◆今週の説教2000.10.29.◆

エゼキエル書講解説教 第35回――33:21-33によって――

「私たちが捕え移された後、すなわち第12年の10月5日に、エルサレムから逃れて来た者が私のもとに来て言った、『町は打ち破られた』と」。
 33章の初めから、エゼキエルの預言者活動、あるいは預言内容が、新しい段階に入ったことを、1節から20節までのところですでに見た。それはエルサレム陥落以後の預言という分類に入る。換言すれば、エルサレムが滅びたとの報せを受ける以前に、1節から20節に記される預言が語られていて、預言者は新しい活動に移っていたのである。神が彼を立てて預言者として用いたもうのであるから、エルサレム陥落の報せがすでに彼に齎されていたかどうかは、関係のないことと言って良いであろう。エゼキエルが一人の人間として、故郷の喪失の報せを如何に痛恨の思いで受け取ったかを思いめぐらすことは、興味を引く話題であるが、さほど意味のあることでないので触れないでおく。
 一個の人間にとって、祖国の滅亡が確かに深刻な経験だということを我々は知っている。だから、それがどちらでも良いかのように見過ごすことは不自然ではないかと言われるであろう。もし我々が人間エゼキエルのドラマを書いているなら、ここはシッカリ書かなければならないテーマである。しかし、我々は彼を通して語られた神の言葉を聞こうとしている。そういう時、人間ドラマに関心が行き過ぎてはならない。我々の思いをひたすら神の言葉に向けよう。
 エルサレムの不滅を、ユダからの捕囚たちはバビロンにいても信じていた。彼らが彼らなりに考えるとそういう結論になる。だが神の言葉はその反対である。エゼキエルは人々の期待を打ち消して、町は必ず滅びると預言し続ける。このことで、預言者と民衆の間の確執は大きかった。エルサレムが打ち破られたと知って、民衆の反対は消えた。しかし、預言した通りになったからといって、預言者自身は決して満足も、自慢もしない。むしろ非常に深い悲しみを持った。そのことを口にしないだけである。
 すでに触れた要件だが、第12年10月5日という日付について疑問がある。エルサレムは11年の4月に滅びたのである。それから1年半掛かってバビロンに報せが届くというのは遅すぎる。エルサレム陥落後、3023人の第一陣の捕囚がバビロンに移された。その人たちの到着以前に第一報が届いていたに違いない。第12年というのは、第11年の写し間違いではないか。そう考えれば簡単に解決がつく、と言う人がいる。6ヶ月掛かって報せが届いたというなら、先ず先ず妥当な数字である。けれども、このことにも我々は深入りしないでおく。エルサレムが神の怒りによって陥落したという事実が重要なのであって、その事実を知ったのが何時であるかは、さほど大きい意味はない。
 ただし、それが知らされた日付が残っているのであるから、日付を無視することは歴史を無視した不正直ではないか。しかし、これは地上の事柄が地上の方法によって伝達された日付である。一方、エゼキエル書で何度も見られるが、神の託宣が与えられた日付も書き留められている。これは天上的な言葉が地上に啓示された日付である。同じに見えるとしても、日付の意味が違うことを知るべきであろう。
 バビロンのケバル川のほとりに居留した捕囚の間で、エゼキエルは民の長老ではないが、祭司であったから、指導的な役割を担っていた。そこで、エルサレムから逃れて来た人は先ずエゼキエルに本国の滅亡の事実を伝えた。それは面識のあった人かも知れない。
 10月5日という日付は、今述べたように、地上のエルサレムの消息をバビロンに伝える報告の届いた日付であるが、この日にはまた上からの示しがあったことが続いて語られている。こちらが重要である。
 「その者が来た前の夜、主の手が私に臨んだ。次の朝、その人が私のもとに来た頃、主は私の口を開かれた。私の口が開けたので、もはや私は沈黙しなかった」。
 報せが来る前の夜から、予感とでも言えるようなものがあった。実態がどうであったかは分からないが、神が前触れを与えておられた。「主の手が私に臨んだ」とは、神の働きによって異常な状態に置かれ、ものが言えなかった、ということである。
 病的な興奮状態や失神状態と推測する人もいるであろう。しかし、それよりも、エルサレムが打ち破られたことを、言葉で告げられるのではないが、何らかの方法で感じ取り、事柄は分からなかったけれども打ちのめされており、翌日、神の力によって立ち上がって語り始めたと見る方が適切かも知れない。いきなり語り始めたのではなく、御言葉を語る準備状態に置かれて一晩を過ごし、それから語り始めたのである。
 こんどの預言は、イスラエルの地の荒れ跡の住民についてである。ユダの国が滅びて、主立ったものは囚われ人としてバビロンに引いて行かれた。エレミヤ書52章の記録では、三回に亙って引き行かれ、総計は4600人であった。ということは、そのあとが無人地帯になったのではなく、かなりの数の下層民がその地に残されたということなのだ。バビロン軍はこの地を治めさせるために、預言者エレミヤと近い関係にあり、バビロンとの戦いに反対して政府内での地位を失っていた高官ゲダリヤを首席に立てて、ミヅパに自治政府を作らせた。しかし、国内に残っていた反バビロン派の軍人たちは欺いてゲダリヤに近付いて殺害し、ゲダリヤ政府の職員を皆殺しにし、その地にいたバビロンの守備隊を殺した。だから、ユダの全地は無政府状態になった。
