◆1999.12.26.◆ |
「第9年の10月10日に、主の言葉が私に臨んだ」。……エゼキエル書において、預言の与えられた日付が記録されているのは通例である。この書の冒頭に「第30年4月5日」と記されていたのは預言者としての召命を受けた日である。第30年とはエゼキエルの30歳の時という意味であろう。その次の節に「エホヤキン王の捕らえ移された第5年」とある。エゼキエル自身も捕らえ移された第5年目であった。 8章1節には「第6年の6月5日」と書かれていた。捕らえ移されて第6年である。20章1節には「第7年の5月10日」という日付があった。26章1節には「第11年の第1日」、29章1節には「第10年10月12日」、この後にも預言の日付は続く。このような日付なしで「主の言葉が私に臨んだ」という前置きに始まる預言は、その前の預言と同じ日に与えられたのか、別の日であったが日付がないのか、我々には判断がつかない。 そのようなわけで、24章の冒頭で10月10日という日付を見ても驚くことはない。しかし、今回は特別である。「人の子よ、あなたはこの日、すなわち今日の日の名を書き記せ。バビロンの王は、この日エルサレムを包囲した」。この日に預言があったというのでなく、この日付を書き留めて置けと特に言われたのである。エルサレムからの知らせがバビロンに届くには約6ヶ月掛かる。6ヶ月の後にエルサレム包囲の知らせが届いた時、記録の日付を見れば、包囲がなされたことを告げた預言が神からのものであることが分かる。 第9年という数字はエゼキエルのこれまでの個所にあったのと同じく、バビロンに捕らえ移されて9年目ということである。エゼキエル書40章1節に「我々が捕らえ移されてから25年、都が打ち破られて後14年、その年の初めの月の10日」とあるが、捕らえ移された年と都が打ち破られた年の開きが11年というのは正確な計算である。彼らは以前、慣例にしたがって何々王の第何年というふうに年代を数えていた。しかし、エルサレムにまだゼデキヤ王はいたが、囚われの民には王の秩序は及んでいない。そこで捕囚たちは「第何年」とだけ呼ぶ。これは仮の呼び方で、エルサレムの栄光は間もなく回復し、自分たちは帰還すると信じていた。とにかく、捕らえ移されて9年目になっていた。 彼らが捕らえ移されたのと同じ時に、ゼデキヤがエルサレムで王に立てられたのであるから、第9年の10月10日はまたゼデキヤの治世の第9年10月10日である。列王記下25章1節に、「そこでゼデキヤの治世の第9年の10月10日に、バビロンの王ネブカデネザルはもろもろの軍勢を率い、エルサレムに来て、これに向かって陣を張り、周囲に砦を築いてこれを攻めた」と記録されている。同じ記録がエレミヤ書52章1節にも収められている。 今引いた列王記下の続きに「こうして町は囲まれて、ゼデキヤ王の第11年にまで及んだが、その4月9日になって、町のうちに飢饉が激しくなり、その地の民に食物がなくなり、町の一角がついに破れた」と書かれている。その少し後に、5月7日、それはネブカデネザルの第19年であったが、エルサレムの主の宮と、王の家と、全ての家が焼かれたことが書かれている。 その10月10日、遥かに離れたバビロンの囚われの地で、エゼキエルは主の言葉を受ける。「人の子よ、あなたはこの日、すなわち今日の日の名を書き記せ。バビロンの王は、この日エルサレムを包囲した」。今日起こっていることを示されたのである。 不思議なことと見る必要はない。やがて起こるべきことを預言者に示したもう神が、遥かに隔たっている地の今日の出来事を、預言者に即時に示したもうとしても何の不思議もない。現代においては、遠い地で起こった事件も即時にニュースになるのであるが、今でも明日のことは分からない。昔の人にとっては、遠い地で今起こっていることが伝えられるのと、後の世のことが預言されるのとは、人間の知恵が及ばないという点でほぼ同じ重さを持つものであった。 