2006.07.02.

 

使徒行伝講解説教 第59

 

――8:30-40によって――

 

 

 イザヤ書53章は、キリスト教の聖書の中で特別な位置を持っている。旧約の中にありながら、内容的には新約である。このことについて、今、初歩的説明を繰り返すことを省略するのは許されると思う。
 我々が驚かされるのは、旧約のこの部分が新約に登場するその仕方にある。新約聖書の中で、旧約の御言葉が引用されることは至る所で起こっている。それを我々はすでに知っている。むしろ、旧約の約束の成就が新約だと言って良いであろう。たから、使徒たちの説教の中で、旧約の御言葉が引かれるのは当然のことであった。
 使徒行伝においても、使徒の説教は、先ず旧約の言葉が引かれて、これが成就したのだと宣言されるのが、使徒的メッセージのパターンであった。このようなパターンが出来たのは、おそらく、使徒たちが、主の昇天の後、一緒に集まり、祈りつつ聖書を共同研究して行く中で、約束の成就を、一点一点確認して行ったからであろうと我々は推定した。
 ところが、イザヤ書53章は、使徒たちの初期の共同研究、共同確認という経過を取らないで、使徒行伝に登場するのである。ピリポが持ち出したのでもなく、エチオピヤの宦官がいきなり持ち込んだというのでもない。しかも、この重要な箇所である。だから、我々としては驚くほかない。
 イザヤ書がキリスト教会の中で大きい位置を占めたことについては、我々が使徒行伝で読んで来たよりもっと多くの事実があって、もっと長い時期を経たのであろうと思われる。
 すなわち、主イエスが弟子たちを召し、彼らを教えつつ、おもにガリラヤの町々村々を巡って伝道しておられた時期から、イザヤ書は重んじられていた。例えば、ルカ伝4章に記録されるが、極く初期に、お育ちになったナザレに行き、安息日に会堂に入って、聖書を朗読され、「この聖句は、あなた方が耳にしたこの日に成就した!」と宣言する説教をなさった。それはイザヤ書61章であった。この一ことだけでも、イエス・キリストの民におけるイザヤ書の持つ意味の大きさを認めぬわけには行かない。
 また、主は弟子たちにイザヤ書53章を解き明かしておられたに違いないと我々は考える。これは我々の想像から構成された作り事ではない。ペテロが「あなたこそキリストです」と告白した時、それはルカ伝でいえば920節以下に記されているものであるが、御自身についてハッキリ言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日目に甦る」。――ここにはイザヤ書からの直接の引用はないと思われるかも知れない。だが、「必ず……なる」というのは、単なる確信ではなく、預言されたことであるから必ず成就する、という含みで語られた言い方である。すなわち、御自身の苦難について預言されていることを教えておられたという意味がここには籠められている。
 そして、ルカ伝ではこれにスグに続けて言われる。「誰でも私に随いて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、私に従って来なさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失ない、私のために自分の命を失う者はそれを救うであろう」。
 主イエスはひたすら十字架を目指して歩みたまい、弟子たちは初めは十分な理解がなかったとはいえ、とにかく主の後にしたがって行った。そこに、弟子たちのうちに捉えられたキリスト像とは、苦難の僕としてのキリストである。そして、この苦難のキリスト像は、キリストの後に随いて行く弟子像とセットになっていて、キリストの後に随いて行くという姿勢を取らなければ見えてこない。
 それにしても、福音書の中では、必ずしもそういう教え方をしておられるイエス・キリストの姿が描かれていないのではないか、と見る人が多い。そうではない。いろいろな読み方をする人がいるし、そのような読み方は出来るには出来るが、我々は今言うような読み方をするなら、これでこそ聖書の読み方として首尾一貫できるのだとキリスト教会は信じて来た。
 さて、またイザヤ書53書の教会における位置づけの議論に戻るが、キリストが僕となって来たりたもうた故に、キリストに随う者も僕でなければならないということは、教会では初めから全くハッキリしていたではないか。教会にいろいろな規定が作られる以前から、「ディアコニア」は教会の姿勢であった。「僕イエス」というキリスト像は、「ディアコニアの教会」において捉えられる。
