2007.04.22

 

使徒行伝講解説教 第89

 

――13:26-33によって――

 

 

 「兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、並びに皆さんの中の神を敬う人たちよ、この救いの言葉は私たちに送られたのである」。

 説教の初めに語られた呼び掛けの言葉が、25節で繰り返される。言葉の意味は先に見た通りであるが、その意味が繰り返しによって強調される。再度強調しなければならないのは、説教が核心部に入ったからである。

 核心部に入ったとは、これまでが前置きであったということではない。初めから実質的本論に入っていた。実際、これまでのことを抜きにして、ここから語り始めても、殆ど意味をなさないほど、初めから内容に入っている。しかし、今や、目が眩むほどの出来事が起こっている。キリストの来臨である。

 これまで語られたのは要するに神の約束であり、約束の民の歩みであったが、今日のところで示されるのは、約束の成就した事態である。この事態の中に、約束の民であるアブラハムの子孫だけでなく、アブラハムの子孫以外の「神を敬う人たち」が加わっている。これは二種類の集団の統合ではなく、これ以後、一種類の人間としてしか捉えてはならない集団である。そのことが、この呼び掛けの言葉の中にある。すなわち、「皆さんの中の……」と言った時、これまで外の人だった者は中に入っている。組織として二つを一つに統合したのではない。ユダヤ人キリスト者と、異邦人キリスト者が並存して、各々特色を保ちつつ協力して行くという発想ではない。特色は一つしかない。「キリストの民」という一言で自分たちの同一性の確認をする人たちが成立した。

初めはアブラハムの子孫の血族集団であった。言語も一つであった。場所は転々としたが住んでいる領域は一つであった。彼らは心を一つにして神を礼拝した。この一団は神の約束のもとにあるが、約束のもとにあるということは必ずしも繁栄していたということではない。ユダヤの本国にあっても、自分たちの国を建てることは出来ず、異邦人の支配下に置かれる人たちであった。また、彼らは土地の貧しさ故、また彼ら自身の落ち度の故に、一箇所に共に住むことは出来なくなり、散らされて行く。それは、あたかも約束の民が散り失せることによって、神の約束そのものが分散して成り立たなくなって行くことを示しているかのようであった。

 ところが、この混乱の中で、神の約束を信ずる者を神は残しておられた。散っていても残りの民である。そして、この残りの民の中に神は血族というのとは違う意味のアブラハムの子らを加えようとされた。そういう人たちが礼拝の群れに加わって来た。これが「神を敬う人」と呼ばれる人々である。初めの段階では、この人たちの会堂における地位はハッキリしていなかった。これを本来の神の民ではない者ではあるが、神の民であるかのように看做される、という扱いを受けていた。ただし、イエス・キリストはそういう扱いをしない方向に御自身の民を方向付けしもうた。

 エペソ書211節以下にこの問題の解決が纏められている。曰く「あなた方は以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称される人々からは、無割礼の者と呼ばれており、またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく、神もない者であった。ところが、あなた方は、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となったのである」。

 こうして、「二つのものを一つにされた」とパウロは言うのである。二つのままで良いというのではない。雑多になって行くのを受け入れると理解するのではない。二つではなく一つなのだ。新しいものが出来たのである。それがキリストの来臨である。

 では、成就された事は何か。約束されたことが成就したのであって、約束は信仰によってこそ捉えられる。約束されていたのはキリストであり、そのキリストが来たりたもうた時、信仰の民がキリストを受け入れるということが起こる。そこではユダヤ人も異邦人もない。それはキリストの民という新しい集団である。

 そのキリストをキリストの民がどのように受け入れたかが重要な点であって、それがここから論じられる。勿論、信じて受け入れる。が、信じるというだけではハッキリしない。それは「死と復活のキリスト」として示される。これが福音である。キリストにおいて神の約束が成就したとは、分かり易く描くためには、例えば、主イエスがエルサレムの門を入って来られた場面などは良く分かる。これは聖書にも描かれている通りであって、王であるキリストを顕している。栄光を捨ててロバに乗っておられる。旧約信仰の中で「来たるべき者」という言い方は定着していた。したがって「来たりつつある」というイメージで捉えるのが適切な面はある。しかし、これでキリストが約束の実現者として明確に、信仰において、捉えられるかと言うと、絵にはなるけれども、確固たる信仰として捉えようとすると、分かったようで分からないものになってしまう。

 キリストが命に溢れる救い主として描かれ、我々に命を溢れさせて下さると説く人がいる。間違っているとは言えない。何となく受け入れ易いメッセージである。が、分かったような雰囲気はあるとしても、確かな教えとして聞くものとは違う。

 主イエス御自身はどう教えられたか。弟子たちには御自身を特に「苦難の僕」の預言の成就をする者、と教えられたことは、聖書に確かに記されている。そこではキリストは「命溢れるお方」としてでなく、「死」によって特徴付けられる。命を溢れさせるお方としてその理解を深めようとしても、ここでは空転してしまう。彼を深く捉えるためには、彼が死に向かって進みたもうなら、我々も彼の死に向き合わねばならない。

 そして、キリストの死が重要なのは、彼の死こそが我々の最大の問題である罪から贖うからである。悲劇的な生涯を送ったというようなことでなく彼の死で私が救われたという事実の体験があるからである。

 ところが、我々のために彼が死んでくださって、それによって我々は救われたとしても、救い主が死んでしまわれた世界で生き延びることに、どれだけの意味があるのか。たとえて言うならば、一つしかない救命具を私に譲ってくれた人がいて、私は助かったのであるが、死の海に漂うだけではないか。そういうことならば、この方が果たして下さった愛の業に感謝しつつも、この感謝はやがて失せ去るほかないではないか。キリストの死は自己犠牲の美談に終わるのであろうか。

