ピシデヤのアンテオケにおける第二の安息日、これは教会にとって、いろいろな意味において、大事件の起こったであった。しかし、事件の目に見える面と、目に見えない面を区別して理解しなければならない。目に見えない面こそが重要であることは言うまでもないが、目に見える面も忘れてはならない。
目に見える大いなる出来事も神の御業であり、御旨を知らせる「徴し」である。目に見える面としては、町中の人々が御言葉を聞きに集まったこと、しかし、集まった中のユダヤ人の一部が福音に逆らい立ったことがある。
それは神の計画に基くことであるから、「話しが大きすぎるではないか」と疑ったり、どういう原因でこういう驚くべき成果が上がったのか」と考えることはしないで置く。しかし、お伽話を聞いて楽しむのではないから、この事実を検討して良い。教会の活動に参考になることはある。ただ、今日は触れない。もっと大事なことを見なければならないからである。例えば、48節に「永遠の命に与るように定められていた者は、みな信じた」と書かれていることは、目に見えることの描写を遥かに越えた重要事である。我々としてはそれを見るべきであろう。
神の民の歴史に大変化が起こったのである。この大変化・大変動は人々の歴史としては無視されている。教会の歴史家も注目しない。教会の歴史の重要な転換点であったと教えられることもない。実際、強調しても、霊的洞察なきままにお話しとしてなされるだけでは、大事なことが置き去りになる。だから、ここに注目するだけの目を持たない人に、敢えて知らせようと力んで見ても、意味の取り違いが起こるだけかも知れない。しかし、教会とは何か、神の民の歴史の中枢部分は何かを理解しようとする人は、シッカリ読まなければならない。
大変動が起こったということは、集中的には46節で学び取るべきであるが、先ず、ことの全貌を捉えたい。「殆ど全市を挙げて神の言葉を聞きに集まって来た」。――そんなことがあり得たのか、と驚く人がいるのは理解出来る。ユダヤ人の会堂に全市民が入りきれる訳はないではないか。全市が集まるためには、競技場とか野外劇場とか広場でなければならなかった。しかし、人々は会堂に集まったのである。
人数に重点を置いてはならない。注目すべき点は「神の言葉を聞くために集まった」というところにある。それは広場でも、競技場でも、野外劇場でもなかった。会堂、シナゴーグであった。――シナゴーグという名は旧約聖書にはない。モーセによって結集された神の民はシナイで、また荒野で、聖会、つまり集会を持った。カナンに入ってから、モーセの後継者ヨシュアはシケムに全ての民を集めて聖会を開いた。このような聖会を開くことは12氏族の民が全国に散らばって後、実際問題として不可能である。人々は年に1回、主の家に行って犠牲を捧げるという礼拝を維持した。
しかし、やがて人々は住んでいる地域ごとに会堂、つまり集会所を建て、安息日ごとにそこに集まって礼拝を捧げ、御言葉を聞く体制を取るようになる。これはユダヤ人の住む全域において、国外においても実施されるが、律法の命令ではない。とはいえ、自発的な応答でもない。これは律法の現実適用と言うほかない。13章15で見たのはその実例で、律法の書と預言者の書が読まれ、解き明かされた。
これはどのシナゴーグでも行なわれていたしきたりであったが、27節で聞いたように、パウロは「安息日ごとに讀む預言者の言葉は成就した」と宣言した。預言の成就はイエス・キリストにおいてなされた。そのことについては、使徒行伝の初めから何度も学んで来ているが、預言の成就を主の民が確認する場所が会堂であるということは、ピシデヤのアンテオケにおいてであった。それでも、そのことはパウロによって宣言され、聞いた人がそれを胸に納めただけで、目に見える事実として起こったのではなかった。それが目に見える出来事として起こったのはこの第二の安息日であった。すなわち、預言の成就はイスラエルの民の結集だけでなく、これまで主の民と見られていなかった者もここに結集されたのである。
前回の安息日に、パウロの説教を聞いた人たちが、それぞれその隣人を説得し、勧誘して、その結果、会堂に入りきれない程の人が集まったのだと考えたい人は、そう考えて良い。この成就の時に、兄弟も隣人も与らせたい、と人々が願ったのは当然である。さらにその人たちの願いのように、自分も今日努力しなければならない、と考える人がいても当然である。しかし、我々が何をすべきかではなく、何があったかを知ることが今は重要である。
