2005.10.02.

 

使徒行伝講解説教 第32

 

――4:36-5:11によって――

 

 

 クプロ生まれのレビ人、バルナバが、キリストの民の歴史に名を残す重要人物であることを我々は知っている。この一人の人物の歩みの後を追って行くことによって、我々は多くの学びを受けるであろう。36、37の2節だけでも、今日一回分の学びに余るほどの材料がある。
 ヨセフは、レビ人としての生まれであるから、名誉ある系図があったであろう。それでも、何代か前の先祖がクプロに移住しなければならなかった経済事情があったのは確かである。クプロにおける事業に成功し、一族はディアスポラ・ユダヤ人として財をなした。それからエルサレムにおける財産作りもした。バルナバはエルサレム帰還したが、パウロがそうであったように、ユダヤ教の律法学者になる勉強のためであったのではないか。ついに彼はキリスト教への入信が起こる。間もなく全財産の抛棄があり、そして最後に伝道者としての献身をすることになる。さらに、使徒たちの間でバルナバ、慰めの子と呼ばれるような人柄であったこと。これは使徒たちによって新しくこの名を与えられたということらしい。この名前は使徒たちを助けて貧しい人々の援助をしたところから付いた名前ではないかと思われる。それだけのことがここから読み取られる。この後には伝道者としてのバルナバの働きがあり、パウロと行動をともにし、それから分かれる。また彼の人脈について多くの箇所で学ぶことがある。
 しかし、今日はバルナバ個人の人物像を追求することはしないで、バルナバのケースとアナニヤのケースを比較しながら、当時の教会の姿を捉え、また我々自身の問題を考えるようにしたい。この二つの事件は続いて起こったものではなく、別々なのだが、使徒行伝記者のルカが、読者に二つのケースを比較させようとして隣り合わせに置いたのではないかと思われる。
 アナニヤという教会員については、ここ以外には語られていないから分からない。この名前は旧約によく出てくるハナニヤと同じである。ダニエル書に出てくるダニエルの同輩にハナニヤという人がいた。
 最初期のエルサレム教会で、教会員がそれぞれ、自分の持ち物を自分のものとして固執しようとしなかったことを我々は学んだ。財産を処分して教会に持ってくるのは、バルナバの場合が最初であったということでは恐らくないと思われる。
 全財産を処分するというような決断は、確かに一個人の人生においては二度とない特別な出来事で、驚くべき事件であるが、教会がそういうことを全員に要求する方針をとったということではない。めいめいが、他者の必要を感じたところに応じて、強制でもなく、勧誘でもなく、自然発生的に、自発的判断によって、財産のある者が財産を処分して教会に持って来たのである。
 教会で持ち物を共有にしたということを、我々はもう何度も聞いた。初期のエルサレム教会がそのような姿を取ったことは、作り話でも誇張でもなく、事実の記録である。これが永続的な教会の形態であるとは言えないということも先に学んだ。したがって、我々がそういう形態こそ教会の唯一のモデルであると考えるとすれば話しが複雑になる。使徒行伝のこれまでの所には出て来なかったのであるが、このことは覚えて置きたい。それは、主イエスがルカ伝12章33節で、「自分の持ち物を売って、施しなさい」と言われた教えである。富める青年に主イエスがこう語られた時、青年は悲しみながら離れて行ったとマタイ伝19章21節に書かれているのも有名である。
 今読んだのは、主イエスの教えとしての施しである。ユダヤ教の中で施しは大事なこととされていた。だから見栄のために多額の施しをする者もいて、こういう偽善に対して警告がなされたことも良く知られている。
 主が教えたもうたのは、必ずしも財産の共有という交わりの形態ではなかった。物を共有する共同生活、それはそれなりの合理性を持つものであって、決して否定すべきものではない。教会がある時期そういう形態を取ったことは、それで十分意味のあることだった。今もそういう共同体を建てようという人があるなら、他者に迷惑をかけたり、世間に甘えたりしない限り、有志でそれを始めるのは良いことである。しかし、繰り返すが、主が教えておられるのは、貧しい人への施しの実行であって、ゆとりのある者同士の共有生活ではない。
 そこから当然のこととして考えさせられるのは、最も初期の教会において施しはどうだったのか、ということである。ここまでの所では、使徒たち、信徒たちが施しをしていたという記録はない。していなかったのである。3章の初めに、ペテロとヨハネが美しの門の傍で、足の立たない乞食から施しを求められた時、「金銀は私にない」と言ったのである。事実、金はなかった。だから、彼らは施しをしなかった。しかし、資産を持つ人が財産を処分して金を教会に持って来るようになった時、使徒たちはそれを施しに用いたに違いない。
