2006.01.01.

 

使徒行伝講解説教 第42

 

――6:11-15によって――

 

 

 今朝、我々は主日礼拝を献げているが、これはもう一面から言えば元旦礼拝である。主の日は主イエス・キリストが復活したもうた事実によって意義付けられ、キリストの民によって連綿として守られているものである。一方、元旦というのは、我々の国の政府が先進国に追いつこうとして旧来のものを破棄して採用した暦の1月1日であるが、旧い暦によれば特別なことは何もない日である。今でも旧暦によって正月を守る人々もいる。
 世界には各種の暦があり、人々はそれぞれの暦によって1年の生活を組み立てており、一つの暦と他の暦の間の優劣を論じることには余り意味がない。しかし、どこかで1年のケジメをつけ、それを起点とする1年を定めなければならない。米を食べる人の間では米の種蒔きの時を失したならその年の主食はなくなる。川を遡って来る魚を食べる人にとっては、その遡って来る日を弁えていないと、食べられなくなる。だから、この世における生活を営むためには、どの暦を採用するかには関わりなく、暦を持つことが大事である。
 万物の創造者であられる神は、1日の昼と夜、また1年の季節を定めて、それを司らせるために太陽と月を創造したもうた。我々はこの秩序を守らなければ生きて行けない。だからこの秩序の根源を覚えるために、被造物である人間がそれぞれの暦にしたがって新年を守ることには意味がある。
 しかし、日々太陽の光りを新しく感じるとしても、この地上での営みは死によって閉じられる。草は枯れても、種を残し、そこからまた新しい芽が出て来るではないか。と人は言う。そのように生命というものは形を変えても次の世代が生じて持続するのだと考えられている。
 人間は知恵が乏しいから、その乏しい知恵で捉えることが出来るのは、せいぜい人の一生の長さが限度であった。やがて人間はその知恵を用いて記録を残すことを知った。だから、今ではかなり長い時代を知るようになった。それでも、知らないことは沢山ある。生まれては死ぬが、次の世代を生み育てているから、人類の生命は持続されると人々は考えている。この考えは何千年も続いて来た。だから、地球の終わり、人類の終わり、というものを考える人は多くなかった。信仰の世界に入らない限り世の終わりを論じることは出来なかった。
 ところが、今では、日常生活の延長の地平に、世界の終末がチラチラ見えるようになっている。人はこのことを余り言いたがらないが、ますます無視出来なくなっていることに気付いていないわけではない。資源の枯渇についての警告が数字を上げて語られるようになっている。
 もっと悪いことに、人類の中の知恵にたけた人々は自分たちが生き残るために、生き残れる階層の地位を安定させることを考え、実行し始めている。それは改革という名で行なわれるため、善いものであると見られ、悪であることが見えなくなっている。悪であることが分かっている人も、自分の正義感を鈍らせた。弱肉強食という言葉は、昔は譬えとして語られただけで、例外的な場合にしか実行されなかった。そのことが、今では多数者の同意という理由付けによって公然と政策として行なわれている。戦争中、敗戦につぐ敗戦の中で食糧の尽きた軍隊は、仲間のうちの最も弱い兵士を、間もなく死ぬのだと理由づけて、生き残る者の食糧にし、生きてかえった時、その事実を隠し通そうとした。そのことが、今では明るみに出され、語られるようになったが、それと同じことが別な形で現代では日常化した。
 一例に過ぎないのだが、巷に投げ出されているホームレスの兄弟たち、彼らが悪人であるから正規の生活から蹴落とされたのではなく、弱い者を蹴落として何とも思わない社会が作られたために、蹴落とされた。我々もそういう社会が出来て行くのを何とも思わず、むしろそういう社会が作られることに貢献しているのではないか。神がこれを見ておられることに気付こうとしないのではないか。
 暦にしたがって1年を始めている社会は破綻したのである。これを正常化しなければならない。そう気付かずにおられない危機の時代である。一つの暦の示す人類の破綻を思いつつ我々はもう一つの暦のことを思うのである。その暦においては、ただ神の御意志のみが支配する。それは神が初めに天と地を造り、世の終わりに世を終わらせたもう暦であり、その暦では週ごとに我々が主を礼拝し、主キリストの死と復活を確認して、「我すでに世に勝てり」と宣言したもう御声を聞く。
 そのように、一つの暦における年の初めと、もう一つの暦における週の第一日とが重なるこの日、元旦の持つ意味について聖書から聞くことは無意味でないと知っているが、終わりに向けて急いでいる時の中で、これまで聞き続けて来た御言葉の続きを聞くことを優先した。
 使徒行伝6章の8節から10節において、我々はステパノを用いて進められて行く主の御業の勝利を見てきた。「彼は知恵と御霊とで語っているので、彼らはそれに対抗出来なかった」。
