ペテロの説教は、使徒行伝のいわば「柱」、あるいは「背骨」のようなものであると我々は理解している。2章14節以下で彼の最初の説教を聞いた。それと比べると、10章34節以下に記される彼の説教は、かなり短く纏められている。実際はこんな短いものではなかったであろうが、聖書の話しを初めて聞く人たち相手であるから、内容は平易で簡単であったのではなかろうか。
また、容易に気付くことだが、五旬節の説教には旧約聖書からの引用があって、それが大きい位置を占めていたのに対し、カイザリヤにおける説教では、旧約からの引用文がない。エルサレムでは聴衆の全てが聖書を読んでいた。カイザリヤの説教でも、ナザレのイエスの出来事には触れられているが、聖書の引用はない。異邦人であってもユダヤに来ているのだから、この時代を揺り動かしたナザレのイエスの噂は聞いている。しかし、それをキッカケにユダヤの宗教を学び始めたという人はいない。説教を聞く会衆が全員、予備知識のない人であったのだから、旧約を引用することはなかった。ただし、旧約の内容は説教に盛り込まれている。
これは、異邦人に対してなら、旧約聖書は教えなくて良いということなのか。そうではない。旧約の約束は全世界の人々に共通に示された真理である。しかし、旧約のことから説き始めなければならないと規定してしまうと、また窮屈なことになる。今集まっている異邦人たちに対して、端的に福音を語らなければならない。
それでも、ここに導入部を置いた方が良いとペテロは判断し、そういう話しを先に始める。「神は人をかたより見ない方で、神を敬い、義を行なう者はどの国民でも受け入れて下さることが、本当に良く分かって来ました」。――これは導入部であるが、単なる前置きではない。
ペテロは、自分自身が「良く分かった」と語ることによって、聞く人々をも同一の理解に引き込むのである。これは話術ではなく、彼自身にとっても今初めて分かったこととして、この真理をハッキリと、みずみずしい感銘をこめて告げ知らせる。福音を語るのはいつもそういう語り方である。
「神は人をかたより見たまわない」。――これは平易な原理である。しかし、分かり易く納得が行くというだけでなく、人々が引き込まれるように聞き入るほどの、魅力ある呼び掛けである。つまり、これを聞いた人々は「そうなのだ、我々は人をかたより見ることをしない神を求めていたのだ」と気付いた。
その頃ローマは世界帝国を築き上げ、世界の征服者になっていた。大部分の人たちは支配されて、少数のローマ市民が支配権を行使した。ローマに劣らぬ文明を持っていた国々も、ローマとの戦争に敗れて征服された。征服された民衆は奴隷となってローマ人に仕える。当然、彼らは不満を持ったであろうが、ローマの支配を脱却することが出来なかったので、ローマ帝国の権勢はまだ何世紀も続く。何故そうだったか、という議論は避けて置くが、人々がローマの支配に満足していたわけではない。
このような世界帝国に、いろいろな宗教が流入して、盛んになったことが知られている。この事情を論じることに意味があるとは思わないが、その一つのキリスト教が他宗教より激しい迫害を受けつつ、次第に伸びて行った事実は一瞥して良い。そのように伸びたのは、この世の矛盾に苦しむ人々に受け入れられたためである。「人を偏り見ることをしない神がおられる」という言葉は、福音と呼ぶには確かさがまだ足りないのであるが、これだけでも人々を納得させ、期待を持たせることが出来た。それぞれの民族がそれぞれに偶像神を考え出して、それを拝んでいたが、世界帝国の時代になると、これでは具合が悪い。真の神は超越者であられ、公平に見ておられ、その神のもとで人々は平等でなければならない。こういう願望が起こってくる。
「人を偏り見てはならない」という原理は神の律法の重要な要素である。すなわち、これは人間社会の秩序がこうでなければならないという神からの規定である。旧約の民がこの掟を守ったとは言えないが、理論的にはこうでなければならないことは神を知らない者にも分かる。そして、同時に、このように命じたもうお方御自身、人を偏り見たまわないということが明らかになる。神は義であって、人に公平と正義を求めたもう。
