◆2000.05.28.◆

エゼキエル書講解説教 第30回
――29章によって――

29章から32章にかけて記されるのは、エジプト、特にその王であるパロに対する裁きの預言である。エジプトに向けて語るとはいえ、預言者はバビロンにいるのであって、この預言の第一次的聞き手はエジプト王パロではなく、バビロンの囚われの中にいるイスラエルである。
 29章1節から16節までが第10年10月12日になされた預言であり、17節以下はずっと遅く第27年1月1日に与えられた言葉である。しかも、エジプトに関する預言はこの後も続いて、30章の20節以下の預言は第11年1月7日に、31章の預言は11年3月1日、32章は第12年の1月15日と12月1日の日付になっている。周囲の諸国に対する預言が次々と語られた中で、エジプトに対するものは最も分量が多い。その語られた期間も長い時代に亙っていることは日付を見て行けば分かる。
 エゼキエル書の特徴として、預言の与えられた日付けが書かれているが、預言者エゼキエルの真剣な関心事であったエルサレムの包囲の時期と重なる時期およびその後である。バビロン軍のエルサレム包囲は9年10月に始まり、11年の4月に占領されたのであった。エゼキエルが都の陥落を知ったのは、12年10月5日であったと33章21節に書かれているから、エジプトに関する預言を語っていた時期には、最後の部分32章1節に12年12月1日と書かれているものを除いて、エルサレムの滅亡については知っていなかったと考えられる。第10年10月と言えば、エルサレムの陥落の約半年前である。
 国が滅び行く時に、自国のことはさておいて、エジプトの国の成り行きについて語るのは、足下を見ないでよそのことに口を出す愚か者のようで、おかしいではないかと思われるであろう。それは我々の論ずべきことではないが、すでにこの預言者の書によって学んで来たように、エルサレムへの裁きはそれ以前に繰り返し十分に語られたのである。預言されていたことが実現しつつある時、預言はその先を行く。足下を見ていないという議論は全く的外れである。
 エゼキエルが単なる愛国者であるなら、この時期、エルサレムの命運について思い悩み、悲憤慷慨して身近にいる同胞にそのことを語らずにはおられなかったであろう。しかし、彼は自らの国と民族に使命を持つものであるのみならず、それ以上に「神の器」であった。神が預言者を同時代に対する誠実な者としたもうた以上のことを良く見たいのである。
 我々の時代もまさに危機的であることは言うまでもない。我々の関心がこの時代のことに寄せられるのは決して好奇心でなく、軽薄でもなく、この時代に置かれている者の責任を弁えるからである。しかし、それだけでは、神の言葉を預かって語る預言者とはなお非常に隔たっていることを弁えねばならない。
 さらに考え併わせねばならないのは、この時期にエジプトに言及することが実際に必要であったという事情である。すなわち、エレミヤ書37章5節に「パロの軍勢がエジプトから出て来たので、エルサレムを攻め囲んでいたカルデヤ人は、その情報を聞いてエルサレムを退いた」と書かれている。これはエルサレム陥落の前年である。エゼキエルのこの章の預言と同じ時期である。バビロン軍がエルサレムを攻め囲んでいた時、パロはバビロン軍を牽制するために軍を動かした。エルサレムを攻撃している背後から攻められては危険であるから、しばらく囲みを解いてエジプトからの攻撃に備えた。
 しかし、パロの動きは単なるポーズであった。エルサレムを助けようと本気で考えていた訳ではない。預言者エレミヤはゼデキヤ王から遣わされた使いに向かって言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、あなたがたを遣わして私に求めたユダの王にこう言いなさい、『あなたがたを救うために出て来たパロの軍勢は、その国エジプトに帰ろうとしている。カルデヤ人が再び来てこの町を攻めて戦い、これを取って火で焼き滅ぼす』。主はこう言われる、『あなたがたは、カルデヤ人はきっと我々を離れ去る、と言って自分を欺いてはならない。彼らは去ることはない』」。エレミヤ書37章7節以下の預言である。
