2005.09.18.

 

使徒行伝講解説教 第31

 

――4:32-35によって――

 

 

 今日学ぶ32節に記されている教会の状態は、先に2章44、45節で学んだ総括とほぼ重複する。同じことを語った別の言い伝えであって、源泉は一つであったのではないか。基本的には同一のことを伝えているのであるが、見る角度が若干違ったと取って良いであろう。
 2章の言葉はこうであった。「信者たちはみな一緒にいて、一切のものを共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた」。――これは彼らの生活形態を言ったものである。彼らは共同生活をしていた、あるいは期せずして共同生活になった。すなわち、一緒に御言葉を聞く。一緒にパンを割く。ともに祈る。そのように一緒にいる時間が長いから、足止めされているのではないが、ずっと共同の生活をすることになったのであろう。しかし、生活費がたちまちなくなる。そうすると誰かが家に帰って財産を処分して金を持って来る、ということだった。この生活形態は勿論、彼らに与えられた新しい精神の現われであるが、心のことは書かれていなかった。今回は精神的なことに目が向けられている。
 「信じた者の群れは心を一つにし、思いを一つにし、誰一人その持ち物を自分の物だと主張する者がなかった」。
 心を一つにし、思いを一つにした、と言うが、心と思いはどのように区別するのか。ここには確かに二つの言葉が使われているが、心と思いとどう違うかを論じても意味はない。ここでは一致が語られている。
 信じた者の「群れ」と言われるが、「大群」、「群衆」という意味の言葉である。使徒行伝では、ここまでにまだ「教会」という言葉に出会っていない。それに出会うのは5章11節である。我々は教会という言葉がなくても、実質的にはそこに教会が呼び集められていたし、その教会は今日の我々の教会と生命的に繋がっていると理解していた。この群れも教会だと言って良いであろう。教会と言わなかったのは、推測であるが、教会に相応しい秩序がまだ整っていなかったからであろうか。しかし、少し前には単に集まっただけの群れであったが、速やかに一致と秩序を整えつつあった。その手始めは「一つの心」を共有することであった。
 ここに至るまで、銘々の考えはバラバラであった。それが一つに纏まって来たのである。ここでは一つの心、一つの思い、と言って、告白とか、信仰とは言っていないが、直ぐ後に「使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強く証しをした」と書かれていることが示すように、主の復活の信仰における一致であった。その一致に続いて、それぞれの持ち物を自分の物と主張することもなくなる。
 このことを別の側面から見ると、34節に言われる、「彼らの中に乏しい者は一人もいなかった」となる。
 それでは、自分の物を先ず確保して置こうという本能的欲求はなくなったのか。そう見て良い面があるのは確かだが、それだけでもない。5章には有名なアナニヤとサッピラの背信物語りがある。そういう人も確かにいたのである。ペテロそれをたしなめて、「売らずに残して置けばあなたの物であり、売ってもあなたの自由になったはずではないか」と言ったが、財産の抛棄を求められたのではない。財産を抱えたままの人と、バルナバのように進んで無一物になった人とが入り交じって一緒になっていたのが実状である。
 初代教会の有様を理想的なものであったと考える考えに我々は容易に傾くのであるが、そのように考えることが信仰的だと言うことは慎重にしなければならない。それは、信仰ではなく理想主義である。そのように考えることは、この世の数々の汚らわしい場面からしばし逃れて安らぎを得させるではあろうが、現実を忘れて息抜きしているだけのことである。信仰と混同してはならない。
 他方、アナニヤの例を挙げて、一般世間と何も違わないではないか、とあざ笑う人もいる。この考察は、初代教会を理想化する頭を冷やしてくれる点では有意義だが、聖書に描かれた光景をこういうふうに読み取って、議論しても、何も益はないことを知るべきであろう。初代教会に起こったこういう出来事は、一時的な熱狂的現象に過ぎなかったと言うのは正しくない。では、何か。ここに徴しが起こっていることを見なければならない。
 2章44節以下を学んでいた時にも注意を促されたのであるが、エルサレムの初代教会のこの状態を、人類の理想の実現というふうに捉える人は、教会の状態がやがてこうではなくなって行くのを見ると、興味を失ってしまう。結局、何もなかったのではないか、と見てしまう。しかし、何もなかったのではない。
