2007.07.15

 

使徒行伝講解説教 第95

 

――14:8-18によって――

 

 

 使徒たちがイコニオムの町から追われて、ルステラに行ったことは先に見た通りである。ルステラにおいても、先ず安息日にユダヤ人の会堂に行って、イコニオムにおけると同じような説教をしたに違いない。さらに、その説教を聞いた会衆は、ユダヤ人と異邦人からなっていたので、福音を聞いたユダヤ人は信ずる者と信じない者とに分かれ、異邦人も二つに分かれたであろう。

 しかし、前の町々においてあったのと同じことは書かないでおくのが、使徒行伝の筆法であったと思われる。それならば、イコニオムにおいて見たことがルステラでも当然あったものとして、ここを読んで行かなければならない。その上で、イコニオムにはなく、ルステラで初めて出会う事件があった。

ルステラの町について詳しいことは知らないし、また知らなくても良いと思うが、前のイコニオムとは違ってズッと田舎の感じがある。主要な街道から外れていたからであろう。11節で分かるが、ここではルカオニヤの地方語が用いられていた。つまり、ギリシャ語は通じるが、民衆の日常語はルカオニヤ語である。ルカオニヤ語について私は何も知らない。使徒たちもルカオニヤ語で話される言葉が分からなかったようだ。しかしギリシャ語は通じたので、伝道はギリシャ語で行なわれたと考えるほかない。

しかし、ユダヤ人はいた。我々に知られる最も古い世代のユダヤ人としては次の伝道旅行の時からパウロの助手になったテモテの祖母がいる。彼女の娘はギリシャ人と結婚したのであるから、ここにはユダヤ人が僅かしかいなかったのかも知れないが、ユダヤ人のギリシャ化が進んでいたとも見られよう。ということは、ユダヤ人の会堂に出入りするギリシャ人がいたことにもなる。

8節、「ところが、ルステラに足のきかない人が座っていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いた経験が全くなかった」。

ルステラのどの場所であろうか。路上であったと見る人もいる。会堂の中で、とは書いていない。足のなえたこの人は、路上で物乞いをしていたのではないか、と考えたい人もあろう。そうかも知れないが、後のところで、ルステラの町の人々が犠牲の牛と花輪を携えて門前まで来た、と書いてあるから、路上ではなかったのではないか。会堂の中での出来事と考えることは出来なくない。むしろ、そう考えるほうが適切であろう。だから、彼がパウロの言葉を聞いたのは、説教の時である。

足のきかないこの人が、ユダヤ人であったか異邦人であったか、それも分からない。どちらとも考えられる。どちらかでなければならないと考えることは要らないのではないか。すなわち、我々がここで見なければならないのは、その人がどういう出身、どういう経歴であるかは問題でない。ただ、彼に信仰が起こされたという点だけは、ハッキリ捉えておかねばならない。

ある人は、想像を交えてであるが、使徒の一行の中に、クプロ以来ルカが加わっていて、ルカが見たことをこのように文章にしたのであって、これは伝道旅行を終えてシリヤのアンテオケに帰った時、教会の人々に語った報告であったのではないか、と論じる。ありそうなことと思われる。

パウロがこれを報告したという解釈も成り立つ。パウロの見解が表明されているのであるから、納得は出来る面はあるが、彼は自分の行なった奇跡をそのように具体的には語らない人である。だから、パウロがこう言ったと取るのは不自然である。そして、文章は書き慣れた人の手になるもののようであるから、ルカかも知れない。だが、固執する必要はない。ルカがここにいたか、まだいなかったか、どちらとも決めかねるから、これ以上深入りしないで、分かることだけを見て行こう。

イエス・キリストのなさった多くの奇跡の場面を髣髴とさせる、と感じる人もいるであろう。キリストから見て行く、キリストの光りを当てて事件を考える、それは、事柄の本質を把握するのに最も適切であろう。キリストの使徒の力ある業を見て、主キリストを思い起こさずにおられない人がいるのは、不思議でない。

