2005.09.11.

 

使徒行伝講解説教 第30

 

――4:27-30によって――

 

 

 キリストの受難に引き続いて、キリストの後に随い行く2人の使徒ペテロとヨハネの受難が始まっているのを見て、他の使徒たちは、ここで落胆するのでなく、むしろ、キリストによって始まった新しい道に、自分たちも歩み始めたのだと確認した。それ故、声を挙げて讃美し、喜んだ。
 イエス・キリストの御受難が全歴史を通じて、ただ一回だけのものであり、その一回によって、救いの道が新しく開かれ、完成され、確立したのである。最早、誰も、彼の苦難を続行することは出来ないし、その必要もない。
 このこととは別件になるのであるが、主は救い主としての公けの務めを始めたもうた時、彼を信じる全ての者に「私に随いて来なさい」と言われた。その命令は、地上における彼の務めが終了した後は、随いて行くことの意味はなくなったのであろうか。――そうではない。これは或る意味では世の終わりまで続くのである。簡単に言えば、彼の後に随いて行くことがキリスト者として生きる生活原理になるのである。彼が仕えられる者ではなく、仕える者となりたもうたこと、己れを愛するのでなく、人を愛したもうたこと、地上に財を蓄えず、むしろ無一物でありたもうたこと、苦難を受けたもうたこと、常に喜びたもうたこと、常に悪と戦いたもうたこと、……その他、数え上げるいとまがない多くの模範に我々は見習う。
 以上のことを総括して、人類の救い、滅びの中からの贖いに関しては、彼がただ一度お一人で、十字架の死によって成し遂げたもうたと捉えるべきであるが、生活上のことは個々人がこの後もずっと見習うのだと言われている。だが、こうハッキリ分けることが出来ない面もある。キリストに従う者はキリストの獲得したもうた安息のうちに憩いを得るというよりは、働き続けるのである。
 世の王たちがキリストに立ち向かうことが、詩篇第2篇の中で預言されていたと読み取って、それを確認した使徒たちは、次に、そこから直ちに、その預言の成就を、自分たち使徒の負って行くに当て嵌める。すなわち、キリストの苦しみは完了したが、使徒の苦しみはここから始まると言っても良い。
 今見ているのは、使徒たちが議会によって「イエス・キリストの名によって語る」ことを禁じられ、今後その禁を侵す時は鞭打ちの刑になると申し渡されて帰って来た場面である。その禁止命令を全く無視するかのように、使徒たちによる伝道説教は続いた。従って、すでに申し渡されていたように、鞭打ちの刑に処せられる。その刑を受けた後、5章41節にはこう記している。「使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出て来た」。――彼らはこれで、俗な言葉で言えば一人前の者と認定されたと喜んでいる。
 彼らが喜んだのは、恥を受けたことがキリストに与ることであり、それ故に祝福だと確認したからであるが、宣教に携わって苦難を受けたので一人前の使徒として認定されたということなのか。それとも、単純に、苦難によってキリストに属する者であると認められたということなのか。そこはハッキリ区別されているとも言えないが、使徒たちの間では殉教の覚悟は当然のこととして考えられていたようである。
 それでは、使徒以外の一般の信仰者はどうだったのか。使徒時代の教会においては、「使徒」というのと「弟子」というのは、確かに区別されていた。しかし、ハッキリ区別されていたとも思われない。キリストを信じる者が、キリストの故に苦難を受けることは当然だからである。マタイ伝5章の11節以下で、主イエスは言っておられる。「私のために人々があなた方を罵り、また迫害し、あなた方に対し偽って様々の悪口を言う時には、あなた方は幸いである。喜び、悦べ、天においてあなた方の受ける報いは大きい。あなた方より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。
 つまり、昔の預言者たちも、預言者によって証しされていたキリストも、そしてキリストを信じる者たちも、これらは全て一律に苦難を受けている、ということを主は教えておられたのである。主の民の歩み行くべき道は昔から一筋だと言われたのと同じである。
 今日は27節から入って行くことになる。「まことに、ヘロデと、ポンテオ・ピラトとは、異邦人らやイスラエルの民と一緒になって、この都に集まり、あなたから油を注がれた聖なる僕イエスに逆らい、み手とみ旨とによって、予め定められていたことを成し遂げたのです」。
 詩篇第2篇の預言が成就したことの説明としてこれが語られるということに留意し、読み違わないようにしたい。異邦の王たちがイスラエルの王に逆らうと詩篇2篇に書かれていたのはこのことだと言うのである。
