教会に対する迫害が、サドカイ派の突出した単独行動として始まっていたことを前回17節以下で見た。明らかに大祭司がこれに関わっていた。と言うよりは、大祭司の発意によってこれが実行されたということだと思う。大祭司は当時ユダヤでは最高権威であった。だから、その大祭司の発意によって事が行なわれたということは、ユダヤ全体が福音の前進を阻もうとして立ちはだかったと見てもよいであろう。
しかし、前回のところで少しだけ触れたが、大祭司は議会の議長としてこそ政治的権能を振るうことが出来た。祭司には政治的権能は本来ない。政治と宗教は区分される。だから、前日、使徒たちを一応逮捕して、留置したが、それは議会が開かれて、正式な決定がなされなければ確定しない。
ここで、ついでながら論じておくが、議会が決めても、ガリラヤの国主ヘロデとローマ総督ポンテオ・ピラトが認可しなければ重大な案件は実行できなかった。さらに、もう一言付け加えるならば、権力者といえども、民衆というものを無視して事を運ぶわけには行かなかった事情がある。
キリストの福音の宣教を、世が挙げて拒絶した、と大まかに言って良いのではあるが、そこを立ち入って考察すると、迫害する勢力にはいろいろな層があることが分かる。必ずしも一枚岩ではない。御言葉の学びからハミ出した話しをしているのだが、一枚岩でなく、いわば何枚もの板を貼り合わせたベニヤ板のようになっているのが社会であって、なかなかの強度をもって福音を阻むのであるが、それでも、板と板、層と層との隙間に水が浸み込んで行くようにして、苦難と忍耐のうちに福音は進展した。
これは信仰そのものの理解に関する問題でなく、この世の知識に属することと言うべきであるが、知識として持っていて無益ではない。
21節後半から今日は学んで行く。「一方では、大祭司とその仲間の者とが、集まって来て、議会とイスラエル人の長老一同とを召集し、使徒たちを引き出して来させるために、人を獄に遣わした」。
「一方では」というのは「しかし」というほどの意味の言葉で、使徒たちの宣教活動と対照的なものとして捉えたのであろう。
こちらでは、企てを実行する中心になるのが「大祭司とその仲間」である。これは17節にすでに記されていた人たちである。すなわち、サドカイ派の有力者たちである。彼らを動かした動機は「嫉妬」であるということも17節で述べられた。
しかし、今度は嫉妬を表には出せない。自分たちの職務であるイスラエルの秩序維持のために議会で決議しなければならない。それで、長老が召集される。70人の長老による会議はモーセ以来のイスラエルの正式な機関、つまり御言葉に適う秩序である。ここで、どうしても思い起こさないわけに行かないのは、先般、主イエス・キリストを裁いた議会のことである。議会が正しく機能したかと言うと様々な手抜きがあった。法規による手続きは省略された。だから、あの裁判は無効であったと言って良い。しかし、裁判の判決が実行されてしまったことを無効だとは言えない。
それは、言ったところで、意味がないというだけではない。イエス・キリストの死によって我々が罪から贖い出された事実は、議会の誤った判決というよりは、神の決定、また神による成就であって、これは決して逆転しない。それ故我々は口出し出来ない。
それでも、議会の決めたこと、その決定に持って行くための種々の画策。あれが良かったとは言えない。済んでしまったことであるが、検討し直すことは出来るし、しなければならない。しかし、この件についての最終的なことを忘れてはならない。ペテロは3章17節以下で言う。「兄弟たちよ、あなた方は知らずにあのような事をしたのであり、あなた方の指導者たちとても同様であったことは私に分かっている。神はあらゆる預言者の口を通して、キリストの受難を予告しておられたが、それをこのように成就なさったのである。だから、自分の罪を拭い去って頂くために、悔い改めて本心に立ち返りなさい」。
大祭司たちの罪も、もし悔い改めるなら、赦される。議会の罪も、悔い改めれば赦される。
今日課せられている範囲の学びからハミ出したことを言うように感じる人があるかも知れないが、教会の過ちとその赦しを、ここでもう一度学んで置こう。エルサレムの議会と今日の教会と、神の言葉に則って建てられたという点では本質的に同じである。したがってまた、神の言葉に本当は背いているにも拘わらず、御言葉の権威に立つという名目を振り回すことがありはしないかと検討する必要がある。
さて、大祭司は、集められた長老一同に使徒たちの裁判を開こうと提案し、彼らがそれに同意したので、使徒たちを留置場から引いて来るように下役を遣わした。そこで彼らは、知らないうちに起こっていた昨夜の出来事を知って愕然とした。
22節-24節、「そこで、下役どもが行って見ると、使徒たちが獄にいないので、引き返して報告した、『獄には、シッカリと錠が掛けてあり、戸口には番人が立っていました。ところが、開けてみたら、中には誰もいませんでした』。宮守がしらと祭司長たちとは、この報告を聞いて、これは一体どんなことになるのだろうと、慌て惑っていた」。
