2006.02.05.

 

使徒行伝講解説教 第46

 

――7:30-35によって――

 

 

 「40年経った時、シナイ山の荒野において、御使いが柴の燃える炎の中でモーセに現われた」。
 モーセがミデアンに逃れて40年が過ぎた。40歳から80歳までの期間であった。40年という歳月はモーセの生涯の真ん中の三分の一を占める。働き盛りということには意味がないかも知れないが、最後の40年にこそ重点があり、それまでの80年は準備の期間であったと見るのは正しいと思う。それが40年40年に配分されているから、どちらの40年も意味は同じでないが、重要さから言えば、釣り合ったものであろうと考えられる。しかし、第2の40年がどういう意味を持っていたかは分からない。ステパノも第2の40年を一瞬のうちに飛び越える。無視されたかのようである。
 この40年間に何があったか。考えて見ることは有意義かも知れない。ミデアンの地とシナイとは、海を隔ててずいぶん離れているということに前回も触れたが、良く分かっていない、いろいろな問題があると思われる。しかし、調べてそれなりの益はあるだろうが、ステパノも触れなかったことを調べ上げて、救いの知識を深めることになるとは言えないであろう。
 この40年の間にモーセが神の器として生長したであろうと推測することは出来る。しかし、その確認をする資料はない。だから、聖書に書かれている言葉だけに導かれて学んで行くことにしよう。歴史はここで沈黙する。しかし、人には捉えることの出来ない大いなる御業を神はなしたもうた。
 ミデアンに住んで羊飼いをしていたモーセは、羊の群れを追ってシナイに来た。旧約聖書でこのことを記しているのは出エジプト記3章であるが、ステパノが7章30節以下で語っていることは、ほぼ出エジプト記の記事に沿っている。ただ、出エジプト記3章1節には「群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブに来た」と言う。使徒行伝では山の名前はシナイになっているが、出エジプトではホレブである。そして、出エジプト記では、シナイという名は、ホレブと別に用いられている。聖書学者の間では、シナイとホレブは同じだという意見と、別だという意見がある。ステパノは同じ山と考えていたので、我々もそれに従っておく。
 そこで御使いに出会う。出エジプト記にも使徒行伝にも「御使い」が現われたと書いているが、モーセに見られたのは「燃える柴」であって、御使いを見たということではなかったのではないか。
 「彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞こえて来た。『私はあなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった」。
 最初見えたのは、柴が燃えている光景であった。荒野で、枯れた潅木が自然発火で燃え出したと見えたのであろう。こういう出来事がこの辺りで時々あるのかどうか。私は知らない。火が燃え広がるとすれば、羊飼いにとっては一大災難である。だから、危険なものかどうかを確認しなければならなかった。しかし、モーセが危険を感じて火を確かめようとして近づいたのかどうかは分からない。危険な火ならば、羊の群れを導いて風上に逃げなければならないのだが、そうであったようにも思われない。
 ただ単純に、不思議なことと感じただけではないか。エジプトであらゆる学問を修めたのであるが、かつて学んだ知識によっては全く見当が付かない現象であった。通常あり得ないことが起こった。そういう現象が起こっても何とも感じない、という人もいる。また、気味悪いこととして避けて逃げるという人もいたであろう。ところが、モーセは逃げなかったし、恐れなかった。それが何であるかを見極めようとして近づく。
 さすが、学問を長年やっただけのことはある、と見るのは思い過ごしかも知れない。しかし、神はもっと別の方法でモーセに現われることも出来た。例えば、アブラハムに現われたもうた時、神はある時は三人の旅人という象徴的な形をお取りになった。モーセに対しても一人の旅人とか、三人の旅人の形で来られることも出来たであろう。御使いというものは、全て普通の人の形をして現われ、伝えたメッセージの中味によって御使いだったと分かったのである。一見不思議な姿で現われることはない。
 モーセの場合は特別だったのであろうか。御使いが来たと見えたその姿が何であったかは記されていない。柴が燃えていることが見えただけではないか。しかも、燃える柴は燃え尽きない。「燃える火」と見えたが、そう見えただけで、火ではなかったのではないか。だから、燃える火が神の遣わしたもうた御使いだったと取ることは出来るが、そう取るのが適切とも言えない。35節に、「柴の中で彼に現われた御使い」と言う。柴と御使いは区別されている。燃える火が神の遣わしたもうたものであるとすれば、聖書では通常、御使いには触れず、それをただ「徴し」というのである。
 確かに、ここで大事なのは御使いの姿でなく、「声」、「主の御声」、言い換えれば「御言葉」であった。神は姿においてでなく、言葉において来たりたもうた。モーセに見られたのは燃える火であって、神がここに現臨しておられることは感じられたとしても、見えたから信じたというのではなかった。言葉を聞いて信じたのだ。
