2005.02.06.

 

使徒行伝講解説教 第7

 

――1:17-26によって――

 

 イスカリオテのユダの呪われた死について、使徒たちが聖書から読み取ったことは、「務め」という一点をめぐってであった。――初めから呪われていた者なのだから、裏切りをし、自業自得の呪われた死を遂げたのは当然の帰結である、というような因果応報の通俗的教訓を中心として読み取ったのではなかった。史上最も悪質な罪の行ないであったから、最も呪われた死に方をして当然である、という考えが彼らの頭をかすめたことはあるかも知れない。しかし、主イエスの死について好意的とは言えない見方をしている人たちに、どう弁明すれば良いか、ということに彼らは頭を悩まさなかった。この点に注目させられる。
 務めに立てられていた者がそこから落ちて行った。務めが空席になった。それは聖書の預言の成就である。それならば、同じく聖書の成就として、その務めが他の者によって代わって受け継がれて行くべきである、というのが使徒たちの聖書研究で得た結論であった。
 すでに触れたことであるが、使徒たちは一緒に集まって、旧約聖書、特に詩篇を讀み合って、預言されていたことと、キリストの死において成就したこととが符合するのに、ただただ驚き、圧倒されていた。そして、詩篇の中にイスカリオテのユダに関する預言があるのを発見した。先ず、義人が悪人から迫害を受けている中で詠んだ詩篇69篇25節である。
 「その屋敷は荒れ果てよ、そこには一人も住む者がいなくなれ」。――我々の普通用いている口語訳聖書では、「彼らの宿営を荒し、一人もその天幕に住まわせないで下さい」となっている。
 言葉が同じではないが、使徒行伝をギリシャ語で書いた著者ルカは、この書の読者が旧約聖書を開いて照合する時の便宜を考えて、読者は皆ギリシャ語で旧約を読む人たちであるから、ギリシャ語訳の詩篇の本文をここに書き写したと解釈して良いであろう。ところが、ペテロたちがエルサレムで実際に詩篇を調べていた時、その詩篇のテキストはヘブル語であったと考えられるが、このことでこれ以上詮索しても混乱するばかりであるから、ここで納得して置こう。
 使徒行伝にはユダの地所が「血の地所」と呼ばれるようになったと書いてあり、マタイ伝では、27章7節に「血の畑」と呼ばれるようになったと述べ、その経緯の叙述も同じではないが、事件から幾らか年月を経た後に、食い違いが生じたことについて議論しても意味はない。
 とにかく、ユダの「地所」あるいは「屋敷」が荒れ果てて、住む人のない土地になってしまったことと、ユダのポストが空いてしまったこととを掛け合わせて、使徒たちは預言の成就だと見た。
 次に、もう一箇所ある。すなわち詩篇109篇8節後半で、「その職はほかの人に取らせよ」とある。口語訳聖書では、「その財産をほかの人に取らせよ」となっている。この言葉の違いは、先に詩篇69篇について言ったのと同様の説明によって一応解決がつくであろう。「財産」というのと「職」、(これは教会を指導する職務の意味で用いられる言葉である)という言葉の違いは小さくない。だが、使徒職の意味では、引用する人はいよいよ好都合と思ったのであろうか。
 さて、ユダの生き方と死に方について、またここに至った彼の屈折した心理について、これまで多くの人が論じて来たが、これを考えて見ることは無意味ではないではないか、と思う人が我々の中にもあり得るであろう。しかし、そういう聖書研究では、興味を満足させることは出来るとしても、我々を生かす福音は何一つ聞き取れないし、教会を建て上げる知恵は学べない。
 あの惨めな死にざま、これは大いなる恩義を受けた師キリストに逆らう裏切りが如何に恐るべき罪であるかを示す見せしめである、というような取り上げ方に、使徒たちは余り関心を持たなかった。彼らはここで、イスカリオテのユダという人物のあれこれを論じるのでなく、ユダがかつて持っていた、そして自分たちも今持っている、使徒の「務め」について、聖書全体から学び直した。これが前回17節について我々が聞き取ったところである。
 ただし、使徒の務めの内実についての考察を始めたということではない。その内実の件については後で触れる。ペテロが今論じているのは、ユダの人物でなく職務であるが、それも職務内容ではなく、職務の外側の形式とでも言うべきこと、すなわち、ユダの占めていた場所、地位、ポスト、あるいは名義であった。このことに注意を向けて置くことは無駄ではない。職務の内容に関心が向けられたならば、内容あることを何一つ果たさず、それどころか取り返しの付かないマイナスをしでかしただけであったユダを呪うしかなかった。そして、そこからは何の実りも得られないであろう。
 務めの中味を離れて、外側のことを論じるのは空しいではないか、という意見がある。それはもっともである。ユダのような露な裏切りでなく、一応その務めを型どおりに果たしているが、生命が抜けてしまって、魂を傾けて職務を果たさない。それで良いのか、と問われるであろう。それはまた別に考えなければならない大事な問題である。しかし、今はペテロたちがどのように聖書から読み取っていたかを学ぶのであるから、我々も脇道にそれないで、真っ直ぐに示されたままを読み取ることにする。
