2006.01.15.

 

使徒行伝講解説教 第44

 

――7:9-6によって――

 

 

 ステパノは自分たちの先祖がどのような信仰によって生きていたかの歴史を、アブラハムから始めた。アブラハム以前にも信仰者の系譜があることを我々はヘブル書11章4節以下によって教えられている。ヘブル書の著者はアベルから始めて、エノク、ノアと続いてアブラハムに至るのである。ステパノがアブラハムから始めたのは、それと別な解釈を立てたのである、と強調する必要はないと思う。ステパノは神の明確な召し、神の与えたもう明白な契約、また神が契約に添えて与えたもうた徴し、聖礼典から論じ始める。
 アブラハムから説き起こしたとき、ステパノが予定していた理論の筋立ては、キリストの教会の建設にまで説き及ぶことであった。それが断ち切られて、イエス・キリストの到来の預言も成就も論じないうちに、暴力的に殺されたのである。こういう構想で語ったから、アブラハムとの契約はその子孫にまで受け継がれ、契約の徴しの割礼という聖礼典は、キリストの教会においても、恵みの契約の徴しという本質を変更することなく受け継がれることを論じる準備として、ステパノは8節で割礼のことを語って置いたのである。
 アブラハムは神の召しを受け、それに服従する歩みを始めたが、この段階では、召されて従う民は彼一人であった。アブラハムには妻もいたし、一族郎党もいて、彼らは彼と同じように神に服従したのであるが、その一族は人間の集まりとしてでなく、一人として、個人として描かれ、また扱われている。例えば、アブラハムは非常に重要なことでも、妻と相談することなく一人で決めていて、自分以外の人の人格を無視しているように思われるかも知れない。近代における個人の意識をここに持ち込むことは、理解を混乱させるばかりであるから余計なことは言わない。アブラハム一人として扱われたのは、神からの召し、神への服従、そして信仰、決断、また希望と忍耐は、集団としても成り立つものではあるが、個人において考察した方が、ずっと明快に理解されるからではないかと考えれば十分であろう。
 こうして、アブラハムも、イサクも、ヤコブも、一人であるという世代が三代続いて、次にヤコブに12人の子が生まれ、12家族になる。この12家族は、これで一つの国家と言っても良いであろうが、ステパノの言わんとしたのは、これが教会の原型であるということであった。12という数は象徴的なものであるから、この通りの数でなければならないと拘るには及ばない。しかし、確かに、12人集まれば教会である。主イエスは2・3人が私の名によって集まるならば、私もそこにいる、と約束された。キリストのいますところに教会があるのだから、数としては2・3人で良いのであるが、今は12という数が表すものを読み取って置こう。
 少し先の聖句に飛ぶのであるが、7章38節で、ステパノは「荒野における集会」という言葉を使っている。この「集会」と訳されたのは「エクレシア」で、通常「教会」と訳されるものであることは常識になっている。使徒行伝の文脈の中でもすでに何度か教会という言葉は出た。ところが、日本語の聖書翻訳者は、これはまだ教会のない時代であったから、「教会」と訳しては間違いになるのではないかと気を遣って、「集会」と訳した。しかし、気を遣ったのが裏目に出たのではないか。「教会」と訳した方がステパノの意図を正しく伝えるのではないか。そういう訳し方をする神学者は、日本にはいないとしても、世界では珍しくない。
 つまり、ステパノがここで教会の原型を読み取っていると受け取った方が、荒野における集会と読むよりもずっと明快なのである。荒野の教会は生ける御言葉を与えられるところであったとそこに記されている。族長時代には教会がなかったと考えるのは正しくない。少なくも「或る意味における教会」はあったのだと言いたいとステパノは考えた。この教会理解を我々は受け継ぎたい。
 先に飛んでしまった所から引き返すが、イスラエルの族長12人、これは、主イエスが12人をお立てになることを示したのである。12という数は神の国を象徴し、「神の国は近づいた」と宣言された主イエスの引き連れたもう人々の数に相応しい。それはまた、教会を象徴する数である。五旬節の朝、人々が大音響に驚いて駆け集まって来た時、使徒全員が立ち上がって、ペテロが一同を代表して説教したことを使徒行伝2章で読んだが、これはキリストの教会の成立を提示したものである。
 アブラハム一人でも教会を象徴していると言うことは十分出来る。すなわち、教会において肝心要のものは、アブラハムその人の中にあるからである。しかし、アブラハムにおいて教会が提示されたと言うのは少し無理であろう。象徴されただけだからである。教会は一つの体にたとえられる。それはたとえであり、比喩であって、教会の定義であると考えるなら間違いである。