実際には御言葉に聞こうとしない人がいたという事実がある。パウロとバルナバとが町から追放されたことも確かである。ただし、追放されたのは二人だけのようである。二人を追放したような力がこの都市を支配していたのも現実である。それでも、この朝、全市あげて御言葉に聞こうと集まったという事実があった。それは単に表面的なことに過ぎなかったのか。そのように受け取る人は割合多いと思う。しかし、単に表面的なことだけか。過ぎ去ってしまえば後に何も残らないのか。そうではない。
ピシデヤのアンテオケの教会がその後どうなったか。14章21節でまた少し触れるが、それ以後のことも或る程度調べることは出来る。今日どうか。それも、行って調べることは出来なくない。しかし、何かが分かったとしても、我々の問うているのとは別物である。我々はここに「徴し」を読み取らなければならない。徴しとは神の御意志を示すものである。それは信仰によって読み取られるものである。パウロとバルナバはその徴しを見たので、町から追い出されていながら、喜び勇んでいたのである。
45節に入って行く。「するとユダヤ人は、その群衆を見て妬ましく思い、パウロの語ることに口汚く反対した」。――ユダヤ教の会堂に大量の異邦人が入って来て、パウロの説教を喜んで聞いている。それをユダヤ人の民族主義者が、自分たちの築いて来た有形・無形の財産を横取りされたかのように見て、妬ましく感じた。それは民族的な対立意識からであろうか。そういう面はあったかも知れない。だが、取り上げて論じても実りはない。我々はここに「徴し」を見る。
ユダヤ人と異邦人の二つの群れに別れたかのように読み取れるかも知れない。しかし、二分されたのは人種的なことではない。キリストの民とそれ以外とに別れたのだ。ユダヤ人の中にキリスト者と非キリスト者がいた。同じように、異邦人の中にもキリスト者と非キリスト者がいた。さらに言うならば、「信心深い人」と言われた、宗教への理解の進んだ人も分裂した。そのことは50節によって明らかになる。
この分裂は、教会の活動が進展する間に、往々にして起こるいがみ合いや分裂ではない。イエス・キリストは本質的な対立があることを語っておられる。「今から後は一家の内で5人が相分かれて、3人は2人に、2人は3人に対立し、また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、姑は嫁に、嫁は姑に対立するであろう」とルカ伝12章52節以下で言っておられる。これはキリストの説教を聞いたユダヤの民衆がキリストを受け入れる者と、反発する者とに分かれることだけを言うのではない。異邦人世界においても同じなのだ。
分裂は肉親の間でこそ起こり、血縁関係が薄くなるほど冷めて協力がよく出来るというものでないことは明らかである。主イエスは、血族の関係をもっても繋ぎ止めることの出来ない決裂が、福音のもとで起こると言われた。その決裂はキリストの同族において最も顕著であった。
アブラハムの子孫であるから血は繋がっている。同じ血族は同じ地域に住み、職業も同じであり、利害も共通する。精神的なものも共有している。ユダヤ人においては、その結束の強さは世界随一であった。それも分裂すると主イエスは暗に言われた。そして、それは起こった。それはキリストを信じるユダヤ人と、信じないユダヤ人の分裂である。後者が普通ユダヤ人と言われる。
「分裂」ということに力を入れることはないと思うが、先祖アブラハムも父の家を出て、親族と分かれて、神の示したもう約束の地に旅立ったのである。だから。アブラハムの子孫にそういう分裂が起こっても驚くにあたらない。が、ここで起こっていることをもっと適切に把握するには、「分裂」というよりは主の民の「大転換」、「大移動」と言うべきであろう。主の民の歴史がここで大きく川の折れ曲がるように変わる。アブラハムの子孫によって構成されていた主の民はここから大幅に入れ替わる。