さて、今日という日を記録に留めよと言われたのは、何のためか。後々この日を思い起こせという意味である。何のために思い起こすのか。それはこれを断食の日として自分たちの罪を思い起こすためである。 ゼカリヤ書7章5節を見ると「あなたがたが70年の間、5月と7月に断食し、云々」という言葉がある。70年というのは、バビロン捕囚の70年の間であろう。囚われの地で5月、すなわちエルサレムの壊滅の記念日、7月、これはエレミヤ書41章にあるエルサレム陥落後のさらに悲劇的な出来事、ゲダリヤ暗殺の事件の記念日であろうか、あるいはむしろ、7月15日の伝統的な古来の「仮庵の祭り」であろうか。律法の規定では断食はこの日だけだった。バビロンにいる間に断食の行事が増えたことは確かである。 そしてさらにゼカリヤ書8章18節には、「4月の断食、5月の断食、7月の断食、10月の断食」という言葉が連ねられる。いちいちの断食の由来は省略するが、10月にも断食していたことが分かる。10月の断食とは、10日、エルサレムが包囲された記念日の断食であろうと考えられる。 それらの断食が正しく守られたかどうかはともかく、断食の本来の趣旨は悔い改めであった。ちょうど我々の間で、8月15日や、6月23日や、12月8日、その他を特に日本の罪を覚える悔い改めの日として守ろうではないかと呼び掛けるのと同じ意図である。 神がエゼキエルに10月10日を書き留めて置け、と命じたもうた意味もそこにある。我々は毎日毎日悔い改めをすべきであり、主の日に礼拝を捧げる時も先ず悔い改めをして、神の和解の恵みを確認するのであるが、それだけでなく、一年の特定の時期に悔い改めを修練する。それは形式倒れになりさえしなければ、有益である。すなわち、出来るだけ機会を捉え、罪と悔い改めの歴史を引き継いでいることを覚えるのは大いに意義ある行事になる。ただし、我々の引き継いでいる罪責は数限りなくあるのであって、毎日が罪の記念日である。我々が気付いていないだけで、例えば、南京大虐殺記念日が今週ある。 さて、この日エゼキエルに示された第二のことは、3節以下の煮えたぎる釜の譬えである。先ず3節後半から5節までに韻文で釜で肉を煮る情景が描かれる。これはエルサレムの中で行なわれる殺戮と火災を示している。 ここでは「良い肉」と言われているので、エルサレムの上流階級の悲劇が指摘されているのかも知れない。上層部のものについて11章3節で聞いたが、彼らは「家を建てる時は近い。この町は鍋であり、我々は肉である」と言っていた。これは自分たちの特権を言うものである。旨いところは自分たちが食べる、と言っているらしい。この11章の11節には、「この町はあなたがたに対して鍋とはならず、あなたがたはその肉とはならない」と神が答えておられる。 さて、10月10日、エルサレムの包囲攻撃が始まった。エルサレムは堅固であるから、なかなか陥落しない。先に見たように、翌々年、糧食が尽きて抵抗力がなくなったからバビロン軍の侵入を許し、王は逃げ出し、ついに占領されたのである。 長期に亘って攻撃が食い止められているので、楽観的な人々はバビロン軍が諦めて撤退するのではないかと見たようである。しかし、「今日包囲攻撃が始まった」と告げたもうた神は、エルサレムが必ず滅びると預言させたもう。エルサレムが滅びるという預言はこれまで度々聞いて来たから、状況説明を繰り返さないが、人々は神がついておられるから、都は滅びないという空しい自信を持っていたのである。自らの安心感のために神の名と信仰の名を利用していただけである。 6節から14節まで、以上の歌の解説がなされる。その部分においてエルサレムは「流血の町、錆びている釜」と表現される。肉の切れの譬えは、バビロン軍による殺戮を表わすのであるが、それは神の裁きであり、その原因になるのは、エルサレムの中で行なわれていた流血である。血を流させられたのは虐げられた人たちであった。 その流血は「裸岩の上に流され、土でこれを覆うために地面に注ぐのではなかった」と7節に言われる。