 もう一つ、これは簡単に触れるに留めるが、主イエスが「僕」の形を採りたもうたという告白的讃美が、初期の教会にあったことを、我々はピリピ書2章で知っている。このことで議論を起こすのは今日の要件ではないから、詳しい議論はしないで、大まかに把握するだけで十分としておく。
 以上のことが分かれば、エチオピヤの宦官が、どうしてイザヤ書53章を読んでいたのかということの不思議さは、不思議といえば不思議に違いないが、我々が問題にする余地はなくなる。「なぜか」と考えても意味がない。主がそれを宜しとしたもうたからであると確認すれば良い。
 さて、ここに引かれているテキストは、537-8節であるが、我々の通常読んでいるテキストとは若干違う。それは70人訳のギリシャ語旧約のこの部分によって引用されたからである。
 意味の取りにくい箇所がある。それは、33節後半、「誰が彼の子孫のことを語ることが出来ようか。彼の命が地上から取り去られているからには」と訳されている部分である。我々の用いている旧約のこの部分は「その代の人のうち誰が思ったであろうか」となっている。
 ここは原文そのものが難解で、正確な訳はつけようもない。したがって、前後関係からそれぞれの語句の意味を推定するほかない。それでも、全体として、主の僕の苦難と死を語っているものであることは疑問の余地なく明らかである。したがって、言葉について踏み込んで議論することが無駄だとは決して言わないが、今は避けて置くことが許される。幾つかの語句が分からないと、何も掴めない、ということはない。
 要するに、ここに描かれている主人公、すなわち、主なる神が「我が僕」と呼びたもうお方は、徹底的に苦難を受けられたと言うのである。だから、その意義をさらに掘り下げて行くように読めばいよいよ深く捉えられる。
 使徒行伝にあるこの引用は、話しの途中に出る一部だけである。ピリポは一部だけを解き明かしたのではない。預言が主の僕の栄光の回復まで述べていることを我々は知っているから、その説明は省略する。ピリポと宦官の対話の要点を見て行くだけで良かろう。
 大事なのは35節、「そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起こして、イエスのことを宣べ伝えた」。
 ピリポは言葉の説明をしたのでなく、イエス・キリストのことを語った。宦官はエルサレムへ礼拝のために来たのであるから、天地の造り主なる神を信じていたわけである。ユダヤ人ではないが、ユダヤ教の信者であったと言って良い。神について教える必要がなかったとは言うべきでないが、大切なのは御子なるキリストであった。ただし。「この聖句から説き起こした」。聖書から説き起こした。神から説き起こして、御子キリストに至ったと言うのではない。そういう説き方もあろう。それで満足している人も多いし、それでは間違っていると決めつける必要もない。
 けれども、ピリポは書かれた御言葉から始めた。使徒たちの宣教もほぼそのやり方で進められたと我々は承知している。それでは、文字を知らない人には福音が伝わらないのか。そういう議論は聞かなくて良い。福音はいろいろな人に広がって行ったという事実がある。
 宦官は「これは誰のことか」と質問した。預言者が自分の苦難を訴えているのかも知れないと思ったのであろうか。そういう訴えがなされた実例は、エレミヤ書などにはある。――預言者が自分の苦難について訴えているのではないか、というこの着想は珍しいものでないことに触れておいても良いであろう。すなわち、ユダヤ教の聖書解釈の中では、この「僕」はイスラエル自身、あるいはその中の選ばれた自分たちのこと、すなわち選ばれた真のイスラエルのことだという主張がかなりの支持を受けている。彼らはそのように解釈することによって、自分たちが世界で受ける苦難の意義づけが出来る。ユダヤ人が迫害されていた時代には、この解釈は彼らの間で有力であった。
 しかし、宦官は、これは自分の苦難を訴えているのではないのではないか、とも考えなおし、だから迷う。エチオピヤ人の宦官が旧約聖書にどれほど良く通じていたかは分からない。遠い国の人だし、聖書を学んだ年数が多いとも考えられない。むしろ、初歩的な疑問の状態であったと見たほうが良い。
 しかし、彼が聖書を自分で読み解こうとしていることから、我々の目をそらせてはならない。そこに書かれている主題は何か。それを捉えずにはおかない、探求心、求道心が彼にはあった。全ての人がそうであるのではないが、我々も自ら聖書を読み解くことが出来る者になりたい。
