◆2000.01.30.◆

エゼキエル書講解説教 第26回
――25章によって――

   25章から32章まで、ユダの周囲の諸民族に対する神の裁きの預言になる。この25章では、先ずアンモン、次にモアブ、次にエドム、次にペリシテに対する裁きが告げられる。周囲の民族としてこの章で触れていないのは、次の26章以下に述べられるツロすなわちフェニキヤがある。預言者アモスの書の初めにも周囲の国々に対する裁きが語られ、それに続いて、むしろそこまでを謂わば導入部とする本論として、ユダの罪とイスラエルの罪に対する裁きが語られる。それとやや似ているが、エゼキエル書25章の預言はイスラエルとユダの罪には直接には何も言及していない。
 アンモンはイスラエルとユダの東、ヨルダンの川向こうである。今日のヨルダン国にほぼ含まれるのがアンモン、モアブ、エドムである。これらの民族の名も今では用いられず一括してアラブと呼ばれる。ヨルダンの首都はアンマンであるが、これはアンモンの訛ったものである。そこは昔ラバ、あるいはラバテアンモンと呼んだ。5節にラバと書かれているのがそれである。キリスト時代には植民地となって、デカポリス地方に含められ、ギリシャ風にフィラデルフィアと呼ばれていた。
 モアブはアンモンの南になり、死海の東側である。アンモンには町はラバ一つしかなく、定住しない遊牧民が多かったが、モアブでは定住農民が多く、多くの町があったことが知られている。9節には境界の町々の名が三つ挙がっているが、これらは繁栄した、代表的な町々であった。モアブはダビデが征服して以来、イスラエルの支配のもとに置かれることが多かった。その支配から脱しようとして反乱を起こしたことも少なくない。
 エドムはモアブのさらに南になる。国土の大部分は荒野であるが、鉱物資源があり、南の端のエラテはアカバ湾の岸にあって、紅海、さらにインド洋に繋がる貿易基地としてユダの経済にとっては重要な港であった。これらの三国の民は民族的にイスラエルと近く、言葉も文字も似ていたようである。宗教さえもセム族の宗教としての共通性を持っていた。ただし、イスラエルが神から選ばれ、神と契約を結び、神の言葉に聞き従うという信仰に立つ点では非常に違っていた。創世記19章37節38節にはロトの二人の娘のうち「姉娘は子を産み、その名をモアブと名づけた。これは今のモアブ人の先祖である。妹もまた子を産んで、その名をベニアンミと名づけた。これは今のアンモン人の先祖である」と書かれている。アブラハムの甥ロトがモアブとアンモンの先祖である。エドムに関しては、創世記36章の初めにエサウ、すなわちエドムと書かれている。すなわち、アブラハムの孫エサウがエドムの先祖である。選ばれた民には入らないが、血縁としては非常に近い。
 ペリシテというのはユダの西、地中海の海岸にある都市国家連合である。イスラエルが神から授けられた地、そこにはカナン人が住んでいたが、その地を支配し、貢ぎを取り立てていたのはペリシテであった。イスラエルは王制をとって、軍事力を強化し、第二代の王であるダビデの代に、やっとペリシテの桎梏から脱することが出来た。今日、パレスチナという地名が一般に使われているが、これは「ペリシテ人の地」という意味であって、ギリシャではこの名で知られていた。ペリシテはギリシャのエーゲ海とクレテ島から来たから、ギリシャでは古くから知られていたのである。16節のケレテはクレテのことであり、「海辺の残りの者」というのはギリシャの多島海、エーゲ海の住人のことである。
 エゼキエルの通常の預言と違って、今日読むこれらの預言には日付がない。同じ異邦の人々への預言でも、次の26章の預言記録には日付がある。エゼキエルの文章と違うのであろうか。そう疑う人もいるが、今日はその問題には触れない。書かれたのは大体26章と同じ頃と見て置こう。エルサレムは包囲されているがまだ陥落していない。