 ステパノは、その説教を見ても、優れた資質の伝道者であったことは明らかである。経歴については何も分からないが、ギリシャ語を用いるユダヤ人として、おそらくユダヤ以外の地で育ち、そこで高度な教育を受け、エルサレムに来て優れた律法学者について学んでいたと想像する他ない。しかし、彼が彼と似た経歴のユダヤ人たちと論戦して、相手が対抗出来ない力を発揮したのは、その素質や、育ちや、修練によるのでなく、知恵と御霊によって語ったからであると聖書は言う。知恵というのは生来の知恵や、修練によって磨かれた知恵ではなく、御霊が与える知恵、また御霊によって働く知恵であったということはすでに学んだところである。
 御霊によって語るという一点を除外したなら、ステパノと少なくとも互角の論争をすることの出来る人がいた筈である。前回少しだけ触れたのであるが、8章1節に「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた」と書かれているそのタルソ人サウロは、何も知らないでステパノの死に賛成したのではなく、ステパノと論戦して勝つことが出来なかったという経験を持っていたはずだ。
 ステパノとサウロが互角の実力を持つ学者であったと考えて良い。しかし、サウロはステパノに勝つことが出来なかった。サウロはその後に何故自分が勝てなかったかを知った。これは憶測ではなく、彼自身の言う言葉である。すなわち、Iコリント2章4節に「私の言葉も私の宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである」と言っている通りである。
 それでは、有力な伝道者ステパノを擁することによって、エルサレム教会の伝道は驀進し続けたのか。見た目ではそうでなかった。大迫害によって、エルサレムの教会は使徒12人を残して壊滅状態になった。ただし、これが敗北であったかというと、そうではなく、それまでエルサレムの中でだけ行われていた宣教活動が、東西南北に拡がった。いわば迫害に助けられて御言葉の種が広範囲に蒔かれた。
 それにしても、論争による勝利は一頓挫したと言わなければならない。これ以後、論争において勝利するという前進がなくなったという訳ではないが、五旬節の朝9時に始まった形の戦いは、ひとまず終熄した。御言葉の働き人が論争において常に勝利しなければならないということではないが、その後の時代にも、御霊の力によって反対者を凌駕するだけの訓練は依然として必要である。
 11節から讀み進む。「そこで彼らは人々を唆して、『私たちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた』と言わせた」。
 議論で黒白を着けることを彼らは止めた。やっても敗けるばかりだから、断念した。論争で敗けた人たちは、まともな理論で対抗することを抛棄した。彼らが用いた戦法は二つである。一つは人を数多く集め、多数者であることを力として勝とうとする。論者自身だけで論争する時には、ステパノと一対一で立ち向かわなければならない。それでは必ず敗ける。そこで多数者を糾合し理論、道理では勝てないから力ずくで相手を葬ろうとした。ところが、多数者が一つになるという場合、多数者が真理において一致することはないとは言えないが、かなり時間がかかる。
 真理でないもの、真理の逆のもの、虚偽によって人を糾合することは必ず成功するとは言えないとしても、概ね、一時的には相手を制圧するのである。ステパノの論争相手になったのは正規の律法学者であったかどうかは分からないが、指導者層の人であろう。単なる群衆ではない。その人たちに集められた人は、ただの群衆である。
 ステパノがモーセと神とを汚す言葉を吐いたというのは、虚偽、あるいは少なくとも誤解である。そのことは我々自身が7章に記録されるステパノの説教によって確かめることが出来る。ステパノは極めてまともなことを言ったと判断できるのである。ただし。ステパノの言ったことが分からないために、不幸にも誤解した面はある。それにしても、神を冒涜したから石で打ち殺さなければならないと言うのは言語道断である。
 次の12節に進む。「その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、彼を襲って捉えさせ、議会に引っ張って来させた」。
 リベルテンの会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人などのうちにいた人々がステパノを殺したのである。人数については見当がつかないが、それほどの多数ではないと推定される。自分たちでは数が足りないから、ほかの人も集めた。
 議会の議員たちが仲間に引き入れられた。それも議会の大多数ではないのではないかと推測する。ステパノを議会の裁判に掛けることに同意する人々の数を集めた。そして、ステパノを議会に掛ける同意を取ってから、彼を襲って、捕縛し、裁判のために議会に引いて行った。
 ここから先は主イエスの裁判と全くよく似ている。使徒行伝の記者と、使徒行伝の読者は、ステパノの審判が主イエスの審判と似た形であると意識していた。13節は言う、「それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、『この人たちは、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、止めようとはしません』」。主イエスの裁判の場面を福音書から引くことは省略する。
