2006.05.21.

 

使徒行伝講解説教 第55

 

――8:9-13によって――

 

 

 9節に魔術師シモンという人物が登場する。これは初めから胡散臭い雰囲気を持っているが、事実、問題のある人で、しばらく後には、初期キリスト教会に大きいダメージを与えた異端者になる。
 彼のことは、聖書では使徒行伝にしか記していないが、彼を知るための資料は割合多い。もともとサマリヤ生まれのようであるが、ペルシャに行って魔術的な神秘宗教を学んで帰った。――したがって、サマリヤ人であるが、本来のサマリヤ宗教を身につけた人ではない。つまり、サマリヤの宗教はユダヤやガリラヤの人々が、先祖以来の道として受け入れて守って来たもの、「ユダヤ教」と基本的には同じ宗教であるが、シモンの宗教はその宗教とは異質の物を含んでいたと見て良い。
 しかし、いま我々は礼拝の中で聖書を学んでいるのであるから、聖書に書いていないことにまで深入りしない方が良い。好奇心による広い知識はためにならない。だから、シモンについては、使徒行伝に書かれている以上の事項には触れないでおく。とすると、9節から13節までの彼の入信についてと、18節以下に出て来る、金で聖霊の賜物を獲得しようと企てた冒涜的姿勢、この2点になる。
 使徒行伝のこの箇所で学ぶべき、もっと大事なこととして、バプテスマと聖霊を受けることとの関係がある。これは14節以下で学ぶことにする。
 さて、先ず、9節からを見るが、魔術師シモンについての簡単な説明がある。「この町に以前からシモンという人がいた。彼は魔術を行なって、サマリヤ人たちを驚かし、自分をさも偉い者のように言い触らしていた」。
 「さも偉い者のように言い触らした」とある。これを、世間でよく見る「威張りたがりや」の気質と取って良いと思うが、想像するところ、この「偉い」というのには、宗教的な威力の意味が籠っているようである。すなわち、10節には、人々が彼のことを「この人こそは『大能』と呼ばれる神の力である」と言っていたと書いてあるのと同じものと思われるからである。
 こういう呼び方はユダヤでは出来なかったが、サマリヤでもしなかったのではないだろうか。つまり、問題が二つあるが、大いなるお方と言えるものは神の他にないことと、聖書は魔術を固く禁じるのである。神の御意志は御言葉から聞くべきだからである。
 シモンは聖書と全く異質なものをペルシャあたりから持ち込んだと推測される。サマリヤでは、宗教的な規律がユダヤ人社会よりも緩かったから、シモンが自分のことをそのように呼ばせたり、魔術を使ったりしても、排斥されなかったかも知れないが、ユダヤならばどうなったであろうか。――主イエスが、天にいます神を「私の父」と呼びたもうただけで、神を馴れ馴れしく扱い過ぎると見られ、冒涜罪に問われたことを思い起こす。神が我々の父でいますことは旧約の中でも教えられていた。人々がそういう受け取り方を余りしなかっただけである。人々は神と人との間には絶対的な隔たりがあるということに強調点を置いておれば、安心だと考えた。したがって、主イエスの教えたもう神の慈しみはよく分からなかった。
 とにかく、サマリヤが全部魔法にかぶれていたとは言えないが、シモンの身辺には異様な宗教的雰囲気が漂っていたと思われる。
 ここまで論じて来ると、いろいろなことが見えて来る。総括すれば、ユダヤ人社会に主イエスが与えたもうた衝撃に似たと言っては適切でないが、或る意味で並び立とうとするものを、シモンは振りまくのである。さらに言うならば、シモンには、キリストになぞらえられるというよりも、キリストとは決して相容れない「反キリスト」として立ち上がり、キリストに取って代わろうとするような姿勢があったのだ。実際、後には露わな「反キリスト」になった。
 キリストに若干似たところがあるが、むしろ敵対者である「アンチキリスト」、それが教会の敵であることを我々はキリスト教の歴史を通じて、いや、特に今の時代の中で気付いていなければならない。
 反キリストはハッキリ、キリストと対立していると見える面があるが、似ているように見違える面もある。だから、主イエスはマルコ伝13章で警告される。「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者が私の名を名乗って現れ、自分がそれだ、と言って、多くの人を惑わすであろう」。
 教会では信仰と生活について教えられ、これは当然、単純・平明に説かれている。それはそれで良いのであって、「反キリスト」とか、「魔術」とかについて詳しく教えない。が、単純な御言葉を素直に受け入れている人は、ふだんはそれで良いが、異質的な教えが混じりこんだ場合、それが危険だということにスグに気付かねばならない。使徒ヨハネは、第一の手紙4章で「全ての霊を信じてはいけない」と警告しているが、霊的と言われるものを見分けなければならない。