 25章3節には「わが聖所の汚された時」と書かれているから、これはエルサレム神殿がバビロン軍によって破壊され、ユダの人々がバビロンに捕らえ移された時、アンモンがこれをあざ笑ったことを指すと考えられる。したがって、それ以後の時代になされた預言であると思う人も多くいる。しかし、預言の時期については今日は触れている暇がない。
 ユダにとってエルサレムの滅亡は深刻な悲劇であったが、この悲劇に際してアンモンの取った態度は深い傷をさらに深くするもので、恨みを残した。バビロン軍はユダを壊滅させ神殿破壊をしたが、ユダの主立った人々をバビロンに捕らえ移すとともに、零細な生活を営んでいた地の民に土地を与えて葡萄を作らせた。また敬虔な人で、預言者エレミヤの友人であり、戦争政策に反対を叫んだため、政府では地位を失っていたゲダリヤを立てて行政府の長官とし、民生の安定をはかった。ところが、アンモンはそのような平和的なユダの回復も喜ばず、王家の者で政府の高官であったイシマエルをそそのかしてゲダリヤを暗殺させ、ユダは全くの混乱状態に陥った。これはエレミヤ書41章に記された悲惨な出来事である。アンモンが神から裁かれる理由は、今、上に触れたように、エルサレムの滅亡の際にアンモンがこれを小気味よい事と見て笑い、ありとあらゆる悪意の行動をしたことにあるということが分かる。
 さて、第1節から見よう。「主の言葉が私に臨んだ。人の子よ、あなたの顔をアンモンの人々に向け、これに向かって預言し、アンモンの人々に言え。主なる神の言葉を聞け」。
 この言い方は、例えば6章の初めに「主の言葉が私に臨んで言った、人の子よ、あなたの顔をイスラエルの山々に向け、預言して言え」とあったのとソックリ同じである。預言の向かう先が違うだけである。
 ユダの人たちの中にアンモン人への恨みと憎しみがあって、そういう敵愾心を正当化するために神の名を使って相手を呪っている、というふうに受け取られるかも知れない。そのような手法で聖書を解釈する人も沢山いる。しかし、今、イスラエルの山々に対する預言が、アンモンに対する預言と同じ姿勢で語られるのを見たからには、国と国との関係をもとにして預言を解釈するわけに行かなくなっていることが分かる。イスラエルを裁き、ユダを裁きたもう神が、アンモンをも裁き、その裁きの言葉を預言者に語らせたもう、と理解するほかない。確かに、預言者は神の民に神の言葉を告げることを第一の任務とする。我々が聖書を読む時、これを自分に語り掛けられている御言葉として、信仰をもって読むのであるから、神の民に対する語り掛けの方がズッと重要だと悟っている。しかし、神は信仰者にとってだけの神ではない。神は選び出したイスラエルに対してのみ神であるのではなく、全ての者に対して神であり、全ての者を裁きたもう。
全てを創造したもうた神が全てを裁きたもう。生きている者だけでなく、死んだ者も裁きたもう。そのことは教会の宣べ伝える最も重要なメッセージではないとしても、沈黙してはならない。
 アンモンの裁きの罪状は二点である。一つは、「あなたは我が聖所の汚された時、云々」と言われるように、地上の唯一の正しい神礼拝の場所が失われた時、彼らはこれを面白がって喜んだ。二つ目は、イスラエルの地の荒らされた時、これは北王国の滅亡を指す、またユダの家が捕らえ移された時、つまり南王国の滅亡であるが、「ああ、それは良い気味である」と言った。またそれに続けて、「あなたはイスラエルの地に向かって手を打ち、足を踏み、心に悪意を満たして喜んだ」とある。苦しみにあった人の痛みを何とも思わず、それどころか良い気味であると言ってはしゃいだのである。
 アンモンへの裁きは国の滅亡である。実際、アンモンも、モアブも、エドムも歴史の中から消え去ったのである。4節にあるように「東の人々に渡して彼らの所有とする」と言われる。すなわち、アンモンの東はアラビヤ砂漠であるが、そこに細々と漂泊の生活を送るケダルの民と言われる民族がいて、時々人口爆発を起こして周囲の文明化した国に侵入し、町を占領し、殺戮し、略奪し、そこに居座るということがこれまでもあった。そういうことがまた起こるのである。