 エルサレムの中にはエジプトが動いてくれるという大きい期待があったが、その期待が欺きであることをエレミヤは語る。全く同じような状況がバビロンに囚われている人々の間にもあり、預言者エゼキエルはその期待が如何に空しい幻想であるかを語ったのである。
 さて、29章の内容に関して言えば、1節から16節までで、何ゆえに裁かれるかの理由、どういう裁きであるかの経過が語られた後、40年後の回復が予告され、裁きと回復の両者を通じて、神が神として知られたもうことが述べられる。そして、17節以下の 16年後の預言では、先の預言を補足して、神の命じたもうた裁きの執行者はバビロン王ネブカデレザルであり、ツロの攻撃にてこずった後にエジプトに攻め入ると言われる。
 裁きの理由であるが、第一に、エジプト王パロが「私がナイルを造った」と言っていることについて神は怒りたもう。3節でも9節でも繰り返しこのことが述べられている。古代の大帝国では、帝王が自らを神とするのは普通のことであるが、エジプトでは特に顕著であった。ピラミッドという巨大な墓を帝王のために造り、その遺骸をミイラにして納めたのは、死んでもなお永遠であることを示すためである。しかし、ピラミッドを作った宗教は決して人々に幸いを齎すことなく、社会の正義を求めることもなく、人間が何のために生きるかを考えさせることもなく、権力を美化するだけのものでしかなく、その権力は空しく滅び行くほかなかった。
 もう一つ裁きの理由として掲げられていると読めるのは、6節後半に「あなたはイスラエルの家に対して葦の杖であった」と言われるところである。「葦の杖」とは、杖として頼りになるように見えるが、その実、葦の茎に過ぎず、凭れ掛かると忽ち折れてしまうことをいう。イスラエルはこの頼りにならないエジプトを頼りにして躓いた。バビロン軍がエルサレム包囲を一時解いた時、エルサレムの人々がどんなに有頂天になったかは上にエレミヤの言葉を引いて述べたところから明らかである。それは、頼りにした方の落ち度であって、頼られた方には責任がないと言われるかも知れない。しかし、頼りになるかのように見せ掛けた責任も問われる。
 北の方からアッスリヤやバビロンが圧力をかけてくると、ユダは南のエジプトに身を寄せるという政策を採るのがつねであった。エジプトは強そうで、頼りになるように見えたのである。
 イザヤ書20章に記されたことを思い起こすのであるが、預言者は神の命令によって三年間、裸、裸足になって巷を歩き、エジプトの恥辱の前兆となった。エジプトは頼りになると思っている人々に警告を与えるためであった。この種の警告が預言者たちの記録の中に何度も現れることを我々は思い起こす。神はご自身を頼りとすべき者がご自身以外の者に信頼を寄せる時、その信頼されている者を撃ちたもう。
 エレミヤは上に引いたように、エジプトを当てにすることが即ち不信仰であることを説いたが、エジプトがバビロンによって打ち破られることについては、エホヤキム王の4年に預言している。46章である。
 そしてエゼキエルもエジプト依存に対する警告を語る。17章15節に「しかし、彼はバビロンの王に背き、使者をエジプトに送って、馬と多くの兵とをそこから獲ようとした。
 彼は成功するだろうか。このようなことをなす者は、逃れることが出来ようか」と書かれているが、バビロンに占領され、恭順を誓った後においても、エジプト依存をやめなかったほど根が深い罪である。
 エジプト依存は単に政策のことではない。20章でハッキリ教えられているが、神がイスラエルをエジプトから引き出したもうたのは、エジプトの偶像からの分離のためであり、神の民としての聖別を意味する出来事であった。したがって、エジプト依存は偶像への密着、偶像依存、神の民であることの放棄を意味する。
