ステパノの説教に対する人々の怒りが爆発点に達したのは、今日の箇所に書かれていて、その事項を学ぶ。ここで2つの点が指摘される。第一は、神殿が人の手で造ったものに過ぎないのに、重要性が置かれ過ぎていること。第二は、神の言葉への反逆は代々繰り返されて来て、ついに今の時代、最も悪性のものになり、来たるべきお方が来られたにも拘わらず、その方に全面的に反逆し、ついに殺すに至ったことである。
第一の点であるが、創造者なる神は、人の手で造られた建築物の中には住みたまわない。このことは神殿を造営した当事者ソロモンが、献堂式の祈りの中で述べた通りである。列王紀上8章27節で、「しかし、神は果たして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天も、あなたを入れることは出来ません。まして私の建てたこの宮はなおさらです」と言うのである。
これは信仰者ならずとも、人並みの知恵があれば理解出来ることである。ソロモンが言わんとしたのは、もう少し深いことであった。それは次の節で明らかになる。「しかし、わが神、主よ、しもべの祈りと願いを顧みて、僕が今日あなたの前に献げる叫びと祈りをお聞き下さい。あなたが『私の名をそこに置く』と言われた所、すなわち、この宮に向かって、夜昼あなたの目をお開き下さい。僕がこの所に向かって祈る祈りを、お聞き下さい。僕と、あなたの民イスラエルが、この所に向かって祈る時に、その願いをお聞き下さい。あなたの住みかである天で聞き、聞いてお赦し下さい。もし人がその隣り人に対して罪を犯し、誓いをすることを求められる時、来て、この宮であなたの祭壇の前で誓うならば、あなたは天で聞いて行ない、悪人を罰して、その行ないの報いを、そのこうべに帰し、義人を義として、その義にしたがって、その人に報いて下さい。うんぬん」。
つまり、ソロモンは宮を「祈りの家」として捉えている。これは主イエスが「我が家は祈りの家ととなえらるべし」との御言葉を引用されたのに合致した捉え方である。「祈りの家」というのは、ソロモン自身の理解によれば、遠いところからその宮に向いて祈る場合と、そこまで来て、祭壇の前に立ち、生け贄をささげて。隣人との和解を祈る場合とがあるということが分かる。
宮が建てられるまでは、荒野の旅の間も、約束の地に定着してからも、「祈りの家」は天幕であった。したがって、その場所は転々としたのである。全員が集まって聖会を開く場所は、その都度別であった。そこに行けない人が、せめて祈りを一つにしようとして、みんなの集まっている方角に向かって祈るという風習が、当時あったかどうか分からない。あったとすれば、その都度その都度、方角をキチンと測らねばならなかった。一定した方角に向いて祈るという定めは、古い時代にはない。おそらく、バビロンの囚われの時代に、自分たちが神の民であると確認するために、同時刻にエルサレムに向かうという制度が考え出されたのであろう。それにはそれなりの意味があったとしても、絶対的なものではない。しかし、宮そのものの絶対化が進んで行った。
前回触れたが、我々が皆知っているように、イエス・キリストは、サマリヤのスカルを通りたもうた時、エルサレムでもシケムでもなく、どこででも、霊と真をもって父を礼拝する時が来ている、と言われた。実はもともとそうであったことをイスラエルの信仰者は知った筈である。だから、バビロンの囚われの中でも、御名を呼んで祈ることが出来たし、その祈りが聞かれていることを確認した。――しかし、エルサレムを忘れないというだけでは、愛国心、愛郷心ではあっても、神を愛することではない。だから、やはり分かっていなかった。
では、人の建てた形あるものは全く無意味だったのか。――そのように主張する必要はない。エルサレムに向かうことは、不可欠とは言わないが、例えば、ダニエルたちが「金の像」に向くのでなく、エルサレムに向いて祈ったように、他の所に向いてではなく、一定の所に向いて、ということに象徴的な意味があった。散らされた民がそれでも信仰を持続したのは、エルサレムに向かうこと、エルサレムに行くことが支えになっていたからであろう。主イエスも毎年エルサレムに行っておられた。そこが神の民の象徴的中心であった。
ただし、象徴が用いられる時代は終わった。御子キリストこそが神の御姿を顕したまい、彼こそ神の家の主であり、彼を信ずる者らに聖霊が与えられるとの約束が成就して後は、エルサレムに行くことも、そこに向くことも重要ではなくなった。
パウロが、使徒とされて後も、エルサレムに帰って宮に行ったのは、先祖たちの信仰が受け継がれていることの証しのためである。すなわち、今しばらくは躓きを避けるために、古い形式を守った方が良いと考えたのである。が、他の人にまで同じ事を強いてはならないと彼は弁えている。
