2005.11.13.

 

使徒行伝講解説教 第37

 

――6:1によって――

 

 

 「その頃、弟子の数が増えて来るにつれて、ギリシャ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人に対して、自分たちの寡婦らが、日々の配給でおろそかにされ勝ちだと、苦情を申し立てた」。
 「その頃」という言葉は、どの時期と特定することも難しいが、最も早い時期ではなく、それでも、第一期と言うほかない時期を指すと思われる。すなわち、教会はサマリヤにもガリラヤにも、ヨッパにも延びていない。エルサレムの中にだけ限られていた。外に向けての教会の発展は早かったのであるが、それもまだ始まっていない頃、だから、かなり早い時期であった。
 その頃、すでに迫害が始まっていたことを我々は知っているが、それでも、教会はどんどん大きく発展して行った。それは喜ぶべきこととして諸教会の中では通例見られるものである。この6章においてもそうであり、7節では、「こうして神の言葉は、ますます広まり、エルサレムにおける弟子の数が非常に増えて行き、祭司たちも多数、信仰を受け入れるようになった」という喜びをもった書き方で締め括っている。
 増えて行くことは良いことと見る一般的な見方に、異を唱える必要はない。しかし、その程度の浅薄な見方でしか教会を考えていないとすれば、悲劇であろう。すなわち、大きくなることを手放しで喜ぶことの半面は、慢心に他ならず、小さいことは悪いことだとの判断であり、意味のないことだと決めつける横暴に陥る危険がある。こうして、繁栄の後に教会の衰退が来る。キリスト教の歴史の長い国に行けば、教会が疲弊し、殆ど消滅し、かつて教会があったことの遺跡である教会堂が売りに出され、神の民とは全く無関係な営業のために用いられている実例を幾らでも見ることが出来る。いや、外国まで行くには及ばないと言うべきであろう。
 この世の帝国、またこの世の企業が大きく発展して行った果てに瓦解する。それと同じ様なことが、「キリストの教会」と呼ばれている群れにおいても繰り返される。それが教会の在りのままの姿であると見る人は多いが、そのような見方が定着してはならない。教会は「興こりて倒るる世の国々」とは別の道を行く。教会は神の約束のもとに置かれているからである。
 神は御自身の民と契約を結びたまい、その民が増え広がる祝福を約束されたのである。その約束は真実で確かであると確認しなければならない。それならば、神の民が小さくなり、衰え、消えて行くとはどういうことか。あるいは、今のところ衰えたとはまだ言えないとしても、崩壊の一歩手前まで来ていると思わせられる兆しが見えるのはどういうことか。
 この問題を論じることは、無意味であるとは思わないけれども、今日与えられている御言葉の学びの課題ではない。しかし、神が御自身の民に祝福と発展を約束したもうたのは、どういう意味であったかを思い起こせば、この難問はたちどころに解けるであろう。我々は祝福の原型と言うべき実例を、創世記12章の初めで読むのであるが、神はアブラハムにこう言われた。「私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう」。――「祝福の基となる」ということを神はさらに説明して、「地の全てのやからは、あなたによって祝福される」と言われた。
 この時の約束の言葉に結び付いて、さらに意味を明らかにするのが、創世記22章16節以下の約束である。神は言われる、「私は自分を指して誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたの独り子をも惜しまなかったので、私は大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫を増やして、天の星のように、浜辺の砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたが私の言葉に従ったからである」。
 全ての人に祝福を行き渡らせるために、神は御自らのために、先ず選びの民を立て、これを祝福することを通じて、地のもろもろの民にまで祝福を及ぼそうとしたもうた。だから、神の祝福を単に自分の幸福ためのものとしてしか捉えない人は、間違った理解をしている。
 ところで、エルサレムの教会は驚異的に増え広がって行ったのであるが、その半面、ギリシャ語を使うユダヤ人のグループと、ヘブル語を使うユダヤ人のグループとの間の軋轢が生じた。これは軋轢と言うほどではないが、そうならぬとは限らない不幸であったと考察される。「苦情を言う」とはどの程度のことか分からないが、問題が露わになったことは事実である。
 そのような不一致の危険を教会が如何に乗り越えたかという、教会運営の知恵について、ここで力説する必要はない。この時、教会の中に見られたイザコザも、殆ど問題にするに当たらないと言うべきだ。すなわち、アブラハムに対する祝福の約束の二つの実例で見る通り、教会の発展は祝福を広く及ぼすためにこそある。このことを忘れさえしなければ、ここで問題意識を強調することは要らない。