 では何かというと、主はこの時期に、集中的に教会の中に「しるし」を現したもうた、その徴しの一つである。「多くの徴しと奇跡が使徒たちによって行なわれた」と5章の12節に書かれているし、その事実について我々は知っているが、徴しはおもに病の癒しの奇跡であった。これは特別な賜物を持った人が実行するものである。だが、特別な賜物を持たない人も、特別ではない日常的な賜物を受けて、それが「徴し」としての役目を果たした。特別でない日常的な賜物と言ったのは、自分の所有を自分のものと言わないことである。
 徴しと奇跡を同列に並べることが多いから、奇跡でないと徴しでないと考えられ易いが、目に見えない物を分からせるために、目に見える物を用いるのが徴しである。奇跡でない、当然の業であって、徴しとなる物はある。
 十戒の中に「盗むなかれ」と言われているが、これは各人の持ち物が祝福され、保護されているということを意味している。だから、各自は自分の所有を自分の所有として守るのと同様に、隣人の所有を保護しなければならない。しかし、財産が保護されているのは正しい目的のために使用すべく確保して置くということである。だから、隣人に乏しい人があれば、自分の所有を彼に施すのは当然である。旧約の時代から、施しは当然のこととして行なわれていた。
 しかし、施しについての詳しい恒久的な規定はない。必要に応じて預言者や民を治める長官が幾ら幾らの施しをせよと命じたことはある。イエス・キリストも富んだ青年に財産の全てを貧しい人に施せ、と命じたもうたが、それば全ての人に全ての場合に適用されたわけではない。エリコの町の取税人ザアカイは、悔い改めの生活に入った証しとして、財産の半分を施しに差し出した。主イエスは「半分では足りない」とは言われなかった。そのように、所有を分割して貧しい人に施す場合、何の規則もない。自分の判断に任せられている。
 旧約の時代から、施しは大切なものと教えられていたが、規則にはならなかったので、富む者は富んでいる割には少額を施しにまわし、貧しい人は貧しい割には多くを差し出した。それが現実であった。
 さて、エルサレムに成立したキリストの教会には、所有物の用い方に関して人々の目を瞠らせるようなものがあった。それはつい先ほどあった、40歳余りになるまで足腰の立たなかった人を、ナザレ人イエスの「名」によって立ち上がらせた奇跡に匹敵する徴しであった。
 徴しとは、先に言った通り、目に見えない現実を、目で見ることが出来る形をもって示し、その現実が現実なのだと信じさせるものである。信じさせるためには御言葉が語られれば良いではないか、と言われる。原理はその通りであるが、言葉を把握する力がなく、信仰が弱い場合、特に起こっている現実が新しい現実である場合、補助的に「徴し」が役に立つ。徴しを見て圧倒されているだけのことを信仰だと思ってしまうことがあり、その結果御言葉の宣教を軽んじる場合があるので、注意する必要はあるが、徴しが禁じられたわけではない。
 そういう徴しは今ではもうないではないか、と言われる。今、主がそれを必要としておられないのは事実だ。今では、教会は専ら御言葉の証しによって、務めを遂行して行くのである。けれども、今後もそういうことがないと決めない方が良い。とはいえ、地上的な所有は、神の国が全き形で実現するまでは保護される。だから、主の言葉が私に臨んだから、みんなは私に財産を差し出さねばならない、と言う人がいたなら、その人には偽預言者でないという証しを求めなければならない。
 かつての教会においては、各自が自分の財産権を放棄していたのに、今それが見られなくなったのは、教会の堕落の徴しではないか、という人があると喜ぶ人もあろう。今日の教会が堕落しているではないか、という問い掛けについては謙虚に聞き入れて反省しなければならないと思うが、財産権の否定とか抛棄ということが教会の健全さの保証であるという見解には賛成出来ない。
 御言葉が正しく語られているかどうかこそが重要なのである。また、御言葉が正しく語られているか、聞かれているか、そこにこそ教会の生命が懸かっているという自覚が失われたならば、確かに危険信号が出ていると見なければならない。教会の原理は初めの日以来変わっていない。だから、今でも主が必要だと言われるなら、所有を差し出す用意は各自出来ているはずである。
 自分の持ち物を自分の物と主張しないことは「徴し」だと言ったが、それはどういう現実が起こったことの徴しであろうか。――神の国が或る意味で始まっているということの徴しであると言うべきである。神の国の到来は福音の到来である。福音が鳴り響き始めたならば、罪の支配の破綻が始まり、解放が始まる。だから、自分の物を自分の物として固着する恐怖感から解放される。隣り人を自分と同じように愛することを妨げているものはなくなった。