 しかし、読み解こうとの意欲があれば分かる、というものでもない。特に聖書はそうなのである。分からない文章も百ぺん読めば意味が通じるという意味の諺がある。この諺は正しいと思う。
 その文章を書いた人と、それを読む私とは同じ人間としての共通性で結ばれている限り、讀みを深めれば次第に多くのことが見えて来る。
 聖書に関してもそういうことは或る程度までは言える。だから、聖書を読んで信仰に入った人はいる。聖書を読むことを普及させれば、信仰が行き渡るという主張の人もいる。
 しかし、神の言葉が書き記されるのは神の御旨であるが、ここに人間の事業が入り込み過ぎないようにしよう。聖書を普及させることが人間の意欲の生み出す事業になってはならない。御言葉は何よりも「宣べ伝えられる」べきものである。宣べ伝えられると言っても、例えばテレビのような手段を通じて多くの人に届けるのが有効な伝達かというと、ただそれだけのものである。それでも真理が伝わらないわけではないと言えるが、御言葉を伝達しようとしておられるのが主であること、主がどのような伝達を欲したもうかを理解しなければならない。
 主は御言葉の伝達のために、先ず12人を選んで、召し、彼らを派遣したもうた。派遣されるのが12人に限られる訳ではない。もっと増えて良い。しかし、選ばれ、召された者が、使命と賜物を与えられて遣わされなければ、イエスの噂は広がるとしても、信仰は生まれない。ローマ書1014節に、「しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか」とある。
 御言葉は商品のように輸送機関によって流通するのでなく、生身の人間によって伝達されるのである。ピリポは一人の人間として、御言葉の真の意味を尋ねる宦官に向かい合った。こうして御言葉の意味が伝わったのである。
 宦官の求めも重要であるが、ピリポが主から遣わされて、務めを行なったことの意義を忘れてはならない。
 こうして、宦官がバプテスマを受ける。37節は[ ]に入っているが、最も古い写本にはこの部分はなく、やや遅い時期にこの部分が入ったと考えられるからである。しかし、大事なのはバプテスマが願い求められ、また行なわれたことで、この部分には変化はない。バプテスマがどういう儀式として執行されたか、そのためにどのような洗礼告白が作られたか。それは、今、問わなくて良い。間もなく信仰告白が生み出されることは広く知られている通りである。
 ピリポがバプテスマの勧めをしたのでなく、宦官の方から求めがあったように読めるのだが、バプテスマを勧めることを消極的に捉える必要はない。むしろ、キリストの名によるバプテスマは、キリストの主導権のもとに行なわれるのであるから、求めがあって応じる、というふうには見ないようにしたい。
 五旬節の日にバプテスマを受けて信仰の仲間に入る者が三千人いたということも驚きであったが、こんなに早くバプテスマを執行して良いのか、と危惧する人があるかも知れない。だが、その危惧は問題である。「何の差し支えがあるか」。「何の差し支えもない」という問答が事柄の核心を衝いている。そこには人間の思惑は入り込めない。そこはキリストの御名の君臨する領域なのだ。
 ただし、このことを口実として、実はバプテスマが伝道者の功績に取り入れられるという不祥事が起こりかねない。だから、例えばパウロは、盛んに伝道したが、自分がバプテスマの執行者になることは控え目にした、ということがIコリント114-15節から読み取れる。
 キリストの名によるバプテスマは、キリストがそこに君臨したもうことを、少しも不明瞭にすることのないように執行されなければならない。
 宦官は「水があるではないか」と言う。水に重点を置いたように読めるが、実際、徴しは水なのである。徴しだけでは意味がない。御言葉がそこに生きていなければならない。だが、主はその徴しを用いたもう。だから、水を無視することは出来ない。
 最後に、主の霊がピリポを取り去ったことに目を向けなければならない。お伽話しではない。キリストが主として君臨したもうところでは、ピリポの役目は済んだ。霊において在したもう主がおられるならば、彼は去らなければならなかったのである。

 


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