◆2000.06.25.◆

エゼキエル書講解説教 第31回
――30章によって――

 エゼキエル書第30章は、前の章に続いてエジプトへの裁きの預言であるが、1節から19節までと、20節から26節までの二つの部分から成っている。一息に語られたのでなく、別の日に語られたものだということに読む人は容易に気付くであろう。20節以下は第11年1月7日に与えられた預言であると書いてあるが、1節から19節までの部分には日付がない。1節の「主の言葉が私に臨んだ」という言い方は、ここから新しい託宣が始まることを表わすのであるが、それがいつ与えられたかを示す日付はない。多分、29章1節に「第10年10月12日」とあるその日付の預言の続きであろう。
 29章の17節以下は、第27年1月1日に与えられたと記される通り、ずっと後年のものである。すなわち、先にツロの滅亡が預言されたのに、それがまだ実現しないし、エジプトの滅亡も直ぐに起こらないため、預言の補遺が必要だった。この補遺はエゼキエルの預言を一巻の書に編集する段階でここに挿入されたものである。その続きとして30章の預言が述べられたのではない。
 これらの日付を見れば、第10年10月12日と、第11年1月7日は、エルサレムの陥落の6ヶ月前と3ヶ月前である。エゼキエルの周囲にいる囚われのユダヤ人たちは、エルサレムはバビロンの軍勢の包囲攻撃に持ちこたえ、そのうちにエジプトがきっと助けに来てくれるから、バビロン軍は撃破され、エルサレムは勝利し、我々バビロンの捕囚は解放される、と全く虫のよい空想をしていた。虫がよすぎるではないか、と言われるならば、彼らは、自分たちには神がついておられる、神には何でも出来る、と答える。彼らは神の御名を用いて気休めを語っていたに過ぎない。神はエゼキエルを通じて、再三再四、エジプトを頼りとすることの誤りを教えたもうのである。そしてエルサレム陥落前に、エジプトの援助を期待することが全く無意味であることを預言させたもうた。エルサレムが陥落してしまえば、エジプトに頼るなということは、経験による教訓であって、預言ではない。
 エジプトは、ユダとその周囲の国々に比較し、桁違いの大国である。ユダの脅威となっているバビロンに十分対抗できる軍事力である。ユダにとってエジプトを味方につけることは、バビロンを牽制する抑止力の効果があると考えられた。エジプトにとっても、ユダと連合して置けばバビロンを脅かすに有利である。そこで、エジプトとユダの間に集団安全保障の取り決めがあった。
 ユダとしては軍事大国になるのは、神を信じる国家として問題を感じるが、軍事大国と同盟を結ぶだけであるなら、平和の道にそれほど背馳していないと考えられたらしい。
 我々にもそのような考えがある。しかし、旧約の預言者は、イザヤも、エレミヤも、エゼキエルも、集団安全保障とか、抑止力という発想は不信仰であると教えている。これによって一応の平和が保たれるかのようであるが、冷たい戦争をしているに過ぎず、信頼と友好は損なわれて行くばかりである。軍事同盟は助け合いの契約であるから良いことではないかと考えられるかも知れない。しかし、良い契約であろうか。神によらない契約は善ではない。神を排除して成り立つのが軍事同盟ではないか。この警告を我々は今日30章から聞くのである。
 さて、第1節、「主の言葉が私に臨んだ、『人の子よ、預言して言え、主なる神はこう言われる』」。――エゼキエルの預言の定式に則った言い方である。
 誰に向かって預言するのか指定がない。エジプトに関する預言であるが、エジプトに向けて語れと命じられるのではない。エジプトも、エジプトの同盟国も、エジプトを頼みとしているエルサレムの住民も、バビロンに捕らえ移されたユダの捕囚も、聞かなければならない預言である。いや、我々はさらに、聞くべき人々のうちに、今日の我々自身を加えなければならない。すなわち、先に言ったように、集団安全保障という考えを良しとしている全ての人への警告であるから、全人類が聞かなければならない。
