2006.11.19.

 

使徒行伝講解説教 第75

 

――11:1-18によって――

 

 

 今日の礼拝の中で与えられる聖句、11章の1節から18節は、すでに10章で、カイザリヤにおける出来事として学んだことの説明である。この説明にさらに説明を加える必要はない。
 だが、この出来事が持っている意味について考えることは必要であろう。これを論争であると解釈して、興味をそそられる人たちがいる。なるほど、こののち、この論争が跡を引いていると思われる対立が教会に起こる。そこで、15章で見るように、エルサレムで使徒会議が開かれることになる。また特にパウロのガラテヤ人宛の手紙は、このことの発展だと見ることが出来なくない。すなわち、今日のところに「割礼を重んじる人」と呼ばれているグループと、それに反対して、割礼よりもキリストを信ずる信仰、また聖霊こそが大事である、したがって異邦人はキリスト者になる時、割礼なしでバプテスマに与ると主張するグループが対立したと見ることは出来る。使徒会議はこの後者を支持した。この対立を深く学ぶことが必要とされる場合はその後もあった。例えば、16世紀の宗教改革である。真理を守るためには、対立を明確化しなければならない場合がある。
 しかし、今日のところでその論争の問題を詳しく論じることは不要であろう。割礼を重んじる人の誤解に対して、ペテロが誠実に事実そのままをもって答え、人々はそれで黙ってしまい、神を讃美したのである。つまりペテロに同意し、ペテロのしたことに賛成し、対立は克服された。したがって、我々も対立が生じた場合にどのようにして克服するかの知恵と誠実と柔和をここで学んでおかなければならない。知恵と誠実と柔和を欠いたままで真理の主張をしては問題の解決にならない。
 それとともに、それ以上に大事なことがある。カイザリヤの出来事のところで繰り返し学んだように、分かっているはずのペテロに、まだ偏見が残っており、それが上からの示しによって克服された。このことの大切さを見なければならない。つまり、そういう偏見は我々にも起こり得るどころか、通常起こっていることについて、自らを戒めなければならない。我々も、善意のつもりでありながら、自己検討の足りなさの故に「割礼を重んじる人」と同じ過ちを犯しているかも知れないのである。教会の内紛は多くの場合「善意」や「熱意」と称するものから起こる。
 さて、エルサレムにはカイザリヤの出来事が聞こえて来て、それを問題にする人々がいたようである。それが少数の、物の分からぬ人であったか、多数者であったか、それを問題にしても得るところはない。ペテロ自身、少し前にはそうだったと自ら言うのであるから、みんな大なり小なり偏見の傾向はあったと見た方が、我々自身のために有益であろう。
 カイザリヤにおけるペテロの伝道が、俗的な言葉で言えば「大成功」して、異邦人が多数バプテスマを受けたことを聞いて、エルサレム教会の中で喜んだ人は多分多いに違いない。しかし、喜んだ人たちも含めて、「これで良いのか」、「そこまでやるべきか」と疑念を持つ人はいたのである。前例がなかったからである。
 異邦人が改宗することは旧約で預言されていたから、エルサレム教会がその預言を知らなかったとは言えないであろう。しかし、ペテロがカイザリヤでしたような異邦人への接近と伝道の実際が、預言者によって告知されていたのではないから、敬虔であろうとするユダヤ人で意外に思った人がいたかも知れない。ただし、彼らがこのように無理解であったのも無理がない、と同情すべきだと勧めるのではない。イエス・キリストがどういうことをなさったかを考えて見れば、直ちに明らかになる。
 イエス・キリストは、当時のユダヤ人から「汚れた者」として疎外されていたハンセン病者や、遊女や、取税人に近づいて行かれた。これは、彼を信奉する一般のユダヤ人にとって躓きになった。人々、わけても律法学者は、主イエスがそういうことをされるのは、自ら汚れた者になることだと排斥した。聖なる民にあるべからざることだと言った。しかし、主イエスは彼らと近づくことを止めたまわなかった。自らを健全な者と思う者よりも、汚れた者と決めつけられた人たちの方が救い主を必要としているからである。