 ピラトが主イエスをイスラエルの王と意識した、ということはあるいはあるかも知れない。彼は主イエスの十字架に掲げる罪状書きに「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書くことに固執した。それは、詩篇第2篇の言う、異邦の王たちがキリストに逆らうということに関連するであろうか。ピラトがそのことを承知の上で固執したと解釈することはかなり困難であるが、結果はそういうことである。
 ヘロデにキリストを殺す意志があったかどうか。それは何とも言えない。昔ヘロデ大王がベツレヘムの幼児イエスを殺そうとした話しは有名であるが、同じことがヘロデ・アグリッパにもあったと言えるかどうか、我々には全く分からない。否定も肯定も出来ない。
 ヘロデ(正式にはヘロデ・アグリッパ)と、ポンテオ・ピラト、この二人の権力者は、前回触れておいたように、ふだん協力するような機会は滅多になかった。ではあるが、この時は連合して、イエス・キリストを迫害し、殺した。しかも、彼ら二人はもともとエルサレムに住む人ではなく、ヘロデは主にガリラヤのテベリヤというギリシャ風の都にいた。ピラトも普段はカイザリヤにいた。それが奇しくもエルサレムに集まり、ユダヤ人と一緒になって、キリストを殺害することに参与した。
 使徒行伝のこの箇所は、ヘロデとピラトが「この都」エルサレムに集まったことに、見逃してならない意味があると示唆しているが、イエス・キリストも「預言者はエルサレム以外のところで死ぬことはない」と言われ、御自身の死がエルサレムにおいてなされることが定まっている明言しておられる。
 ヘロデとピラトがエルサレムに来たことを、人は偶然と見るであろうが、28節に言われるように、「み手とみ旨とによって、予め定められていたこと」を行なうために来たのである。キリストは、たまたま不運にも殺されたのではなく、御自身が繰り返し弟子たちに教えておられた通り、必ず苦難を受けて贖いを全うすべく定められていた。すなわち、苦難の僕の預言が昔からあった。
 キリストが誰によって殺されように定められていたかは、これまで学んだ限りでも、いろいろに説かれていた。人々に命を与えるために御自身の命を捨てたもうた。すなわち、民衆によって殺されたというところに重点を置く解釈もある。ユダヤ的秩序、またその秩序の代表者によって殺されたという主張もある。また、ユダヤ教という宗教が、神によって立てられた霊的秩序でありながら、人間の思いによって曲げられ、律法主義の方向に傾き、自己目的化して、神の立てたもうたキリストとその福音を排除したのだというふうにも説明された。また、世界帝国であろうとするローマの権力によって結局は殺されたもうたとの解釈もある。
 それらはそれぞれ意味のある説明であって、受け入れて置きたいと思うが、今回ここで新しく見るのは、詩篇第2篇の言うように、異邦人の世俗的権力が連合し、ユダヤ人も一緒になってキリストを殺したというところに強調点が置かれる解釈である。詩篇第2篇から導き出された理解である。詩篇2篇には、神の立てたもうたイスラエルの受膏者に対して、この世のつまり異邦人の主権者らが集まって逆らうという構図が示される。ヘロデとポンテオ・ピラトはここでは異邦人の王ではないが、王に準ずる支配者として扱われている。実はヘロデはユダヤ人として振る舞ったが、ルカはそれを無視してイドマヤ人と看倣し、異邦人的権力者として扱う。この解釈は先に挙げたいろいろな解釈と矛盾するものではないから、他の教えとの調整を着ける必要はない。しかも、今後世界宗教として展開して行くキリスト教にとっては、なかなか適切な指針である。
 キリストが世界の主でありたもうという点は、この後、異邦人伝道が進んで行くにつれて、いよいよ重要になって行く。それに応じて、世界の主権者たるキリストに対するこの世の世俗的主権の反撃という要点を読み取る意味も、大きくなって行くのである。そのことは詩篇2篇の冒頭で予告されていた。そして、この詩篇全体はキリストの勝利を預言している。
 キリストの力は彼が地上を去って行かれた後も生きている。彼の名が立てる証しにおいて、彼の御霊の働きにおいて、彼の御言葉を語り告げる使徒によって、彼の民である教会の奉仕の業において、持続する。それに対して世俗の権威が対決し、キリストの王国、これは今の場合はキリストの教会と言ってよいが、これをブッ潰そうとすることが往々にしてある。
 ただし、この世の権力が常に教会と対決するという訳ではない。神は凡そ上に立てられた者を敬い、それに従えと命じたもう。そして、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」という区分が示されていて、二つの領域が一応両立出来るようになっている。それが神の立てたもうた制度である。
