2006.09.10.

 

使徒行伝講解説教 第67

 

――10:9-16によって――

 

 

 「翌日、この三人が旅を続けて町の近くに来た頃、ペテロは祈りをするため屋上に登った。時は昼の12時頃であった」。
 コルネリオの使いは翌日の昼ごろヨッパに着いた。カイザリヤを出発したのは、当日なのか、夜になってからか、翌朝早くであったか。いろいろに考えられる。カイザリヤからヨッパまで、距離は48キロほどである。歩みの速度から逆算すれば出発の時刻は推定出来るが、歩く速さはいろいろに考えられる。だから、何時にカイザリヤを出発したか、議論しないでおく。
 しかし、行った人たちは3人もいるから、何時頃ヨッパに着くかを考えて出発したはずである。その中心人物は信心深い一人の兵卒、この人はイタリヤ隊の百卒長の部下であるからイタリヤ人であろう。コルネリオの信仰の仲間になっていた人で、神を恐れる人、会堂に出入りしていたが、まだキリスト教の福音には接していない。信任されてコルネリオの代理人の役を務める。同伴者は二人の僕で、これはコルネリオの家のユダヤ人であったのではないか。ペテロと話しがよく通じない場合のために、同族が通訳する必要があるかも知れない。
 ヨッパからルダへペテロを迎えに行った使いは2人であった。カイザリヤからの迎えは3人である。これを待遇の違いと見ることには意味がない。ただ、コルネリオとしては極めて鄭重にペテロを迎えている。それは礼儀正しく迎えようとしたというよりは、神のお告げに対する応答である。
 ペテロの方はどうであったか。彼はカイザリヤから迎えが来つつあることを全く知らない。カイザリヤの伝道の状況も知らなかったらしい。彼の宗教的感情による何かの予感というようなものもなかった。主から指示を受けるための準備は何もなかった。
 「12時頃、祈りをしようと屋上に登った」。屋上というのは屋根の上という意味である。「屋上の間」ではない。この地方の屋根は平らで、傾斜がない。ここをペテロは祈り場と決めていたようである。ということは、シモンの家には他に祈りをする静かな場所はなかったということではないかと思われる。
 昼の12時の祈りはユダヤ人の慣習にはない。朝9時、午後3時など決められた時刻があって、それがキリスト者の間でも守られていたことを我々は知っている。勿論、いつ祈っても良い。ペテロは普段定まった時に祈っていたが、この日は例外であった。例外というのは、ペテロを内部から動かす衝動があったが、それが神の計画によるということにすら、ペテロはまだ気付いていないという意味である。食事の時間になっていた。だが、それ以上に重要な要件に直面しているらしいことが何となく感じられたのであろう。コルネリオの祈りとペテロの祈りが、ちょうど対応していた。
 「彼は空腹を覚えて、何か食べたいと思った。そして、人々が食事の用意をしている間に、夢心地になった」。
 祈ろうとする心が動いたわけだが、屋上に登ってみると、それよりも強く働いたのは先ず食事をしたい、という衝動であった。シモンの家の人々と食卓の交わりを持つということもあるが、この時は彼自身が空腹であった。ということは、自分の本能的欲求を抑えられないハシタナイ振る舞いという意味ではない。自分の判断が許されるなら、先ずみんなの食事の祝福をして、食事が済んでから祈りの時を持ったであろう。ところが、今日は何故か自分の判断が出来ない。主の特別の働きが始まっていた。
 その次の段階は、自分で自分をどうすることも出来ない状態であった。「夢心地」になったと訳されているのは、「エクスタシス」というギリシャ語で、今では日本語の話しのなかでもそのまま使われる。恍惚状態であるが、意識朦朧となったと言うよりは、俗に「神憑り」と呼ばれる状態である。この世における通常の感覚を越え出たところに置かれた。つまり御霊が彼に臨み、啓示が与えられた。旧約の預言者はこの状態で神の言葉を語ったのである。
 「すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四隅を吊されて、地上に降りて来るのを見た。その中には、地上の四つ足や這う物、また空の鳥など、各種の生き物が入っていた。そして声が彼に聞こえて来た、『ペテロよ。立って、それらを屠って食べなさい』」。