 教会は複数の者から成る。一人ではどんなに信仰が篤くても、教会にならない。だから、神の民の歴史においては、アブラハム一人、ヤコブ一人では教会ではなく、ヤコブに12人の子が授けられて、それが教会の原型になった。単に原型というよりは、すでに或る意味で教会であったと言い切って良い。なぜなら、そこに教会として本質的なものは揃っていたからである。ただし、彼らは自分たちの結合が、同族であることは知っていたとしても、主の民として、特別な恵みを受けていること、またそれだけに使命があることの自覚を殆ど持っていなかったからである。
 今日は9節から、旧約の教会の実際の姿を見る。旧約の族長たちの生活は実に乱れているので、今日の教会とはまるで別だと言うことは出来なくないようではあるが、我々が彼らに優る恵みの賜物を持っていると慢心しないように己れを検討しなければならない。
 「族長たちは、ヨセフを妬んで、エジプトに売り飛ばした。しかし、神は彼とともにいまして、あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵を顕させた。そこで、パロは彼を宰相の任に就かせ、エジプトならびに王家全体の支配に当たらせた」。
 族長というのは一般的には父たち、父祖たちと言う中に入ってしまうが、それと別の意味ももっていて、イスラエルの12氏族を立ててその首になる者である。これを立てたのはヤコブであって、そのことは創世記48章と49章に記されている。古い父祖をみな族長として扱ってしまう場合もあるが、正式にはそうではない。2章29節に、族長ダビデという言い方があったが、これは王としての権威を与えられたことからこういう呼び方をしたのであって、正規の族長ではない。
 ヤコブの子12人は原則として族長になるが、ヨセフは族長にはならなかった。彼が兄弟から売られたからイスラエルの籍を失ない、その後エジプトで宰相となって、オンの祭司の娘を妻として娶ったことによって祖国との関係が切れたからである。その代わりに、ヨセフの二人の子、マナセとエフライムがヤコブから直接の祝福を受けることになる。そなわち、ヤコブの子の扱いを受ける。
 そうすると、ヤコブの子は13人になるのであるが、そのうちのレビは、一族を上げて専ら神に仕える務めをして、嗣業を持たないから、12人で嗣業の地を分配することになった。
 さて、族長の歴史、それはまた教会の歴史と看倣すことが出来るが、醜い事件がいろいろ起こる。ヨセフはヤコブが最初から愛して、妻にしようとしていたラケルの子であるが、ヤコブにはその前に、愛していない娘を押し付けられていたので、ヨセフの生まれたのは遅い。ラケルはヨセフの次にベニヤミンを出産した時に死んだ。そういうことがあったので、父ヤコブはヨセフとベニヤミンを特別に愛し、ヨセフは慢心しているところがあるので、兄たちから憎まれた。
 ヨセフ物語りは、クリスチャンホームに育った人にとっては聞き飽きるほど聞かされる物語りであるが、やはり触れない訳には行かないであろう。兄たちはヨセフを殺そうとしたが、そのうちの一人ルベンだけは血を流すことに反対し、ヨセフを庇った。しかし、ルベンの不在中に、エジプトに向かうイシマエル人の隊商が通り掛かったので、ほかの兄たちは銀20シケルでヨセフを売り、その着物に獣の血を塗って、野獣に食い殺されたように思うと父に報告した。
 教会の原型という言い方をしたが、何という忌まわしい原型であることか。しかし、我々は教訓的な昔話を聞かされているのでなない。これでもアブラハムへの約束を引き継いでいるのだから、今日の教会のなかに忌まわしいことが沢山見られても、教会は教会なのだ、とふんぞり返って言うようなことはしないで置こう。神の民は神の栄光を汚すことがないように注意しなければならない。そのような警告が無かったならいざ知らず、我々は十分聞いている。
 族長たちの間に醜いことがあったのはその通りであるが、醜い話しばかりでないということも我々は知っている。ステパノの説教の中には出て来なかったが、弟ベニヤミンがエジプトに残されて、奴隷になると言われたとき、その兄弟であるユダは、自分が代わって奴隷として留まるから、年老いた父の特に愛している彼を父のもとに帰らせてくれと嘆願する。
 族長たちの間に嫉みや傲慢があったように、今の教会にもそういうものがあるのではないのか。表面は一応覆われているが、根は除去されずに残っているのではないであろうか。それでも、神の民として祝福の約束があるのであるから、約束の確かさを確信し、恵みに相応しく生きなければならない。
 エジプトに行ってからも苦難と試練が続くが、30歳でエジプトの宰相になるほどの出世をする。ステパノはこれを「神は彼とともにいましたもうた」と一言で要約している。まことにその通りである。