 「ラバを駱駝を飼う所とする」。ラバはアンモンの都であり、当時としては殆ど唯一の都市であったが、それが駱駝しか飼えない荒野になってしまう。「アンモン人の町々を羊の伏す所とする」。これも同じく、羊のいる荒野にしてしまう、辛うじて草が生えるだけ、という意味である。
 「そして、あなた方は、私が主であることを知るようになる」。この言葉は今日25章で読む4つの部分の全部に結論として付いている。それとともに、必ず考えなければならないのは、エゼキエルの預言の殆ど全部に毎回、結びとして付けられていることである。例えば、前回学んだ24章の最後の節を見れば良い。その前の23章の結語も同じである。
 「主を知る」とは最も重要なこと、人生の究極目標である。つまり、主を知ったならば、その人生は目的に達したと言える。主を知るとは、神がいたのだ、神が世界を動かしていたのだと気がつくという程度のことではない。その程度では知ったとは言えない。神を知るとは、神を愛し、神を讃美し、神に献身し、礼拝し、神が私の救い主であられると確信することである。ではアンモンの人々がそうなったか。預言はそこまで言っていたのか。
 エゼキエルのこの預言で語られたのは、恐らくそこまで意味してはいないのではないか。せいぜい、イスラエルの神、主がことをなしたもうたと認めずにおられないというに留まるのではなかろうか。エゼキエルの語ったのはそういうことだったと考えるのが通常の解釈である。
 しかし、それだけしか人には読み取れなかったとしても、もっと大いなる意味を読み取ることが出来る日が来る。今の我々にはそういう読み取りが出来つつあるのではないか。
 「彼らは私が主であることを知るようになる」。この御言葉はこれを聞いて悟る人間の側から見て行くならば、十分な所まで読み取れないのではないか。すなわち、語りたもう主の側から見て行くならば、「これをなすのは私である。私は私である」と主なる神は宣言しておられる。アンモンがそういう聞き取り方をしたのではないが、彼らは神の実在に衝撃を受けずに済まされなかった。
 第二部のモアブに移る。主なる神は私にこう言われる、「モアブは言った、『見よユダの家は、他の全ての国民と同様である』と」。ユダの家が他の全ての国民と同様であると言ってはならないのに、言ったというのである。つまり、何の優れたところもない、という意味である。国々は一時的に栄えることがあっても、やがて衰え、歴史の中から消えて行く。ユダも近隣の国々の中では強かった。実際、モアブは征服され、貢ぎを納めていた。しかし、そのユダももっと強い力を持つバビロンの軍事力の前に潰え去ったではないかと言った。モアブとしては無理からぬ言い分ではなかったか。
 それが裁かれるとはどういうことか。ユダの国が特権を持つと思っていることこそ裁かれたのではなかったか。それはその通りである。人間の世界において見る時、己れを高しととする者は没落するのが法則なのである。しかし、神はここで、それとは違うことを言っておられる。
 ユダの家は他の全ての国民と同様ではない、と言われる。それはどういうことか。滅んでも再起するということか。あるいは、他の民族の国々は次々に滅びて行ったのに、イスラエル国は今日もある、ということか。そういう解釈で満足している人がいると思うが、それは違う。
 我々は神の計画をここに見なければならない。神はもろもろの民族の中からアブラハムとその子孫を選びたもうた。その民を用いて御旨を行なおうとしておられる。だから、ユダが神に対して罪を犯し、神に裁かれて滅亡したとしても、神の選びは変わらない。この御旨を読み取らないで、ユダの滅亡を世界史の中の通例の事件としか見ないのは間違いである。