人々の知らない間に起こったことは、19節以下で読んだ通りである。この奇跡とその意味について論じることは今はもう要らないと思う。人々が何を行おうとも、神の計画以外のことは行なわれない。したがって、我々は与えられた務めが御心から外れることのないよう万全を尽くして履行しなければならないのであるが、良いと思ってしたことでさえ空しくなることがあるのを承知しなければならない。それと共に、神のなしたもうことを全て良きこととして受け入れなければならない。
この時、使徒たちを公共の留置場に入れ、そこに留め置くことについての現場責任者は、宮守がしらと祭司長であった。彼らは命じられて行なったのに、逃がしてしまったことについて責任が問われるのを恐れた。
このまま、空しく議会に戻って、ありのままを報告するほかないのであるが、責任追及が恐ろしかった。ところが、彼らの恐れていたことは不問に付されることになったようである。
25節-27節a、「そこへ或る人が来て知らせた、『行ってご覧なさい。あなた方が獄に入れたあの人たちが、宮の庭に立って、民衆を教えています』。そこで宮守がしらが、下役どもと一緒に出掛けて行って、使徒たちを連れて来た。しかし、人々に石で撃ち殺されるのを恐れて、手荒なことはせず、彼らを連れて来て、議会の中に立たせた」。
当時のエルサレム市内と神殿の中の様子を掴んでいないので、この場面がどこで展開されたかを物語りとして語ることは無理である。我々の乏しい想像力を働かせても、場面を髣髴とさせることは出来ない。
早朝から、すでに多くの群衆が集まって使徒たちの説教を聞いていた。彼らが熱心に聞いていたので、下役が力ずくで使徒を逮捕し連行したなら、叛乱が起こって石が飛んで来るほどであったと恐れたのは、下役らの誇張であったと言えるであろう。けれども、そこは厳粛さが支配していて。力ずくで引っ張って来ることは出来なかった。今日の言う「任意同行」の形しか取れなかった。説教はアジ演説と無縁である。説教でどんなに燃やされても聴衆が暴徒になることはない。説教の語られるところは平和が支配するからである。
こうして、やっと裁判が開かれることになった。
27節-28節に進む。「すると大祭司が問うて言った、『あの名を使って教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それだのに、何という事だ。エルサレム中にあなた方の教えを、氾濫させている。あなた方は確かに、あの人の血の責任を私たちに負わせようと企んでいるのだ』」。
「イエスの名によって教えてはならない」という結論が第一回の裁判で出た。その時はそのまま釈放されたが、今後こういうことをすれば、申し渡されたことに対する反抗であるから有罪になるというのである。
ただし、使徒たちが前回の判決に承服していたなら、今回のことは自ら認めたことに対する反抗である。さらに前回、承服していないにも拘わらず異議申し立てをしなかったとすれば、落ち度は咎められねばならないであろう。しかし、あの時、ペテロとヨハネはハッキリ異議申し立てをしたのである。
それは4章19節-20節である。「神に聞き従うよりも、あなた方に聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。私たちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけには行かない」。
これは明らかに、「あなた方が禁止しても私たちは語り続けますよ」という宣言である。大祭司は申し渡したことがユダヤ国内で最高の判決であって、異議申し立ての余地はないと思い込んでいるので、不服従宣言がなされているのに気がつかなかったようである。
それを分からせるまで言わなかった方に落ち度があると言う人もいると思うが、そういうことは通常、言い訳とは認められない。この言い訳が許されるとすれば、人は主がその言葉を十分徹底させたまわなかったことを、とめどなく論じるのである。
ペテロとヨハネは「イエスの名による宣教」を禁止された時、即座に、不服従宣言、あるいは沈黙拒否の宣言をした。これはキリスト教会の動かぬ姿勢である。キリストに属する者なら、このような沈黙は本来出来ないのだと知っていなければならない。
今日も同じである。「私は鎖に繋がれたが、神の言葉は繋がれない」とパウロが獄中で言ったのもこのことである。その御言葉のもとに我々は生きている。だから、我々はいつも御言葉の命を輝き出させている。
場所柄を弁えて、無闇に主イエスの名を語ってはならないということは確かであるが、「ここはその場でない」との判断が適切になされたかどうか、余程キチンと考えなければならない。慎重に慎重に、と勿体をつけて、結局、今はその時でないと後じさりし、キリストの者であることの証しを立てなければならない時に、その機会を失するということがないとは言えない。証しは思い切って大胆に語らねばならない。
