2005.02.13.

 

使徒行伝講解説教 第8

 

――2:1-3によって――

 

 

「エルサレムを離れるな」、「約束を待っておれ」、と使徒たちは命じられていた。彼らは忠実に従って、動かずに待った。何時まで待つべきかは示されていなかったが、神の計画のうちに時が定められていたと彼らが確信していたのは当然である。そして、その定められた時というのは五旬節であった。ただし、なぜ五旬節なのかは説明されていない。
 五旬節に聖霊降臨があったという事実は確かである。いつか知らないうちに聖霊が降っていたというようなことではなかった。内なる助け主であるから、受けた人自身にはハッキリ分かっている。これは予告されており、定められた時が来て成就した。しかし、なぜその日なのかという理由は教えられなかった。また、その時に一度だけしか起こらなかった事件でないということも把握して置かねばならない。
 例えば、4章31節に、「彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」と記されているが、これもまさしく聖霊降臨の事件であった。こういうことは何度も起こった。
 ヨハネ伝20章22節を見ると、主イエスは「聖霊を受けよ」と言って、弟子たちに息を吹き掛けておられる。この時には「聖霊が降った」とは書いていないから、これがヨハネ伝における聖霊降臨だと主張することは躊躇される。しかし、「聖霊を受けよ」と言って、息を吹き掛けたもうたのは、50日後に起こることを予告する演技であったのか。主が語りたもうことは必ずなり、しかもやがて起こるのは確かであると確信するだけでなく、語られたことが既に今「然り」であると信ずべきである。そう信ずるのを差し控えねばならない場合があるのか。むしろ、息を吹き掛けて「聖霊を受けよ」と言われた時に、聖霊が同時に降ったと見たほうが良いのではないか。ヨハネ伝で、主イエスは最後の夜、大事なことを教えておられるが、とりわけ大事なのは聖霊が与えられるとの約束であったことは言うまでもない。その約束が成就したのは五旬節であると普通理解されているが、復活された日の夜、「聖霊を受けよ」と言って、息を吹き掛けたもうた時が、実質的に聖霊降臨だと受け取ってもよいのである。
 大事なことは、聖霊降臨の事実が、五旬節に、使徒たちにおいて起こった歴史的事実として確認されているだけでなく、その後の時代にも、信ずる者一人一人において、キリストの名によって、事実として起こっているということである。だから、使徒行伝2章に記される出来事をシッカリ捉えることはもとより大切であるが、そこだけに聖霊降臨の事実を極限するのでなく、そこを起点として、全被造物に拡大される聖霊降臨の約束を思わねばならない。
 聖霊について聖書が最初に教えるのは、創世記1章2節であったことを思い起こしたい。「神の霊が水の面を覆っていた」と記されている。この聖句は聖書の冒頭に記されていることもあって、印象的な文章であるから、信仰者なら誰も記憶している。しかし、その意味が何かと問われるならば、明快に答える人は非常に少ないであろう。今日、その明快な解答を示そうというのではないが、今日の学びで、この御言葉の意味が格段によく分かって来るはずである。
 「神の霊が水の面を覆っていた」という状態は、言葉としては分かるとしても、無限に遠い彼方のことのように思われ、捉えたという感じにはならないのではないか。しかし、五旬節の朝9時にエルサレムで起こったことは、聖書の最初に書かれている記事に我々を引き込むのである。
 もう一つ、今朝思い起こす聖句がある。イザヤ書11章9節、「彼らはわが聖なる山のどこにおいても、損なうことなく、破ることがない。水が海を覆っているように、主を知る知識が地に満ちるからである」。――イザヤ書のキリスト預言の中で特に有名な箇所、「エッサイの株から一つの根が生えて実を結ぶ」うんぬんの聖句の結びの句はこうなっているのだ。ここでまた、一段と目が開かれたのではないか。水の上を神の霊が覆っていたのと比べて、ここでは主を知る知識が地を水が覆うごとくに満ちる日が来ると教えられる。
 主を知る知識が全地に広がる日になれば、主の霊が地を覆っていた世の初めのことに一歩近づくのである、と我々は今日教えられる。つまり、「神の霊が水を覆っていた」と聞いただけでは、掴み所がなかったかも知れないが、聖霊の降臨によって御言葉が語られ、主を知る知識が地の一角に打ち立てられ、それが地上に拡大して行く時、そこに主の霊が水を覆うという事実もあらわになって行く。
 創世記1章2節と、イザヤ書11章9節とを併せて考えるだけで、信仰に関してすでに消化し切れないほどの豊かな思いが湧き上がって来るのであるが、取りあえず整理をつけて置かなければならない。要点を最も少なく絞って、三つのことを確認して置きたい。第一は、御言葉と御霊との本来的な結び付きを見定めなければならないこと。第二に、御霊も御言葉も、人間の理解、知識、信仰と内的に結び付くのみでなく、広がって行き、地を覆い尽くし、満たすという働きがあること。第三に、全てを成就したもうキリストがおられなければ、御霊に関しても、御言葉に関しても、語られたことは何の力も持たないということである。
