「ペテロがこれらの言葉をまだ語り終えないうちに、それを聞いていたみんなの人たちに聖霊が降った」。
これは前回も少し触れたが、ペテロの説教が途中までしか聞き取れず、あとは異言による讃美の声に掻き消されるようになったということではない。では、実際はどうだったのか。その説明は私にはうまく出来ないが、要は、御言葉が与えられることと、聖霊が与えられることとの結び付きをこれは示すのである。使徒行伝2章の初め、五旬節の朝、聖霊が降って、それからペテロが説教し、人々がバプテスマを受けた出来事と、事の順序は違うが、内容は同じであった。
時間的なあとさきに拘っては意味を取り損なう恐れがある。ペテロが語り終えてから聖霊が降った場合もある、語っている途中の場合もある、語る前ということもあるのだ。時間的順序は、御霊を送り、御言葉を送り、またその名によってバプテスマを授けさせたもう主の自由に属する。我々としては、それらの一連の事柄が、切り離すことの出来ないように結び付いていると確認するだけで良い。
使徒行伝のここまでの歴史を振り返ると、御言葉、御霊、バプテスマの三つの組み合わされた出来事が重要事として、繰り返し語られているのに注目しないではおられない。すなわち、五旬節の朝9時に集まっている皆の者に聖霊が降った。その物音に驚いて駆けつけた多くの人にペテロは説教をし、結びとして、2章38節で、「悔い改めなさい。そして、あなた方一人一人が罪の赦しを得るために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、あなた方は聖霊の賜物を受けるであろう」と言った。聖霊の降臨はここでは新しく集まった人たちには約束であって、成就したものでない。では、いつ成就したのか。その日バプテスマを受けた時から成就が始まった。だから、その日から彼らは新しい生活を始めた。
しかし、その日に、聖霊が降るという目に見える出来事が起こったというふうには書かれていない。書かれていないから、そういうことはなかったのだ、と言っては問題であろう。御霊の働きが目に見えないさまで始まったことは、当然、理解しなければならない。しかし、幾らか日を置いて、彼らに聖霊が与えられる時が来るということも記録された。それは4章23節以下のところである。その31節に、「彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」と記されている。
同じようなことがサマリヤにおいて起こったと、8章に書かれている。そして今、カイザリヤにおいて、同じことが起こったわけである。「同じこと」と言ったが、今度は異邦人において起こったのである。この出来事について、ペテロはエルサレムに戻った後、11章15節で、「聖霊が丁度、最初私たちの上に降ったと同じように、彼らの上に降った」と言う通りである。だから、ユダヤ人にとっては大きい驚きであったことを今日は次の45節で学ぶ。それでも、別の種類のことではない。ユダヤ人であれ異邦人であれ、聖霊を賜ることは、神の約束の成就という一貫したことであった。したがって、時代を遥かに隔てているが、今の我々においても起こっているものとして把握しなければならない。
「割礼を受けている信者で、ペテロについて来た人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた。それは、彼らが異言を語って神を讃美しているのを聞いたからである」。
ヨッパからついて来た人たちはユダヤ人キリスト者、信仰者であった。割礼を受けた人たちであった。「割礼を受けている」という言葉は注意深く挿入されている。しかし「割礼」ということについて、今は詳しく論じなくて良いのではないか。この人たちは割礼のありなしをここでは問題にしていないらしいからである。確かに、11章2節で「割礼を重んじる者」と訳された言葉である。これは「割礼を重んじなければならない」と主張する人を指すことがガラテヤ書2章12節から読み取れる。それでも、ヨッパのこの人たちはカイザリヤでは異論を唱えなかった。
彼らは想像を絶したことが起こったと見たから、驚いた。「異邦人たちにも」という所に重点がある。しかし、異邦人にも御霊が与えられるという約束は、旧約聖書にも書かれている。そこをキチンと読んでいなかったと言っても良いだろうが、そういう批判をするよりは、ユダヤ人として無意識のうちに持っていた民族的偏見の問題と見た方が適切であろう。ペテロ自身にもこの時に驚きがあったと推測して良いであろう。彼自身、分かっているつもりでいて、実は分かっておらず、異邦人に対する偏見がないと思っていながら実はあったということを先に見た。つまり、我々にも偏見があることを弁え、ここから脱皮する修練がつねに必要なのである。
ヨッパからついて行った人たちは、入信の前か後かは分からぬが、タビタが死んで蘇生した出来事に触れていたのは確かである。さらにその前に、ルダでアイネヤという中風の人のキリストによる癒しのことも聞いていた。それはルダとサロンの全ての人を信じさせる徴しであったことも9章35節で読んだ。その時に見たように、この出来事には「シャロンの野の麗しさ」という象徴的な表現を用いたメシヤ預言の成就ということが捉えられていた。
ここで信じた人たちは、徴しを見たから信じたという程度の信じ方でなく、預言の成就を知って信じたのである。それが正しい捉え方である。そういう人にも偏見があったということを今学ぶのである。
どういうことかと言うと、彼らはユダヤの民における預言の成就しか視野のうちに入れていなかったということである。その視野の外における神の御業については考えてもいなかった。それを偏見と呼ぶのは酷かも知れないが、イエス・キリストの告げたもうた良き音ずれは、確かに普遍的な、全世界の喜びなのであるから、民族的偏見は消え失せなければならなかった。