流血が剥き出しになっていた。血は土で覆わなければならない。人々は覆っていたつもりなのである。しかし神は見ておられる。ちょうど、カインがアベルを殺して土に埋め、「私が弟の番人でしょうか」とうそぶいたのと同じである。 彼らは国には法があり、裁判があり、自分たちはその法を守る善人だと思っていた。 裁判は行なわれ、犯罪人には刑罰が執行され、正義は保たれていると人々は考えていた。しかし、神はそのようには見ておられなかった。例えば、22章13節に「それ故、見よ、あなたが得た不正の利の事、及びあなたの内にある流血の事に対して、私は手を打ち鳴らす」と言われた。正当な利益でなく不正な利益が追求され、正義は失われていると預言者は語るのである。 失われた正義を回復するためには、権力者や持てる者の側に立って裁判していてはならない。裁判は公正でなければならないと言われているが、公正かどうかの判断が出来るかどうかが一つの問題である。権力を持つ者が自分の判断で公正であると言っても、神は必ずしもそうであるとは認めたまわない。神は貧しい者、虐げられた者、寡婦や孤児、寄留の他国人の立場で裁判を行なわなければならないと律法で規定したもう。すなわち、一見、貧しい者に肩入れし過ぎるかのように思われるほどに、弱い者を尊重しなければ公正を期することは出来ない、と教えたもう。 もう一面、肉を煮る釜、これが実は錆びている。その錆は火でも落ちない。潔められない。「その錆とは、あなたの不潔な淫行である」と13節は言う。この淫行は、これまでに学んだ所から考えて、道徳的な意味での不品行と、宗教的な意味での姦淫、つまり、神ならぬ物を神の如くに拝むことと、偶像礼拝を指すと思われる。錆びた釜で出来るのは裁きである。エルサレムの人々の捧げる礼拝は錆びていた。我々はどうであろうか。 15節から終わりまでは第三段で、ここで言われるのは「私は俄にあなたの目の喜ぶ者を取り去る。嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない。声を立てずに泣け。死人のために嘆き悲しむな」という悲劇である。 エルサレムの滅亡という悲しむべき出来事が起こり、しかもそれを悲しむことが許されないほどの苛酷な状況になるとの預言である。 人は通常、死に際しては丁重に葬られ、その死は人々によって悲しまれ、生きていた日々のことを思い起こされる。この儀式が形式化し、虚礼やお世辞となり、金銭に左右される弊害がある。しかし、だからといって葬りの儀式を廃止しなければならないと考えることは出来ない。この儀式を廃止するならば、それよって人間性はますます荒廃し、死者を記念することを怠るならば、生きている人の生きる意味を掘り下げる機会も失われてしまう。これも我々が気付いているところである。だから、死者を過度に尊敬し、これを礼拝したり、その人の事績を偽ってまで讃美したり美化したりすることはいけないが、心を籠めて弔うことは品位ある生き方をするために大切である。 ところで、人間の死を覚え、その生を思い巡らすためには、一人一人の死を見詰めるのでなければならない。何十万という人が集団的に殺される時、それはそれで非常に深刻な問題ではあるが、死という事柄に向かうべき人間の感覚は麻痺してしまって、死を考えられなくなる。こういう場合、人の死体は葬られるのでなく、廃棄物同然に穴に投げ落とされたり、川に流されたり、焼却場で処分されたりすることになる。今日はそのような事件が世界中で頻繁に起こるが、昔は比較的少なかった。人殺しの文明は発達していなかった。 愛する者が死んでも、葬ることが出来ず、死者に対する礼を尽くすことが出来ないのは、人の命が奪われることとまた別な悲劇である。死者は命を奪われるのであるが、生きている者も人間性を奪われ、生命や人権に関する感覚を奪われる。これは奪われる人にとって刑罰である。