2006.07.16.

 

使徒行伝講解説教 第61

 

――9:10-19aによって――

 

 

 ダマスコのキリスト者アナニヤについて、我々はパウロの回心の記事の中に出て来る人という以外、何も知っていない。架空の人物ではないかと疑う人もあろうが、パウロが22章でも繰り返しその名を挙げるので、我々の胸にこの名は重味のある人物像となって刻みつけられている。パウロという人が架空であったと思う人はいない。それと同じく、アナニヤも実在感を伴う人である。
 アナニヤは「弟子」であったと言われる。「弟子」とはキリストの弟子で、キリストを信じ、キリストの後に従って行く人、信仰者、という意味である。キリストを信じる者なら、年齢や地位と関係なく、一律に「弟子」と呼ばれた。弟子はキリストに随いて行く人で、キリストからの任命を受けた「使徒」とは区別されたが、それ以上のことはない。
 さらに、2212節にあるパウロの証言によれば、アナニヤは「律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判の良い人」であった。すなわち、保守派のユダヤ人からも人望があった。そして、この時すでにキリスト者になっていた。ユダヤ人の間で評判の良い人であったから、彼の影響でキリスト者になったユダヤ人もいたはずである。
 「律法に忠実であった」とは、パウロ自身がそうであったような、所謂「律法主義者」というものではなかったであろう。律法主義者なら、その「主義」が足枷になって、キリストの福音に聞き従うことが出来なかった。アナニヤが律法に忠実であったというのは、旧約の教え全体の目指す目標に忠実であったという意味である。それ故、彼は旧約の教えに素直に導かれて、キリストの福音に至った。勿論、手引きする人がいたが、それが誰であるかは分からない。
 彼がこの時すでにダマスコのキリスト教会の指導的人物であったことは確かである。年輩の人だったと主張する証拠はないのだが、多くの人はそのように想像している。彼がパウロに洗礼を授け、信仰の指導をしたと考えられる。
 ダマスコの教会についても、これまで我々は何も聞いていなかった。パウロがキリスト者を逮捕しに赴いたというのであるから、相当数のキリスト者がダマスコにいたと考えねばならない。
 ダマスコは、旧約聖書にもよく名前の出てくる古くからのシリヤ都市である。シリヤ人とユダヤ人とは、民族的にも言語の上でも近い関係にあった。この町は当時はローマ皇帝の支配下にあって、ローマ風に都市計画がされていた。その頃の町の地図が或る程度復元され、「真っ直ぐ通り」という通りのことも分かっている。町の真ん中を東西に貫いていた通りである。
 ユダヤ人の居留民も多かったようである。ユダヤ教の中のエッセネ派の文書で「ダマスコ文書」というものが知られている。キリストの教えの広がる時代の直前のものだが、エッセネ派がここに多くいたわけではないし、ダマスコについての文書でもない。この「ダマスコ文書」についても「エッセネ派」についても、今日の使徒行伝の学びとは関係がないから、これ以上は触れない。とにかく、ダマスコにユダヤ人が多くいて、ユダヤ教の中でも大きい存在であった。そして、そのうちの少なくない数の者がキリスト者になったと考えられる。
 エルサレムにおけるパウロによるキリスト者迫害について、13節で「多くの人から聞いている」とアナニヤが言うように、エルサレムとダマスコの間の、人と情報の行き来は繁くあったようである。だから、ダマスコにキリスト者が増えたのは当然であると言えよう。エルサレムから最近逃れて来たキリスト者も多かったであろう。ただし、アナニヤが最近ダマスコに来たとは考えられない。アナニヤのダマスコ教会における指導性も、最近になって出来たものではない。つまり、ここに至るまでの神の準備の期間があったのである。
 ちょうど、エジプトのアレキサンデリヤで、資料はないけれども、極く初期に、多くのキリスト教改宗者が生まれた事実があった。そしてそのようになった準備は、前の世紀から、神によってなされていた。そういうことを我々は知らされているが、それと同じように、シリヤのダマスコでも、エジプトの場合とは別の流れになるようだが、人には思いもよらない準備が、神によってなされていたのであろう。ただし、どういう経過でユダヤ人移住者が増え、どのようにキリスト教伝道の準備がなされて、そのような大量の入信者が得られたかについては、今日のところ全く不明である。