 自らを神の選民であると誇り、己れを高しとするイスラエルは滅びる。しかし、イスラエルを用いて全世界を祝福しようという神の計画を無視することは罪である。このことを我々自身に適用するならば、我々が自分を特別偉いものと見るならば、たといそう思う根拠が神の選びと、選ばれた者の使命にあるとしても、この傲慢は赦されない。しかし、己れ自身をどこまでも謙遜ならしめつつ、神によって使命に立てられた己れの独自性を見落とさないようにしなければならない。
 教会は或るときは栄えて巨大な建造物を残したが、その建造物が観光名所としてしか残っていない場合があるようである。そういう点でキリスト教会も他の文明社会の現象と同じだと言われる面はある。しかし、そのように見る者は禍いなるかな。教会は社会のさまざまの運動体とは違って、永遠性を持っている。ちょうどノアの洪水の時、あらゆるものが水底に沈んだが、ノアの箱船だけは水の上に浮かんで、沈まなかったように、教会は全ては過ぎ行くこの世にあって、過ぎ行かない御言葉に立って、過ぎ行かないのである。
 ここでもう一つの点を考えたい。神はここでユダのことを特に言っておられるのではないかと思われる。既に滅びてしまったイスラエルの回復も含めて神が将来を語っておられるのは確かであるが、ここではイスラエルについては何も触れておられない。特に「ユダの家」についてだけ言われる。ユダの家とは何か。ダビデ王家のことではないか。国が滅びると王家も滅びる。王の子孫が庶民の中に残ることはあっても、その血統は王家ではない。しかし、ユダの王家は消え失せなかったのである。消え失せたかのように見えたのは確かである。けれども、ダビデの子孫がメシヤとして来るという約束は生きていた。このことをキリストの教会は誇りをもって覚え続けなければならない。
 ユダの家がそのようであるのに対し、モアブは諸国民の中に記憶を残すこともなく、歴史の中から消えて行った。10節、「これをアンモンの人々と共に、東方の人々に与えてその所有とし、モアブの人々をもろもろの国民の中に記憶させない」。町はもとの所に建っているようであるが、住民は東の砂漠の中から来た人と入れ替わっている。
 次はエドムである。「エドムは恨みを含んでユダの家に敵対し、これに恨みを返して、甚だしく罪を犯した」というが、どんな罪であろうか。エドムについての預言が大部分を占めるのはオバデヤ書であるが、その11節に「あなたが離れて立っていた日、すなわち異邦人がその財宝を持ち去り、外国人がその門に押し入り、エルサレムを籖引きにした日、あなたも彼らの一人のようであった」。これはバビロン軍がエルサレムを占領し略奪した日に、エドムもそれに参加したということである。彼らはバビロン軍に加勢して、道の分かれ目にいて、エルサレムから逃れて来る者を斬り殺していたようである。そういう事情を考えるべきであろう。
 「私は我が民イスラエルの手をもって我が仇を報いる」と主は言われる。今言ったようなことから、イスラエルの仇を私が返すと言われるなら分かりやすいが、それではない。イスラエルやユダに対する罪ではなく、神に対する罪の故に神が報い、そのことの実行をイスラエルに命じたもう。
 最後はペリシテ人の裁きである。ペリシテの主権はダビデによって滅ぼされ、以後はペリシテ人はイスラエルに同化したと思われる。IIサムエル8章18節に「エホヤダの子ベナヤはケレテ人とペレテ人の長」とあるのが正確には掴めないが、これはダビデ王朝の行政の枢要部門野担当者を挙げたのであるが、ケレテ人というのはクレテ人、ペレテ人はペリシテ人のことであろう。かれらは何かの特技をもって政府に雇われた。ダビデの護衛であったと見る人もいる。計数に長じている人であったかも知れない。しかしその他に、ユダの滅亡の時幾らかのペリシテ人が残っていて快哉を叫んだのであろう。それが裁かれる。
 「彼らは私が主であることを知るようになる」。謂わば芸術家が作品に署名を入れ、見た人が作者は誰であるかを知るように、神はこれらの御業により謂わば署名をしたもう。


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