 また、使徒行伝3章にあった、生まれながらに足がきかなくて、ペテロによって癒された、美しの門の傍の物乞いの男の話しと似ていると思う人もいるであろう。たしかに、キリストの奇跡、またペテロの奇跡に重ね合わせてことを見るのは理解を深めることである。しかし、ここではパウロの行なった奇跡について学ぶのであるから、パウロの息づかいの感じられる読み方が望ましいのではないか。

パウロはどういう伝道をしていたであろうか。Iコリント12223節で彼は「ユダヤ人は徴しを請い、ギリシャ人は知恵を求める。しかし、私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える」と言った。これはルステラにおける説教がどういうタイプのものであったかを述べている言葉ではないが、大きく変わったはずはなく、それを十分偲ばせる言い方であろう。すなわち、ルステラの聴衆がユダヤ人であろうと、ギリシャ人であろうと、十字架のキリストを宣べ伝えたのである。それが奇跡を行なうよりももっと確かなこととして、ここで捉えなければならない。

今、コリント前書から引いた言葉の直ぐ前のところで、パウロは「この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされた」と言う。ここに、宣教、信仰、救い、という重要項目が三つ並ぶのを見よう。使徒たちはこのことを行なうために遣わされた。ルステラで起こったこと、我々が見ていることは、まさにこれである。すなわち、宣教、信仰、救済である。その救済をここでは「癒し」に置き換えている。その置き換えは無理のないものであった。癒しは救いの徴しであったからである。このことが読み取れなかったならば、我々は一つのお話しを読んだだけである。

 ルステラの出来事を9節、10節で読んで行こう。「この人がパウロの語るのを聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、癒されるほどの信仰が彼にあるのを認め、大声で『自分の足で、真っ直ぐに立ちなさい』と言った。すると彼は躍り上がって歩き出した」。――ここに、宣教、信仰、救済が凝縮されている。出来事はこの三要点に纏められるのである。要点以外のことは差し当たり触れなくても支障はない。

 この人がすでに久しく会堂で御言葉を聞いて来たかどうか、また、パウロが来てから何回かその福音を聞いたのかどうか。どちらとも取れるし、どちらでも良い。宣教、信仰、救済という基本にキチンと嵌まっているからである。したがって、彼のこれまでの内的な生活がどうであったかを他人の我々が憶測する必要はなく、しても無駄であろう。福音に触れるまでの自分の生涯を振り返って見ることは、どんな人にとっても意味あることとは思うが、特に必要とされているわけではないから、差し置くことにして、「今、私は福音を聞いている」という点に自分の位置を設定すれば十分である。

この人の外的な生涯はどうか。それは無視すべきことではないと思う。例えば、ヨハネ伝5章にあるが、ベテスダの池で癒されるまで38年間病気に苦しんだ人、9章に書かれているが、シロアムの池で目が開かれるまで、生まれたときからの盲人、彼らのこれまでの人生はキリストと出会うまで全く無意味であったのか。そうではない。その盲人が生まれて来たのは、神の栄光を顕すためである、とキリストは言われたのである。だから、キリストと出会うまでは苦しみばかりであったとしても、待つことに意味があった。ルステラの足の悪い人もそうである。キリストを信ずる信仰を与えられるまでは長く、また苦しかったが、待っている意味はあった。

 しかし、それにしても、この人に「癒されるほどの信仰」があったのをパウロが認めたというのは、どういうことなのか。確かに、「癒されるほどの信仰」という言い方は聖書にない。ここも「癒されるほどの信仰」と訳してよいか、疑問である。「癒されることの信仰」という言葉である。

癒される信仰を持っていたから癒された、と記されているケースは聖書にない。癒されるほどの信仰というこの訳し方では、信仰がある程度以上に達しないと救われない、と言っているように取られ兼ねないが、奇跡としての癒しは、その人の信仰の程度に応じて施されるものではない。

また、癒されることを切実に願い求めているなら、その求めは必ず聞き上げられて癒されるとの確信と結び付くのであるから、この人が癒されることを切に望んだと取ることは出来るであろう。思い起こされるのは、エリコの町のバルテマイという盲人の乞食である。主イエスは、大声で呼び求めている彼を、連れて来させるよう求めたもうた。主は彼に言われた、「私に何をしてほしいのか」。バルテマイは答える、「主よ、見えるようになることです」。その時、主は言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救った」。すると彼は忽ち見えるようになった。