ユダヤ人の間では神殿信仰が固定化し、迷信に近いものとなり、しかも、宮の中に商人や両替人が店を開く権利が売買されるような世俗化と堕落が起こっていた。この腐敗を指摘されたのが主イエスの「宮潔め」の事件である。大祭司たちはその仕返しに、主イエスの御業は神殿冒涜だとこじつけて訴えた。これが主イエスの処刑の真相であるように思われるが、主が「あなた方がこの宮を毀て、私は三日のうちに建て直す」と御自身の復活を予告したもうた時、これを神殿破壊の冒涜の発言と取って訴えたことが受難の記録に見られる。
この誤解、あるいは悪意に満ちたねじまげが、ユダヤ人の間で引き継がれて、主の弟子たちへの迫害の口実とされた。しかし、迫害を呼び起こしたステパノの主張には、上に触れたことだけでない要素が含まれている。すなわち、ステパノは、広く知られたソロモンの言葉を引用するのでなく、この48節には預言者イザヤの書66章1節から引用する。何が問題点か。
イザヤ書66章の1節から3節を引くと、こうである。「主はこう言われる、『天は我が位、地はわが足台である。あなた方は私のためにどんな家を建てようとするのか。また、どんな所が我が休み所となるのか』。主は言われる、『我が手は全てこれらの物を造った。これらの物は悉く私の物である。しかし、私が顧みる人はこれである。すなわち、へりくだって心悔い、わが言葉に恐れおののく者である。牛を屠る者は、また人を殺す者、小羊を犠牲とする者は、また犬をくびり殺す者、供え物を献げる者は、また豚の血を献げる者、乳香を記念として献げる者はまた偶像を誉める者である。これは己が道を選び、その心は憎むべきものを楽しむ』」。――この前半部は、ソロモンの言うことの前半と共通であるから、今は取り上げることを省略しよう。後半部は大分違う。
イザヤ書は「人の造った物に過ぎない」というところに力点を置いているのではない。神殿や供え物を重要視する者らの内心は、それと真反対で、彼らこそ神への反逆を試み、偶像宗教に耽っている、ということを指摘し、それを糾弾する。恐るべくも的確な指摘であると感じなければならない。
ここで預言者は「注意せよ」と呼び掛けるのではない。「間違えないよう注意せよ」と言われることもある。それはそれでシッカリ聞き取らねばならない御言葉である。が、「牛を屠る者はまた人を殺す」と言われるのは、そういうことにならぬよう注意せよ、という意味ではない。牛を屠って燔祭として神に捧げておりながら、他面、人殺しに関与し、その関与が人々に知られていない事実があると指摘している。
それは「私が顧みる人はこれである。すなわち、へりくだって心悔い、わが言葉に恐れおののく者」である、と言われるところで明白になる。したがって、決められた形式にしたがって宗教行事を行なっておれば、敬虔な人と認められるという意味は全くない。中心的なことは、御言葉を聞いて悔い改めることである。それを抜きにした形式的な礼拝出席、口先の言葉に過ぎない祈り、形式と上辺だけの捧げ物……、それはむしろ神の怒りを募らせるばかりである。要するに、神の和解を受けるためには、キリストの御言葉を受け入れ、砕かれて悔い改めるのである。
すでに述べたような、形式的宗教と、霊と真をもって祈りを献げる宗教の対比があると感心しているだけでは、抽象論で、殆ど意味がない。ここで、今日学ぶところに要点が二つあると初めに言っておいたその第二のことに自然に移行する。
このような意味の御言葉を主イエスが語られた機会は屡々あった。ある人々はこれを聞いて心砕かれ、変わって行った。しかし、御言葉を聞いて、立派な教えであると評価したが、自分を変えようとしない人たちもいた。彼らは言った。「ナザレのイエスの教えは素晴らしい。しかし、過激ではないか」。だから、評価をしたが、自分はこれを受け入れなかった。そういう人たちが結局。主イエスを殺したのだ。
ルカ伝11章41節で主イエスは言われる。「あなた方パリサイ人は禍いである。薄荷、うんこう、あらゆる野菜の十分の一を宮に納めておりながら、義と、神に対する愛とをなおざりにしている。それもなおざりには出来ないが、これは行わねばならない」。これを聞いたパリサイ派の学者が異議申し立てをする。「先生、そんなことを言われるのは、私たちまでも侮辱することです」。
ステパノを殺した人たちは、主イエスを殺した人たちで、彼らは暫く前に行なった業を続いて行なったということが良く分かる。さらに注意しなければならないことがある。こういう事が希有な事件だと思ってはならない。今引いたルカ伝11章の続きで、47節以下に言われる。「あなた方は禍いである。預言者たちの碑を建てるが、彼らを殺したのは、あなた方の先祖であったのだ。だから、あなた方は自分の先祖の仕業に同意する証人なのだ。先祖が彼らを殺し、あなた方がその碑を建てるのだから」。
さらに続けたもう。「それ故に『神の知恵』も言っている、『私は預言者と使徒とを彼らに遣わすが、彼らはそのうちの或る者を殺したり、迫害したりするであろう』」。これはもうステパノの事件に直結しており、したがってステパノの言葉を読み解く手がかりを含んだものだということが見えて来る。