 この事件に対するバビロンの報復を恐れる人たちは、預言者エレミヤの反対にも拘わらず、エジプトのタパネスに逃げて行き、そのままエジプトに土着し、その中に埋没し、足跡は消えてしまった。
 バビロン軍は主立った人々を連れ去り、神殿と王宮の宝物を持ち去ったあと、エルサレムに火を放って廃虚としたが、下層の人たちを残した。彼らはイスラエル人ではあったが、イスラエルとしての嗣業を手放して農奴になっていた人たちである。バビロン軍は農地解放をして、農奴たちに土地を持たせ、葡萄を作らせた。しかし、彼らには指導者がいない。神の言葉を伝えて教える役目を果たす人はいない。指導者になれる人は、バビロンに連れて行かれたか、ゲダリヤのように殺されたか、預言者エレミヤのようにエジプトに無理矢理連れて行かれたかである。
 神はユダの地に残された者に関する預言の務めを、バビロンの囚われの中にいるエゼキエルに命じたもうたのである。その預言が23節以下に記されている。その預言がどのようにしてユダの荒れ跡に届けられたかについては何も分からない。あるいは、これはユダの荒れ跡にいる人々に聞かせるためでなく、残された彼らもまた滅びるということをバビロンにいる囚われ人に聞かせれば良かったのかも知れない。
 「荒れ跡の住民らは語り続けて言う、『アブラハムはただ一人で、なおこの地を所有した。しかし我々の数は多い。この地は我々の所有として与えられている』と」。
 かつて農奴であった人々が土地所有者になっていることを苦々しく思っている向きが、バビロンに捕え移されたもとの主人たちの間にあったかも知れない。しかし、神は荒れ跡に残された人々が土地を持ったことを咎めたもうのではない。土地は神のものであり、神がこれを祝福の徴、神の国を受け継ぐことの徴として民に授けて、親から子に代々受け継がせたもうのである。土地を持たなかった者が持つようになったのは、正常な状態に回復したことである。
 彼らはアブラハムのことを一応知っている。しかし、正しく知っているとは言えない。
 かつて持てなかった土地を所有したことで、有頂天になっているさまが「語り続ける」という言い表わしから窺われる。
 「アブラハムはただ一人で、なおこの地を所有した」。アブラハムがまだ子もなく、ただ一人だった時、神は彼にこの地を与えると言われた。だが、一人で全部の土地を持ったということではない。アブラハムにこの地が与えられたが、実情を言えば、彼は天幕に住む一人の旅人・宿り人であり、この地にはカナン人、ヘテ人、ペリジ人、エブス人などが木や石や瓦で作った家に住んで農耕を営んでいたから、アブラハムの土地所有は極めて不安定であった。しかし、今はアブラハムの子孫が沢山住んでいるから、安定して土地を所有することが出来るという意味である。このように地上的な所有に安住しようとする時、その土地は本来の意味を失ってしまうであろう。
 もう一つ大事なことは、地を受け継ぐ者は、受け継ぐことに相応しく生きなければならない務めがあるということである。すなわち、主の掟を守らなければならない。しかし、彼らは教えてくれる人がいないからでもあるが、律法を守って、主の民として相応しく生き抜こうという思いを全然持っていない。極めて野卑な、奔放な生活を送っていたらしく思われる。
 エルサレムが滅びたのは何ゆえであったか。神の戒めを守らなかったからではないか。
 しかし、エルサレムが滅び、国家が滅びて、市民たちが連れ去られた後、荒れ跡に残った者らは以前と同じ悪を引き継いで行なっている。それは滅びるほかない。律法を守っていない実情は以下の通りである。
 肉を血の着いたままで食べる。……「肉をその命である血のままで食べてはいけない」とは、モーセ律法以前からの最も基本的な定めであって、ノアの洪水の後に、神はこのような禍いを二度と起こさないとの約束とともに、この掟を与えられた。すなわち、動物の肉を食べ物とすることは許されるが、動物の命が人間の意のままになると思ってはならない。命は神に直属するのである。
 己が偶像を仰いでいる。……言うまでもなく、「己れのために何の偶像をも刻むべからず」との第二戒が禁じている罪である。それとともに、今の場合、その偶像は他宗教の神々でもある。そういう偶像礼拝が行なわれたことが、エレミヤ書やエゼキエル書によって分かるのである。
 血を流している。……これは殺人を意味する。かつてもエルサレムの中に流血が横行した。それは富と権力のある者の犯行であったことが預言者たちの書によって知られている。もう権力を振るう者はいない。ではそういう罪はなくなったか。そうではなかった。それまでは押さえ付けられて悪事を働くことが出来なかった下層民が、自由人になると、悪事をするようになったのである。