第一回の裁判の判決は、これ以上この事が民衆の間に広まらないように、「イエスの名によって語ってはならない」ということであった。民衆の間に感化が或る程度広まってしまった。それは何とも出来ないからそのままで良いことにし、これ以上は広がらないようにしようとした。それは、秩序が崩れると考えたからであろう。
これ以上放って置くと、使徒たちの教えが氾濫する。本当にそうだったか。それは分からない。大祭司たちがそう感じて恐れたことは確かであるが、必要以上に恐れたのではないかと論じる余地はある。丁度、先に見たように下役が民衆から石で撃ち殺されるのではないかと恐れたことが過分の恐れであったのと同じ様なことはあったであろう。しかし、こういうことを論じていても殆ど意味がない。
迫害するには一応尤もらしい理由がつく場合がある。しかし、本当は理由にならない理由が述べられているのが実状である。大抵、「公共の利益」という意味に要約される理由がつく。
大祭司の恐れたことの最大点は「あの人の血の責任を私たちに負わせようと企んでいる」ように見えるということであった。使徒たちが大祭司たちの責任を追及しようとしていたというのは被害妄想である。我々は何度も見て来たが、使徒たちはイエスの死が神の定めたもうた通りであり、約束の成就であり、その機会となったことは確かであるが、大祭司がイエス・キリストを罪もないのに殺したことの責任を取らせようとしていたのでは決してない。
ただし、大祭司の側で罪なき人イエスが死んだことについて自分の責任があるではないかと責められている意識を持ったことは事実である。自分は正しいことをしているのだ、しているのだ、と繰り返し自分に言い聞かせているけれども、心は晴れ晴れとしていない。良心を誤魔化していることを自分では気付かずにはおられない。
「罪なき人の血を流してはならない」と律法は定めている。だから、聖書には公正な裁判の要求が繰り返し出て来る。律法の条文にはないが、律法の註釈書には裁判の仕方についての詳しい指示がある。大祭司がそれを知らなかったということはあり得ない。知っていながら、それに違反した。ユダヤの宗教の伝統を何としてでも守ろうとしているのだ。私はこのような苦しい思いをして責任ある務めを果たしているのに、心なき者らは私を責めているというふうに感じて、イエスの名によって語られる使徒たちの説教は自分に対する攻撃のように思われた。
「これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、『人間に従うよりは、神に従うべきである。私たちの先祖の神は、あなた方が木に架けて殺したイエスを甦らせ、そして、イスラエルを悔い改めさせて、これに罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手とし救い主として、御自身の右に上げられたのである。私たちはこれらの事の証人である。神が御自身に従う者に賜った聖霊もまた、その証人である』」。
「人間に従うよりは神に従うべきである」。――これは4章19節で語られたのと主旨は全く同じである。先にはペテロとヨハネだけが言った。今回は使徒一同が言った。2人から12人になったことを発展と言う必要はない。裁判に引き出されたのが2人であった時には2人が言い、12人であった時には12人が言ったと取るべきである。つまり、キリスト者なら誰でもこのように言うのである。
「人に従うよりは神に従うべきである」。これは教会が最初から保持していた原理であって、その後今日までの間で発展したということはない。ここにキリスト教の抵抗権思想の発端があると言われることはよくあるが、思想ではない。したがって発展はない。
使徒一同はこれに続いて、前回言ったのと別の言葉を付け加えるが、特に新しい言葉が加わったとは思えない。強いて言えば、「木に架けて殺す」という言い方が始まったようである。これは10章39節にもペテロの説教の中に用いられる。
パウロはガラテヤ書3章13節で、「キリストは私たちのために呪いとなって私たちを律法の呪いから贖い出して下さった。聖書に『木に架けられる者は全て呪われる』と書いてある」と申命記2章を引き合いに出して言うが、キリストが十字架に架けられたことは我々のために呪いを受け、我々を呪いから解放したもうたことであるという理解が、初期の使徒たちの間で把握されていた。
もう一つ、使徒たちが証人、復活の証人といわれることはこれまでに頻りにあったが、それと並んで、聖霊が証人であるという言い方がなされた。これは、ヨハネ伝を学んだ者にとって新しいこととは感じられないであろうが、使徒行伝では初めてである。
「あなた方は私の証人となる」と言われて来たから、使徒たちには証人としての自覚はあった。だが、聖霊こそが本来の意味の証人であることが、キリストの教えと、聖書の言葉とを思い起こすことによって、いよいよ確実に分かって来たのである。神の言葉は繋がれていない、とパウロがテモテへの第二の手紙で言ったのも、御言葉が御霊と結び付いているということによってこそ良く理解されるのである。
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