2005.09.04.

 

使徒行伝講解説教 第29

 

――4:23-27によって――

 

 

「二人はゆるされてから、仲間の者たちの所に帰って、祭司長たちや長老たちが言った一切のことを報告した」。
 「祭司長や長老たちが言ったこと」――つまり、70人議会の判決である。議会で申し渡された判決、またそれに対して二人の使徒がどう答えて置いたかの報告である。判決は「ナザレ人イエスの名によって語ることは今後いっさい相成らぬ」ということ、つまり福音宣教の全面禁止であった。
 キリストの教会はその発足の時に、活動の制限どころか、いわば首の根っこを押さえられたような活動の停止を命じられたのである。教会にとっては主イエスの御名によって語ることは命であり、その存在の全てであるが、それが禁止されたというのである。非常に困難ではあったが、僅かな隙間を見つけて、身を挺して突入し、少しずつ道を開いて来た、というふうに教会の歴史を読み解く人もいるであろう。そういうのは一つの読み方かも知れないが、世俗の事業の実例に範を求めて、その模範に当てはめて、ことを理解しているに過ぎないのではないか。
 我々に今示されているのは、神のドラマである。神が推進したもう。神が戦い、神が勝利したもう。人間はそのことの証し人である。――「その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなた方は、これらの事の証人である」と主イエスはルカ伝の終わりのところで言われた。「あなた方がこれらの事の証人である」と言われたのは、あなた方が私の証人としてこの喜ばしい報せを地の果てまで持って行くのである、という意味に取れるが、それだけでなく、悔い改めがもろもろの国民に宣べ伝えられることの証人になるという意味も含んでいる。私は去って行くから、あなた方が主人公としてシッカリやらなければならない、というのでなく、むしろ、あなた方は大いなる事実が展開して行くことの証人なのだ、と言われたと解釈する方が正しいと思われる。
 神の計画に基づくのではあるが、人間もこの業を担うことが出来るように、イエス・キリスト弟子を集めて訓練されたではないか、と言う人があろう。ガリラヤ湖の漁師に「あなた方は人間を穫る漁師になるのだ」と実際に言われたのであるから、その面を否定はしないが、その見方では最も重要な点を見落とす危険がある。
 確かに神の一人芝居と受け取ってしまうと、人間不在の味気ない伝道論になる。ここには人間もいるのである。が、神の御業に対応する人間の業は何か。それは、むしろ、神に楯突く全面対立である。そしてその後、全面的に砕かれて屈服するのだ。第二点は別に扱うとして、神との対立を先ずキチンと捉えなければ、軽薄な理解によって、伝道を神と人との共同事業のようなものと見てしまうことになる。こういう見方のなされる所では、事業の成功だと言われることはあるとしても、人間の成功談の一種である。つまり、自分自身が神に砕かれるという出来事なしで、人を砕く側に立ってしまう。自己満足はあるかも知れないが、それは決して永遠の喜びではない。成功と見られることも一時的現象に過ぎない。
 伝道の全面禁止という状況で伝道が始まった。これが初期の段階のみのことであったと思ってはならない。今日、その妨害は見落とされ易いが、本質的には、いつも伝道は全面的な禁止と対決して開始され、続行される。だから、29節にあるように、「僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい」という祈りが必要になる。普通に語っていては壁はビクともしない。
 さて、その全面禁止命令に対する使徒たちの側の対策は、彼らの間で少しも協議されなかったようである。彼らは驚きもしなかったし、悩みにもならなかった。すでに、ペテロとヨハネが、申し渡しのその場で、「我々は神に従うから、あなた方に従わない」と答えたのであるから、対策を講じる必要はない。それどころか、あれで良かったと事後承諾や追認をする必要すらなかった。
 教会が会議を召集して、「伝道が禁止されたが、我々はどう対処しようか」と協議することはない。今後もあり得ない。権力には逆らわないように、ほとぼりが冷めるまでは何もしないで置こうと相談することもない。「教会は初めの日からこれでやって来たのだから、非常な困難に逢着したけれども、原則を動かさないで行こう」と確認することはあるかも知れない。それでも、答えは決まっているのであるから、相談するというのではない。再確認があるだけである。
 宣教を禁止した力は何か。それは、この世の悪の力である。その悪は容易に悪と判断できる場合もある。すなわち、いわゆる「ならず者」の暴力団が伝道の妨害をした事例は少なからずある。しかし、「ならず者」とはどういう人たちかを、風評によらずに、自分の目で冷静に眺めると、彼らに貼られたレッテルは、誤解や差別に他ならない場合が少なからずある。彼らが全て本当は善人であると言うつもりはないが、人間の風評はあてにならない。善人と言われるか悪人と言われるかはどちらでも構わないのであって、そういう人を用いて神の国の業を妨害する悪の力があるのである。