 思うに我々は、人間の常として、ことを安易に考えるように傾いている。ただし、ことを難しく・厳しく考えれば無難であるというわけではない。我々の悲観的な予測は、楽観的な予測と同じく、全く詰まらないのである。我々の傾向をもっと適切に言うならば、自己肯定的にことを解釈し、自己否定の方向に思いを向けようとはしない。砕かれて主に立ち返り、主に依り頼むことをしない。依り頼むべきお方に依り頼まず、目先にある頼るべきでないものをあてにする。その信頼とは気休めにほかならない。
 かつて太平洋戦争の時、日本の教会の中では、この国は神の国なのだからという理由付けで「必勝の信念」が説教されていた。「神の御心に反する国は滅びる」と説教すべきであったのに、その真反対のことが神の御名を用いて説かれていた。それが真理の教えでなく、幻想に過ぎなかったことは、間もなく敗戦によって明らかになった。
 しかし、偽りを語ったこの国の預言者たちは、自らが裁かれたことをつゆ思わず、恥じ慌てもせず、伝道の好機が来たと浮かれて、人々を呼び集めた。しかし、岩の上に建てられた教会にはならなかった。神の御名を語ってこの世の力にへつらい、幻想を語るという日本のキリスト教会の習性は改まらなかった。我々も、頼りにならぬものを頼りにする隣人たちの中に住んでいて、彼らをたしなめないどころか、彼らの思いに巻き込まれて、同じことを考え、同じことを語り、見せ掛けの華やかさのもとにある無力を見抜くことが出来ず、頼るべからざるもの、偽りの神、軍事力、経済力、技術力などを頼りとし、なお悪いことに、聖なる神の名を持ち出して自己肯定の議論を作り上げようとしている。
 それは偽りの預言者に導かれて、頼りとしてはならないものを頼りとした昔のユダの民とよく似ているではないか。神を求めず、神に依り頼まぬ不信仰者を神は罰したもうが、それだけでなく、それらの不信仰者らが依り頼んだ力を神は滅ぼしたもう。エゼキエル書ではしばしば「杖とするパンを砕く」という特徴ある言葉を聞いたが、神は不信な人を罰するだけでなく、人が支えにしようとしたものをも罰したもう。こうして、彼らの頼りとしたエジプトが滅ぼされるのである。その時、「彼らは私が主であることを知る」。このエゼキエル書の特色とも言うべき言葉が、今日学ぶ30章でも、8節、19節、25節、26節に繰り返される。集団安全保障の中にいては、主を知ることが出来ないということになる。
 2節にいう、「人の子よ、預言して言え、主なる神はこう言われる、『嘆け、その日は禍いだ。その日は近い。主の日は近い』」。
 今回の預言のキーワードは「主の日が来る。その日は近い」である。旧約の預言者たちがしばしば「主の日」について語っていたことを我々は知っている。たとえば、ヨエル書2章1節は言う、「あなたがたはシオンでラッパを吹け。我が聖なる山で警報を吹き鳴らせ。国の民はみな震いわななけ。主の日が来るからである。それは近い。これは暗く、薄暗い日、雲の群がる真っ暗な日である」。
 人々の間では「主の日」について昔から語り継がれていたが、それは安易な考えであった。主の日とは主の民に約束された幸いが満ち溢れる日、光り輝くユートピアの実現の日であると人々は想像していた。「そうではないのだ」と預言者ヨエルは言う。主の日は暗やみの日なのだ。安易にことを考えている者にとっては破滅の日である。
 「シオンでラッパを吹け。聖なる山で警報を吹き鳴らせ」。危機が来たことを通報するのは、城壁の上、或は望楼、見張り所からである。その方が町全体に伝えやすい。しかしここではシオンで、聖なる山で、警報が鳴り轟く。ということは、エルサレムの一角であるシオンから皆に知らせるということではなく、礼拝の場で、礼拝の中でこの警告を受けるという意味である。我々の今している礼拝の中で、主の日が来ているということを弁えなければならない。