 6章の初め、すでに教会はかなり多数の寡婦に日々の施しをしていた事実を見て驚くのであるが、こういうことは可能な限り早く実施され始めたと考えなければならない。ただ、その施しの細部は分からない。
 貧しい人はエルサレムに多くいたはずである。誰かが資産を処分して教会に持って来ても、施しをすると、その金はたちまちなくなってしまう。今度は別の人が資産を売る。これも間もなく底をつく。その会計をどう運営したかは分からないが、教会独自の分配方法を編み出したと考えるほかない。つまり、前回少し触れたが、財産を処分した金は使徒の足元に持って来て、初めは使徒がその金の保管と配分をしていたらしい。そして次にディアコニアの制度が始まったのである。このことは6章に入ってさらに継続して学ぶことにして、今日は財産処分のことだけに限っておく。
 さて、財産を処分した人が、処分した額が多ければ多いほど、教会で高い地位を得るというようなことがあってはならなかった。財産の抛棄とは、所有権の放棄である。抛棄したことが功績になり、こだわりになるというようなことは、あってならないのだ。財産を持つということ自体が罪であるかどうかは、見解の分かれるところであろうが、富むということと罪を犯すことの間には、かなり近いスレスレの関係があることに我々は旧約の預言者たちの警告によって気付いている。聖書の言い方には、富める者という言葉を罪人という意味で用いる場合もある。
 そこから、財産抛棄が崇高な、また好ましい振る舞いであると見られたという事情が生じるのであるが、財産を捨てたことが、捨てた物の代わりの物の獲得であるかのように理解されると、危険があることに注意しなければならない。つまり、財産を持っていることよりも、財産を捨てた名誉の方が大きいと知る知識があって、それは財産以上の財産と見られている。そのようにして名誉を獲得した人に対する批判は余り聞かない。むしろ尊敬を受けるのである。
 先ほど引いたルカ伝12章の御言葉の続きに、主イエスは言われる。「自分のために古びることのない財布を作り、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝を蓄えなさい。あなた方の宝のある所には、心もあるからである」。これで誤解の余地はないはずであるが、永続性のある宝を選ぶようにしなければならないという程度に取る人がいる。
 そういうわけで、ここに危険があることを知らなければならない。持ち物という観念は少しずつ変わって行く。昔の砂漠の民は羊の頭数が富であった。それから銀の塊の重さが富であった。それが貨幣になった。さらに信用になった。形を変えた富として名声や尊敬というものもある。金は少ししか持たないが、多額の寄付をして名声が高まるというのも一種の富ではないか。
 イエス・キリストが我々に求めておられるのは、端的に言えば「己れを捨てる」ことである。財産を捨てて、人々から爽やかな生き方だと評価され、それでいい気になって充実感や自己実現の満足感を持っているとしたなら、自己を捨てることにはなっていない。人は格好いいことと言うとしても、神はこれをもっとおぞましいものと見たもうであろう。
 目に見える財産は持っていても盗まれたり、火事で焼けたり、とにかく管理のための心遣いは大きい。財産を投げ出せば、投げ出したという満足感と栄誉が得られる、その無形の財産の管理には何の気遣いも要らない。自分が心を砕かなくても、人々がその栄誉を守ってくれる。
 これを偽善であると言うのは言い過ぎになる場合があるが、偽善と隣り合わせであることを忘れてはならない。大事なことは、物を捨てることでなく、自分を捨てることでなければならない。バルナバの場合とアナニヤの場合の比較から学ぶのはそのことである。
 さて、アナニヤは全財産を投げ出す人を見て、彼自身はまだ信仰者と言えない状態であったが、恰好いい、すてきだ、と憧れたようである。そこで自分も真似したいと思った。しかし、全部を差し出してしまうほどの確信はなく、信仰的決断は出来ない。そこで、自分の生活を保証するだけのものは取り分けた。その残りを「全額です」と言ってペテロの所へ持って行った。すなわち、「全額を捧げた」という見ばえ良さが欲しかったのである。
 ペテロは言う、「アナニヤよ、どうしてあなたは自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金を誤魔化したのか」。
