2007.03.18.

 

使徒行伝講解説教 第87

 

――13:17-19によって――

 

 

 ピシデヤのアンテオケの会堂におけるパウロの説教は、ユダヤ人と、異邦人であって真の唯一の神を礼拝する者とに向けられた。説教はこの二つのグループへの呼び掛けに始まるが、この呼び掛けは、すでにこの説教の主題また意図に立ち入っていた。すなわち、その福音は万国民に向けて無差別に語られるのである。この説教は救いの歴史から説き始める。人類の初めから論じ始めたのでなく、イスラエルの先祖から始める。これとやや似た形は7章で読んだステパノの説教である。
 イスラエルの先祖について語り始めたということは、昔話を始めたというようなものではない。比喩を用いて説明するならば、道に立っている人が、同じ道に立っている人たちに、来た道を指し示しながら語っている場面を思い描いてもらえば良いであろう。言い方を換えれば、一本の道が描かれて、その絵が展示されているのを、フロアから誰かが解説しているというようなものとは全く違う。
 この道はズッと昔に始まり、連綿と今に繋がっており、さらに将来まで、世の終わりの日まで、伸びて行く。ここでは解説する人も聞く人も、同じ道に立っている。これが救いの道なのだ。――救いの道がそのような説き方でここに語られているのを弁えつつ、パウロの説教を聞こう。
 「この民イスラエルの神は、私たちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高く差し上げて、彼らをその地から導き出された」。
 パウロが語っているのは、イスラエルの歴史の要約である。実際に語ったのはもう少し詳しかったのではないか、と言う人がいる。それが正しいかも知れない。例えば「律法」について何も語らなかっただろうか、と疑問視する人はいるであろう。しかし、そういった問題に今立ち入ることは我々には難し過ぎるから避けた方が良い。
 ステパノの説教と似た面があると言ったが、そこではいろいろな歴史的人物が登場した。こちらではアブラハムやモーセの名すら出て来ない簡素なものである。ただし、キリストに関するところへ行くと、俄然くわしくなる。キリストに中心が置かれるから、そこが詳しくなるのは当然であろう。とにかく、初めのところは、簡略ではあっても、前置きとして語られたのではない。すでに内容の要点に立ち入っている。
 要点として、先ず「選び」が語られている。選びが基礎となって教えの全体が組立てられているところに注目すれば、全体が良く見通せる。神が天におられ、人がそれを崇めているという程度のことではない。その程度の神観念なら、信仰がなくても納得出来てしまう。神の選びが確認されてこそ信仰の生命力は立ち上がる。
 選びに結びついていることとして、留意したいのは、「神と民との関係」である。この関係については、少し後25節に「約束」という言葉があるので、そこで見よう。
 選びについて教えられる時、「選ばれたのはあなたである」と、個人として示され、そのように掘り下げられなければならない場合と、集団として、民として選ばれ、そのように教えられている場合とがある。ここでは、個人の選びは、しばらく脇に置かれる。だから、アブラハムの名もモーセの名も出て来なくて良い。神に向かい合うのは、選び・召されたイスラエルの民の集団である。選ばれた者は、ここでは一括して扱われる。謂わば一本の道として単純化されている。単純化のキーワードは「約束」、あるいは「契約」である。
 さて、選びが信仰の教えの基礎であると言ったが、選びについて今日のところでは詳しく論じる必要はないと思う。これが基礎だということさえシッカリ捉えて置けば、今のところ十分であろう。今は、選びについて、どちらかと言えば細かい注意事項に少し触れて置く。「選ぶ」という言葉は、「選ばれない者がいる」ということを言外に示唆しているので、そちらに関心が傾いて、長々と議論することがしばしば起きる。それが全く実りのない議論だとは言わないが、今は避けて置こう。道を踏み外さないためには「選ぶ」ということがどう扱われるかを単純に考えて見れば良い。