 ただし、この世の権力は。教会というものに出会ったことがこれまでないから、初めて遭った時には、自分の領域が侵害させるのではないかと恐れて、教会を迫害するのが通例であった。そして、教会側では、通例殉教を恐れず、礼拝と宣教の権利を勝ち取って行くのである。しかし、迫害に萎縮して、教会の活動領域を自分で狭めて国家権力と衝突しないようにしてしまう過ちを犯す場合もある。教会が地上的権力を持ち過ぎて腐敗した実例も多いが、当面、その危険を予想する必要はない。今日、深く考えて置かねばならないのは、我々の住むこの国において、国家権力が力を伸ばし過ぎ、キリストそのものに逆らう時が来ようとしていることである。
 我々がこの時期に配慮しなければならないのは、我々が「思い切って大胆に語る」ことを忘れて、この世を恐れた姿勢にちじこまることがないように毅然とした姿勢を保つための用意である。
 「主よ、今、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。そして、御手を伸ばして癒しをなし、聖なる僕イエスの名によって、徴しと奇跡を行なわせて下さい」。
 迫害が始まっているとはまだ言えないかも知れない。今の段階では、今度同じことをやったならば刑に処するという脅迫である。ただし、福音を差し止めるためには、迫害も脅迫も同じと見てよいであろう。脅迫をチラつかせるだけで黙ってしまう場合も多いのである。それで目的を果たしたことになる。だから、脅迫に屈しないことが大事である。
 教会の伝道の歴史の中には、今はその時期でないから、もうしばらく様子を見ようと延期する、あるいは先に他の方に廻るという場合も実際あった。それがどうだったかという議論を今始めても実りはない。原則的に言えば、脅迫に屈服することはないのである。すなわち、聖書の多くの箇所で見て来たとおり、福音は常に思い切って大胆に語られるものだからである。31節に、「一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」と記されるが、この情景はどうだったのか。これは彼らが集団生活をしていた所においてのことである。使徒たち、またそれを取り巻く信仰者たちだけの集まりである。人々を憚ってヒソヒソ話しをするところではなかった。彼らがそこで大胆に語り出したというのは、御霊が降るまでは、怖くて大きい声が出なかったという意味ではない。大胆に語るとは、そこにいる人が誰であっても、福音である以上はこういう語り方になるということをしめすのである。
 「思い切って大胆に」という言葉について、これまで何度も語ったが、ここでも考察しよう。一番近いところでは4章13節にペテロとヨハネの語り方として出た。次がここである。また我々の日本語聖書はそうでないが、ステパノの説教を記す6章10節の異本の原文ではこの言葉が使われている。確かに殉教者ステパノは大胆に語ったことを我々は知っている。福音の説教の場合だけに使われるのでない一般の言葉であるが、ハッキリととか、恐れず、大胆に、という意味で福音を語るのにピッタリの言い方である。
 次に、癒しの徴しを行なうことが出来るようにと祈り求めている。どういうことであろうか。これまでは、美しの門において見られたように、ペテロしか、あるいはペテロとヨハネしか癒しの賜物を受けていなかったが、奇跡を行なう者が次第に増えたということかも知れない。2章43節には「多くの奇跡と徴しとが、使徒たちによって次々に行なわれた」と書かれていたが、五旬節当日にこういうことが一斉に始まったと理解しなくても良いかも知れない。
 すでに見たように、教会の初期には、小さく、弱く、すぐにも押し潰されそうであって、しかも短期間に教会を建てあげて行く必要があったので、妨害を制し、伝道を進展させるためには、特別な賜物が用いられたようである。それで、癒しの賜物が祈り求められたというふうに受け取って良いであろう。
 しかし、何よりも大事なことは、賜物が苦難に応じて与えられるのでなく、祈って求めるところに応じて与えられたということである。
 31節に進む、「彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」。ここで使徒行伝の最初期の記事は終わると言われている。
 これまで、この人たちは御言葉を語っていなかったのであろうか。そうかも知れない。こういうことは2章4節に「一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」とあるのと重複するのではないか。だから。一つの事件から出た同じ言い伝えが、別々に伝えられて二つの事件になったのだと言う人もいるが、むしろこういうことは何度もあったのではないか。
 確かに、分からないことはいろいろあるのだが、聖霊が大地震のような揺れと音響を伴って降ることが何度もあったと見た方がよく分かる。第一回の聖霊降臨の後に入信した人のために、聖霊降臨という事件がまたあったのではないか。聖霊降臨は五旬節の朝9時にだけ起こったと信じるいわれはない。聖霊を与えるとの約束は信ずる全ての者に与えられたからである。

 


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