その事件を思い起こして、ルステラの場合とソックリではないかと思い至って、そこで納得し、満足する人もあろう。そこまで行けば、これ以上論じる必要はないかも知れない。しかし、そこまで考えて感動したとしても、一時的な感銘に終わる。事柄の意味、実体がもっと良く読み取られなければならない。

主イエスの時代、彼がさまざまの癒しを行なっておられたことは知れ渡っていたから、バルテマイの耳にも届き、彼はそれを深く受け止めた。約束のダビデの子が来られたのだと確信した。バルテマイはイスラエル人であるから、メシヤが来られる時、盲人の目は開かれるとの預言を知っていて、それを信じたのである。

 ルステラの足の悪い人は、エリコのバルテマイと同じくユダヤ人であったかも知れないが、異邦人かも知れない。彼が癒された事件によって大騒ぎを演じたルステラ社会は、完全に異邦人社会である。この足の悪い人がパウロの話しを聞いて、癒しを期待したかどうかは掴めない。むしろ、パウロの奇跡は有名でなかったのだから、そういう期待はなく、ただ十字架の福音を一心に聞いたと取るほうが事実に近いのではないか。彼が説教を聞いて獲得したのは、「癒される信仰」でなく、「救われる信仰」であったと我々は判断する。それがパウロに見えたのである。

パウロに、人の心を見抜く異常能力があったと考える必要はない。精確に言い当てたとは言えないとしても、説教を語る人は、それがその場でどのように聞かれているかを察知しつつ語るものである。聞いても聞かなくても良い、という姿勢でメッセージを棒読みするのとは違う。独り語るのであるが、或る種の対話がある。反応の感受を強調し過ぎては問題があるから、控え目にしておくが、ごく当然そうなのだと見よう。

「救われる信仰」という言葉を語る機会は少ないが、我々は信仰を、救いにいたる、あるいは救いに至らせるものと理解している。それは当然、永続する信仰である。しかし、救いを追い求めるわけでなく、何かに心惹かれて夢中になり、それを信仰と一応言う場合があることは知っている。例えば一時的な熱心さ、あるいは知的興味に過ぎない場合がある。そういうものと区別するために「救われる信仰」という言い方をする人たちもいる。確かに、伝道は「救われる信仰」を目標にしている。

救われる信仰と癒される信仰は概念としては区別されなければならない。しかし、ルステラのこの人、エリコのバルテマイなどにおいては、同一人間における切り離せない事実である。だから信じ、そして癒された。

癒されたという事件が知れ渡った時のルステラの町の大騒ぎは殆ど笑い話と言って良い。詳しい解き明かしをして何かを読み取るには及ばない。使徒たちは祭り上げられるままにまかせて、その機会と立場を利用して教えを受け入れさせ、キリスト教を広めようとはしなかった。むしろ、そのような歓迎を拒絶し、断絶する。我々はあなた方と同じ人間である、と主張する。神から遣わされた者として一段高いところから語るから聞け、とは言わない。

 但し、拒絶し・断絶するだけではない。「このような愚にもつかないものを捨てて、まことの神に立ち返れ」と言った。「神は過ぎ去った時代には、全ての国々の人が、それぞれの道を行くままにして置かれた。それでも、ご自分のことを証ししないでおられた訳ではない。………」。

この話しはもっと続いた筈である。「これまではこうこうであった。それでも、自然の恵みをもってご自身を証しされた」。こう言って、自然の恵みによってご自身を顕されたという主旨が語られる。――ここで話しが終わる訳がないことは我々にも分かる。というのは、アテネに行った時、基本的に同じ論法によって説き起こし、1731節で「神は義をもってこの世界を裁くため、その日を定め、お選びになった方によってそれを成し遂げようとされている。すなわち、この方を死人の中から甦らせ、その確証を全ての人に示された」と結んだ。その部分がルステラの話しにはない。なぜ語らなかったかは分からない。今は、とにかくこの人たちにそのような愚かなことを止めさせようと躍起になっていた。とうてい「救われる信仰」を論じるところまでは行けなかったのである。

 


目次へ