 ゼパニヤ書1章14節以下に言うのも、今読んだヨエルの預言と全く同じ厳しい調子を帯びたものであった。「主の大いなる日は近い。近付いて、速やかに来る。主の日の声は耳に痛い。そこに勇士もいたく叫ぶ。その日は怒りの日、悩みと苦しみの日、荒れ、また滅びる日、暗く、薄暗い日、雲と黒雲の日、ラッパと鬨の声の日、堅固な町と高い櫓を攻める日である」。
 その少し前で主なる神はゼパニヤを通じて言われる、「その時、私は灯火をもってエルサレムを尋ねる。そして滓の上に凝り固まり、その心の中で『主は良いことも悪いこともしない』と言う人を私は罰する」。
 暗がりの中でも明かりで照らし出して、滓の上に凝り固まって、これなら見つかるまいと思い、心の中では、「主は良いことも悪いことも出来ない。救いを与えることもないし、罰を行なうことも出来ない。生きた神ではない。だからほどほどに礼拝して置けば良い」と思っている者を見付けだして罰することが出来る。
 この二人の預言者の主の日の預言と、エゼキエルが30章で語る主の日の預言は、表現において多くの共通点を持つ。すなわち、「主の日は近い」。「主の日は禍いだ」。「主の日は黒雲の日である」。この三点とも人々の考えと真っ向からぶつかるものであった。先ず「主の日は近い」。人々は終わりはいつか来ると漠然と考えている。一人一人の人生について見ても、いつかは終わりが来る。主にまみえる日が来る。同じように、世界もいつかは終わりになるであろうと考える人は少なくない。しかし、自分の生きているうちには来ないであろう、と大抵の人はたかをくくっている。しかし、主の日は近いのである。我々は聖書の最後のページの言葉をマザマザと思い起こす。「しかり、私は直ぐに来る。アアメン、主イエスよ、来たりませ」。主が近いことを軽んじてはならない。
 主の日は幸いの日でなく禍いの日であるということについては先に述べた。主の日は光明の日ではなく、暗黒の日である。ただし、裁かれる者にとってはそうであって、御心に適う者にとっては約束の完全な実現の日である。
 違う点といえば、ヨエルとゼパニヤがユダの裁きの日として主の日を語ったのに対し、エゼキエルはこれを「異邦人の滅びの時」と言っているところである。ということは、異邦人は滅びるが、イスラエルは滅びないということであろうか。
 そうではない。我々はエゼキエル書においてすでに主の日の恐るべきことについて学んだことを覚えている。それは7章であった。「主なる神はこう言われる、禍いが引き続いて起こる。見よ、禍いが来る。終わりが来る。その終わりが来る。それが起こって、あなたに臨む。見よ、それが来る。この地に住む者よ、あなたの最後の運命があなたに来た。時は来た。日が近付いた。混乱の日で、山々に聞こえる喜びの日ではない」。――このような言葉が7章を満たしていたのである。これがイスラエルの裁きを言ったものであることは明らかである。
 30章でエゼキエルの語る主の日の預言は、7章の預言とは違って「異邦人の滅びの日」であるが、これを7章と切り離して理解してはいけない。イスラエルが裁かれず、異邦人が裁かれる、と考えてはならない。むしろ、裁きは神の家から始まり、神の家の外にまで及ぶのである。主の日の規模の大きさを見落とし、主の日の裁きを世界の一角のイスラエルに限るのは間違いである。主の日は全ての人に臨む。異邦人も裁かれることを忘れてはならない。
 3節では「異邦人の滅びの時」と言われたが、その異邦人とは、具体的にはエジプト及びそれと同盟関係にある諸国である。エジプトはユダの人々の頼りとする力であったゆえに、その裁きが述べられるのである。4節に言う、「剣がエジプトに臨む。エジプトで殺される者の倒れる時、エチオピヤには苦しみがあり、その財宝は奪い去られ、その基は破られる」。
 剣がエジプトに臨むとは、軍隊がエジプトに攻め込むことである。エジプトへの侵入とは10節に「私はバビロンの王ネブカデレザルの手によってエジプトの富みを滅ぼす」とある通り、ネブカデレザルの軍勢のエジプト侵略である。今エルサレムを取り囲んで攻めているのはネブカデレザルの軍勢である。しかし、エルサレムの背後にはエジプトがついている、と人々はあてにしている。そこで警告して、そのエジプトをもネブカデレザルは滅ぼすのであると言われる。