 剣を頼みとしている。……かつてユダの国は預言者の警告に逆らって、剣によって国を守ろうとし、自ら武装すると共に、自分の武力の足りないところは他国の武力で補おうとして、エジプトと軍事同盟を結んだ。すでにエゼキエル書において繰り返し警告された通り、剣を頼みとするとは、神を頼みとしていないことである。主イエスが教えたもうように、剣を執る者は剣によって倒れるのである。
 そのように神の守りによって立つことを忌避したユダ国は、神の民の地位を捨てて、滅んだ。ユダが滅びることによって、国家の罪は消滅したのではないか。そうではなかった。国が崩壊した後、国家の罪はなくならず、断片となって拡散し、個々人によって引き継がれる。歴史の中に多くの例を見る通りである。我々の国を見ても分かるではないか。残虐な侵略戦争を行なった国が倒れた後、残った国民は善良で、平和を愛する人々だったか。そうではない。国家が行なったような大規模の殺戮はしないとしても、決して平和的人格になっているわけではないではないか。
 憎むべきことを行なう。……これは偶像礼拝の別名である。これまでの預言者はこの罪を厳しく責めた。
 隣り人の妻を汚す。……これは「姦淫するなかれ」の戒めの違反である。「汚す」という言い方がなされるが、これは宗教的な冒涜を指すものであって、単なる相手の肉体と人格の陵辱ではない。神が合わせたもうた聖なる絆を冒涜する罪である。
 このような悪を蔓延らせて、それでなおこの地を所有することが出来るか。神が土地を授けたもうたのは、みこころに適う国を建てるためであった。そこでは、心を尽くし、精神をつくして神を愛し、己れ自身を愛するのと同じように隣人を愛する、そういう国が建てられなければならない。それであってこそ、この地で長き命が祝福として与えられる。だが、それは行なわれなかった。そこで国は滅んだ。
 しかし、「国破れて山河あり」と古い時代の中国の詩人が歌ったように、国家は滅びても、山河は残るのではないか。多くの人はそう考えている。だが、そうではないのだ。
 国家は確かに大規模な悪事をするが、国家が倒れても、国家を生み出した人間の罪はそのままであるから、悪は止まないのである。国破れた次に山河も荒廃する。
 「この国は全く荒れ果てる」と主は言われる。エルサレムが占領され、火で焼かれ、それで一巻の終わりになったかと思われるのであるが、そうでなかった。国が破れても、民族が残り、山河が残ると考えてはならない。滅びは全体に及び、何も残らない。
 「その時、彼らは私が主であることを知る」。彼らが剣を頼みとして生きていた時、彼らは主なる神の名は知っていたが、主が生ける神であり、全てを支配したもうということを、口で言っていたとしても本心では信じていなかった。しかし、国が滅び、山河も滅び、自分たちも滅びて行くのを目にする時、神います、神はすべてをなしたもう、と悟るのである。悟った時には遅すぎる。神の裁きは正しいと承認しても救われるわけではない。
 30節以下は別の預言のようにも見られるが、先の託宣の続きであろう。「人の子よ」。
 これは預言者に向けての語り掛けである。
 人々は預言者のところに言葉を聞きに来る。彼らは預言者に対して愛想良く接する。エルサレムについての預言が正しかったから、もう逆らえなくなったのであろう。しかし、預言者によって語られる神の御言葉に対しては依然として不誠実である。御言葉を徹底的に聞こうとはしない。垣の傍らと戸口で預言者の噂話しをする。必ずしも悪意で悪口を言うのではないが、神の立てたもうた器から御言葉を聞こうという姿勢ではない。
 彼らは連れ立って預言者の言葉を聞きに来る。何を言うだろうかの興味はあるが、生きるための御言葉を求めてではない。要するに、32節に言う通り、「彼らはあなたの言葉は聞くが、それを行なおうとはしない」。聞いて、納得して、感心するかも知れないが、御言葉への服従がない。そこには何も起こらない。
 イエス・キリストも引いておられるが、イザヤ書29章13節に「この民は口をもって私に近づき、唇をもって私を敬うけれども、その心は私から遠く離れている」との御言葉がある。これは神に対する態度を言うのであるが、神から遣わされた人に対する態度も同じである。反逆せず一応恭しく聞くが、聞くだけである。そして神の言葉に聞くよりは注釈の言葉の中の聞きやすいところ、言い伝えを聞くだけに留めて置こうとする。これでは聞いていても新しくならない。
 しかし、この態度は覆されるのである。すなわち、この事が起こる時、すなわち、27節以下のことが起こる時、彼らは自分たちの中に一人の預言者がいたこと、自分たちが聞いたのはどこかの人の意見でなく、神の言葉であり、やがて必ず起こるべき現実に関することであり、彼らが聞き流したのは、神に対するあらわな反抗であり、従って恐るべき裁きに会わねばならないことを知るのである。その時に知っても遅い。御言葉が語られている時に悔い改めを始めなければならない。


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