このことを言うのが46節である。「パウロとバルナバとは大胆に語った、『神の言葉は先ず、あなた方に語り伝えられなければならなかった。しかし、あなた方はそれを退け、自分自身を永遠の命に相応しからぬ者にしてしまったから、さあ、私たちはこれから方向を変えて、異邦人たちの方に行くのだ』」。
二人は大胆に言った。「大胆に語る」という聖書の言葉遣いに注意すべきである。大胆にとは、決裂を覚悟した表明の大胆さを言っていのではない。御霊による発言である。神の宣言であるから、このように語られねばならない。神の言葉を聞く民として選ばれていた者に、約束の成就は先ず語られねばならなかった。そして語られた。
しかし、ユダヤ主義者らは約束の成就の言葉に耳を背け、それでいてなおも自分たちが選びの民であるとの自負に凝り固まっている。「成就した」と言われているのに、「成就していない」と言い張る。だから、神はこれまで選びの民と言われていた者を捨てて、異邦人の方に向かう、と神は宣言し、使徒たちはそれを伝達した。
これは全く新しいことではない。ピリポのエチオピヤ人伝道も、ペテロのカイザリヤ伝道も、シリヤのアンテオケ教会が始めた異邦人伝道も同じである。だが、非常にハッキリ宣言された点で画期的である。
しかし、神が方向転換されたと取るのは言い方として適切でない。却って分かり難い。神は変わりたまわぬと見た方が理解し易い。こういうことは預言として語られていたと言うのがユダヤ人に分からせるためには適切である。そこで、47節で言う。
「主は私たちに、こう命じておられる、『私はあなたを立てて異邦人の光りとした。あなたが地の果てまでも救いを齎らすためである』」。これはイザヤ書42章6節の引用である。神は主の僕にこう言われた。これはキリスト預言として読むべきところである。
「異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を誉め称えて止まなかった」。これは、これまでユダヤ人の下に置かれていた異邦人の信心深い人たちが、優遇されるようになって喜んだというようなことではない。彼らは主の民とされたので、主を喜び、主の民の務めである讃美をした、という意味である。
大切な御言葉は次の一句である。「永遠の命に与るように定められていた者は、みな信じた」。
永遠の命に相応しからぬ者、という言葉が先にあった。ユダヤ人が全部相応しくないとされたのではない。パウロもバルナバもユダヤ人である。この会堂にも信仰をもってキリストを受け入れるユダヤ人はかなりいた。しかし、ユダヤ人か異邦人か、で区別されたのでない。神の定めによって区別される。永遠の命に定められていた者、その定めは見えないが、定められていた者はみな信じた。すなわち、信仰の表明をしたのである。そして、バプテスマが行なわれたのであろうと思われる。
そういう人がどれほどいたかは分からない。いたことは確かである。その人たちは信仰を表明したからそのように定められていた人だということは明らかになった。また、彼らに永遠の命が授けられたのであるから、彼らはその全生涯を貫いて信仰の証しをしたに違いない。それでも、永遠の命に定められていたこと、これは選ばれていたというのと同じであるが、定められていることそのものは神のみが知りたまい、隠されている。ただし、隠されていても確かなのである。それは信仰によって捉えられている。
「こうして、主の言葉はこの地方全体に広まって行った」。
パウロとバルナバは追放されたが、弟子たちはますます喜びと聖霊とに満たされた。彼らは「足の塵を払い落とす」という仕草をしてから立ち去ったというが、これは我々の知る限りでは、主イエスが教えたもうたことである。伝道に行って、そこで誰も受け入れてくれなければ、足の塵を払ってこう言いなさいと、ルカ伝10章11節に書かれている。「私たちの足に着いているこの町の塵も、拭い捨てて行く。しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい」。この所の滅びについて、私には責任がないという意味である。責任を取らないという捨て台詞のように聞こえるかも知れないが、為すべきことは悉く果たし終えたと証ししたのである。
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