 さて、第1節である。「五旬節の日が来て、みんなの者が一緒に集まっていた」。
 「みんなの者」というのは、12使徒、次に1章14節にあった「婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たち」、さらに15節に出ていた120名ばかりの人、その人たちの全員である。
 五旬節について、出エジプト記を初めとして、律法の書に何度も書かれているが、レビ記23章15節以下に祭りの規定が記されている。「安息日の翌日、すなわち揺祭の束を献げた日から満七週を数えなければならない。すなわち、第七の安息日の翌日までに、50日を数えて。新穀の素祭を主に捧げなければならない」。
 出エジプト記34章22節には、もっと簡潔に「あなたは七週の祭り、すなわち小麦刈りの初穂の祭りを行なわなければならない」とある。
 麦の束を揺り動かす「揺祭」について、レビ記では今読んだところのその少し前に書かれ、その祭りの付属の祭りとして五旬節が行なわれ、その年最初にとれた新穀を神に献げて感謝する祭りであったと解釈されている。それなら、イスラエルがカナンに定着し、農業が主たる産業になった後に始まった農耕儀礼ではないかと考える人もいる。だが、農業関係の祭りとして五旬節だけが重要視されたのはどうしてか、分からない。
 主イエスの頃のユダヤ人は、五旬節を出エジプトの民が十戒を授けられた記念日と意味づけて重要視した。その解釈の方がイスラエルの救い全体から見て適切だと思われるのであるが、律法を授けられたのがその日であるとされた根拠は良く分からない。出エジプト記19章1節によれば、イスラエルの人々がシナイの山の前に着いたのは、エジプトを出て3月目のその日、すなわち15日であったから、丁度60日後であったことになるからである。
 とにかく、この日はイスラエルの男子はみな主の前に出るべき大事な祭りの日であると定められていた。必ず出なければならない日は、過ぎ越しと、五旬節と、仮庵の祭りの三つである。
 五旬節はユダヤ人にとって重要な祭りであったから、キリストの弟子たちも守ったのである。もっと後の時代にも、教会において五旬節を守る習慣が定着していたことが使徒行伝の中でも読むことが出来る。しかし、初めの頃、使徒たちがこの日の意義について特別な教えを受けていたわけでないことは、先にも触れた通りである。彼らが聖書研究の中でこのこそが聖霊の降臨に相応しい日だと悟ることもなかったと思われる。だから、特別な予想をもってこの日に臨んだのではない。それは週の第一日であった。ユダヤ人としては、むしろ週の第七日、安息の日を重んじるべきであった。事実、彼らは前日も皆集まっていたと思われる。けれども、彼らはまた集まった。週の初めの日は主の復活を記念する日であったからである。
 彼らはどこに集まったのであろうか。使徒たちの泊まっている市内の屋上の間ではなかったであろう。120人以上の人の集まる部屋が市内の普通の民家にあったとは考え難い。宮の中のどこかではなかったかと思う。多くの人々が物音に驚いて、すぐ集まることが出来たのも、五旬節の祈りをするために宮に来ていたからではないか。また、ペテロが今は朝の9時だと15節で言うように、朝9時の礼拝に来たのではないかと思われるのである。
 では、宮のどの部分か。「ソロモンの廊」と呼ばれる柱廊の二階の間ではかかったかと考えている人がいる。私もそうだと思う。ただ、その場所がどこであったかを確認しなければならないと考える理由はない。特別な場所に集まらなくても聖霊を受けることは出来る。
 「突然、激しい風が吹いて来たような音が天から起こって来て、一同が座っている家一杯に響き渡った。また、火のようなものが、炎のように分かれて現われ、一人一人の上に留まった」。
 突然こういうことが起こった。つまり集まった人たちが祈り求めて、その結果こうなったというのではない。何か音がしていたが、それが急激に高くなったというのでもない。人々の関知しないことが起こった。しかし、待っておれと言われて、待っている時にこれが起こったことは重要である。
 その時に聞こえたことと、見えたこととが、このように書かれている。先ず、「激しい風が吹いて来たような音がした」。この大音響を聞いて、人々は吃驚して、ここに駆けつける。実際に風が吹いたのか。その風によって建物が揺れ動き破壊されたのか。そうではなかったらしい。大音響が聞こえただけであったようだ。それは風の音だけのようであった。
 すなわち、これは御霊の降臨が風のような音を伴って起こったと示している。御霊は形も色もないから見えない。また、音もないから聞こえない。主イエスはヨハネ伝3章8節で律法学者ニコデモに言われた。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれる者もみなそれと同じである」。御霊の到来は見えない。分からない。
 霊の御業として、人を新しく生まれさせることがあり、それがニコデモには全然分かっていないことを指摘しておられるのであるが、御霊の働きを人間の感覚によって捉えることは許されない。聖霊が降ったことも、通常、見える形では捉えられない。けれども、