 エジプトが周囲の国々から不思議な、というよりは神秘な国と見られていたことは、我々が旧約聖書を読む中でも気づくことがあるであろう。例えば、イザヤ書18章の初めに「ああ、エチオピアの川々の彼方なる、ブンブンと羽音のする国、この国は葦の船を水に浮かべ、ナイル川によって使者を遣わす」という言葉があるが、神秘な国と考えられていたことを匂わせる表現である。ある種の宗教の雰囲気を漂わせる宗教国家であった。――ただし、その宗教は神を真に恐れ、崇め、これに仕えることを教えず、宗教が盛んに行なわれれば行なわれるほど、その儀式によってパロの王権が高められ、人民が奴隷化されて行くような、民衆操作の疑似宗教であった。莫大な富と、その奴隷の労働力を用いて王家の巨大な墓が建設されていたことは広く知られている通りである。つまり、神を真に崇めることをしないところでは、隣人を隣人として、自分自身と同じように大切に扱う心は起こらないし、世界の意味、人生の意味、歴史の意味を考える思想を生まないのである。
 神はエジプトに富を与えておられたが、御言葉を与えてはおられなかった。御言葉のないところで、どのような権力が出来、それが人々をどのように支配しているかの典型をこの所で見るのである。これを決してよそごとと見てはならない。日本においても神を恐れることを教えない宗教が、自己自身と隣人を奴隷化する方向に作用する実態を見ることが出来る。
 パロはまた、自らをナイル川の中に棲む「龍」になぞらえる。「龍」と一応訳されるが、空想上の生き物であるから、正確にその形や性質を述べることは出来ない。「龍」というよりは「鰐」と言った方が適切かも知れない。
 エジプトという国は我々の常識にあるような四方に拡がる国土を持つ国ではない。ナイルに沿った紐のように長い国である。ナイルの両岸に細長い国土が延びている。その外側は何もない砂漠であって、国のうちとは見做されていない。「ミグドルからスエネまで」というのは、北の端から南の端を意味する。スエネはいまのアスワンである。その奥はエチオピヤ、当時クシと呼んだ地である。
 エジプトでは毎年きまった時季にナイル川が氾濫し、結果として豊かな実りを齎す。はるか上流で雨季に降った雨が、何ヶ月も掛かって下流のエジプトに達するというだけのことであるが、この自然現象は、神秘なものと思われた。川が生きていて、そこに龍が棲むからであると想像されていた。パロは自らの持つ力を用いて民衆を教え、そこに棲む龍は自分であると言った。皇帝の絶大な権威は神話を作り、宗教を創作するのである。神はそれを裁きたもう。
 パロが自らを川の中の龍だというので、その龍が神の裁きに遇うさまが描き出される。
 すなわち、龍の鱗の一つ一つにナイル川の魚がくっつき、それが全部くっついた段階で、神が龍の口に掛けた巨大な鉤で釣り上げ、これを荒野に投げ捨てる。そうすると、ナイルの川の中にいる生き物は一挙に一掃される。すなわち、パロの巨大な権力とそれに依存しているエジプト国民が一挙に没落することが、これによって象徴されるのである。また、これはエジプトの富の元になるナイルが涸れることを描いたもののようにも思われる。
 エジプトは年々収穫される穀物によって富み栄えた国であった。他の国々では、人々は営々として地を耕し、水と肥料を施さなければ収穫は得られない。ところが、エジプトでは年々季節になると川が溢れて土地を豊饒にし、豊かな実りを生じさせる。
 不作になることもないわけではない。だが、ヨセフ物語りで見るように、平年の収穫の余りは王家の倉庫に蓄えられる。不作で苦しむ農民は王家の蓄えた穀物を貰うために、土地をパロに差し出し、自らをパロの奴隷にすることが述べられているように、不作の年があっても王権はますます強大になり、民衆も飢饉で滅びることにはならず、周囲の国々から穀物を買いに来る民も多く、富は却って増大して行った。
 この国には神は富を与えたもうたが、預言者によって神ご自身が言葉によって教えることをされなかったので、富と物質文明は盛んであったが、ただそれだけの強国であって、王朝は次々倒れ、ついに他の強国の支配に屈するようになったが、その豊かさと大きい権力は権力の神格化という神話を生み出した。それが裁かれるさまを我々はこの章で見るのである。