 我々としては、神の御手がそこにあったと考えるのが最も得心の行く、そして唯一の理解である。ではあるが、それを大声で言い触らすことは、神の御業を興味深いオハナシに引き下げてしまう恐れがあるから、慎しみたい。何もかも物語りにする必要はなく、我々の知り得ないし、語り得ない神秘の領域があって良いのだ。
 さて、このアナニヤに、主が幻において現われたもうたのは、事件があって三日目であった。アナニヤはパウロという人が来ることは聞いており、教会のために深く憂えていた。しかし、パウロの身に起こった事故については何も知らされなかった。この事件は有名にならなかったようである。知られたくないことなので、関係者が黙ったのかも知れない。
 「この人に主が幻の中に現れて、『アナニヤよ』とお呼びになった。彼は『主よ、私でございます』と答えた。そこで主が彼に言われた、『立って<真っ直ぐ>という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼は今祈っている。彼はアナニヤという人が入って来て、手を自分の上に置いて、再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである』」。
 主が幻のうちにアナニヤに現れてお告げになったのは、二項目である。一つは直ちに着手すべき事項である。すでに主の始めたもうたことを、引き継ぐというか、後片付けというか、人の手で行われるように主が残して置かれたこと、それを直ちに実行するのである。
 第二は、直ちに実行すべきことの理由説明である。15節以下に書かれるように、これはアナニヤの問いに対する答えでもある。
 先ず初めから見て行くが、先には、「サウロよ」と呼びたもうたように、ここでも、先ず「アナニヤよ」と呼びかけたもう。「誰か行く者はないか」と呼び掛けたもうて、聞いた人の一人が「私が行きましょうか」と答えるという場合もあるとことを我々は知っている。例えば、イザヤ書68節である。神は遣わされる者を決めておられたが、本人の申し出を待ちたもう。ここではそれではなかった。イザヤの場合との違いを論じる必要はない。アナニヤその人を呼び、召して、行く先はダマスコ市内の近いところであるが、そこへ遣わすことが主の計画のうちで細かいところまで出来ていた。
 スグ近所に行くことであったが、主の計画は世界的な規模のものであった。それはパウロという特に備えられた器を用いる計画であることが間もなく明らかになる。その計画の一環として、先ずアナニヤが用いられる。アナニヤは聞いて直ちに従う。そのアナニヤに言われる、「見よ、彼は祈っている」。……パウロが祈って待っていたのである。用意は調っている。
 アナニヤを用いるに当たって、主は彼に疑念が残らないよう、説明を加えたもう。アナニヤは直ちに従うのであるが、疑問はあった。「主よ、あの人がエルサレムで、どんなに酷い事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。そして、彼はここでも、御名を唱える者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得て来ているのです」。
 アナニヤの疑念と恐怖はもっともである。主がそのような残虐行為を見逃したもうはずはない。たといそうでなくても、従わねばならないが、主の計画を知っていた方が励みがある。だが、主の答えはアナニヤの問いよりも遥かに深かった。「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、私の名を伝える器として私が選んだ者である。私の名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。
 アナニヤは「御名」を唱える者に対するパウロの残虐行為を主に訴えた。それに対する答えの中に、「御名」という言葉が重要な意味を持つ。キリストの「名」、それがただ音声として口で唱えられるだけのものでなく、足腰の立たなかった者を立ち上がらせる力であることを我々知っている。ここでもそれを思い起こそう。また、名という語に含まれる「信仰の告白」という意味にも注意したい。
