2005.01.23.

 

使徒行伝講解説教 第6

 

――1:15-17によって――

 

 「その頃、120名ばかりの人々が、一団となって集まっていたが、ペテロはこれらの兄弟たちの中に立って言った。………」
 ペテロの際立った指導性が発揮されている。他の10人の弟子仲間は彼の指導に従うのみであるかのようである。彼が使徒の中の指導者になることに反対する人はいなかった。これは、主が前からそのような指導的位置を認め、むしろ命じておられたからである。すなわち、ルカ伝22章31-32節で主は言われた。「シモン、シモン。見よ、サタンはあなた方を麦のように篩いに掛けることを願って許された。しかし、私はあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい」。こういうことを他の弟子の面前で言っておられたから、他の弟子に異論はなかった。これが主の御心であった。
 しかし、ペテロが一方的に指導し、他の者がただただついて行ったと考えない方が良い。使徒たちは務めを共同に担う仲間であり、聖書の共同研究を行なって、一緒に御言葉を聞き取っていたと我々は考えずにおれなかった。共同研究をするとき、讀みの深さや、読み取ったことを纏める力の個人差は或る程度ある。神がそれぞれに賜わる賜物は、一律でないからである。ペテロは、彼が後年書いた手紙を見ても分かる通り、他の使徒に抜きん出た文筆力を持っていたと思われる。けれども、賜物は主がご自身の御業を達成させるために、それぞれに授けたもうものであって、自分のために用いてはならない。そして彼は12人の一人であった。彼が一人で読み取ったのでなく、共同作業として読み取った。したがって、得た益は共有した。
 「その頃」というのは、これ以上細かくその日を特定することが出来ないという意味を含むのであろう。主がオリブ山から天に昇られた日から、五旬節までの間、10日のうちのいつかである。確かに、五旬節の来るまでに、12人の人数を揃えて置かねばならないと考えられたのだから、その日以前であったし、主が去って行かれたことの意味が的確に把握されていなければ、こういう判断は出来なかったのであるから、昇天日以後である。ここでペテロの示す判断は、聖書から読み取ったものであるから、読み取るまでに幾らか時間が掛かった
 この時、ペテロは120人ばかりの兄弟たちの中に立って、語り出したのであるから、その120名を相手にして提案をしたということである。11人の使徒仲間に呼び掛けたのではなく、120人全員に呼び掛けて賛成を求めた。これは、2章14節で「ペテロが11人と共に立ち上がり、声をあげて人々に語り掛けた」と記された場合とは区別された対応のし方である。2章の場合では、ペテロが語っているが、彼は12人の一人として語る。1章15節では、その12人一体となった使徒団の真の意味での結成は出来ていない。すなわち、御霊がまだ下っていなかったからである。
 ここで、120名ばかりの人々がいたことについて我々に分かっていることを纏めて見よう。主イエスが地上において人々の間を行き来された時、すでに12人以外にも弟子はいた。12人は家も職業も捨てて、主イエスの後について行った。それ以外の弟子もいたが、彼らは日本語で「在家」の弟子ということになるのか。必ずしもそうではないことが22節で明らかになる。すなわち、「ヨハネのバプテスマの時から始まって、天に挙げられたもうた日まで、始終、他の弟子と共にいた」人が12人の他に少なくともふたりいた。もう少し基準を緩くすれば、もっと沢山いた。その合計が120人になる
 パウロによって伝えられた復活の伝承では、Iコリント15章4節5節に、「聖書に書いてあるとおり三日目に甦ったこと、ケパに現われ、次に12人に現われた。その後、500人以上の兄弟に同時に現われた」という。この500人以上の兄弟というのも、別の言い伝えになるが120人と重なると思われる。彼らも在りし日の主イエスを知っていて、復活者がキリストそのものであると確認した。
 福音書によって知られていることであるが、「弟子」と「群衆」は区別された。しかし、弟子の中にも、特に選ばれた12人と、任命の手続きを経ていない、一見自発的に従って行く種類の弟子があった。この種の弟子はこれとして使命を持って生きている。12人と比べて軽く扱ってはならない。
 6章の初めに「その頃、弟子の数が増えて来るにつれて………」とあるが、一般の信者、教会員のことを原始教会では「弟子」と呼ぶようになっている。すなわち、主イエスがガリラヤの海で漁師をしていた者に「私について来なさい」と召して弟子にされたように、今や広範囲の人々が召し入れられることになった。彼らは家を捨てるように命じられてはいないが、己れを捨てて主に従う。
 15節で読む120人は、主イエスご自身の伝道によって召しを受けた人々であって、この段階では使徒による伝道は始まっていない。この120人の殆どはガリラヤで主の後について行く歩みを始めた人たちで、恐らくこの年の過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに上って、そのままエルサレムに居残っていたのではないかと推測される。