 ユダの裏切りは人間の歴史の中で後にも先にも類のない大犯罪である。しかし、ややそれに似ていると言えなくない事件は、キリストの教会の中で数え切れぬほど起こって、我々を傷つけている。そういう場合、「あの人は本来教会の人ではなかったのだ。羊の皮を被った狼だったのだ。彼のポストはあるように見えていたが、実はなかったのだ。我々は欺かれていたのだ」。そういう解釈で決着を着けるやり方が普通行なわれているのではないかと思う。しかし、ペテロたちの姿勢はそうではなかった。このことは我々もキチンと考えねばならない。
 「イスカリオテのユダの選びと任命は、なかったことにしよう。事実なかったのだから」という提唱がペテロによってなされたのではない。ユダが主ご自身によって選ばれていたことは事実であるし、ユダによって占められていたポストは彼の裏切りによって消えてなくなったのではない。この職務については25節には「使徒の職務」と言われている。使徒以外の職務を果たすために、12人の中に選び入れられていた、という理解ではない。
 そして、キリストがある人をある務めに立てたもうたということは、その人が職務を果たさず、空しく滅び去った後、職務、あるいは職位も消えて行くというものではない。これは形式的な職務理解と見られるかも知れないし、その危険は確かに常時ある。だが、極論すれば、人はいなくなっても務め、職位は残っていると言える面があるのである。だから、務めにつくよう命じられた者は、その務めを重んじ、職務が名目だけにならないようにしなければならないし、他の人の務めについてもこれを重んじられなければならない。
 ユダの務めとして、どういうことが割り当てられていたかは我々にはよく分からないし、論じても始まらない。ただ、ペテロたちに分かったことは、主が12人を立てたもうたのであるから、その務めを重んじるため、12のポストがなし崩しに消えて忘れられて行くのでなく、揃っていなければならないと考えられた。12人が11人になっても、さらに10人、9人、8人と減って行っても、みんなが人一倍頑張れば構わないではないか、と考えたのではない。欠員が生じた今、補充をしなければならないと思った。それは数だけのことではないか、と言われるであろうが、今はまさにその数、12という数が重要である。数で大事なことを象徴するのであるから数が揃わなければならない。
 このようにして数を揃えるために立てられたマッテヤが、その後どういう働きをしたかについて、我々には何も分かっていない。けれども、どういう仕事をする人だから務めに立てられなければならないという、仕事本位で務めを考えるべきではない。それは人間の事業を考える際に事業の成績を中心として考える発想である。神の国について考えるには、別の考えをしなければならない。
 12という数はすでに6節を学んだ時に示された通り、イスラエルの王国の回復を告げ知らせる意味を持ったのである。それとともに22節には「私たちに加わって、主の復活の証人にならねばならない」と語られているから、12人の務めの中味、実質、目標として、キリストの復活の証人となることがあったのは明らかである。
 そのような証人になるための資格というか、規定された条件が数え上げられた。一つは、ヨハネのバプテスマの時から始まって、主が天に上げられるまでの期間を満たしていなければならない、ということである。二つは、キリストの事実の体験や見聞という点で他の11人と一緒だったという条件がある。
 復活の証人というところに重点があることは言うまでもない。パウロは自分が使徒であることが疑われた時、「私は主を見たではないか」と絶叫した。彼はまたガラテヤ人に対し、その3章1節で、「十字架のキリストが目の前に差し出されているのに、惑わされる余地はないではないか」と言うが、そこに決定的なことがあると言っているのと同じである。
 キリストの十字架、またキリストの復活の事件を体験した人も、一人死に、二人死んで、目撃証人はついに一人もいなくなる時代になった。その時はキリストの証しがもう成り立たなくなったのかというと、そうではない。なぜなら、もともと証しはキリストご自身が立てたまい、父なる神も証ししたまい、聖霊が証ししたまい、そこに僅かに目撃証人の入り込む余地が認められるという構造になっていた。そして、目撃者は死に絶えても、キリストの事実に生きる証人はなくならず、キリスト証言は初めに変わらず終わりの日まで連綿と続くようになっているからである。このことは、マッテヤが補充されたけれども、12人が揃えば直ちに活動を始めるというものでなかったことを見れば良く分かるはずである。