主イエスがここで「神の知恵」と呼んでおられるものについて、我々は何も知らない。そう呼ばれる文書があって、そこから引用されたということは分かる。預言でなく、知恵文書と呼ばれる種類の文書であろうが、古い時代の物ではないと思われる。というのは、少し前の時代にマカベア戦争と呼ばれる事件に関連して、多くの宗教的文書が書かれたことが分かっているからである。主イエスはその書を読んでおられたに違いない。マタイ伝5章10-12節、「義のために迫害されて来た人たちは幸いである。天国は彼らのものである。私のために人々があなた方を罵り、また迫害し、あなた方に対し偽って様々の悪口を言う時には、あなた方は幸いである。喜び、悦べ。天においてあなた方の受ける報いは大きい。あなた方より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。この最後の部分は「神の知恵」から引かれた言葉の内容と似ている。
ルカ伝における主イエスの御言葉の引用をもう少し続けるが、50節以下、「それで、アベルの血から、祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで、世の初めから流されて来た全ての預言者の血について、この時代がその責任を問われる。そうだ、あなた方に言って置く、この時代がその責任を問われる」。
「世の初めから、遣わされた全ての預言者、使者は苦難を受ける。メシヤもまた苦難を受ける。メシヤこそ最大の苦難に遭う」というメッセージは最重要とは言わない方が良いとしても、福音理解の鍵の一つである。そして、マタイ伝2章10節でも言われたように、キリストを信じて受け入れる者は、キリストの苦難にも従い行く。ステパノもそのように生きたのである。
ステパノがここで語ったメッセージと、上に引用された主イエスの御言葉との関連が容易に読み取れることについては、論じなくてもお分かりだと思う。
ステパノは強い調子でユダヤ人を責める。「ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなた方は、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなた方の先祖たちと同じである。一体、あなた方の先祖が迫害しなかった預言者が一人でもいたか」。
ユダヤ人は割礼を受けていたが、肉の割礼が大事なのでない。すでに旧約時代にも、例えば、エレミヤ書9章25節で言われた。「見よ、このような日が来る。その日には、割礼を受けても、心に割礼を受けていない全ての人を私は罰する」。――「心の割礼」、すなわち霊的再生、また「耳の割礼」、すなわち御言葉に聞き従うことによる方向転換が大事であるのに、それがないではないか。肉の割礼は本当の割礼が与えられることの徴しであるということは、先のエレミヤからの引用で分かる。それだのに、それを与えるために来られるお方を求めようともしない。
それどころか、そのお方が来られた時に、この方を排除し、先祖たちが重ねて来た反逆を完成させた、とステパノは言い切る。「彼らは正しい方の来ることを予告した人たちを殺し、今やあなた方は、その正しい方を裏切る者、また殺す者となった」。
「聖霊に背く」という言い方も預言者に由来する。例えば、イザヤ書63章10節に、「ところが、彼らは背いて、その聖なる霊を憂えさせたので、主は翻って彼らの敵となり、自ら彼らと戦われた」とある。聖霊に対する罪が最悪のものであることを主イエスも教えたもうたことを思い起こそう。
「あなた方は御使いたちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
律法が御使いによって与えられたとは、すぐ前のところで読んだ通り、ステパノの論法である。神からモーセを通じて与えられたという言い方をしなかった事情については私は説明が出来ない。とにかく、律法の不履行も反逆である、と容赦なく非難される。
勿論、先にペテロが説教したように、それほどの罪もイエス・キリストの贖いによって赦されることは確実である。ステパノはそのことを言う前に殺されてしまった。そのことについてここで釈明を加える必要はない。その中からも救いに与る人は少なからずいたからである。
約束されて、来たりたもうたお方が「正しい方」、義人と呼ばれた。来たりたもう前から、間もなく義人が来ると言われたようである。そのため彼のことを「義人イエス」と呼んだ。この呼び方は余りされないようになるが、初期の教会でそう呼ばれたことは3章14節には記録として残る。確かに彼は義人である。だから我々はその義に与って、義とされるのである。
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