 「選ぶ」ということから、一足飛びに、「選ばれない者はどうなのか?」という思いに移ってしまう人が多いが、こういうことになるのは、神の絶対的な意志による選び、ということをキチンと受け止めていないからである。信仰者においては「選び」という言葉から反射的に先ず思い浮かぶのは、「選ばれた私」、あるいは「選ばれた私たち」ということではないか。「私は、あるいは我々は、神の選びに如何に答えて行くべきか」という厳粛な問題に入って行かねばならないから、興味本位の問題にそれて行くことにはならない。
 「私は選ばれていないかも知れない……」という不安についても、今は触れなくて良い。「選び」ということが、我々の頭の中に先ず思い浮かんだのではない。「私はあなたを選んだ」との神の御声が聞かれて初めて、「選び」ということについて思い巡らすようになるからである。したがって、「私は選ばれた」という事実を出発点として選びの奥義の理解に入り、それを深めて行く。だから、「如何なる目的で私は選ばれたのか?」という掘り下げが早速始まるのである。イスラエルの先祖が選ばれたということも、今語ったような捉え方によって考えられねばならない。パウロが「選び」について語ったのは、そういう意味においてである。
 ここまで述べて来たところによって、すでに明らかであるが、ユダヤ人が「自分たちは先祖以来選ばれたものである」ということを深く理解したならば、選ばれた者の特権に安住することにはならなかった筈である。だが、このことに注意を促される機会は少なかったのかも知れない。だから、預言者の警告にも拘わらず、多くのユダヤ人は独善的・特権的な選民意識に膨れ上がり、それが悪いことだと気付きもしなかった。
 ところが、歴史の変遷を重ねて、この民は先祖の地以外の地域に拡散して行った。バビロン捕囚の苦難を味わって以来、ユダヤ人は先祖の地でない所に次々と散らされたが、それでもなお、約束の民であることの実体験を重ねて行く。彼らは散らされて行った先々で、民の礼拝の場所である会堂を建てた。
 一方、彼らの会堂に異邦人が訪ねて来て、御言葉を聞くようになった。大勢来たわけではないが、これが時代の新しい流れになって行く。それを好ましいことと思うユダヤ人がいた一方、嫌悪する人も出て来る。それでも、この時代までは、目立った反動はない。しかし、この時代からは、ユダヤ人による反動が激しくなる。この反動は、異邦人が接近して会堂に入って来る人が増えるというよりは、ユダヤ教内部における変化である。聖書をギリシャ語で読むユダヤ人が次第に増えて、ヘブル語でないといけないと言うグループとソリが合わなくなる。
 メシヤが来るという先祖以来の期待を押し退けて、メシヤは来た、と信ずる人が会堂に増えて行く。このままではキリスト教が神の民の本流となる。そのことへの反動が強くなった。こういう反動がピシデヤのアンテオケでも見られるようになるが、すでにエルサレムでのステパノの虐殺事件で爆発したものである。さらに少し前、ナザレのイエスの十字架の死に、その端緒が現れている。このような動乱の中で、キリスト者たちは自分たちこそ、むしろ神の民の歴史の本流である、と確信を強めて行く。使徒たちの説教にはそういう確信が溢れている。
 すなわち、一筋の流れが先祖以来途絶えることなく続いているという簡単なことでない。一筋には違いないが、イエス・キリストが来られたことによって、或る意味での大転換が起こり、選ばれた民の流れの本流はキリストの民である、ということが明らかになった。この確信が満ち満ちたのである。「私たちの先祖」というのは、異邦人には他人であるということではない。「あなた方にとっても、これは先祖なのだ」と言っているのだ。ここが大事な点である。
 パウロはここでは、その道の大筋を示せば足りると考え、人物の名も上げない。「民がエジプト滞在中この民を大いなるものとされたことと、み腕を高く上げて、彼らをその地から導き出された」ことを言う。この歴史はすでに会堂でまた家庭で教えられていたから、詳しく教える必要はなかった。
 エジプト滞在中に奴隷にされて、苦役に服したのであるから、一般にエジプトは奴隷とされた忌まわしい思い出の地として覚えられている。しかしここでは、その430年の期間に、民が大きくなったことに注目されている。先祖ヤコブが飢饉を逃れるためにカナンの地からエジプトに下ったとき、創世記4627節によれば、総勢は僅か70人であった。彼らがエジプトを立ち去る時、出エジプト記1227節によると、女と子供を除いて、徒歩の男子は60万になっていた。民数記146節にはもっと詳しく603,550人と書かれている。
