創世記25章23節の御言葉である。新約聖書のローマ書9章がそれを受けて、神の選びをさらに明確な教理として教える。
 すでに述べて来たが、イスラエルの山々がセイルの山に優る条件は何もない。むしろ、人間の普通の判断ではセイル山の方が優れていると見られたかも知れない。思い起こすのはアブラハムの生涯の一つの場面である。アブラハムは神の示したもうままに祖先の地を離れて旅立った。甥のロトがついて来た。神が与えると言われた地に着いて、そのうちに羊の群れが増えたので、アブラハムの集団とロトの集団の間にいさかいが起こった。アブラハムは土地を分割しなければ共倒れになると見て、見晴らしの良い場所にロトを連れて行って、高地と低地とどちらかを選ばせる。
 その頃、低地、すなわちヨルダン川から死海そしてその南のアカバ湾に至る地帯は潤っていて青々としていたので、ロトはそれを好ましく思って選んだ。その時点では、低地は潤って青々としており、特に死海以南、後年エドム人の地というようになる地帯は都市が発達した上に、豊かな森林まであった。これを選んだのはロトの世俗的判断である。世俗的というのはここでは必ずしも悪い意味ではない。アブラハムに残された山地が、痩せた、開発されていない土地であって、そこに生きることは信仰的であると見られやすい。そう見ることは結論として間違いではないが、アブラハムはわざと条件の悪い方を選んだのでなく、ロトに先に選ばせて、残った方を取ったのである。もし、ロトが山地を選んだなら、アブラハムは低地に下りて行った。パウロはピリピ書4章12節で「私は富にいる道を知り、貧しきにいる道を知る」と言っているが、信仰者は貧しい環境のもとにおいてのみでなく、豊かな環境の中でも信仰者に相応しく生きることが出来る。だからといって、豊かな環境を選んで良い、と言っては問題であろう。アブラハムがロトに先に選ばせたところに見習わねばならない点がある。優先権を先ず人に与えたところが重要なのである。しかし、何よりも重要なのは神の選びである。
 エゼキエル書35章に戻る。「人の子よ、あなたの顔をセイル山に向け、これに対して預言し、これに言え」と先ず聞く。顔をセイル山に向けても声は届かないではないか。しかし、これは顔をその方向に向けていることを聴衆に印象づける振る舞いである。エゼキエルの初期の預言は、人々を集めて、瓦の上にエルサレムを描き、それに向けてエルサレムの包囲と陥落を預言するやり方であったが、今度はセイル山に向けて語る。セイル山がそこにあるかのように語ったのである。
 ここにはエドム人に対するユダの人々の恨みが表明されていると指摘されることが良くある。先に少し触れたように、エルサレムの滅亡に際してモアブもアンモンも冷淡であったが、エドムは殊のほか酷かったようである。5節-6節に「あなたは限りない敵意を抱いて、イスラエルの人々をその災いの時、終わりの刑罰の時に、剣の手に渡した。それゆえ、主なる神は言われる、私は生きている。私はあなたを血に渡す。血はあなたを追いかける。あなたには血の咎がある故、血はあなたを追い掛ける」と言われる。
 「限りない敵意」と言われるが、敵意には普通限りがある。すなわち、人には憐れみの心が多少なりともあるので、敵意には制限が加えられ、特に敵が窮地に陥った時には、見逃したり、助けたりする。この時とばかりに恨みを晴らすのは人道に反する。
 エルサレムが陥落したとき逃げて来た者をエドム人は剣で殺した。これは「血の咎」であると主なる神は言われる。血の咎とは、罪なき者の血を流すこと、殺される謂れのない者を殺すことである。命は神に属するから、命の主であられる神は、損なわれた命について報復したもう。
 預言者がイスラエルの側に立ってこう語ったと取るべきではない。血に関する神の主権はイスラエルと異邦人との差を問わない。イスラエルの間で殺人はしてならないが、敵を殺すのは差し支えない、というのが第6戒の意味だったと言われることがよくあるが、それは読み方が浅い。創世記9章6節で神は言われる、「人の血を流す者は、人に血を流される。神が自分の形に人を造られた故に」。殺人は神の形に造られたその形の破壊である。だから、イスラエルの地では寄留の他国人の人権を守ることが強調されたのである。
 さらに言うならば、獣の血も神の管轄のもとに置かれているから、獣の血もみだりに流してはならない。必要ならば動物の肉を食物にすることは許されている。しかし、「肉をその命である血のままで食べてはならない」と創世記9章に規定されている。肉を食べても良いが、生命を支配出来ると思ってはならない。