 それなら、「御使い」と特に言うことはしないで、神御自身が御言葉を語りたもうたと言って良かったのではないか。そうだと思われる。ここで御使いの出現について考え過ぎては間違いを起こすかも知れない。神は御言葉において現臨したもう。その御言葉こそが神なのだ。「言葉は神であった」とヨハネ伝の初めに書かれている。どんな言葉でも神性を帯びていると言ってはならない。しかし、モーセがシナイで聞いたのは疑問の余地なく神の言葉であった。
 我々自身において起こっている事実について考えて見よう。我々は主の日に会堂に集まって礼拝を捧げる。ここには燃える火すらない。貧しい建物があるだけで、その建物を度外視すれば、荒野にいるのと同じである。火が燃えていないと恰好がつかないと感じて、会堂の中に灯をともして、荘厳な感じを演出しようとする人もいるが、それが人間の手の業に過ぎないと分かった人にとっては、有り難くも何ともない。むしろ邪魔である。大事なのは、教会の中で生ける神の生ける声が聞こえることである。御言葉のあるところ、それが神の在ますところである。
 モーセの使命にとっては、生ける神がイスラエルを解放しようとしたもう。その生ける神を自らが信じ、人々にも信じさせることが必要であった。その神に身を委ねる時、神はこの一団を受け入れて下さる。そのお方と出会うのは、徴しを見てではなく、徴しに導かれてではあるが、御言葉そのものに出会うことである。
 我々の場合も、御言葉そのものを聞くのである。御言葉を聞くという時、これを御言葉についての解説というふうに取ってはならない。解説を聞いて、それで分かるであろうが、「分かった」ということと、「我信ず」ということは別の事柄である。信じているし、分かっているという場合もあるが、分かったと思うだけで、信じていない場合がある。そういうところには、死を越えて生きる命もなく、力もない。御言葉について解説するオハナシはあっても、生ける御言葉のないところにはリアリティーのないキリスト教の無力感が漂うだけである。
 「御使い」というようなことを持って来ると分かり難くなると思う人がいるかも知れない。それはもっともだと思われる。しかし、御使いが出て来るのを作り話のように考えるのは、結局、信仰の益にならない。ここに出て来る御使いについては、確かに分からない点は数々あるが、これをキリストの先触れ、いや、キリストそのものの一瞬の出現と取るべきであると言った教師がいるが、我々に良き手引きをしてくれたと思う。かつて、アブラハムの前にサレムの王でありいと高き神の祭司であるメルキゼデクが忽然と現われて去ったのと同じである。
 さて、モーセは燃える火の中から聞こえて来る声を聞いて、これが他でもなく神御自身の声であると確信した。それは、「私はあなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」と自ら名乗りたもうたからであろうか。
 我々に出会った人が「自分はステパノである」と自己紹介したとする。するとそれ以後我々はその人に会うたびに「ステパノさん」と呼ぶ。そのようにして、我々が神を知るのであろうか。そうではない。モーセが神を知ったのは、神が名乗りたもうたからという以上のものがあったからである。柴が燃えているのに燃え尽きない。人間の思いを越えた超越者と出会っていることが分かっていて、そのお方が「私は神である」と言われる。それはそのまま受け入れる他ない。出エジプト記ではここはもっとシッカリ書いてあって、神が先ず「モーセよ、モーセよ」と呼びたもうのである。
 創世記2章に、創造主なる神が創造されたものを人のところに連れて来て、その一つ一つに名をつけさせたもうたという物語りがある。たしかに、人は被造物に名を与えることが出来る。しかし、人が創造主なる神と出会って、「これは神だと名付ける」というのではない。名付けるということには、支配するとか管理するという含みがある。しかし、人が神を支配し管理することは出来ない。人が人と出会って「私はどこの誰である」と名乗るのは、相手と同等の人間だからである。人は人と出会って、自分を相手に差し出す。神が我々と出会って名乗りたもう場合、たしかに我々のもとにまで降りて来られたという神の遜りはあるのだが、同格になられたということでは決してない。
 神が「私はあなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」と言われた時、これが単なる自己紹介のような言葉と考えてはならない。これはむしろ宣言と言うべきであろう。
 創世記17章1節に、神がアブラハムに現れて「私は全能の神である」と宣言されたところがある。その神がヤコブに対しては、28章13節で「私はあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である」と言われた。シナイでモーセに言われたのもその言い方に準じたものである。
 神が我々に語りたもう時、基本的には「私はあなたの神」と言われる。つまり、神は単なる存在者ではなく、人格的関係を持つ者として私に関わって来られるのである。この関係を無視することは出来ない。ところで今、モーセに対して「あなたの先祖の神」と言われる時、そこには「あなたの神」という以上の深い意味がある。すなわち、あなたが未だ存在もしていなかった時から、私はあなたの神であって、あなたについて全てを掌握していた、という意味である。