ユダヤ人のうち、比較的広い見解を持つのが、ギリシャ語を用いる「ヘレニスト」と呼ばれるグループであった。ヨッパのキリスト者はそれであったらしいということを、タビタの名が「ドルカス」というギリシャ語名で呼ばれているところから推し量って良い。だが、その広い見解も、「民に与えられていた約束」ということを自分の民族にしか適用していなかったらしい。それを悪意とか偏狭とか言うことは、当たっているとしても意味はない。キリスト教会の中にも自らの偏見の打破を考えようとしない悪弊があることをむしろ考えよう。
大事なのは、御言葉を聞いて信じ、悔い改める者に、御霊が与えられることである。これは、前回の箇所で「イエスを信じる者は悉く、その名によって罪の赦しが受けられる」と言われたのと同じことではないが、全く良く結び付く。
ヨッパから来たキリスト者は、ユダヤ人に聖霊が降るのを見て、驚かなかったということではない。当然、驚いた。そして、約束の成就であると喜んだ。しかし、今回は異邦人に聖霊が降る。これをあり得ないこととして神に反発したのではない。11章で見るエルサレムのユダヤ人キリスト者は、結局はペテロの報告を受け入れたのであるが、初めは反対していた。それとは違って、ヨッパから来たキリスト者は、ペテロの教えを聞いていたからであろうが、殆ど同時に受け入れて、讃美に加わった。しかし、そこには、偏見が取り除かれるという一つのプロセスがあったことを知って置いた方が良い。
44節には「聖霊が降った」と言われた。45節には「聖霊の賜物が注がれた」と言う。46節には「異言を語って神を讃美した」と書かれている。この3つの言い方のそれぞれについて、詳しく解き明かすことは大いに有益である。だが、今日は次の句まで進んで置きたいので、簡単に済ませるため、これを一括して捉えて置く。「異言を語ること」と、「神を讃美すること」は確かに別の言葉で、区別した方が良い場合が多いが、「異言」はここでは、聖霊によって、これまで語り得なかった言葉を語るという意味であり、具体的には「讃美」である。この人たちがこれまで神を讃美することが全くなかったわけではない。しかし、本格的な讃美ではなかった。
ここからバプテスマの執行に入って行く。
異邦人が御言葉を聞いて、信じ、聖霊を受けた。バプテスマを受けていないが、それはどうでも良いことと思われるかも知れない。しかし、ペテロは主イエスが「バプテスマを施せ」と命じたもうたことを無視してはならないと思っている。主が命じたもうたのは意義あることだからであり、その命令に従わねばならない。
「そこで、ペテロが言い出した、『この人たちが私たちと同じように聖霊を受けたからには、彼らに水でバプテスマを授けるのを、誰が拒み得ようか』。こう言って、ペテロはその人々に命じて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせた」。
「バプテスマ」の意味についてペテロは何も教えなかったように見えるかも知れない。しかし、37節で「ヨハネがバプテスマを説いたのち……」と聞いた通り、ヨハネから始まった「バプテスマ」は、先触れの徴しであった。そして、それがナザレのイエスによって引き継がれた時、事柄の成就である「罪の赦し」と「潔め」と「聖霊を受けること」とがあることが確定的に示されるのである。
台風とか、ハリケーンとか、竜巻とか、卑近な譬えを用いて描き出したように、イエス・キリストを中心とする力強い出来事が、どんどん大きくなって行った。今や、カイザリヤの異邦人たちもその渦に巻き込まれて行くのである。そのことを目に見える姿で示すなら、バプテスマの執行という儀式になるであろう。ペテロはそのようにバプテスマを捉えている。
ペテロのバプテスマ理解が、そのように拡大して行くだけの社会的現象であったと考えてはならない。全ての福音書は、ナザレのイエスがヨハネからバプテスマを受けられた時、御霊が降ったことを語っている。すなわちどの福音書も、この時に天から鳩が降ったことに触れている。この時、主イエスが初めて御霊を受けられたということでは勿論ない。むしろ、我々においてバプテスマと御霊を受けることとが結び付いていることを身をもって示したもうたのである。
言葉を換えて言えば、イエス・キリストがバプテスマを受けたもうことによって、バプテスマの意味は完成したのである。「イエス・キリストの名によるバプテスマ」とは、キリストに与ることによって御霊に与ることの「確認」、あるいは「先取りの保証」である。そのことが目に見える徴しとして与えられるのだが、その徴しは一つの儀式として行なわれるということも我々は知っている。儀式は見せ掛けの荘厳さではないが、聖なる恐れをともなう。それは芝居がかった真似ごとをすれば良いということではない。
その儀式のやり方は、「キリストの名によって」、あるいは「父と子と聖霊の名によって」ということと、「水によって」ということが定められているだけである。この点さえ守れば良い。しかし、考えて置いて良いことがもう一つある。
8章で学んだが、ピリポがエチオピヤの宦官にバプテスマを授けた時、宦官は「ここに水があります。私がバプテスマを受けるのに何の差し支えがありますか」と問うている。それに対してピリポが答え、さらに宦官が信仰の告白をしたことは、我々の用いる聖書では括弧のなかに入っている。すなわち、最も古い写本にはその部分がないからである。それでも、何らかの問答があったと考えられる。
カイザリヤで、ペテロは「彼らに水でバプテスマを授けるのを誰が拒み得ようか」と言う。この問いには答えがない。しかし、あったかも知れない。答えはなかったとしても暗黙の答えがあったと見るべきではないか。すなわち、「異議ありません」と答える人はいた。ここではヨッパから随いて行った割礼あるユダヤ人キリスト者が答えた。
通常の洗礼式では会衆が立ち会う。そこには、この人の受洗についての暗黙の同意と確認がある。会衆が同意と確認の意思表示をするという形式でバプテスマを執行する教会もある。そういう形式が定められねばならないとは思わない。しかし、暗黙の確認があり、従って神讃美があることに注意を払わないならば重大な欠陥である。
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