 多くの人は去って行ったが、弟子たち、彼を信じる人たちは去らなかった。十字架と復活の経験を経て、キリストに従う人はさらに増えた。その人たちの間では、「汚れた者」を忌避することはなかったのか。キリストの教会は、キリスト御自身がなさったように「汚れた者」と呼ばれる人に接近したのか。そうした人もいる。だが、教会は一般にそうでなかったらしい。教会は全ての人に福音を宣べ伝える使命を感じているから、当然、全ての人に働きかける。そして、全ての人という場合、その大部分は貧しい人であったから、教会の大部分が貧しい階層の人たちによって構成されていたことは確かに言える。奴隷と自由人の格差はなくなった。しかし、イエス・キリストがなさったように疎外された人たちと交際するようにはならなかった。
 「汚れた者」と言われ、差別された人に対する偏見を捨てたキリスト者もいたと思う。人間差別をなくすためにキリスト教が或る程度影響した実情は認めなければならない。しかし、キリスト教の進展によって人間差別が消滅したと思ったならば、大間違いである。キリスト教国と言われる国において、人種差別や宗教差別、貧民や難民の差別や排除は偽装した形で行なわれている。
 しかし、イエス・キリストが偽装しておられたのでないことは明らかである。人はキリスト教といわれるものに帰依するのでなく、キリストそのものに立ち返らなければならない。人を「潔い者」と「汚れた者」とに分けることは許されないという究極的な規範は、キリストにおいて確かなのである。ただし、キリスト教は必ずしもそのことをハッキリさせなかった。したがって、キリスト以前のユダヤ人たちが心に持っていた人種差別は、観念としては否定されたとしても、実際はなくなっていなかった。
 10章から11章にかけて我々の学んでいる人間差別の撤廃は、たしかに或る意味でイエス・キリストの御業に触発されたものではあるが、まだ主の示したもうた完全にはほど遠い、不完全な、敢えて言うならば偽装されたものであった。このことを、かつてのクリスチャンは気付かなかったかもしれない。だが、我々は自分の中にある偽装を見落とさないように自己点検しなければならない。この問題が今日、一挙に吹き出している。それはキリスト教の問題でなく、キリスト教国の問題だと言えるかも知れないが、我々には関係ないとは言えない。我々はキリスト者と呼ばれるに相応しくなる悔い改めの修練にさらに励まなければならない。
 さて、割礼を重んじる人々が、ペテロを咎めて言ったのは、「あなたは、割礼のない人たちのところへ行って、食事を共にしたということだが……」という言葉である。「どうしてそういうことをしたのか」、あるいは、「こういうふうに言われているが本当なのか」という詰問らしい。
 特に異邦人と「食事」したことが問題にされた。そして、詰問した人たちは「割礼を重んじる人」と書かれている。それならば、「割礼なき異邦人にどうしてバプテスマを授けたのか」と問いただすのが自然であると思われる。だが、それには触れていない。一方、ペテロの答えは、食事には触れず、割礼なき人々にバプテスマを授けたことに集中する。
 話しが噛み合っていない感じがする。本来の事実の幾つかの点が欠損したのかも知れない。また、ペテロをカイザリヤに招いたコルネリオは、10章の初めで見たように「神を敬う人」として、カイザリヤのユダヤ人会堂に出入りし、民への施しに加わっていたので、ユダヤ人との交際はあった。「汚れた人」としては扱われていなかったから、食事を共にしたことは問題にならない状態であった。しかし、ペテロは答えの中でコルネリオに一ことも触れていない。
 コルネリオの名を出せば解決は簡単かも知れない。しかし、ペテロはそうしなかった。人間の事柄を持ち出して諒解を求めるのでなく、神の御業を証しするために、幻と御言葉が示されたので、示されるままに従ったこと、また、御言葉を語っている間に、聖霊が「最初私たちの上に降った時と同じように彼らの上にも降った」と説明した。
 それで、咎めた人たちは了解したのであるから、我々として言うことはないが、異邦人と食事を共にしないユダヤ人の仕来りに、この人たちが固執していたことは明らかである。
