2006.07.09.

 

使徒行伝講解説教 第60

 

――9:1-9によって――

 

 

 使徒行伝の中で最も劇的な一幕と見られている「パウロの回心」について学ぶ。今日読む所では、彼の名はサウロと書かれている。この名前については、139節で触れる機会があるかも知れないが、小さい時からユダヤ風の名とギリシャ風の名と、二つ持っていたようであり、1313節以後は彼自身の考えで、パウロとのみ呼ぶようになったのであろう。今は、説明を省略して、パウロと呼ぶことにする。
 パウロが初期キリスト教会における最も有力な伝道者また神学者であったと見ることに、異論のある人は先ずいない。さらに、キリスト者となる以前、キリスト教迫害の最も精力的な活動家であったことを認めない人はいない。また、彼は先にはガマリエル門下の傑出した若手の学者であって、彼が教会に加わることによって、ユダヤ教徒に対するキリスト教の説得力が格段に強化された。したがって、彼の劇的な方向転換に人々の関心が集中するのも当然である。
 確かに、驚くべき神の御業が行われた。パウロの回心という事件を時代の状況から解釈するのも興味あることであろうが、神のなしたもうた業として把握することが何よりも大切である。しかし、神の御業!、神の御業!と声を大きくして言うだけでは、励ましにはなるとしても、信仰を深めるには余り役立たない。一つの物語りが胸に焼き付けられるだけで終わるのではないか。
 神の御業、キリストの御業、と言うならば、神が、御子キリストが、ここで何をしておられるかを知らなければならない。
 単に神の大いなる力によって方向転換したというだけでは、大事なことを読み落としているかも知れない。これまでキリスト教迫害に向けられていた情熱が、キリスト教宣伝に向き変えられたということがそれほど大事なのか。ユダヤ教の神学的遺産がキリスト教に移ったことを、そんなに有り難がる必要があろうか。そういうことなら、これまで迫害によって減っていたのが転じて、人が集まりさえすれば良いというのと同じではないか。
 パウロの回心によって、どういう伝道の成果が上がったかでなく、パウロその人がどのように変わったかが重要なのだ。
 パウロがその時までやって来たことは、12節に書かれている。「さて、サウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂宛の添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛り上げて、エルサレムに引っ張って来るためであった」。
 ステパノの血が流されたことをキッカケに、パウロには、人の血を流すことを何とも思わない感情が高まったようである。
 「罪なき人の血を流してはならない」と旧約聖書はハッキリ禁止している。しかし、「イスラエルの中から悪を断たねばならない」という規定があるので、イエス・キリストが来られるまでは、この点の実施規定が明確でなかった。神の名を汚すという理由が成り立ちさえすれば、ほんとうは罪なき者であるのに、その血を流して平気でおられるような聖書解釈があった。この点の大転換を見なければならない。
 「脅迫」、「殺害」という穏やかでない文字があるが、彼が入信して以後は、方向を逆にして、信じない人を脅迫したり、殺害したりしたか。そんなことは全くない。正しい目的のためなら、「どんな手段も正当化される」という考えが、かつての彼にはあったと見るほかない。だが、その考えは消えてなくなったのである。それは御言葉に忠実という点で一貫性があると見られるかも知れないが、御言葉を現実に適用する厳密さ、あるいは敬虔さが大きく違っているということなのだ。
 すでに気付いている人ばかりであろうが、これまでのパウロには、対立的な存在を如何に克服、あるいは抹殺するか、という動機が強かった。これからは、相手を倒すのでなく自分が受難し、和解という動機で行動するようになる。彼の語るのは和解の福音だからである。
 もっと単純に言うならば、彼は熱心であったとしても、また熱心であるとの誉れを光栄と考えていよいよ励んだらしいが、「愛の人」ではなかった。その人が愛の人に変わったのである。
 そういう変わり方だけではない点も見ておこう。パウロはダマスコの諸会堂宛の添書を持って来た。これは迫害の用意周到さを示していると思う。すなわち、ダマスコは外国である。ユダヤ人がダマスコに行って、その町に住んでいる人を逮捕し拉致するということは、昔でも許されなかった。ただ、ダマスコに住むユダヤ人は、幾つかの共同体、つまりシナゴーグを作り、シナゴーグの秩序にしたがって居留民としての生活をし、その共同体の中で助け合って生きている。だから、その共同体の諒解を取れば合法的という名目が立つ。その名目を得ようとして、エルサレムの大祭司の添書を手に入れたのであろう。
 それでも、添書を持って行けば、したいことがスグ出来たというような事情ではなかった。パウロがダマスコに来るという情報を、アナニヤが得ていたことを、13-14節で読むのである。ということは、大祭司の添書を持って行くことは、かなり公けの事柄で、身分を隠した隠密行動ではなく、少なくともアナニヤ程度の群れの代表となる人なら、知っていた情報だったということである。
 パウロがしていた迫害は、無法なことだと考えられるし、事実そうなのだが、無法でありながら、合法的と見られるように手続きを取った。このような、表向き合法的に見えるような工作は、これ以後の彼の伝道では行なわれていないのではないか。――確かに、行なわれていないのである。つまり、キリストの前に明らかな良心を持って立っているという喜びがあって、それに恥じない、疚しくない振る舞いをする。そういう伝道である。この良心的姿勢を我々は彼の書く手紙の中で読み取っている。方向転換だけを強調すると、この点が見えなくなるから注意しよう。