 人々が支えとし、頼みにするエジプトを先ず撃つことによって、エルサレムを崩壊させるという手順が取られたのではない。先にエルサレムが壊滅して、エルサレムの不信に対する裁きが示された後に、エジプトが裁かれる。「エジプトは神に積極的に逆らったわけではなく、ただ、ユダから頼りにされただけであるから、裁かれる謂れはない」と考える人があろうが、頼りにされたことについて責任を問われる理由はないと言ってはならない。唯一依り頼むのは神であるのに、エジプトは神の地位を侵したのである。そのつもりはなかった、と弁護しても通らない。そのつもりがあろうとなかろうと、神の御旨に明らかに反していたのである。
 4節後半に「エジプトで殺される者の倒れる時、エチオピヤに苦しみがある」と言われるのは、この時のエジプト王朝が、エチオピヤ出身であったという事情によるのである。
 エジプトの上層部にエチオピヤ出身者が多く、彼らが倒れたと聞いて、エチオピヤは身内の死を悲しむのである。エジプトの滅びの悲しみが遥か彼方のエチオピヤにも及ぶのである。
 5節以下は、エジプトの同盟国に対する裁きについてである。エジプトを頼りにしている人々は、エジプトは強大であるだけでなく、多くの同盟国による軍事同盟を組織しているから安心だと考える。今日、我々の身辺には、アメリカの軍事力、またアメリカの同盟国の結束によって安全が守られると考える人が多いが、それは神に依り頼む信頼に反することはないのか。また攻守同盟の力は弱いということが分かっているであろうか。
 「エチオピヤ、プテ、ルデ、アラビヤ、リビヤおよび同盟国の人々は、彼らと共に剣に倒れる。主はこう言われる、エジプトを助ける者は倒れ、その誇る力は失せる、ミグドルからスエネまで、人々は剣によってそのうちに倒れると、主なる神は言われる」。
 エジプトでさえ、ユダのバビロンへの反逆を積極的に唆したかどうかは我々には分からない。ユダがエジプトをあてにしたのは事実であるが、エジプトから積極的に働き掛けて信頼させたというよりは、ユダの一方的な幻想に近いところがある。ましてエジプトの同盟国には何も分かっていない。ただ、エジプトと結び付いていたという理由で裁かれるのである。
 プテというのは聖書では割合名が知られている地で、27章10節にもあるが、どこであるかよく分からない。エジプトの西のリビヤか、それともエチオピヤから海岸に降りた所、今日ソマリヤと呼ぶ地域、あるいはそのソマリヤと紅海の対岸の南アラビヤの両方に跨がった国であったと考えられる。
 ルデ、これも名前は旧約聖書のあちこちに出るが、どこであるか分かっていない。小アジアのリディア地方、我々に馴染みのある言い方をするならばヨハネの黙示録に出て来る7つの教会の町々のある地方、あるいはリビヤに近い海岸線の国と考えられている。
 次の「アラビヤ」と書かれているのは、アラビヤの全ての種族のことであろうか。ここにあるアラブという言葉を他の意味に読もうとする人々が昔からいて新共同訳では「諸種族の群れ」と訳すが、その方が分かりやすいとも思われない。
 リビヤ、はエゼキエル書のここでは「クブ」と書かれているが、他の所にリビヤと書かれるものと同じであると言われる。リビヤについての我々の知識は乏しいのであるが、エジプトとは非常に古い昔から交渉のあった国である。
 20節以下に主がエジプト王パロの片腕を折られたことが記される。これはバビロンがエルサレムを取り囲んだ時、パロが兵を動かして、そのためバビロン軍が一時撤退してエジプト軍を撃破した出来事を指すと考えられる。それは片腕を折られるだけで、まだ致命傷ではなかった。次に両腕が折られる。我々も目を見開いて、人々の頼みとするところが頼りにならないことを見定めるようにしよう。


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