 ペテロがルダ、サロン、ヨッパの地方に伝道に行ったことをエルサレムのキリスト者は覚えており、そのために祈っていたであろう。そして、その地方から伝道の成果が上がったという知らせを受けていた。その段階で彼らはペテロがカイザリヤまで足を伸ばすとは考えていなかったのかも知れない。ペテロ自身にもその計画はなかったのではないか。彼は神の示しを受けてカイザリヤに行ったのであり、この啓示を受けなかったならば、ヨッパから先には行かなかったと思われる。すなわち、カイザリヤはユダヤ地方にあるが、異邦人の建てた町であり、現に異邦人の方が多く住んでいるところであったからである。だから、カイザリヤまで進出したというだけでも驚きであり、異邦人を受け入れてバプテスマを授けたことも驚きであり、特に彼らの驚いたのは異邦人と共に食事をしたことである。驚くことの順序が逆であるが、今はそれを取り上げるには及ばない。
 エルサレム教会では、キリスト者の共同の食事は、246節にあるように毎日のように行なわれていたが、ヘブル語を使うユダヤ人グループとギリシャ語を使うユダヤ人グループと別であったとは思うが、ユダヤ人キリスト者同士の食事だった。だから、ペテロが異邦人と共に食事をしたと聞いて驚いた。
 ペテロは、真に驚くべきことが何であるかを教えた。第一に、伝道者自身、思ってもいなかった伝道の道が主によって準備され、そして開かれた。5節から14節に記されているのがそれである。「汚れた物」を食べたことがないという精進をしていると思っているうちは、その精進が妨げとなって、見るべきことがなかなか見えなかったのである。そのことは自分の学習によってでなく、主から示されることによって分かった。
 第二は、15節以下である。それは1034節以下で何回もかけて学んで来たことである。異邦人の聴衆に向けて説教することは最初の経験であるが、思慮深く、しかし堂々と語ったことについては繰り返さない。ペテロ自身がこれまでユダヤ人に向けて語った説教と比べて少しも劣らない、むしろ、もっと思想的な幅と深みを備えたダイナミックなものと言える説教であった。
 ペテロはさらに二つのことに説き及ぶ。一つは聖霊の降臨である。「最初私たちの上に降ったと同じように彼らの上に降った」。この言葉は重要である。
 五旬節の朝、使徒と弟子の上に聖霊が降った。これが教会活動の出発点であり、これを教会歴史の源流であると見ても良い。しかし、聖霊の降臨は使徒行伝でしばしば学んだように、一回限りのことではない。
 聖霊の降臨を源泉になぞらえるのは良いが、この比喩には泉の流れが先細りする場合と混同される危険がある。実際、聖霊、聖霊、と叫んでいるが、その叫びがだんだん衰える、あるいはだんだん不純になるという場合が多い。それではいけないと思う人たちは、昔は良かった、昔に帰らねばならないと懐かしむ。しかし、主が約束したもうた聖霊は一回だけ与えられるものではない。終わりまで繰り返し与えられる。つまり、今もかの五旬節の時と変わらない御霊が我々に約束されている。だから、御霊を求める祈りを欠かしてはならない。
 もう一つ、ペテロはバプテスマについて語る。初期のキリスト者はユダヤ人であったから、割礼を受けており、その上にバプテスマを受けた。そのため、異邦人でキリスト者になった者は、先ず割礼を受け、そののちバプテスマを受けるべきだという考えの人が出て来て教会を撹乱した。しかし、この時までは、そういう事例はなかった。ピリポがエチオピヤ人にバプテスマを授けた時も、ペテロがカイザリヤに行った場合も、割礼をしないでバプテスマを執行する
 御霊が与えられた以上、割礼は要らないと把握したのである。すなわち、旧約の民に割礼が施されたのは、御霊が与えられるという約束の徴しであって、その徴しは成就したと確信させられる事実が起こった。だから、この成就が確認された以上、主の名において行なわれるバプテスマを人間が拒むべきでない、という主旨で、カイザリヤではバプテスマが行なわれたし、バプテスマのあるところでは、割礼はすでに全うされた約束の徴しであるから、無用となった、という意味で廃止されたのである。

 


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