五旬節の場合は、御霊が降ったことが、その働きによって「他国の言葉を語らせる」業によって分かった。そのことは4節を学ぶ時に分かるのであるが、先ず、御霊の降臨の約束が成就していることを、御霊そのもの、また霊の働きそのものによってではなく、御霊の伴う徴しによって示したもうたのである。それは風の吹いて来るような音が聞こえたことと、舌のようなものが炎のように現われて、一人一人の上に留まったのが見えたことである。
 したがって、耳に聞こえた風のような音、目に見えた炎のような現象について、固執することは何にもない。音は天から起こったのであるが、これは聖霊が人々の心の中に起こされた作用というようなものと取るべきでなく、天から降ったということを表している。
 舌のようなものが、炎のように分かれて現われ、一人一人の上に留まったのも、徴しであった。すなわち、これは聖霊そのものではないが、どのように現われたかを分からせる徴しである。
 舌という単語、これは「言葉」の機能を持っていることを意味すると考えられている。人々が御霊によって新しい言葉、さらにそれは他国の言葉であったが、これを語り出したことを、舌という形が表した。ただし、舌の形に人々は余り馴染みがないし、舌の形は一定していないから、舌のようなものが現われたという判定も直ぐにはつかなかったであろう。これは舌の形であると少し経ってから分かったのであろう。
 「炎のような」ということは、見てスグ分かった筈である。炎は通例、燃やし尽くすもの、すなわち裁きの含みで理解されるが、ここでは裁きの意味はない。
 「すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろな他国の言葉で語り出した」。
 これを人々が異言を語り始めたことだと解釈する人は昔もいた。13節には「新しい酒で酔っているのだ」とあざ笑った人もいたと書かれている。悪意で見れば、いろいろ悪口が言えるような、騒然たる事件であった。
 異言というものは、今日のキリスト教ではほぼ蔑視されているが、昔のキリスト教会には異言の賜物を侮ってはならないという弁えが普通であった。今でも異言がないから現代のキリスト教は駄目なのだと主張する傾向の集団はある。異言についてはパウロがIコリント12章から14章で説いていることで殆ど尽きる。今日は立ち入らない。
 異言という語と外国の言葉という語は区別しにくい。しかし、五旬節の日に一同が語ったのは、異言だったか、外国語だったか、という議論はしなくて良い。異言については使徒行伝の学びの中で論じる機会があるであろう。ここでは議論の余地なく外国語を言う。それは、6節から11節に記されたことから明らかである。「あの人々が私たちの国語で、神の大いなる働きを述べるのを聞くとは」と彼らは感嘆する。
 外国語が語られたとは、一つなる福音が様々な言語で語られたということである。ある言語が他の言語に翻訳されることは決して珍しいことではなかった。既に古代にも諸民族を統合する大帝国の試みは繰り返し起こったが、そこでは支配者の言葉は他国語に通訳された。宗教の世界では、ユダヤ人は彼らの聖書をギリシャ語に翻訳していた。
 当時、ユダヤに住む人はユダヤの言語すなわちアラム語しか使えないのが普通であったが、ガリラヤではユダヤの言語とギリシャ語とを使いこなせる人が多かったらしいと言われている。1章13節の主イエスの弟子の名前を見た時にも、ギリシャ風の名前を持つ人とヘブル風の名の人と一目で区別が付くことを見た。使徒行伝を読んで行っても、6章の初めには「ギリシャ語を使うユダヤ人」、「ヘブル語を使うユダヤ人」という表現に出会わなければならない。キリスト者であるユダヤ人の中にも、主にヘブル語を使っている人と、主にギリシャ語を使っている人と、二グループがあった
 しかし、大多数の人にとって、言語の壁が大きい妨げであることは我々にも良く分かる。人々は言語の壁の現実を創世記11章のバベルの塔の説話を思い起こしつつ、半ば諦め、あるいは半ば来たるべき救い主の到来に期待した。
 バベルの塔の物語りは、昔、全地が同じ言語であったと言う。彼らが文明の発達によって慢心し、天まで達する塔を建てようと企画し、工事を始めた。神は彼らの企てを宜しとしたまわず、その言葉を乱されたので、共同作業は出来なくなった。
 だから、人々は言葉の一致する来たるべき日を待望していた。その日の来たのが五旬節であるとキリスト教では宗教改革の時代以来言っている。一つの福音を様々の言葉が語るようになることが世界の一致のキッカケになる。ただし、この考えは一頃、大いにもてはやされたけれども、今日は前途の困難を覚えずには語れない。人々は余りにも安易にそれぞれの国を神話化して、人類不一致の方向に自らを縛り付けている。
 人類の和合ということは、今日の聖書の教えの題材にはならないから、今はここで留めるが、御霊の力によって、言葉の違いを越えた信仰の一致の道はすでに開かれたのである。
 


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