禍いが大きいので、その結果、一人一人の生と死を顧みる余裕がなくなるいうようなことではない。これは結果ではないということを今日の預言で学ぼう。 余りにも多くの人が死んだため、感覚が麻痺して、涙も涸れてしまった、などという述懐を聞く場合がある。同感して聞く人がいるかも知れないが、これは実情を正しく取り上げたとは言えない。大量虐殺さえなければ、人間の感覚は正常で、次の機会には死に対して正しく対応出来るように回復しているのか。そうではないと思う。大量虐殺があると、人間的感覚は容易に回復せず、むしろだんだん悪くなって行くという実情を我々は見ている。人の痛みが分からなくなって行く。それは人類に対する刑罰なのだ。 今日、人間の命が余りにも軽く扱われる事件が頻々と起こるが、これは神の裁きを招くことと言うよりは、むしろ、これ自体が神の裁き、神の刑罰なのだ。ローマ書1章28節に、「彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いに渡し、なすべからざることをなすに任せられた」と言う。今日、我々が耳にし目にするのは、神によってなすべからざる事をなすようにされた人間の行為なのだ。 神は16節で、エゼキエルに、「見よ、私は俄にあなたの目の喜ぶ者を取り去る。嘆いてはならない。泣いてはならない」と言われた。これは何を言わんとするのか。24節に答えが示される、「このようにエゼキエルはあなたがたのために徴となる」。「徴」とは前触れである。エルサレムにおける大虐殺、それを聞いて、嘆くことも、死人を弔うことも出来ない悲劇。その前触れとして、18節に言うようにエゼキエルの妻は俄に死んだのに、エゼキエルは妻の死を悲しみ嘆くことを禁じられた。 預言者の異常な経験は、人々のやがて受けなければならない悲劇の前触れである。エルサレムが陥落し、聖所が汚され、愛する者たちが剣で倒れる。しかし、それを悲しむことも、喪に服することも出来ない。それほどエルサレムの破滅は苛酷なのである。 26節に「その日に難を逃れて来る者が、あなたのもとに来て、あなたに事を告げる」とあるが、エルサレムの陥落の時、この知らせを伝える使いがはるばるバビロンに来るというのである。およそ6ヶ月掛かってバビロンに辿り着くのである。それが知らされた時、捕囚たちは涙も出ないのである。エゼキエル書33章21節以下にそのことの実現した日の記録が出ている。「私たちが捕らえ移された後、すなわち第12年の10月5日に、エルサレムから逃れて来た者が私のもとに来て言った、『町は打ち破られた』と。その者が来た前の夜、主の手が私に臨んだ。次の朝、その人が私のもとに来た頃、主は私の口を開かれた。私の口が開けたので、もはや私は沈黙しなかった」。 預言の正しいことが明らかになるのは翌々年である。その前触れとして、エゼキエルは愛する妻が死んでも、何もしてやれない。神によって何もするな、と禁じられている。死者のために喪に服すこともない。葬りもしない。「頭巾を被り、足に靴を履け。口を覆うな。嘆きのパンを食べるな」。要するに死人を弔う風習を何一つ行なってはならない。全く非常識ではないか。だが、先に言ったように、これは裁きの前触れなのだ。 重要なことは、裁きの前触れを預言者が演じている点である。17節に「声を立てずに嘆け」と言われているが、悲しくても声を出してはならない。勿論、人並みに、いや人並み以上に悲しいのである。しかし、悲しみを表わすことを禁じられている。それが預言者の使命に関わることであった。 神はエゼキエルの妻を予期できぬうちに取り去りたもうた。しかも、悲しむことが禁じられる。苛酷なまでの人間性破壊という他ないが、禍いを予告する預言者は、安全な場所に立って、自分は傷つかずに、痛みなしに裁きを告げるのではない。イエス・キリストはご自分が先ず十字架を負いたもうたではないか。教会も安易な道で裁きと救いを宣べ伝えてはならない。御言葉を語る者は徴となるのである。そのために召されているのである。 |