 さて、ペテロが立ち上がって、兄弟たちに語ったのは、次の二点である。一つは、ユダの裏切りと死について、聖書の光りに照らされての解明である。もう一つは、欠員を補う必要があるという提案である。
 「兄弟たちよ、イエスを捕らえた者たちの手引きになったユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言したその言葉は、成就しなければならなかった」。
 我々のよく知る通り、受難週に主イエスは昼間はエルサレムの宮の中で民衆に取り囲まれていたから、悪意を持つ者も彼を捕らえることが出来なかった。夜は12弟子しか知らないオリブ山のゲツセマネの一角に退かれたから、捕らえられないはずであった。その場所を知っているイスカリオテのユダが裏切ってそこへ捕っ手を連れて行かなければ、そして主イエスがあの夜いつもの場所ゲツセマネに行かれないで、オリブ山の別の所に行かれたなら、彼を夜の間に捕らえて裁判に掛けるわけには行かなかった。
 この裏切り事件は、主イエスに従う人にとっては大きい衝撃であり、信仰の躓きであった。が、ペテロたちは人間的な解釈を加えることをしないで、これは聖書の成就であると結論づける。聖書の成就とは一般論を適用して割り切るのでなく、聖句と事件とを結び付けて理解したのである。その聖書というのは詩篇である。「聖霊がダビデに語らせた」と言われるが、それが詩篇の歌となって歌われ、詩篇歌集に収められ、代々に亘って主の民の礼拝の中で歌い継がれて来たが、それはキリストの受難を預言するものであった、と使徒たちによって確認された。
 旧約の書のなかで、律法と預言は特に重んじられ、それはキリストの民にとっても旧約から受け継ぐべき信仰の根幹であるとされる。そして、詩篇は無視こそされないが、根幹というのと意味は違うように見られ勝ちである。だから、詩篇は歌うとしても余り読まないという人がいる。しかし、初代教会においては、詩篇のキリスト証言が重んじられていたことを忘れないで置きたい。
 キリストの受難が、すでに旧約聖書において予告されていたことだと弟子たち、特に12弟子は、主から直々に教えられていた。それでも、彼らはこのことを殆ど忘れたかのように、主の受難に躓いた。けれども、彼らは単に教えられたことを思い起こしただけでなく、キリストの死と復活の事実を見たし、自ら聖書を開いて、書かれたことが成就したのを確認した。だから、単に立ち直ったと言うよりは、躓きを越えて、躓きの彼方にある信仰の確信に至った。この確信に際して、聖書の成就を確認したことは、今日、教会の中で重要視されていないようであるが、これは現代の教会の弱点になっている。
 主の十字架の場面には、詩篇と関連のある出来事が幾つも出て来ることを思い起こそう。最も有名なのはマタイとマルコの受難の記事に出ている「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」の御言葉であろう。これは、詩篇22篇の冒頭の句である。
 ルカ伝にあるものを取り上げれば、例えば、23章35節に、「役人たちもあざ笑って言った」とあるが、これは、詩篇22篇7節に「全て私を見る者は私をあざ笑い、唇を突き出し、かしらを振り動かして言う」とあるのと関連がある。34節に「人々はイエスの着物を籤引きで分け合った」とある。これは詩篇22篇18節に「彼らは互いに私の衣服を分け、私の着物を籤引きにする」とあるのを念頭に置いて読むべきものであった。36節には、「兵卒どももイエスを罵り、近寄って来て酸い葡萄酒を差し出した」とある。これは詩篇69篇21節に、「彼らは私の食物に毒を入れ、私の渇いた時に酢を飲ませました」とあるものの成就として捉えられている。
 キリストが必ず苦難に遭われることは、福音書の多くの箇所に記された通り、主ご自身が説いておられた。マタイ伝はペテロがキリスト告白をしたことを述べた直後に、それに呼応するかのように、「この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目に甦るべきことを、弟子たちに示し始められた」と書いている。マルコもルカも同様である。それは主にイザヤ書53章の苦難の僕を主題とされた教えであったと理解される。「彼は我々の咎のために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。彼は自ら懲らしめを受けて、我々に平安を与え。その打たれた傷によって我々は癒されたのだ。我々はみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主は我々全ての者の不義を彼の上に置かれた」。これは贖いに関わる教えであって、キリスト理解の核心部分である。それと比べると、着物を籤引きにするとか、酸い葡萄酒を飲ませられるというようなことは、預言の成就であるけれども、少し色合いが違う。重要性において劣ると言って良いであろう。主が生前そういうことまで教えておられた記録はない。我々はこれを後からの作り話とは考えないが、前から聞いていたというよりは、弟子たちが事後に聖書を探して読み取ったものではないかと思う。