 そのように、見るからに不法の者が妨害することだけでなく、それと反対に、合法的な人あるいは機関が妨害することが多い。今、使徒行伝で我々が見ているのはこのケースである。イスラエルの長老や祭司長、それは「ならず者」どころか、最も合法的な機関たるエルサレム議会の議員である。この議会は神の命令に基づいて、モーセによって設置された。それなら、キリストが約束の成就として来臨された時、真っ先に迎えるべきではなかったか。だが、そうでなかった。キリストの来臨を示されて東の国からはるばる来たのは、異邦人の博士たちであったと聖書は告げている。
 それでは、エルサレムにあったこの合法機関は意味を失なったのか。そうではない。確かに、ユダヤ人の間にあった機関は、キリストの到来を待つために置かれていたユダヤ人が、待つという使命を終えたのであるから、その面での役目は終わって、他民族の間にある公権力機関と同じ物になった。そして、公権力の機関という役割は終わっていない。
 そのような公権力が、神の国が来るまでは合法的であると言わねばならないが、その合法的機関が福音に敵対することが随分あるのである。勿論、福音に関すること以外でも過ちは数々侵す。これを二種類の悪と見る事もできるし、そうしなくても良い。使徒行伝で学ぶのは、福音を語ることを禁じられても、構わずに語るという抵抗である。我々はこの禁止を不思議なことと見てはならない。人間の機関であるから、善意であっても悪をなす。福音に対しては最も悪質な抵抗がある。その悪の修正を公権力自身が行うようにしている場合もあるが、これまた人間の設けた機関であるから、欠陥があって修正の働きが出来ない。そういう場合、公権力とは別の機関が修正を行わなければならないであろう。これが教会の抵抗である。
 近年、我々の身辺でも「教会の抵抗」という言葉を耳にする機会が多くなった。それはキリスト教の中でも未だ少数の人しか言っておらず、教会の外では殆ど無視されているのはここにいる者には分かっている。この説について教会内外に大いに宣伝しなければならないと言おうとするのではない。我々は今日聖書を学んでいるのである。我々の救いの言葉を聞き取ろうとしているのである。それを聞き取る時、同時に聞き取れたことがこのことだと言うだけである。したがって、我々は救いの言葉を我々の隣人に語るのであるが、彼らが救いの言葉を今見ているような幅広さと深みのものとして聞き取ってもらいたいと心から願うのである。
 その次のテキストに進む。「一同はこれを聞くと、口を揃えて、神に向かい、声を挙げて言った、『天と地と海と、その中の全てのものの造り主なる主よ。あなたは、私たちの先祖、あなたの僕ダビデの口を通して、聖霊によって、こう仰せになりました、
 なぜ異邦人らは騒ぎ立ち、もろもろの民らは空しいことを図り、地上の王たちは立ち構え、支配者たちは党を組んで、主とそのキリストとに逆らったのか』」。
 二人の報告を、他の使徒たちは感謝と讃美をもって聞いた。彼らはペテロとヨハネが昨日の午後の祈りに行って、そのまま帰ってこないことについて、心配していたことは確かである。しかし、二人の身を案じて、捜しに行くことはなかった。それは、仲間の安否に無関心、あるいは冷淡であったということではない。いわば、激戦のさなかで、手が放せなかったのである。ではどういった激戦をしていたか。彼らは恐らく夜通し二人のために祈ったであろうし、聖書を学んでいたと思われる。教会の初めの時期であるから、時間を集中的に用いて、聖書を読む姿勢を確立し、聖書から読み取った教えを纏めて置かねばならなかった。
 使徒たちが初期の教会の中で学んでいた聖句が、主に詩篇ではなかったか、という推測を我々はして来た。彼らの説教の中に詩篇が最も多く引かれるからである。これは想像に過ぎないのであるが、その推測は讀み進むにつれ、いよいよ強固になって来る。昨晩から今朝にかけて、彼らは詩篇第2篇を読んだのではないか。そして、これこそ有力なキリスト証言ではないか、と感動していた。そこへペテロとヨハネが帰って来て報告する。やっぱり、我々の読んだのは正しかったのだ、と歓喜しているのだ。
 詩篇のうちでも第2篇はキリスト証言として重要だということに我々は気付いているが、使徒行伝の初めからここまでには用いられることがなかった。使徒たちの聖書研究がそこまで行っていなかったのかも知れない。12人の中でも特に大事な人と思われているペテロとヨハネが逮捕され、一晩獄屋に入れられている心配の中で、使徒たちは詩篇第2篇を再発見したと推察して、大きい間違いではない。
 詩篇第2篇は、我々も礼拝の中で、神とキリストへの讃歌として歌っているから、この時の使徒たちの感動が良く分かるはずである。
 この第2篇はダビデの歌という標題を持たない。だからダビデの作であると言う根拠は弱い。むしろ、ダビデのかなり後代の子孫が王位に就いた機会に、誰かが霊感を受けて作った詩であると考えるのが妥当であろう。しかし、そういうだとしても、この詩篇がキリスト証言でなくなるということはない。