 さて、キリスト教会の中に、初めの日からギリシャ語を使うユダヤ人と、ヘブル語を使うユダヤ人の二つのグループがあったことは、使徒行伝2章の初め、五旬節の記事の中で、そう言葉で書かれていたということではないが、聖霊の降臨によって人々が異国の言葉を使い出したと述べられているくだりの解説として学んだ通りである。
 二つのグループがあったと言ったが、もう少し詳しく言うと、ヘブル語を使うユダヤ人、ヘブライスト、すなわちユダヤに住み続けた人と、ギリシャ語を使うユダヤ人、ヘレニスト、すなわち今エルサレムに帰って来ているが、ディアスポラになって世界中に離散していた人と、もう一つユダヤ人ではなく異邦人であって、ユダヤ教に改宗して旧約聖書をギリシャ語で読んでいた人の区別があった。
 この三つのグループの仲違いを面白がって取り上げる人がある。心なきわざであって、何の益にもならない。不和になったかどうかも分からない。人種的にも、言語的にも、文化的にもさまざまに異なっている人々が、一つになって、公同の教会を成り立たせているのであるから、体の中に色々な肢があって、それぞれが違ったままでありながら、協力して、一つの身体に一つの動きを起こさせているのであるから、何もおかしいことはない。
 それでも、ギリシャ語を使うユダヤ人と、ヘブル語を使うユダヤ人がいたという事情は良く理解して置くべきである。この違いは日常の生活用語が違うというだけでなく、旧約聖書をヘブル語もしくはアラム語で読むか、ギリシャ後で読むかの違いであったから、その違いを深刻に考えることは必要ないとしても、違いはなかったと無造作に処理することは大きい間違いでないとはいえ軽率であろう。
 ただ、さまざまな肢があって、一つの体に纏められているということが、分かり切った紋切り型の勧めの言葉として語られているが、必ずしも分かっていない。その中味が、露わにされる機会は割合多い。だから、人々が普通に言っている一致とか、団結とかいうようなものを考えて、それで分かったようなフリをすることは避けよう。
 教会の一致は、一致の心得の強調によって維持される精神主義的なものではない。体とか、首という比喩を用いて説明されるもの、キリストが首である体として理解の成り立つ構造、一つ一つ異なったさまざまの肢が一致することである。違っていて当たり前である。むしろ、違っているものが一つに合わせられているからこそ意義がある。だから、今日の学びの所では、グループとグループの違いというようなことは問題にならないし、問題にしてはいけないのだ。
 「苦情を言う」ということが起こったのは、図体が大きく成りすぎて意思疎通がうまく行かなくなっただけのことと理解した方が良い。
 さて、事情を良く理解することは必要である。まず「弟子の数が増えて来た」。これについて説明は要らないと思う。また、これ以上説明は出来ない。「弟子」とは一般の信者のことである。福音を聞き、イエスこそキリストであると信ずる信仰に生きることの意味を見出している人々、それがどんどん増えたことについて、思い巡らすことは多いが、今日は省略して置く。
 弟子が増えた時、それにつれて寡婦が増えたということには、注意を払って置くべきである。寡婦は当時、社会のなかで存在価値の最も低い者と見られていたことを思い起こせば良い。聖書には寡婦のために正しい裁判をしなければならない、という命令がしばしば出ている。穿った見方をすれば、イスラエルの社会においても寡婦は低く見られ、その訴えが無視されるのが通例であったことの反映である。神が見ておられることを考えない裁判官なら、所謂有力者を勝たせるような裁判をすれば、出世はするし、正しい判決を下したことで不利益を蒙ることはない。しかし、裁判から正義が喪われると社会全体がぐらぐらして来る。
 この世で最も貧しい者、最も無視される者が大切にされることこそ社会正義を維持するための勘所である。キリストの教会は初めの時からそこに目を留めていた。これは貧しい寡婦を保護するだけの制度ではない。今日は触れないが、支援を受ける寡婦は養われるだけでなく、家族と家事に煩わされることなく、盛んな奉仕活動をしていたのである。
 弟子が増えた時、寡婦も増えたということには、二つの意味が重なっているということを、4章の終わりから5章にかけての学びの中で考えさせられた。一つは、生きる道を求めて教会に来る人の中に寡婦もいた、あるいは寡婦が比較的多かった。したがって、教会の中では必要に応じて互いに持ち物を分かち合うのであるから、当然、寡婦も必要な物の分かち合いに与っていた。
 第二に、その寡婦が教会員であったかどうかは問わず、資産もない寡婦であるという理由で教会の援助を受けていたことである。今日の学びでは、特にこの第二点に注目すべきであろう。教会員が仲間同士で援助し合っているのは当然だが、それだけでなく、教会の外の人たちにも、援助の手を差し伸べていたということである。教会の外の人も隣り人だからである。