 今述べているサマリヤの宗教的状況を、別の角度から見れば、かつてシモン自身の魔力、あるいはシモンの魔術的雰囲気から、ピリポの宣べ伝えたキリストの力は、人間を解放したのである。人々が大変な喜びであったと8節で読んだことのなかに、病気からの解放だけでなく、魔術や呪術から精神が解放されて行く喜びもあったのだ。また、11節には、「彼らがこの人に随いて行ったのは、長い間その魔術に驚かされていたためであった」と書かれているが、長い間縛られていた。これはシモンに随いて行かざるを得なかった霊的無知の隷属状態にいて、そこから人間の解放が経験されたと、読み取らなければならない。
 ユダヤにはそのような気味悪い魔術宗教の雰囲気は稀薄であった。原則として、そういうものがあってはならない。だから唯一の創造者にいます全知全能の神を信じるところでは、魔術は入り難い。もっとも信じたフリだけして、神の名を悪用する人はユダヤにもキリスト教国にもいる。しかし、聖なる神を拝む宗教的環境では、礼拝者も聖なる者でなければならないから、魔術的な力は余り働かない。そこでは魔術的な考え方が成り立たず、正義とか、公平とか、真実とか、聖潔とか、他者への思い遣りということが、一応尊ばれるのである。魔術のはびこり易いところでは、社会の正義も、隣人に対する思い遣りも薄くなる。
 脇道にそれた話しになるが、主イエスがガリラヤ湖の東、ゲラサ人の地に行かれた時、悪霊に憑かれた人が墓から出て来たという異様な物語りがある。マルコ伝では5章である。ここは異邦人の地域だったからこうだった。この地域の人は、解放者キリストが来られたにも拘わらず、その到来を喜ばず、飼っている豚に損害が及ぶから退去してもらうように願った。これは魔術師シモンのケースとはまた違うものであるが、歪んだ社会だと言って良い。
 魔術からの解放の意味については、詳しい講釈を聞かなくても良い。唯一の神を知らない人が大多数である国で、イカガワシイ宗教や思想が如何に蔓延り、人間の道が如何に崩れるかを我々は知っているからある。
 使徒行伝17章で読むが、パウロがアテネに行った時、町なかにいろいろな祭壇が立てられているのを見、戸惑いを覚えるとともに、憤りも感じ、知恵を絞って真理を訴えようとした。それと全く同じではないが、異教的なものとの衝突があるということを、サマリヤ伝道を学ぶに当たって考えさせられる。これは日本の伝道を課題として負っている我々にとって、よそごとではない。魔術のことは使徒行伝でこれからも触れることがあろう。
 とにかく、サマリヤにおいて、異教的・魔術的なものは敗北した。シモン自身も降参し、洗礼を受ける。シモンはのちに異端の指導者になるが、のちサマリヤを去ってローマに行き、もっと多くの人を惑わせた。それでも、サマリヤの教会を壊滅させることは出来なかった。サマリヤの教会は、931節で読むように、「平安を保ち、基礎が固まり、主を恐れ、聖霊に励まされ、次第に信徒の数を増して行った」のである。
 12節に進む。「ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も 信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた」。
 サマリヤの人々がバプテスマを受けたのは、ピリポが「神の国とイエス・キリストの名」について宣べ伝えるに及んでであったと書かれている。これは、ピリポの説教が初めの単純にキリストを宣べる段階から前進し、宣教の内容も充実したという意味ではない。説教は初めからキリスト一本槍であったと学んだ。初めから、キリストが生きて、ここにおられることを人々は感じないわけには行かなかった。
 ただし、人々は初め、「神の国」についても、「イエス・キリストの名」についても、殆ど聞いていなかった。ピリポは初め単純にキリストが来ておられることを事実として受け取らせ、「徴し」を用いてそれを明らかにしたが、密度の高い教えになって行き、キリストの王国が来ていること、またイエス・キリストの名のことを、よく分かるように解き明かした。
 主イエスがガリラヤで、福音宣教を始めたもうた時、「神の国は来た」と言われた。この一言が主の宣教の特色をよく示している。初めからキリストの福音は神の国の福音である。あるいは福音とは「神の国が来た」と宣言することである。つまり、「あなたはもう神の国の外にいるのでなく、中にいるのだ」と教え、したがって「神の国の中に生きるに相応しく生きなさい」と呼び掛けることであった。神の国が宣べ伝えられところでは、神の国に逆らう力も、そういう生き方も敗退するほかない。