 11節以下の物語りの進展を見ることにしよう。「時にエジプトとカナンとの全地に亘って飢饉が起こり、大きな苦難が襲って来て、私たちの先祖たちは食物が得られなくなった。ヤコブはエジプトには食糧があると聞いて、初めに先祖たちを遣わしたが、二回目の時に、ヨセフが兄弟たちに、自分の身の上を打ち明けたので、彼の親族関係がパロに知れて来た。ヨセフは使いをやって、父ヤコブと75人にのぼる親族一同とを招いた」。
 この物語りのうちで最も重要なのは、ヨセフがこの一連の出来事に与えた意味付けである。それは創世記45章7節に書かれている。「神はあなたがたの裔を地に残すため、また大いなる救いをもってあなた方の命を助けるため、私をあなた方より先に遣わされたのです」。
 ヨセフ物語りは、禍いが転じて福となる通俗的幸福物語りの傑作として受け取られ勝ちであるが、そうではない。救いの歴史である。世界的飢饉の時に御自身の民が滅び失せることがないように、神はヨセフを予めエジプトに送り込み、エジプトで成功させ、この民をエジプトが引き受けることの出来る準備をさせたもうた。しかし、その経過は一見非常な苦難であった。
 キリスト教会においては、ヨセフの演じた役割は来たるべきキリストの御業を示していた型であるという解釈がこの後に成り立った。すなわち、イエス・キリストが苦難の中に送り込まれて、救いの道を開通させたように、ヨセフは苦難のエジプトに送り込まれて救いの道を用意したのである。ステパノの解釈はまだそこまでは行っていない。しかし、すでに創世記の中にあるヨセフの言葉が、神の救いの御業がどのようにして準備されたかの原理を捉えている。
 では、ヨセフの用意したイスラエルの飢餓からの救いは、実際の教会の歴史では何に当たるのであろうか。それは最後の安息の場を指しているとも取れる。イエス・キリストはヨハネ伝14章2節3節で、「あなた方のために場所を用意しに行く。そして、場所の用意が出来たなら、また来て、あなた方を私の所に迎えよう」と言われたことを思い起こす。また、教会の歴史の中では、教会の全滅が起こるのではないかと予想されるような危機は、時々あるのであるが、教会は神の備えたもうた避け所に隠れ家を得て、滅びを免れたことが繰り返されたと見ることが出来る。そういうことは今後もある。私がヨセフの役を担い、教会のために奴隷の軛を負って苦労し、その結果教会が崩壊を免れるというようなことがあり得る。ステパノはヨセフの苦しみのような苦しみを教会のために受けることを覚悟していた。
 イスラエルの歴史には人々の思いも寄らないことが次々と起こった。神への信仰という点では貫かれているが、見える面で言えば予期しないことばかりであると言えるであろう。カナンの地が約束されていたのに、その地でアブラハムも、イサクも、ヤコブも宿り人であり、ヤコブはついにその地にも住むことが出来ず、エジプトのゴセンの地に移らねばならなくなって、そこで死んだ。約束の地で死ぬならまだしも、殆ど流刑の地に近いと言える所まで流れていってそこで命は果てた。
 しかし、ヤコブが希望を失って死んだのでないことを見なければならない。15節以下を読む。
 「こうして、ヤコブはエジプトに、彼自身も先祖たちもそこで死に、それから彼らはシケムに移されて、かねてアブラハムが幾らかの金を出して、この地のハモルの子らから買って置いた墓に葬られた」。
 ヤコブの死は創世記49章に記されているが、子たちに祝福を与え、それから自分の葬りについて指示を与えた後、息を引き取った。その地はマムレの東にあるマクペラの畑にある洞穴で、アブラハムが妻サラの死んだ時、まだ土地を一かけらも持たなかったのに、死人の葬りのために大金を払って買ったものである。
 死人の葬りのために土地を買うとは、どういうことか。「死にたる者に死にたる者を葬らせよ」と主イエスは言われたではないか。生きている者のために、またその人の真の命のためにこそ、労苦するのが意味あることではないのか。――一見もっともな主張であるが、これも一種の現世主義ではないか。命、命、と言うが、現世の命の範囲内で人間の生き甲斐を見ているだけではないかと感じられる。
 死者の復活の約束はどうなのか。どう聞いているのか。死が終わりなのではなく、死の死、死の支配の終わり、あるいは死人の甦り、体の甦りが約束されている。積極的に活動した人も、心臓が止まって、その時から肉体の腐敗が進んで行く。空しいではないか。いや、そうではない。死は終わりではない。死者は甦る。キリストはそれを言葉と事実によって証したもう。
 そのことを信じる信仰の証しとして、アブラハムはマクペラの洞穴を手に入れた。それは復活信仰である。教会の保持する信仰の一面は体の甦りである。ヤコブはその信仰を抱いて死んだ。


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