 今日読む箇所を、我々は飛んでもない話しとは見ていない。神の特別な御業が始まっていると心得て読んでいる。この方向でズッと讀み進むことにしたい。述べられている一つ一つのことは、このまま受け取るべきで、考えてはならないというのではない。何のためにこのような事が起こっているかを見失ってはならない。だが、一齣一齣を不思議なことと考えたとしても、起こっていることには大して意味はない。この直後にカイザリヤからの使いが到着したから全部が分かったのである。
 「大きな布のような入れ物」と言われても、想像しにくいが、ヨッパは港であるから、帆をかけた船が見られた。昔の船は帆で風を受けて推進力とした。帆は大きい丈夫な布である。着物に用いる布でなく、「帆布」と呼ばれる分厚い織物で、それをそのまま入れ物に用いたと思い浮かべれば良いと説明する人がある。
 これは彼が空腹を感じていた事実と関連している。空腹なら食べれば良い。食べ物は目の前に差し出されている。それらが食べられる物であることは、異邦人たちが食べているから分かっている。しかし、ユダヤ人であるペテロは、食べてはいけないと信じていた。律法が潔くない食物を食べるなと禁じるからである。
 このことについては、マタイ15章とマルコ伝7章に記されている主イエスの御言葉を思い起こさなければならない。主イエスが、昔の人の言い伝えにしたがって食事の前に手を洗うことを弟子たちに教えておられなかったことについて、パリサイ人と律法学者が非難した時のことである。
 この時、主イエスの論じておられるのは、第一に、人間の言い伝えが大事なのではなく、神の言葉にこそ従わなければならないという根本的な教えである。しかし、それに関連して、口から入る物は人を汚さない。口から出る物こそ人を汚すと言われた。口から入る物とは食物である。口から出る物とは人の語る言葉である。人の語る言葉は、語る人自身を汚し、聞く人を傷つけ、神を汚す、という警告について第二に考えねばならないが、今日はそのことに触れないで、第三点に目を向ける。
 口から入る物、すなわち食物は食べても人を汚さない。このことに関しては、マルコ伝の記事には、719節後半に「このように、どんな食物でも潔い物とされた」という註釈が入っている。これは誰にも良く分かる。今日の時代でも、食物について規制している宗教はかなりあるが、キリスト教は初めの時からそういう禁止を撤廃している。だから合理的である。しかし、合理的ということで満足していては単なる自己満足である。これでは使徒行伝の今日学ぶ箇所から聞き取るべき教えを聞けなくしてしまう。
 ペテロがこれまで食物についての戒めを守って来たのはどういうことであるかを考えてみよう。「潔い食物」とは、言い換えれば神に捧げ物として捧げることの出来る食物である。神への捧げ物が必要とされていた時代、人は自分で良いと思う物を捧げれば良いと考えてはならなかった。だから、神によって「聖なる物」と認定された物を捧げることが重要であった。
 だが、それは旧約時代の規定であった。イエス・キリストが来られたことによって古い規定は意味を変えた。意味を失ったと言って良い場合もある。新約聖書では「蔭」と「本物」の対比という比喩でことを説明している。実体、実物はキリストなのである。キリストは約束されているが、まだ来ておられないから、蔭によって示された。蔭を見ればその物の蔭だということは確認出来る。しかし、蔭は物それ自身ではない。そして、キリストそのものがおいでになった以上、蔭は要らなくなった。だから、例えば、小羊を屠って捧げる規定は、まことの小羊である方がご自分を捧げられたから廃止された。
 差し当たって二つのことを見なければならない。第一は神に犠牲を捧げることがなくなったことである。確かに、今も我々は神に捧げ物を捧げる。これは信仰生活の不可欠の要素である。しかし、その捧げ物によって、神の呪いのもとにあった罪が償われるという意味はない。キリストが十字架において全き贖いを成就して下さったからである。捧げ物はキリストの恵みに対する感謝である。
 第二に、聖なる物を捧げ、聖なる物を食べると命じられていたことの象徴的な意味が残っている。「聖なる物、汚れた物」の区別は、キリストの御言葉によって撤廃されたが、象徴されていた意味は考えなくてよくなったのか。そうではない。我々は自分自身の全部を、神の喜びたもう、聖なる、生きた供え物として捧げる生涯を貫かなければならない。神は「私は聖であるから、あなた方も聖でなければならない」と命じたもうた。神の民として選ばれた者は、聖でなければならない。