 初代教会がもっていたものが後の教会から失なわれたという理解がかなり行き渡っていることについて、そこに誤解があることを言ったが、もう一点、その徴しが必ずしもなくなっていないことも主張して置かねばならない。それは何時でも実行できる用意が出来た形で我々に委ねられている。確かに、何一つ自分の物と主張しないというのとは違って見えるであろうが、価なしに受けたものを価なしに人に与えるディアコニアの業が続けられているのである。勿論、ディアコニアを知らない群れがあるのではないか、という問題がある。その問題は今は取り上げない。
 初めの時期、教会は信ずる者が群れをなして、その群れの中では乏しい者は一人もいなかった。そして、群れの外には貧しい人がいた。そういう人がいることに群れの中では間もなく気付いた。我々は間もなく6章で、教会がかなり多くの寡婦に、日々食事を提供していたという事実に出会う。その寡婦の中に信仰者がいたであろうと思われるが、信仰者でない寡婦にも日々の施しは配られた。
 こういう活動がいつ始まったのか。記録によって確かめることは出来ない。しかし、我々が今読んでいることの起こっている時期の後、間もなくだということは確かである。それから、もう一つ、教会の外にまで施しが広がるのは、今学んでいる各自自分の所有を自分の所有として固執しなかったこの交わり、この心を一つにする交わりの延長が施しとして展開して行ったということである。
 それがどういうふうに展開して行ったかについても推定がつく。というのは、「地所や家屋を持っている人たちはそれを売り、売った物の代金を持って来て、使徒たちの足元に置いた」と言われるからである。次にはバルナバも使徒たちの足元に置く。アナニヤも使徒の足元に置く。金を使徒たちの足元に置いたとは、彼らがこれを管理し、分配したという意味である。
 しかし、その使徒たちに関しては、33節に、「使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強く証しした」と書かれている。宣教の使命に全力を投入したのである。その使徒たちが、かつて人々の所有であって、今や教会の所有となった金銭について責任を持つことになった。
 ペテロはつい先頃、「金銀は私にない」と言った。使徒の所有するのはイエスの御名である。そうあるべきであるが、当時の教会には必要な働きを担う人はいない。だから、使徒たちがこれを管理するほかなかった。後の時代ならば、誰かが担わなければならないが、規定にないから自分はしない、と言って。自らの遵法精神を口実に務めを無視する人が出て来る。しかし、初めの時代、使徒たちは仕える者であるという自覚を持っていたから、必要なことなら何でもした。
 ところが、施しの仕事はどんどん増えて行く。御言葉の奉仕に支障が生じるほどになって行く。そこで12使徒は弟子全体を呼び集めた。すなわち、会議を開いた。そして言う、「私たちが神の言葉を差し置いて、食卓のことに携わるのは宜しくない。そこで、兄弟たちよ、あなた方の中から御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち7人を捜し出してほしい。その人たちにこの仕事を任せ、私たちは、専ら祈りと御言葉の御用に当たることにしよう」。
 こうして使徒はその本来の務めに戻った。だから、使徒たちが金銭の扱いもしなければならなかったのは短期間であったと思われる。そういうわけで、人々が自分の所有を自分の物と言い張らないことと、財産を金に換えて教会に持って来て使徒に預けたこと。そして使徒がしばらくはその取り扱いの務めをしたが、教会で執事を選び出して仕事を任せたことはズッと続く一連のことである。
 今述べたことは6章でもっと詳しく学ぶことが出来るはずである。そこでは教会の制度の充実を見ることが出来るのではあるが、大事なことは、制度の充実とは務めの充実のためだということである。
 さて、この4章から次の5章にかけて、「人の権威に従うよりも神の権威に従うべきである」という原則の教会における確認また確立について学んでいる。これが重要なことであり、今日の問題でもあることを我々は考えている。この原理を見損なったならば、教会は世俗国家の権威によって、教会として行くべき道を間違うのである。
 しかし、我々の直面すべき問題がそれだけだと思うならば大きい間違いである。教会は外なる力と対決するだけではない。教会はその内面で、復活の主において一致する、その一致において、心を一つにして仕えなければならない。

 


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