 「殺すなかれ」と命じられるのがどういう意味であるかを、イエス・キリストが明快に教えたもうたことは良く知られている。「昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、私はあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、誰でも裁判を受けねばならない兄弟に向かって愚か者と言う者は、議会に引き渡されるであろう。また、馬鹿者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。だから、祭壇に供え物を捧げようとする場合、兄弟が自分に対して何か恨みを抱いていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残して置き、先ず行ってその兄弟と和解し、それから帰って来て、供え物を捧げることにしなさい」とマタイ伝5章21節以下で教えておられる。
 もう一つ、神が血の報復を要求したもう点について考えておきたい。上に見た通り、血の報復は血を流された者のためではなく、神ご自身の権利が侵害されたままにしてはならないからである。神の主権の回復を示すのが処罰である。処罰によって死人が生きることはないが、正義は復権する。我々が神に代わって罪人を処罰することが出来ると思うべきでないが、神の正義の要求を人々に知らせることを怠ってはならない。
 さらに重要なことを神は宣言したもう。10節である。「あなたは言う、『これら二つの国民、二つの国は私のもの。我々はこれを得よう』と。しかし、主はそこにおられる。
 それ故、主なる神は言われる、私は生きている」。
 エドムはユダの国がいわば持ち主のない空き家のようになったのを見て、自分がそこに入って持ち主になろうと思った。しかし、神は「私は生きている」と言われる。人の物を取ることもいけないが、神の物を取ることは恐るべき冒涜である。
 神がイスラエルを嗣業の地に置きたもうたのは、来たるべきキリストによる王国を指し示すためであった。その目的を持つ土地を他の用に転用してはならない。メシヤがすでに来られて、嗣業の地の持っていた意義が解除されたのちは、それを特別視することは間違いである。しかし、エゼキエルの時代には土地所有が途切れることは、キリストの来臨を待つ信仰が途切れることでもあった。バビロンに囚われている人たちは、それぞれ嗣業の地を本国に持っていたのであるが、エルサレムの滅亡とともに、土地を継承する望みを失った。その人たちに神は預言者を通じて言われる。「嗣業の地は私が守る」。このことは後の章でもっと明らかになって来ることである。
 イスラエルとその山々と、エドムとその山々を比較して優劣を論じても全く意味がない。むしろ、セイルの方が優れているという結論になるかも知れない。人々は自分の土地を愛し、そこが一番よいと自慢したりするが、そのように考えることによって、自分の土地を大事にし、あちこち放浪しないのは健全であるが、イスラエルが嗣業の地を大事にしたのとは意味が違う。
 神はイスラエルを選んでご自身に属する民とされたが、この民族が優れているからではなかった。むしろ、他の民族よりも弱小であって見劣りがした。しかし、見劣りする器によって神の御業が却って現われるのである。
 カナンの地が約束の地として選ばれたのはまた別の意味である。その地が「乳と蜜の流れる地」と言われることは無視すべきでないが、どこまでも固着すべき地と言うべきではない。だから、イエス・キリストは「あなたがたは全世界に出て行って福音を宣べ伝えなさい」と言われた。福音を捉えた人は、もはや土地に縛り付けられることはない。
 全世界のどこも恵みの場所であり、どこへ行っても課題がある。イスラエルにとって嗣業の地が大事であったのは、神の国を嗣ぐ日が必ず来るという希望と信仰を代々にわたって継承する訓練のための象徴であった。
 だから、イエス・キリストが「神の国は来た」と言われた時、その象徴は終わった。神の国をただ待っているのでなく、「激しく攻めてそれに入る」ようになったのだと主は言われた。
 その日が来るまでは、来たるべき日を待つことを形に表す「嗣業の地」という象徴は、信仰告白の印として大切にしなければならなかった。それは親から子へキチンと受け継がせなければならなかった。先祖の決めた地境いを移してはならない。王が欲しいと言うのに、売らなかったために殺されたナボテという人のことを列王記上21章が記しているが、ナボテは、売らなかった点では全く正しかった。
 さて、セイル山の住民はイスラエルの山々に住む人がいなくなったのを見てあざ笑ったのである。これから後の時代にかけて、エドム人が次第にユダヤに進出して来ることが旧約外典マカベアの書などに記録されている。もっと顕著なのは、主イエスが生まれたもうた時のヘロデ王朝、これはエドムの出である。イスラエル、ユダから王を立てることが出来なかった時にエドムから王が出た。それほどにエドムには力があった。
 イスラエルが国を失って無力の時代に入った時、神は預言者を立てて、恐れるな、希望を捨てるな、故郷にある嗣業の地がなくなっても、メシヤの到来の約束への信仰を途絶えさせるな、と語らせたもうた。今の我々もまさしくその言葉を聞かなければならない。
 


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