ただし、ペテロがここで言おうとしたのは、先にヨッパで彼に示された幻から論じても、ユダヤ人と異邦人の格差を神は破棄しておられる、ということである。それはユダヤの宗教に通じた人にこそ理解できる宗教上の論であって、人間の平等を直接に主張した政治思想ではない。それでも、結果的に「万民の平等」という事態になって行ったのは事実である。そういうことが、ここで聞いている異邦人の心に何か響くものがあったと考えて、間違いとは言えないのではないか。
神は人を偏り見たまわない。それでは、どう見ておられるのか。「神を敬い、義を行なう者なら、どの国民でも受け入れて下さる」。――それは何を言おうとしたものか。第一に、ペテロ自身の変化である。汚れた食物は食べない、という生活様式の象徴のもとに、異邦人を隣人として受け入れず、あるいは異邦人の内にあるものに関心を示さなかった自分自身が変革させられた、という告白である。言葉を換えて言うならば、キリスト教会はこれまでユダヤ人だけで構成されていて、異邦人は入りたくても入れない、壁が立ちふさがっていた。この壁が砕かれた、ということである。
第二に、「神を敬い、義を行なう者は、どの国民でも受け入れて下さる」とは、実例としてはコルネリオという人物を指す。コルネリオはすでに受け入れられていたのだ。恵みが先行していた。それは人の目に見えなかった。特にユダヤ人は、律法を行なうという条件にこだわり過ぎていたため、恵みの現実が見えなかった。見えないとは無関心、無頓着である。だが、だんだん見えて来た。
神が「受け入れて下さる」とは、どの程度までを指すのか。コルネリオのために天国の門が開かれているというのか。門のなかに既に入っていることまで確かめられるということなのか。この問題は詮索しない。恵みは先行する。人はそれを後から確認して随いて行く。そのことが捉えられ、また恵みは一瞬のものでなく全生涯を覆うものだと分かっておれば良い。では、どういう人が受け入れられるのか。
「神を敬う人」という言い方について、この章の2節で学んだ。ユダヤ人ではないが、会堂に出入りし、聖書をギリシャ語訳で讀み、神を信じ、敬虔な生活をしている人、そういう人がキリスト教伝道の広がる前夜から若干おり、増えつつあり、彼らのことを「神を敬う人」、あるいは「神を恐れる人」と呼ぶ習わしが出来ていたのである。「神を恐れる」とは、旧約聖書では最高の知恵として位置づけられたことである。この人たちが割礼を受け、ユダヤ人に成りきったならば、「改宗者」と呼ばれる。コルネリオは家族と共に神を敬う生活をしていたが、割礼を受けた改宗者ではない。
「神を敬う」のと対をなすのが「義を行なう」ことである。「義を行なう」という表現が、「神を敬う」と同じように教会の慣用句になっていたわけではない。しかし、古くから使われた言い方である。ここでは「神を敬う」は信仰の面を言い、「義を行なう」は、その信仰が証しを伴うものであって、口で言うだけのものでないという含みで、行ないの面を言う。「行ないによるのでなく信仰によって義とされる」というのは、ローマ書で学ぶ重要な教えであるが、ここでその議論をしているのではない。
行ないが自分の努力、自分の功績に頼り、したがって神の恵みにひたすら頼ることと対立するならば、「信仰か行ないか」という二者択一が厳格に問わなければならない。しかし信仰と行ないとが一対になっていることは、教会では普通に受け入れられている原理である。この二つを引き裂いてはならない。
コルネリオがどういう義の行ないをしていたかについてもすでに見た。すなわち、2節に記されていた民への「施し」である。それは31節で再度注目させられたが、コルネリオに対し、御使いは「あなたの施しは神の御前に覚えられている」と言った。「施し」を人は余り高く評価しないかも知れない。偽善の業として行なわれる機会の最も多いのが施しだからである。しかし一般論ではなく、コルネリオの場合は神に覚えられ、神に受け入れられていた業だから、これ以上論じることは今は要らない。今日は触れないけれども、施しについて、ディアコニアの観点から論を深めることが必要だと思う。
「神は人を偏り見たまわないから、異邦人であっても受け入れられる」と聞くだけで喜びが味わわれる。しかし、納得してそれだけで満足できても、救いの確かさは何も掴めていない。一種の人生観であっても、信仰ではない。イエス・キリストが来られたという福音が説かれなければならない。ここで、導入部の次、本論になる。