 証人たる者の関わりはヨハネのバプテスマから始まっていなければならない。我々の間ではこのことの重要性はしばしば見落とされているが、これが厳密に言って使徒に求められたのである。だから、狭く解釈すれば、遅れてキリスト者となった者にはこの資格はない。ヨハネの時から始まるということの本質が把握されておれば、使徒的職務に適うと言うべきであろう。だが、それは暫く後で言えることである。
 ヨハネ福音書1章7節は、バプテスマのヨハネが来たのは証しのためであると教えた。もろもろの人を照らす真理の光りがあって、世に来た。しかし、世は彼を知ろうとしなかった。その世の中に真理の光りの証しをする人が遣わされて来て、その証しによって光りを信じて救いに至る人が起こって来た。その証し人がヨハネである。そこからしかキリストの救いは展開しない。だから、どの福音書もバプテスマのヨハネのことを詳しく伝えている。
 「私はキリストではない。その前に遣わされる荒野に叫ぶ声なのだ」とヨハネは明言した。キリストの時代に繋げる繋ぎ目のようなものであるから、キリストを知った人にとってはヨハネはなくても良いと思われる。
 しかし、荒野の声があって、その後にキリストが来られるという順序が神の計画の中で指定されていた。この計画の理解は救いに関する知識の一部である。したがって、それが使徒の宣教の一部でなければならない。使徒はバプテスマのヨハネを知っていなければならない。
 それ以前、ナザレのイエス、ヨセフとマリヤの子イエス、その生い立ちについては聖書はそれほど重点を置かない。ということは、受胎告知や、出産や、12歳の時のエピソード、兄弟たちと姉妹たちがいたこと、大工であったことなど、これらは彼のキリストたることにとって決定的に重要であるとは言えないことだからである。初めの30年間イエス・キリストは公的な活動をしておられなかった。
 バプテスマのヨハネのもとで洗礼を受けて、主イエスは福音の宣教を開始された。その洗礼はキリストがキリストであることの徴しである。その初めの時から全部見ている必要があったのか、というと、あったのである。すなわち、キリストが見える姿で来ておられ、御言葉を語り、徴しを伴わせたもうたことについて、又聞きでなく、実際に体験した人でなければ、証しを聞いた人から質問があった場合に答えられない。言いたいことだけを言えば証言になると思ってはならない。反対尋問というものがあって、それに答えられるだけの材料を持つ人でなければ、証人の資格はないのである。
 キリストそのものについては、彼がキリストとして御言葉を語り、キリストとして御業をなしたもうた限りのことについて、責任をもって答えることが出来なければ、証しは出来ない。勿論、キリストの事実の全体との接触を持たなくても、証人の任が果たせる場合は多いと見られる。しかし、バプテスマのヨハネの時から昇天まで、この限定された時間の間に、主が肉においてご自身を示したもうたということ、したがってこの期間の主の啓示によってキリストを捉えなければならないということは重要である。
 さて、その期間に亘ってキリストを知っていた人としては、バルサバともユストとも呼ばれたヨセフと、マッテヤの2人がいたということであろう。この2人については殆ど分かっていない。バルサバのことは15章22節にも書かれている。「兄弟たちの中で重んじられた人」と言われる。主が72人の弟子を伝道に遣わされたという記事がルカ伝10章にあるが、この二人はそれに含まれていたに違いない。最初の人ヨセフは、バルサバとユストという二つの別名を持ち、これを状況によって使い分けたのであろう。バルサバは安息の子という意味のユダヤ的な名である。ユストは正しい人という意味のラテン語である。したがって、イスラエルの宗教的伝統を踏まえているとともに、ローマの方にも活動を拡げていた人である。
 必要なのは一人であるから、その一人は籤で決めた。籤で決めるとは、祈った上で籤を引いたということであって、祈りなしで籤を引くだけなら、主イエスの衣服を分けた兵士らが巫山戯ながら籤を引いたのと変わらない。籤を引くとは最も高度に厳粛なことだから、人間の考えや感情が入らないようにするためである。
 イスラエルにおいては土地の分割が籤によって行なわれた。不公平が起こらないためであった。祭司の当番も籤で決まった。しかしまた、有罪であるかどうかも籤で決めることもあった。そんなことで裁判の公正を期することが出来るか、との疑問が出る。しかし、また今日、もっともらしい判決理由を並べながら、有罪を無罪に、無罪を有罪にすることも行なわれている。籤を馬鹿にすることは出来ない。
 今日、教会でも籤でことを決める例は殆どない。主から賜った判断力によって決めなければ、努力を尽くしていないのではないか、怠慢ではないか、と我々は考えてしまう。しかし、いろいろ良心的に、私心なしに考えたつもりでも、知らず知らず自分の利益になる判断をしているかも知れない。
 使徒たちは己れを低くして、神の御旨がなるようにと最大限に努めたのである。

 


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