 キリストは死んで下さっただけではない。神はキリストを死人の中から甦らせられた。キリストでさえ死なねばならないほど罪の力が圧倒的だというのではなく、罪のための死は罪への勝利であり、死が窮極の勝利者でないとの約束の成就である。

 さて、今、手短に「死と復活」と言ったことを、27節以下でもう少し詳しく辿って見よう。先ず死である。「エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに死刑に処し、それによって安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。また、何ら死に当たる理由が見出せなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。そして、イエスについて書いてあることを、皆なしとげてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った」。

 キリストの死そのものが預言の成就であると捉えられている。このことは、使徒行伝で繰り返し読んだ通りである。立派な方であったのに、権力を持つ人たちがこれを邪魔者扱いにして殺した、ということなら「なるほど、そういうことか」と合点が行くであろうが、ただそれだけのことである。そうでなく、神の計画の勝利を見るべきだ。

 預言の成就としてキリストが死にたもうたと捉えるから、キリストが殺されたことについてキリスト者たちの怨念はない。ユダヤ人に対してキリスト者が恨みを報いることが時としてあったことは事実だが、それは正当な理由として語られたのではない。何よりも主イエス御自身、十字架の上で、「父よ、彼らを赦したまえ。その為すところを知らざればなり」と祈られた。したがって、キリスト者はユダヤ人のキリスト殺害を「知らずして犯した罪」と捉える。これは五旬節のペテロの説教でも述べられたところであるが、それから何年か経って、「安息日に読む預言の言葉の成就」という解釈が教会の中に確立したようである。その解釈はまた、会堂で読まれることに決まっていた預言者が、キリストの来臨を予告したという解釈と結びつくようになったと思われる。安息日に聖書を読んで来たことは空しい慣習ではなかったと意味付けが行われたのである。

 28節に言う「死に当たる理由が見出せなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺した」というのは福音書に書かれているように、ピラトが審理して、死刑に当たる罪が見出せないと言ったのに、ユダヤ人が横車を押して十字架刑に至らせたことを言ったものである。

 こうして、29節には「イエスについて書いてあることをことごとくなし遂げてから、木から取り下ろして墓に葬った」と言われる。彼らは何も知らなかったのであるが、預言の成就を全うするという点に非常に力点を置いていることを読み取りたい。

 大事なのはその次である。「しかし、神はイエスを死人の中から甦らせた」。復活が使徒行伝の始めから、弟子たちの中に確立していたことを我々は知っている。しかし、始め、弟子たちは信じたが、信じない人もいた。いや、弟子の中にも信じられない人がいた。パウロ自身は初めは弟子でないから全く信じていない。

 彼自身がキリストの復活を信じるようになったのは、Iコリント158節に「最後に、いわば月足らずに生まれたような私にも現れた」と言うところである。これはダマスコにおいてであると考えられる。

 一般に理解されているところでは、主は復活後40日に亘って弟子たちに顕れ、それから天に昇って行かれたと理解されている。パウロのダマスコ事件は40日よりもずっと後であると考えるほかない。しかし、パウロはキリストの復活と出会ったことを強硬に主張し、使徒たちはそれを認めた。

 我々もパウロの証言を受け入れているのであるが、それにはもう一つパウロの理論の説得力があったからではないか。その理論とは「死人の甦り」である。使徒行伝236節で読むことだが、パウロは議会に引き出されて裁判に掛けられた時、議員の一部がサドカイ派であり、一部がパリサイ派であるのを見てとって、声を高めて言った。「兄弟たちよ、私はパリサイ人である。私は死人の復活の望みを抱いていることで、裁判を受けているのである」と言う。そうすると、パリサイ派とサドカイ派の間で収拾のつかない論争が始まったことを思い起こす。

 パリサイ派は死人の復活はあると主張していたが、だからといってキリストの復活を信じたわけではない。パウロ自身、以前から聖書解釈の原理としての死人の復活は信じていた。しかし、イエス・キリストの復活は事実としてあり得ないと信じ込んでいた。ところが、ダマスコにおける体験で、キリストの復活を認めないという自分の頑なさが如何に悪質なものであるかが分かった。そこで以前から持っていた理念としてだけ持っていた死人の復活が確信として定着する。

 死人の復活については、主イエスが、例えばヤイロの娘の事件、ベタニヤのラザロの事件で示しておられる。また、復活ということはないと主張するサドカイ派の律法学者が論争を挑んで来た時の見事な論破については三つの福音書とも書いている。そういうことをパウロが聞くのは後からであったが、ダマスコ以後、一顧に全て受け入れるようになった。

 こういうことがあって、パウロはキリストの復活を事実だから信じるというよりも、旧約聖書から説き起こし、死人の甦りを読み取って、最も強力に復活を論じた。これはIコリント15章の論法である。

 「神はイエスを甦らせて、私たち子孫にこの約束をお果たしになった」。キリストの復活は先祖に対する約束の実現であったと言い切る。復活信仰は旧約にはなくて新約で入って来たというのでなく、本来旧約の預言で約束されていたと言う。そして「それは詩篇の第2篇にも『あなたこそは私の子。今日、私はあなたを生んだ』と書いてある通りである」。

 詩篇第2篇は神が御子を永遠に生み、これを「我が子」として宣言したもうたという意味で読まれるのであるが、パウロはこれを復活に結び付ける。これは、ローマ書14節で「聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた」と言っているところにも現れている。イエス・キリストは御自身のことを子とか御子と呼んでおられたが、正式には復活によってまことの神性を顕したもうたのである。

 

 

 

 

 


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