 さらに考えなければならないことがある。パウロのこれまでの行動はキリストの御名に敵対し、これを抹殺しようとする悪魔的なものであったが、これからは彼自身が16節で言われるように、キリストの「御名のために苦しむ」のである。それは、過去の悪への「報復」とか「償い」という意味ではない。
 パウロがこれまで重ねて来た罪に対しての神の報復はなかったし、賠償要求もなかった。無条件で受け入れられた。それでも、パウロは入信前のキリスト教迫害について、生涯自分自身を責め続け、使徒の中では最も多く苦労したではないか、と言われるであろう。そのように見る見方は間違ってはいない。けれども、自分で自分を責めるゆえに赦しが促進されたと理解する人は、パウロの捉えたキリストの恵みの真理、すなわち「信仰による義」をまだ信じておらず、自分で自分を責める「業」の価値を考えているのではないだろうか。イエス・キリストは十字架の上で「父よ、彼らを赦したまえ」と言われた。そのことの絶大な意味を聞き逃してはならない
 人間の間では、個人であれ、集団であれ、「責任を負う」とか、「責任が問われる」とか、「責任に答える」ということが、重要事項とされている。そのような責任意識があるから、人格が認められると言われるほどであり、自分の責任についての意識のない人は、個人であれ、集団であれ、他の人々からの尊敬を失う。
 こういうことはキリスト教的社会の中で大事な点とされて来た。今その議論をするのではないが、キリスト教と大いに関係していることは確かである。だが、キリスト教信仰の真髄がここにあると言っては、問題を捉え損なう。キリスト教信仰の真髄は「価なしの罪の赦し」である。自分の罪を深刻に考えれば考えるほど、信仰が深められる、ということは言えるかも知れない。しかし、罪を悔やむ深さが信仰の高さになると考えるのは、一つの考えではあるかも知れないし、信仰の修練とは言えようが、信仰によって義とされること、また、価なしの罪の赦しとは別物である。
 「イエス・キリストを信じる信仰のみによって義とされる」と教えられるその信仰、信仰そのもの、それは信仰の修練とは別物である。修練を無視してはならないが、修練によって救われると思うなら、結局、自分の業で自分を救おうとする努力と同じになる。
 パウロが、かつて自分の関与した流血について、これを恐るべき罪と思わなかったとすれば、たしかに問題である。そして彼は自分の犯した罪を思い続けたのである。しかし、彼が主の恵みに受け入れられた時、この罪の意識、自分の犯した罪ゆえの苦しみが条件になっていたと思ってはならない。
 ここは重要なポイントであるが、真面目なクリスチャンの中で、罪の自己意識、ここに重きを置き過ぎて、そこがパウロの偉いところであるとか、彼が自分のかつて犯した罪に苦しんだから、主によみせられたのだと思い込んでいる人が案外多い。これは大真面目ではあるが、危険である。今日はそこの所を学ぶ。
 「彼は私の名のために苦しむ」と主が言われたところをよく見て置きたい。彼の苦しむのは自分の罪についてではない。主の御名のためである。
 「主の御名」それ自体は栄光に輝いている。その栄光を担う者に喜びがある。だが、同時にその栄光を担う者が受ける苦しみがある。それはイエス・キリストが示したもうた苦難と栄光に与ることである。
 この苦しみは、しかし、自分の罪の故に苦しむ苦しみとは完全に別のものなのだ。分かり易く言うならば、人にはそれぞれ自分の罪という重荷があり、その重荷を忘れている人の方が多いとしても、時には避けられない苦しみとして問われる。信仰者はその重荷を忘れない。しかし、罪の重荷が悉くキリストによって引き受けられたことを確信しているのである。
 では、苦しみはもうないのか。そうではない。主が負わせたもう苦しみはある。これは来たるべき栄光のもう一面であって、苦しみだけとして捉えることは出来ない。
 こうしてアナニヤはパウロの所に出掛け、パウロの頭に手を置いて祈る。ここで盲人の癒しの奇跡が起こったと言いたければ言って良いが、これは御霊による再生であることを読み取らなければならない。バプテスマが行なわれたのは、そのこと、御霊による再生を証しするためである。

 


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