 ペテロがどうしてアナニヤの嘘を見抜けたのか。このことで説明に時間をとることは要らない。病を癒す賜物と、偽りを見抜く能力は別物であるが、ペテロに分かったのはそれほど驚くべきことではないのではないか。真実に生きようとしている群れの中に偽って生きる者がいると、特別に鋭い感覚を持った人でなくても分かる、と解釈するのが正しいのではないか。
 たしかに、ここでは心の純潔と偽りとの対比がハッキリ浮き出している。その対比を強調しようとして書いたのではないが、事実の中に対比が自ずから明らかに浮かび上がったのである。
 続いて「売らずに残して置けばあなたの物だったではないか」とペテロは言う。資産を売れと誰からも求められなかったのである。それを手放したのは、信仰の故に全財産を捨てた人という名声が欲しかったのである。
 今日でも見られることだが、敬虔なクリスチャンと言われることは、別世界人という半ばからかいの意味を籠めているが、それでも軽蔑ではなく、清潔感を示す一種の誉め言葉になっている場合が多い。アナニヤとサッピラにはそういう名声への憧れがあったと考えて良いであろう。こういう人は我々の中にはいないかも知れないが、我々の周囲には結構多くいる。
 昔の教会はそういう人の献金と献金した心との食い違いを見抜いたが、今では金額がすべてであって、金額以外の意味があることは分からない。さらに「これが全額です」という触れ込みがあると、それを早速美談として持ち上げる。
 初代教会の中にアナニヤのような人がいたことは、信仰の純粋さに憧れて初代教会を見ている人にはショックである。だが、初代教会が純粋の模範だと考えることがそもそも問題なのである。最初の時期には特別な賜物があったと見るのは正しいが、賜物を持つ人々がいたというだけで、教会としてのレヴェルが高かったと考える謂れはない。我々の時代の教会と同列と見るべきであろう。
 そういう人がいたからと言って、夫婦とも殺してしまうのは苛酷ではないかと感じる人はいるであろう。確かにイエス・キリストは偽善者たちに対してもそういう処置はなさらなかった。しかし、ペテロが苛酷であったということではない。アナニヤとサッピラは隠したと思っていたことが暴かれたショック死で死んだ。これが刑罰であると取ることはそれで良いが、刑罰を強調し、刑罰があるから偽るな、と警告していると、刑罰がなかった場合、安心してしまう。
 「教会全体、ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常な恐れを感じた」。
 たしかに、教会の内だけでなく、教会の外の人もこの出来事を聞いて、非常に恐れたであろうと思われる。それは、教会という所は神の在ます聖なる場所で、嘘が立ち所に表れて、罰せられる恐ろしい所だと感じる恐れであろう。しかし、外部の人の感じたのはその程度の恐れであったとしても、教会内部では別の印象があったのではないか。それは偽りに対する刑罰があったと感じたことでもあるが、それだけではなかった
 というのは、初代教会には、キリストの来臨の時は近いのであって、キリスト者は主の再び来たりたもうのを、生きて迎えるのだという考えを持っていたらしく思われるからである。Iコリント15章、I テサロニケ4章には当時の人々のそういう見解が現されている統理である。この見解が纏まったのは使徒行伝5章の時点のもう少し後の時代であったかも知れないのであるが、その見解がいつ纏まったかは大して問題ではない。人は多く生まれて多く死んだ。その状況の中でキリスト者はなかなか死なないという事実があったから、我々は主の再臨を生きて迎えるのだという考えが固まっていったのである。
 アナニヤの死は教会が死者を取り扱う最初の経験であった。大きい衝撃であった。その衝撃の一部はとにもかくにも教会に入って、キリストの復活に与って、不死の命を獲得したはずのアナニヤとサッピラが死んだということにあった。
 教会におけるこの次の死者は、ステパノである。ステパノの死を見た人たちは、「信仰者は死なない」とは軽々しく言えないことを悟ったはずであるが、死の前で恐れ挫けることはなかった。むしろ勇気づけられた。その死にざまの見事さを見ていた人たちは、あれは死ではない。死に対する勝利だったのだと思い直す。そして、主イエスがかつてカペナウムのヤイロの娘の死んだ時、これは死ではない、眠っただけだと言われた言葉を思い起こした。だから、ステパノの死について、使徒行伝は7章の終わりに「眠り」と書く。
 アナニヤとサッピラについては、そこに死に対する勝利の現われを読み取ることは出来なかった。だから、「死」と書かれるほかなかった。しかし、主にあって死ぬるキリスト者は、「眠る」のである。

 


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