 宗教団体について総じて言えることであるが、初めのうちは専ら人数を増やすことに専念し、大きくなると、資力を用いて非営利の事業、特に災害の援助、ハンディキャップを帯びている人の支援、などに力を入れるようになるのは当然のことと見られる。昔からどの宗教も、社会の不合理によって痛めつけられた人の援助をしていた。そういうことを丸で考えない宗教が、宗教と呼ぶに価しないのは言うまでもない。
 しかし、今は宗教についての論議をしている時ではない。キリストの御あとに従う群れは、余裕が出来たから、なるべく良いとこをしようではないか、と言い出す人に促されて、貧民救済事業を始めるということはしなかった。余裕がなくてもしたのである。イエス・キリストは大勢の群衆が日暮れになっても食べる物がなく、弟子たちが人々を解散させ、各自で近くの村々に行ってパンを求めさせようと提案した時、「あなた方の手でパンを与えよ」と命じたもうたではないか。すなわち、5つのパンと2匹の魚を主イエスとその弟子の一行のために持って来ていたのである。それを人々のために差し出しなさいと命じたもうた。
 ここにディアコニアに生きる教会の原型がある。主イエスが祝福してパンをお割きになり、弟子たちに奉仕させてこれを民衆に配りたもうたのは、教会の核心をなす聖晩餐の原型であると言われるが、我々もその恵みに与っているなら、私によって世の人々が祝福されることを始めなければならない。
 すべきことだとは理解しているが、今は余裕がないと言うなら、その人の考えていることは良いことであると言えるとしても、キリストの祝福に与ることと言えるかどうかは全く問題である。キリストは私の来たのは仕えられるためではなく、仕えるためであった、と言われた。
 キリストの教会は、初めの時から、福音を宣べ伝えることを第一義として来た。このことは今日でも強調されていると言って良かろう。ただし、その伝える言葉が真の福音なのかという問題はクリヤされないまま残っている場合があるから、問う必要がないとは言わないが、それはそれとして、キリストが仕えたもうたように仕えることをしなくて良いのかと自らに問うことは必要である。
 ヘブル語を使うユダヤ人に対して、ギリシャ語を使うユダヤ人が、自分たちの寡婦が日々の配給でおろそかにされがちだと苦情があったということは、ギリシャ語で集会を守るグループと、ヘブル語で集会を守るグループが別々の場所で集会を持っていたことを示唆するということも先に述べた。3000人もの人々が信仰に入ったというが、その全員が一つところに集まって御言葉を聞くのは無理であった。幾つかの会堂に分散し使徒たちが手分けして奉仕していたということではないかと推測される。
 「日々の配給」という訳語はこれで良いと思うが、「配給」と訳されたのは「ディアコニア」という言葉である。配給される物に重点があるというよりは、配給して廻る「つとめ」に重きを置いたのではないかと思われる。11章29節に「それぞれの力に応じてユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた」という言葉があるが、ここで「援助」と訳されたのもディアコニアである。
 教会にはさまざまの務めがある。これはIコリント12章5節の言うことであるが、この「務め」はディアコニアである。説教をするのも、寡婦に日々の配給をするのもディアコニアであった。12人に限られた使徒の職務もディアコニアであったし、11章29節で見たのは、全ての信徒の参加する援助金の送付の務めもディアコニアであった。
 ギリシャ語を使うユダヤ人の寡婦がおろそかにされ勝ちであったとはどういう事情であるか良く分からない。大きいグループだったから援助物資が行き渡らなかったのかも知れない。ギリシャ語を使うグループが軽視されたことはあったかも知れないが、例えば、クプロ生まれのバルナバは紛れもなくギリシャ語を語る人であった。これから後に出て来る働き手は殆どギリシャ語を使う人であった。だから、彼らが軽んじられる人であったとは考えにくい。
 これまで、ギリシャ語を使う人が教会の中では軽んじられたが、この時から活発な活動をするようになったと見るのは当たっているのではないかと思うが、それでも彼らの寡婦が配給に漏れ勝ちであったことの説明にはならない。5節に名前のあがる7人はギリシャ風の名前であるから、ギリシャ語を使うユダヤ人を軽視しているのでないと示すために彼らが選ばれたのかも知れないが、とにかく、ハッキリ理由を述べる必要もない単純ミスと見た方が良い。
 単純ミスは、限られた人数の使徒たちで、教会の務めを全て担おうとした錯誤であった。みんなで分担し合わねばならないことに気がついていなかった。だが、このミスに気付いた使徒は、さらに7人を務めに立てるべきだと考えた。教会は務めによって成り立つのであって、ヴォランティアが思い付いたことをするのでも、力を持つ人が機運に乗ってことを起こすのでもない。このことを使徒たちは学んだのである。

 


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