36節「あなた方は、神が全ての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、イスラエルの子らにお送り下さった御言葉をご存じでしょう。それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土に広まった福音を述べたものです。神はナザレのイエスに聖霊と力を注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押さえつけられている人を癒しながら、巡回されました。うんぬん」。
ここはなかなか難しいと感じる人が多いであろう。例えば、ペテロが異邦人に向けて「あなた方は御言葉をご存じでしょう」というのを聞いて、何のことか。御言葉を初めて聞く人たちではなかったのか、と思う人がいる。確かにその通りである。口語訳聖書にある訳文では筋がよく通らないので、いろいろ工夫を凝らして訳が付けられる。別の訳を見ると、また別の疑問が生じて来る。つまり原文が分かり難いのである。
事情はこういうことである。この部分は、初めペテロがギリシャ語でカイザリヤの異邦人に説教したものであるが、ユダヤ人の言葉で記憶されユダヤ人によって言い伝えられた。それが後にギリシャ語に翻訳されて、使徒行伝に記されたが、ルカの書き下ろしたギリシャ語でなく、引用されてここに入った。そのため、その名残が読み取れると説明する学者が多い。
私にはそうだと断定するだけの力がないので、ナルホドと感じるだけである。では、解釈はどうなるのか。語学的には十分説明出来ないが、信仰の光りに照らして、何度も読み返すうち、このようにしか読めない、という読み方に大体のところ落ち着く。
意味から言うと、こういう言葉であった。「あなた方はユダヤにおいて起こった出来事を知っている。すなわち、ナザレのイエスの出来事である。この出来事はヨハネのバプテスマの後、ガリラヤに始まり、ユダヤ全土に及んだものであって、神がナザレのイエスに如何に聖霊と力を注ぎたもうたかについての報せである。神がともにいます故にイエスは良き御業をなしつつ歩まれ、悪魔に支配されている者を癒された。これは神がイスラエルの子たちに送られた言葉であって、全ての者の主であられるイエス・キリストによる平和の福音である」。
36節から43節までが「キリストの福音」としてペテロの語った言葉の要約であることは容易に理解される。いわば石造りの建物の一旦崩れて建て直したものを、もう一度バラして組み直す作業をするようなものである。材料は残っているから、一つ一つの部分について見て行けば、順序としてはペテロの言った通りでないとしても、全体は間違いなく掴めるのである。
それで、一挙に全体を論じることはせず、また、どの順序が最も適切かを論じることは我々に無理であるから、さきに上げた日本語の順序にしたがって読んで行こう。
「あなた方はユダヤにおいて起こった出来事を知っている」。ペテロはコルネリオを初めとする異邦人たちにこう呼び掛けた。「あなた方はユダヤの地に来ているから、先年、この国の人々に衝撃を与えた事件について聞いたであろう。すなわち、あのナザレのイエスの事件である」。
カイザリヤに住む異邦人の間で、直接の大きい話題ではなかったかも知れない。しかし、主の復活された日、クレオパともう一人の弟子が、エルサレムからエマオに向けて歩いていた時のことを思い起こそう。同じ道を行くもう一人の旅人にクレオパは話し掛ける、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起こったことをご存じないのですか」。
イエス・キリストの十字架の事件が如何に一世を震駭させたかはこの会話一つでよく分かるであろう。エマオへの道をさらに先に延ばせばカイザリヤである。単なる風評としても広がって行く。異邦人の中でもこの話題は広がったであろう。
さらに思い起こすのは同じルカ伝の記すゴルゴタのくだりである。十字架刑を執行した部隊の百卒長は「ほんとうにこの人は正しい人であった」と言わずにおられなかった。ナザレのイエスの事件はそのようなものとして、この百卒長の本営のあるカイザリヤに届いたのではないか、と思わせられる。カイザリヤの市民にとって、無縁な事件ではなかった。そのように先ず、キリストの名が異邦人の心にも刻みつけられたのである。
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