 神の国の呼び掛けがなされるところでは「私は信じます」という応答が引き起こされる。その応答はまた「バプテスマを受けたい」との願いを起こす。この「バプテスマを受けたい」という願いがサマリヤでどのようにして起こって来たかについて、私はうまく説明出来ない。ユダヤとガリラヤにおいては、神がキリストの先触れとして遣わしたもうたバプテスマのヨハネが、後に来たりたもうキリストを証しする悔い改めのバプテスマを行なった。この準備があって、人々はキリストのバプテスマに導かれた。
 だが、サマリヤではどうだったか。バプテスマを説く人はいたかも知れないが、分からない。もし、優れた律法学者がサマリヤにいたなら、水を経て救われる出来事、例えばノアの洪水がそうだし、モーセに率いられて紅海を渡ったことも、来たるべき救いのバプテスマを示すものと解釈したであろうが、そういう人がいたという記録もない。
 また、サマリヤ人が預言者エリシャのことを知っていたなら、この預言者がかつてシリヤの将軍ナアマンをヨルダンで七たび浄めて病を癒した事をバプテスマの先触れとしたかも知れない。エリシャは北王国にいた大預言者である。しかし、サマリヤで北王国の伝承が重んじられたとは言えないようである。
 だから、サマリヤの人たちが続々とバプテスマを受けたのは、ピリポの示唆によると考えられる。福音を語って、自発的応答としてのバプテスマの願いが起こるのを待っても、何も起こらない。思い起こさねばならないのは、五旬節にペテロが初めて説教した時、聞いた人は「兄弟たちよ、私たちは、どうしたら良いか」と尋ねる。ペテロは答える、「悔い改めなさい。そして、あなた方一人一人が罪の赦しを得るために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい」。バプテスマは使徒の方から切り出すべきであった。これと同じことがサマリヤで起こったのだ。
 キリストの「名」が初代教会の中で唱えられていたことを我々は知っている。特に印象深く覚えているのは、宮の「美しの門」のところでペテロの語った言葉である。「イエス・キリストの名によって歩け!」。この名は単に讃美のための名ではない。キリストの名を讃美のために唱えることに大きい意義があることは言うまでもないが、キリストの名は、単に喜ばしく讃美するために唱えられる記号ではなく、足腰の立たない人を立ち上がらせる力である。
 主イエスはまた、「私の名によって父に祈ることは、どんなことでもかなえてあげる」とヨハネ伝1414節で約束したもうた。だから教会は主イエスの名によって大胆に祈ることを始めた。イエスの名によって祈るとは、その名を呼んで生けるキリストに近くいていただき、御業をなして頂くことと同じと捉えることが出来るが、キリストの名によって祈る時に、求めたことを父なる神は私と共にいて始めたもうと捉えてもよい。キリストの名について確信を持っていたことが教会の命であったことを我々は使徒行伝によって既に学んだ。それなら、キリストの名が稀薄になっているこの時代の中で、我々はキリストの名についての確信を取り戻さなければならない。
 こうして、サマリヤの人々は続々とバプテスマを受けた。「シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから引き続きピリポに随いて行った。そして、数々の徴しや目覚ましい奇跡が行なわれるのを見て、驚いていた」。
 シモンの入信は結局むなしいことではなかったか、と考える人は多いであろう。それはその通りである。しかし、そういうことを論じ合っても殆ど意味はない。それよりは、一時的に信仰者らしく振る舞ったとしても、永遠の意味を持つことではないが、一時的には一定の意味があったと見て良いであろう。シモンが一時的回心を、しないよりはした方が良かったと言った方が良い。すなわち、一時的であっても、神が悪人を用いたもうことはある。一時的なことは虚しいと我々は言う。しかし、例えば、今日のパンを今日与えられること、それは虚しいのか。そうではない。我々は感謝してそれを受ける。したがって、今一切れのパンが必要な人が目の前にいるなら、スグなくなるパンでは意味がないなどと言わず、今差し出せば良いのである。
 だからといって、シモンの入信を見て、有頂天になってはならない。それは取るに足りない出来事である。
 しかし、このことについても長々と議論することは無駄である。大事な点は、神のなそうとされる御業は「永遠の救い」であるということである。表面的な現象に囚われてはならない。己れ自身の救いの永遠の確かさを掴まなければならない。


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