 もっと大事な点は、「回心」とは単純に方向転換だと呼んで良い面があるとしても、本質的には「生まれ変わり」、「再生」だということである。確かに、パウロは生まれ変わった。見方を変えて言えば、一たび死んで、新しい人として生きた。たから、18節で見るように、彼は再生の徴しとしてのバプテスマを受ける。
 一挙に何もかも変わったとか、聖人になったと言っては間違いだが、生まれたなら成長が始まる。霊的な再生にも成長が伴う。主は彼を聖なるものとして受け入れ、或る意味では別の人間として育てたもうた。主の聖なる業が始まったとして、彼の入信を捉えなければならない。
 その次に、3節以下に記されるのが、「パウロの回心」と呼ばれる事件である。この出来事について、使徒行伝は同じ資料を使って、22章にも、26章にも反復して述べている。それだけに、読者の印象は強い。だが、注意したい。その事件の中心また主体はキリストである。ここでパウロという人物、その体験に中心を移すと、読み取られることが全く別の物語りになるから注意しよう。パウロを理解しようとして、これまで多くの人がこの事件を解釈しようと試みた。そのことには今は触れない。主が天を裂いて下りたもうたことに思いを向けよう。
 キリストのなしたもうたのは何であったか。主はここまで全く沈黙しておられたが、ダマスコにいる御自身の民を守るために、立ち上がってパウロに現われ、御力を現し、パウロを圧倒して、彼を作り替えて、迫害を止めさせたもう。ここでは「サウロよ」と呼ばれたことが大事であるが、それよりも「私はイエス」と名乗りたもうことの方が遥かに重要である。
 キリストの民が迫害を受ける時、主が常に出現したもうわけではない。したがって主の出現を常に期待すべきだとは言えない。けれども、主は常にそこにいたもう。このことは信じなければならない。
 しかも、4節に記されるように、「サウロ、サウロ。なぜ私を迫害するのか」と問いたもう。――注意すべき点は二つである。一つは、パウロを相手にするために出現したもうたこと。したがって、サウロよ、と呼び掛けておられる。もう一つは、キリストの民への迫害を「私に対する迫害」と受け止めておられることである。この二点には非常に深い意味があるので、ここは自分でさらに掘り下げるのが良いと思う。
 すなわち「サウロよ」と呼ばれたところを自分の名に置き換えれば、意味は深くなる。それを個人的な事柄として取り上げるだけであってはならない。教会の歴史における一つの重要な器を今、起こしたもうということである。パウロほどに有名にならない人についてもこのことは言える。
 また、今日の世界における主の民の苦難を、主が御自身の苦難としておられるのではないかと考えて見ると、キリストと我々との繋がりは、さらによく分かるであろう。
 ただし、先に言ったように、キリストが主体であられることを読み落とさないようにしよう。
 キリストの出現はもうないのではないか。使徒行伝の初めの所で見たように、御使いは、天に行きたもうた主は、再びそこから来臨されるまでは、ここに在まさないと言う。これは大事な点である。我々必要に応じて何時でも主を呼び寄せることが出来ると考えるならば、彼がただ一度我々のために果たしたもうた贖いの確かさは揺らいでしまうのだ。彼は御霊において常に共にいます。
 では、ダマスコの城門の外でパウロに現れたもうたキリストは幻影なのか。そう解釈する人もいるが、幻影というものは、パウロにそう見えただけで、幻影には実在者としての力はない。パウロの考えを変えることは出来たとしても、その存在を変えることはない。
 それでは、キリストは例外的にもう一度だけ肉体をもって現われたもうたのか。そのように受け取る人もいる。しかし、まことの人として一たび来たりたもうたという確認を動かすべきでないと信ずる人もいる。確かに、彼がそこに来ておられて、パウロと語っておられる声は聞こえるのに、他の人にはそのお姿が見えなかったというのであるから、主キリストの全き意味での人間としての在り方を、ここでされたとは言いがたいのではないか。
 パウロは特例だと見るのも一つの見方であるが、我々と別の人間だと捉えることになってはいけない。パウロにあったことは我々にも起こり得る。むしろ、起こらなければならない。すなわち、人間の生まれ変わりは、幻想でなく、事実なのだ。ただし、その現われ方は各人それぞれに違う。
 だから、パウロに起こった事件が、よく似た形で私にも起こるように、と願っても余り意味はない。けれども、私が実際に生ける主の力によって変えられるという現実はあるのである。それを学ぶことが大切である。このことを確認するためには、通俗的物語りとしてのパウロの回心に興味を持ち過ぎないようにする慎重さが必要である。だから、物語りを追って話すことはしない。
 彼が倒れたこと。目が見えなくなって三日に及んだこと。飲み食いも出来ず殆ど死んだようになったこと。これら一連のことがある。
 もう一つ、彼の行くべき道についての最小限の指示が与えられた。簡単に言えば、主はパウロをアナニヤという人に託したもうたが、10節以下で見るように、直接アナニヤに引き渡したもうたのではない。あとで分かるように、ダマスコ市内の「真っ直ぐ」という名の通りに住むユダという名の人の家に運びこまれた。ユダは恐らくキリスト教反対派の有力者であった。
 「さあ立って、町に入って行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべきことが告げられるであろう」。
 これは、パウロがすでに主の言われるままに従う者となっていることを前提とした御言葉である。彼の内面がどう変わったかについて今は何も分からないが、御言葉があれば従うという姿勢は固まっていた。
 しかし、彼が確固たる姿勢をとったと言うならば、「強いパウロ」を考える人がいるであろう。それは事実の取り違えである。
 ここで見なければならないのは無力化されたパウロである。主は無力にされたパウロを用いたもうた。

 


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