 五旬節の説教に引用された詩篇110篇のところでも触れたが、使徒行伝ではダビデをイスラエルの先祖の一人のように看倣している。このことについての解釈は今は省略するが、我々の信仰の基本的な在り方を伝えてくれた人という意味が込められている。先祖と言えばユダヤ人には説得力ある言い方である。
 次にダビデを「神の僕」として捉えている。この点については少し触れて置く。信仰者が自分を僕であると神の前で呼ぶのは極く普通のことである。だから、ダビデが神の僕と呼ばれたのは当然である。しかし、ダビデを「僕」と呼ぶ時に思い当たるのは、使徒行伝の中で主イエスを「僕イエス」と呼び始めていることである。主イエス御自身は福音書で見る限りは「僕イエス」とは呼びたまわなかった。しかし、苦難の僕として世に来たって、救いを成し遂げるとイザヤ書に予告されているメシヤは私だと教えたもうたことは確かである。なぜなら、メシヤという意味である「人の子」という呼び名を自ら用いたもうたし、同じ意味で「ダビデの子」とも言っておられるからである。
 ダビデが「僕」と呼ばれるのを読む場合、キリストも「僕」と呼ばれたことを思い起こす。使徒行伝の中で僕と呼ばれるのはキリストとダビデの二人だけである。ダビデが主の僕と呼ばれるのは格段の尊敬を表したものであるが、この二人の近い関係が考えられているようである。
 さて、使徒たちは、ダビデが「聖霊によって語った」と見ていた。あるいは、もっと厳密に言えば、神御自身が僕ダビデの口をとおして聖霊によって語りたもうたことを確認していた。ダビデの言葉がキリスト証言であるのは、そこに聖霊の働きがあったからである。ダビデの言葉がキリストの事実とたまたま符合したからではない。
 古い文語訳によると、こうである。「いかなれば、もろもろの国びとは騒ぎ立ち、民らは空しきことを謀るや。地のもろもろの王は立ち構え、をさらはともに謀り、主とその受膏者とに逆らいて言う」。
 ここで言われている「受膏者」、「油注がれた者」、つまりギリシャ語で「キリスト」を言う「メシヤ」という語がそのまま用いられる。王の即位式の中心は油注ぎであった。ここで歌われている人は、ユダ国のどれかの王なのだという解釈は近代には有力である。かなり多くの旧約研究者は、詩篇の中に「王の詩篇」というべき一群の詩篇があって、王室の儀式の歌であると論じ、詩篇第2編を筆頭に上げる。しかし、神殿礼拝の神讃美の讃美と王讃美が同列に混在するようなことがあったかどうかは極めて疑わしい。
 さらに、この詩篇に該当する王を特定することは難しい。そこで、ダビデの王統が途絶えたあと、来たるべき王国の再建、ダビデの血筋の受膏者を待ち望んだ預言であるという解釈を唱える研究者がいる。キリスト者の中にもいるし、ユダヤ教の聖書解釈者の中にも見出すことが出来る。それが正しい解釈であろう。
 さて、今日取り上げられるのは詩篇第2編の全部ではなく、ただ初めの2節、地上の権威や力がキリストに逆らうと言う部分である。確かに、この世の権威はこぞってキリストに立ち向かった。その実現はヘロデとポンテオ・ピラトの連合である。
 ヘロデがここに関与していることを不思議に思う人がいると思う、彼はガリラヤの国主であって、まだ王の称号を得ていないが、王であったとしてもガリラヤだけで通用する権威である。主イエスのエルサレムにおける裁判にも、ゴルゴタにおける処刑にも関与出来なかったはずではないか。
 この点について解明の手がかりとなる記録がルカ伝23章にある。ピラトの裁判の時、ユダヤ人の指導者らは主イエスを訴えて、「彼はガリラヤから始めて、この所まで、ユダヤ全国に亘って教え、民衆を扇動している」と告訴する。それで、ピラトは主イエスがガリラヤ出身であることを確かめた上、ちょうどヘロデがエルサレムに滞在していたので、そこへ主イエスの身柄を送った。ガリラヤ人ならガリラヤの国主に裁いて貰えというのである。
 ヘロデが主キリストの迫害に加担した実情は余り良く掴めない。領主として領民を庇うべきであったが、それは全然しなかった。見殺しにした。一方、ガリラヤからエルサレムに来ていた民衆の多くは、主イエスの身を護ろうとしたのと対照的である。ヘロデとピラトは日頃反目していたが、この時から仲良くなったとルカはそこに書いている。仲の悪かった者同士もキリストに逆らうためには一致できるのである。それは、「支配者たちは党を組んで主とそのキリストに逆らう」という詩篇の預言の成就である。
 要するに、キリストとキリストの福音に対する権力の反逆は預言の成就である。預言の成就とは、端的に言えばキリストの死である。「殺したのはあなた方である」とペテロは説教のたびに聴衆に言っていたが、一般の人は罪なきキリストの血が流されたことについて知らないとは言えない。しかし、今回は権力が連合して、意識的にキリストに逆らって殺したことが預言の成就であるということを直視しなければならない。それが見えるようにならねばならない。

 


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