 しかし、大いなる民族集団になっても、彼らはエジプトの帝国のもとにいる奴隷である。この民の神を礼拝することすら自由でなかった。そこで、出エジプトの事件が起こるのであるが、この事件がイスラエルの歴史における最大の出来事であったのに、パウロは極く簡略に、「神がみ腕を高く上げて、彼らを導き出された」と言う。これは大いなる出来事であり、神のみ腕の業であった。
 この事件は、神が御自身の民の艱難を顧み、解放したもうたことであるが、単に記念すべき大事件というものでないことを旧約聖書はシッカリ教えていた。すなわち、神と神の民との間に契約が立てられ、民は律法を守るようになった。その律法の契約のことにパウロがこの説教の初めの重要事項の中で触れていないのはどうしたことかと疑問を持つ人がいることには先ほど触れた。しかし、神がみ腕を高く上げてなしたもうたということは、単なる奇跡ではない。来たるべき大いなる出来事の徴し、見本、前触れがあったことを意味するのである。
 「そして約40年に亘って荒野で彼らを育み、カナンの地では7つの異民族を撃ち滅ぼし、その地を彼らに譲り渡された。それらのことが約450年の年月に亘った」。
 荒野の40年は試練の期間として理解されるのが普通である。あるいは、もっと厳しく見るならば、一つの世代がカデシ・バルネヤにおける背反の罪の故にことごとく死に絶えるまでは約束の地に入らせなかった処置である。このことは忘れてならないのであるが、ことの反面、この40年間、日々の糧を得ることが出来ない荒野で、神はその民を手ずから養いたもうことを学んだのである。それは神が憐れみ深くて、民の必要を満たしたもうことの学びではなく、人が生きるのはパンによってでなく、主の言葉によってであるということを40年間学び続けるためであった。1歳の時にも、10歳の時にも、20歳の時にも、30歳の時にも、40歳の時にも、そのことを学んだ。したがって、彼らは御言葉の民であると自覚せざるを得ない。
 異民族を全滅させて、その町と領土と財産を奪ったことが聖書に書かれている。神の民とは、反対者を絶滅させることによって自ら立つ者のように見られる。旧約聖書にもそのように書かれている。キリスト教会の中でも十字軍によって敵を滅ぼすことは神の御旨だと言う人がいる。しかし、このことについて主イエスがどう教えたもうたかを見れば、議論の必要はない。彼は、殺すな、隣人を愛せよと命じ、さらに敵を愛せよ、と命じたもう。旧約の中には、確かに残虐な皆殺しが命じられている。しかし、旧約歴史を見れば、聖書の民は殺すよりは遥かに多く殺された。敵を殺し、奴隷化し、領土を征服し、これを植民地とするのは、キリスト教がより多くしていることである。
 確かに、神の民は、全ての人を祝福するという使命を帯びている。神は父祖アブラハムに「地の全てのやからは、あなたによって祝福される」と言われた。これがキリストにおいて成就している。ただし、イエス・キリストが成就したもうたことは、神の民が増えに増えて、頂点が天に達してなお増えるようなことではない。キリスト御自身は、己れを死に渡すことによって神の愛を明らかにし、恵みを成就したもうた。
 彼が愛の故に命を捨てたもうたことを、キリスト者が皆見習わねばならないとは規定されていない。だが、その道を歩む人は必ずしも多くないとはいえ、確かにいる。そしてそれは、全ての人に祝福を及ぼすことになっている。すなわち、その人は死を恐れず信仰と愛の証しを立てたが、復活の勝利を約束されているからこのことが出来たのである。――この死は、一人の犠牲死によって多くの人を死に至らせる報復の死とは全く別の種類のものである。報復のための死は、憎しみと恐怖を増幅することしか生み出さない。キリストの死は人を生かすのである。
 イスラエルの先祖たちの建てた国は他者を滅ぼす王国ではなく、キリストの王国において成就されることを予告したのである。


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