 しかし、潔い食物と潔くない食物との区別は、イエス・キリストによってすでに撤廃されていたのではないか。そうなのである。口から入る物は人を汚さない、と主イエスは言われた。口から出る言葉、すなわち神を冒涜し、人を傷つける言葉が汚す。したがって、何を食べるかに気を遣うことには意味はなく、何を語るかに気を付けなければならないと主は言われた。何を食べるかでなく、神に対し、また人に対してどう向き合うか、何を語るか、ということこそが重要なのだ。
 それをペテロがまだ知らなかったとはどういうことなのか。食物を区別する律法の破棄はキリストの宣言ではなく、使徒の教会の取り決めだということなのか。――そうではない。この区別を撤廃したのは、御自身の血によって全て信ずる者を救いたもうお方なのだ。
 この福音の原理が使徒たちに分かっていなかったわけではない。しかし、生活慣習はなかなか改まらない。食べてはいけないことなら、禁止を知らせるのは簡単だったかもしれない。しかし、何を食べても良いようになったこの変化を、これまで不自由とも思っていなかった人々に周知徹底させるには時間がかかる。そして、或る種の食物を食べないという禁止条項を自分が守るだけなら、人の迷惑にならないと考えられる。
 しかし、食物の区別という慣習は、もっと広範な、そしてもっと悪性の区別、人間差別と結び付く。しかもその弊害に気付かない場合が多い。異邦人と食事をともにしないのはユダヤ人の間では通例であった。ここでは、食物ではなく人間差別が問題だということがペテロに示されたのである。
 主はペテロに極めて平易な譬えを用いて教えたもうた。ペテロは空腹を感じている。そのペテロの目の前に様々の食物が差し出されている。何を食べても良いのだ。しかし、潔くない物は食べない、という在来の習慣に過ぎないことに、彼は未だにこだわっていたようである。
 「ペテロは言った、『主よ、それは出来ません。私は今までに、潔くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません』。すると、声が二度目に掛かって来た、『神が潔めた物を潔くないなどと言ってはならない』。こんなことが三度もあってから、その入れ物は直ぐ天に引き上げられた」。
 同じ問答が3度繰り返された。ペテロはそんなに分かりが鈍く、また頑なであったのか。そうかも知れない。人間は悟りの鈍いものである。だが、ペテロは食物の区別でなく人間の区別が問題だということに気付いたと思われる。
 主はむしろ確認させる意味で、3度繰り返したもうたのではないか。三度の繰り返しは確認の儀式であることを思い起こそう。単に慣例の克服というだけの問題ではない。ペテロはここでは慣例を抜け出した。しかし、この後、一時的であったとはいえ、また異邦人と食事をともにしない悪弊に戻った。これはパウロによってガラテヤ書211-14節に書かれている事件である。これは慣習に戻ったというようなことでなく、「偽善」であるとそこでは決めつけられている。ここを読んでおこう。………
 食物の区別には根拠がない。人種差別にも根拠はない。そういうことは分別のある人には分かる。だから、異邦人と一緒に食事をするようになれる。しかし、人を躓かせてはいけない、という理由づけが持ち込まれると、本当に躓きがあるかどうかの検討もなしに、易々と偽善に陥ってしまう場合が多いのである。だから、我々もこれは分かり易い事例であると安心してはならない。かつて親しくしていた人を疎遠であるかのように人前で振る舞うようなことが、言論の暴力の時代には起こるのである。自分は信仰を失っていないつもりで、またそのことをハッキリ言ってはいるが、多数者に受け入れられないことに関しては、少数者と無関係であるように装う。それはかなり大きい偽善の罪である。
 ここで、そのことにまで触れる必要があるのか、と問う人があろう。だが、ヨッパでペテロに向けられた御言葉を聞き流さないためには、ガラテヤ書のこの記録も心に刻んで置かねばならないのである。

 


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