 さて、この章の一つの特色として、エジプトの40年後の回復の約束がある。回復と言っても、昔の栄光の回復ではなく、散らされたところから再び集められるが、弱い、卑しい国に過ぎない。それは16節にあるように、「これはイスラエルが助けを求める時、その罪を思い出して、再びイスラエルの家の頼みとはならない」ためである。回復されるが、神を差し置いてエジプトを頼りとすることにならない程度の回復である。しかし、永遠の滅亡ではない。
 40年の後の回復、これが具体的に何を約束したものであるかは分からない。「再びもろもろの国民の上に出ることは出来ない」との預言はその通り実現した。40年は象徴的な数字であると思う。出エジプトの民が約束の地に入るまでに40年を要した。それは一つには神に背いた世代が荒野で絶え果てるのを待つ期間であり、新しい地に入るに相応しく訓練される期間であった。神は異邦人の回復のためにも、イスラエルに準じる手間をかけておられる。エジプトはやがて神の恵みの中に回復するのである。――それはイエス・キリストにおいて起こった。
 キリストは誕生後間もなく、ヘロデによる嬰児虐殺を避けてエジプトに逃避し、その後ナザレに移る。「それは主が預言者によって『エジプトから我が子を呼びだした』と言われたことが、成就するためである」とマタイ伝2章15節は説明する。分かりにくいというか、取って付けた不自然な感じがする言葉であろうが、旧約時代にエジプトについて考えられていた神秘な・謎に包まれた雰囲気を引き摺っている物語りである。
 神秘な雰囲気と言えば、使徒行伝8章に、ピリポが荒野でエチオピア女王の家臣でエルサレムに礼拝に来た人と出会って、福音を伝えたという物語りがある。これはエジプトのことではないが、エジプトの奥のエチオピヤにまで早い時期にキリストの福音が及んだことを示す。実際、エジプトにはキリスト教は早くから伝わった。エジプトの場合はアレキサンドリアに多くのユダヤ人が住んでいて、その人々の一部を通じて福音が弘められたようである。
 次に、17節以下の預言を見ておく。エゼキエルが27-28章にツロの滅亡を予告したことはすでに学んだところであるが、預言通りにはツロは滅亡しなかったという事実がある。
 長い目で見ればツロ滅亡の預言は実現しているのであるが、預言者自身の目の前でツロが滅び失せるということはなかった。そこで謂わば補遺としてこの預言を付け加える必要があったと見てよいであろう。
 バビロン軍はツロを攻めたが、海中の要塞であるから13年掛かってもツロは陥落しなかったという事実がある。ネブカデレザルは神が一時的に近東一帯の支配を命じたもうた器であるから、国々は彼に従わなければならなかった。昔の戦争で勝利者への報いは略奪であったが、ツロを攻撃する軍隊は頭が禿げ、肩がみな破れるほど攻城材料を運搬したが、陥落しない。それで、代わりにエジプトの略奪を許すという主旨である。
 最後に、21節から聞こう。これは最終の結論である。「その日、私はイスラエルの家に一つの角を生じさせる」。これは明らかにキリストの来臨の予告である。詩篇132篇17節に「私はダビデのために、そこに一つの角を生えさせる。私は我が油注がれた者のために一つの灯火を備えた」と言われる。歴史の中で国々の興亡がある。それを醒めた目で見なければならないのは確かだが、それだけでは救いの歴史にならない。歴史の全てをその焦点であるキリストの来臨と結び付けよと言うのである。これは唐突な付け足しではない。
 我々の時代に、我々の道徳的感覚、我々の正義感から黙っておられないような事件が次々起こる。それらに対して適切に発言し行動を起こさなければならないと言われる。それは確かにその通りなのだ。しかし、朝から晩まで現代批判を語り、毎日新しく世直しの運動を企画しても対処し切れないほど問題は多い。何が一番大事であるかを見失ってはならない。キリストは来たりたもうのである。


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