 アブラハムの神と言われる時、アブラハムの全子孫の神という意味が含まれる。アブラハム、イサク、ヤコブの神と言われる時、そのことの意味はますます確定的になる。神と民との連綿たる繋がりが示されるのである。モーセも子孫の一人であるが、子孫の全体に対してモーセが使命を持っていることがここで示される。
 モーセは初め、火が燃えていて、その火が燃え尽きないのを不思議に思って、見きわめようと近づいたと31節に書かれていた。好奇心と言うか、探求心と言うか、そういうものは人間にとって必要とも言われ、余分とも言われる。余分であっても、これを抑制することは出来ない。立ち入ってはならない所に立ち入って叱責を受けることもある。しかし、その前で逡巡していてはいけない場合がある。
 モーセは先に同胞の一人が虐待されているのを見たとき、義憤を感じて、虐待するエジプト人を殺した。しかし、誰も見ていないと思っていたのに、知られていたことに気づくと、恐ろしくなってミデアンまで逃げて行った。彼自身は小心者であったと見るべきであろう。
 40歳になった時であった。自分には苦しめられている同胞に対する使命があると自覚し始めたに違いない。しかし、その使命感によって何かを果たしたと思った途端、彼は自分自身の情けないほどの弱さに躓いてしまう。もう立ち直れないほどで、ミデアンの荒野に逃げて、そこに生涯隠れ通すつもりであった。それから40年が経った時が転機になるという予感ももっていなかった。
 その時に、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神との出会いが起こる。アブラハム、イサク、ヤコブについて、彼は幾らかは知っている。それがすなわち私の神であるということも観念としては分かっていた。これが諸国民の拝む神々と同列の作られた神でないということも分かっている。しかし、自分自身は臆病で、神の前に怖くて顔を上げられないほどである。エジプト王パロに対してさえ、恐ろしくて逃げて来た。40年経ったからエジプトに帰っても良いのに、帰ろうとしなかった。
 モーセが使命を授けられた時、これを辞退しようと試みたことが出エジプト記4章に記されている。しかし、ステパノの説教では割愛された。召されて、自分が適任者でないと断っている例の方が断然多いということを我々も知っている。だから、今は省略して置こう。
 「すると、主が彼に言われた、『あなたの足から靴を脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である』」。
 ここは聖なる地であった。モーセはそれを知らず、ミデアンの地続きという位にしか考えていない。モーセが入ったこの境域は、もともとミデアン人の聖地であったではないかと解釈する人もあろう。ミデアンの地から随分離れていることも説明がつくかも知れない。ヤコブがベテルでその地の人たちが聖域としている所で石の柱を枕にして眠って夢を見たという事件と何か似たような所がある。しかし、ミデアン人が聖域として使っていた所だから聖なる地であると見るのは意味がない。神が現臨しておられるから、そこは聖なる地なのだ。そして地が聖であるとは、目の前にいる方が聖なる神であるという意味である。
 聖なる地という観念は、キリスト教ではユダヤ教から受け継いだものが初期には幾らか残っていた。これは間もなく消えて行く。聖なる物とか、聖なる地域というような観念がまた盛んになるのは、ずっと後でカトリックが作ったからである。
 「『私はエジプトにいる私の民が虐待されている有様を確かに見届け、その苦悩の呻き声を聞いたので、彼らを救い出すために降って来たのである。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう』。こうして『誰が君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥されたこのモーセを、神は柴の中で彼に現われた御使いの手によって、支配者、解放者としてお遣わしになったのである」。
 モーセはかつて一つの使命を感じ、40歳で同胞の解放のために立ち上がろうとした。それが惨憺たる失敗に終わったのは、モーセ自身がまだ器として出来ていなかったからであると考えられるかも知れないが、そうではない。モーセが未熟だったことはその通りであるが、神の始めたもうた聖なる事業でないから、挫折したのだ。モーセの弱さとしては、先ず神の計画に従う確信がなさすぎた。鉄の意志をもって神の計画を遂行しなければならないのに、一つの国家を率いる力量もない。エジプト政府の官僚の仕事の一部分を担当する能力はあっても、イスラエルの全員を相手にして神の意志を貫徹する力も、パロとその全ての力と戦って勝つ奇跡は行なえなかった。
 しかし、彼にどれだけの力が必要で、それがどのようにして用意されたかを学ぶことは我々にとって必要ではない。我々にはそれだけの能力を備えねばならない務めは負わせられていないからである。しかし、これだけは知って置こう。神は必要に応じてモーセを育てたもうた。本人には思いも及ばない力を神は与えたもうた。必要な賜物を備えた器を神は今も育てたもうのである。

 


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