 さらに、14節に書かれていることはひどい虚偽である。「『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ち壊し、モーセが私たちに伝えた慣例を換えてしまうだろう』などと、彼が言うのを私たちは聞きました」。
 ステパノがそういうことを言ったはずはないと我々は信じている。7章にある彼の説教にはこういう言葉は出て来ない。もっとも、そこでの説教のテーマは旧約における救いの歴史であるから、出て来ないのは当然である。他の機会には言うこともあったか。それもなかったと言うほかない。ステパノが主イエスの言葉についてそのような理解を持っていたはずはない。もう一つ疑問があるのは、エルサレムの議会がそういう証言を受け入れたと考えられないからである。
 マルコ伝14章56節以下によると「多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言が合わなかった。ついに、ある人々が立ち上がり、イエスに対して偽証を立てて言った、『私はこの人が、私は手で造った神殿を打ち壊し、三日の後に、手で造られない別の神殿を建てるのだ、と言うのを聞きました』。しかし、このような証言も合わなかった」。
 証言は二人以上の証人の言うことが合致しなければ、証言としては認められず、したがって採用されないで、却下される。ナザレのイエスの裁判の場合にはその点キチンと吟味したのに、ステパノの裁判に際してはそんなにまで好い加減になっていたのであろうか。あるいは、主イエスの裁判を推進したのと同じ思想の人たちがステパノを告発し、先には証言が合わなくて失敗したから、今度は口裏を合わせる準備を入念に行なったのであろうか。
 とにかく、主イエスを告発する論法と同じ論法でステパノは告発された。その記録の信憑性を疑っても、収拾がつかなくなるだけだから、使徒行伝の記述をそのまま読むほかないと思う。すなわち、ナザレのイエスが神殿を壊そうとしていたという思い込みがユダヤ人の中に根強く残っていたのである。
 モーセによって打ち立てられた慣習がイエスによって変更されたということに関してはこの通りだった。食物や飲み物についての規定、潔めの規定、安息日についての規定は、実際にはまだ変わっていなかったが、原理的に違うものとなったこと、すなわち律法は全うされ、したがってキリストを信じる者はこれについて自由になったことは教えられていた。
 このことでは宗教裁判が行なわれたとしても不思議はない。しかし、それは神学的な解明であるべきだった。確かに、ユダヤ教からすれば、イエス・キリストの教えは異端であろうが、聖書を聖書によって読む解釈としてはどうであろうか。これまでの所でも使徒たちの聖書解釈はユダヤ教のラビの解釈とは違っていたが、慎重なラビたちはイエスの使徒の聖書解釈を断罪することは慎んだのである。また、6章7節で見たように、祭司たちも多数入信したのである。
 そういう状況が全く変わって、キリスト教の全面的禁圧になった事情について我々にはよく分からない。
 15節に行く。「議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔はちょうど天使の顔のように見えた」。
 ステパノの顔が天使の顔のように見えた。これを顔が光り輝いていたと取る人があると思うが、間違いである。御使いは神から遣わされて命じられた用を果たすのであって、光り輝く装いをしていた場合があることはあるが常にそうであったのではない。それはむしろ稀であった。御使いは託された用を果たせば良いのであって、自分自身の印象を植え付ける必要はない。
 暗い顔をしていてはいけない。恥じることのない明るい顔でなければならない。が、顔が光り輝いていなくて良い。御使いを天使と呼んで、純白の輝く衣を着た者という天使像が造られたのは遥かに後の時代のことである。席についていた人、すなわち判定を下す裁判官はステパノがどういう人であるかをジッと見たのである。裁くためには、その人の言うことを聞かなければならないが、それに先立って先ず顔を直視する。ピラトが主イエスを裁いた時、「この人に罪はない」と一旦判定したのは彼の心証によるものであった。今日でも裁判官は判決を下すに当たって、証拠を確かめるとともに、自分の心で直観された心証を大事にするのであるが、この時、ステパノに目を注いだのは心証を得るためである。
 裁判官たちがジッと見詰めたところ、ステパノの顔が御使いのように見えて来た。すなわち、神から遣わされた人であってその内に偽りはないというのが心証であったという意味である。それだのに、どうして石で撃ち殺されることになったのか、正規の判決が行われたのか、外部の者がなだれ込んで裁判秩序が混乱に陥ったまま、判決なしで、リンチが行なわれたのではないかという疑問が残る。
 しかし、秩序を保つためにあると言われる裁判所が権威を誇示しているようであるが、実は外部の力に左右されている場合が多い。ピラトの裁判も曲げられたし、ステパノの裁判もそうであった。今日においても同じである。ステパノはその暴力と争わないで、主イエスの後を辿ったのである。

 


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