 復活後のイエス・キリストがご自身の苦難と復活について聖書を引いて、これは預言の成就であると説明されたことが、ルカ伝では福音書の中で最も詳しく記録している。すなわち、24章のエマオへの道で、またその夕刻エルサレムでの顕現の記事の中に出て来る。エマオへの道すがら、主は言われる、「『ああ、愚かで、心の鈍いため、預言者たちが説いた全ての事を信じられない者たちよ。キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか』。こう言って、モーセや全ての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自身について記してある事どもを解き明かされた」とルカは記しているのである。
 また、こうも記される、「私が以前あなた方と一緒にいた時分に話して聞かせた言葉はこうであった。すなわち、モーセの律法と、預言者と、詩篇とに、私について書いてあることは、必ず、ことごとく成就する」。
 これは聞いて納得するための説明ではなく、実際に聖書を読んで、事実と照らし合わせて確認すべきこととして教えられたのであった。ユダの裏切りもその一つであった。イスカリオテのユダに対する恨みや憎しみが弟子たちの胸中に渦巻いていたが、彼を呪っても何もならない。聖書の成就ということをここに発見すれば、人間の感情は整理されて、救いの確信が確立する。
 「聖霊がダビデの口を通して預言したその言葉」、これはユダの将来の犯罪の預言ではない。ユダの将来の犯罪については主イエスも触れておられたが、その預言ではない。それはどこか。詩篇69篇25節、「彼らの宿営を荒し、一人もその天幕に住まわせないで下さい」。――これが使徒行伝の方では20節に、「その屋敷は荒れ果てよ、そこには一人も住むものがいなくなれ」となっている。それと詩篇109篇8節である。「その財産をほかの人に取らせよ」。使徒行伝では20節で、「その職はほかの人に取らせよ」となっている。非常に違うではないかとの疑問が当然出る。ルカは旧約を引くとき、ギリシャ語訳の旧約を用いたからこういうことになったのである。しかし、ペテロたちがこの時ギリシャ語訳旧約を用いて聖書研究をしたであろうか。全くあり得ないとは言わないが、相当に無理があることは認められる。したがって、最初の記録からのズレが起こったのであろう。それでも、使徒たちが聖書研究をしたことは確かである。
 17節に入る。「彼は私たちの仲間に加えられ、この務めを授かっていた者であった」。
 ここに「務め」という言葉が出て来る。25節にも使徒の「務め」という言葉がある。ユダはその務めを持っていたにも拘わらず、これを汚した。ユダは使徒であったとここでは言っている。使徒になる前に失格したからなれなかったと見ても大した違いではないと見られるかも知れないが、聖書の伝えるペテロの解釈はここに見る通りである。使徒としての実質的な務めは何も果たしておらず、その点については他の弟子たちも同様であるが、キリストによる任命は確かに行なわれた。
 務めについたけれども、出来なかったなら已むを得ないというふうに受け取るべきではない。仕事は始まっていなかったが、任命は行なわれ、ポストについたのである。そして、その務めを汚したのである。
 ここに使われている務め、これは「ディアコニア」という言葉である。我々の教会が平生使い慣れているディアコニアとは含みが若干違うが、我々のディアコニアも務めとして、勤務として、主に対する服務として行なうのであって、ヴォランティア活動とは全く違う。教会の職務であるから、そのポストが空いたなら代わりを立てなければならない。
 ここで二回用いられるディアコニアがどういう意味で使われているかについては、キチンとした説明が出来ないのであるが、教会をこれから建てて行こうとする時、いわば教会の柱に当たるディアコニアについて考えていたことは非常に大事なことを暗示していると思う。
 すでに見たところであるが、12あったポストは、欠員があれば補わねばならないものであった。働き手が揃うというよりは、12という数が揃い、それによって示されるべきことがらが明らかにならなければならない。
 その仕事は、22節に「主の復活の証人とならねばならない」と語られる通り、具体的には主の復活の証しを立てることであった。ユダをも含めて、12使徒はもともと復活の証しのために選ばれ、立てられた。そしてユダはその務めから落ち、それを果たさなかった。ユダの問題はともかく、我々は務めについて考える時、それと主の復活との結び付きをつねに考えなくてはならない。

 


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