2005.08.07.

 

使徒行伝講解説教 第26

 

――4:5-12によって――

 

 

 「明くる日、役人、長老、律法学者たちが、エルサレムに召集された。大祭司アンナスを初め、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、その他大祭司の一族もみな集まった」。
 かつて主イエス・キリストが、夜中にゲツセマネで逮捕され、大祭司カヤパの屋敷に連れて来られた時、深夜であるにも拘わらず、全議会が召集された。今回は真夜中の議会は差し控えたようである。しかし、前回の無法で強引な裁判の仕方を恥じたと考える必要はない。
 祭りの間は多くの人が上京していて、その中にはガリラヤから来た人も多いから、ナザレのイエスに手荒なことは出来ない。そこで、祭りの前に殺してしまおうというのが計画推進者らの方針であった。今回は時間が限られているわけではないから、急いで裁判をすることはなかった。だが、我々はむしろ、彼らが主イエスを殺した時と同じ姿勢をとっていると考える。彼らはナザレのイエスの教えと行動は、神に対する反逆であったから本人イエスを殺したのであるが、その名によって何かことをする者があるとは、根絶した冒涜の再興であるから、同じように根絶しなければならない、と考えたのである。
 他方、キリスト者の側を見なければならない。前回も一度触れたことであるが、5章41節に、「使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出て来た」と書かれてある。彼らは主の進み行きたもう後について行くに足る者とされたことを喜んだ。
 主イエスが主役として働きたもうた幕は終わって、使徒たちが主役になる幕が始まった、と見る人は多いであろう。だが、使徒たち自身はそう思っていない。依然として主役はイエス・キリスト、生けるキリスト、死んだけれども甦ったキリストなのだ。生けるキリストが在したもう故に、その名が唱えられれば、足腰の立たなかった人が立ち上がったではないか、と言っているのである。我々も生けるキリストがいますことの確認を中心にこの場面を捉えなければならない。
 今日は5節から学ぶ。「明くる日、役人、長老、律法学者たちが、エルサレムに召集された」。
 使徒の中の最も有力な働き手であるペテロとヨハネが捕らえられたということは、他の10人の使徒、また信者たち、新しく仲間に加わったばかりの人たちにとって、なたなか厳しい事態であったと思われるが、そのことについては何も書かれていない。書かれていないことを想像で補うことは要らないが、他の使徒たちが何もしなかったと想像してはならない。使徒たちは心を一つにして働いていた。
 明くる日のこと、これは議会が召集されたことを意味する。役人、長老、律法学者、というのは議会の中味であるが、議会が役人と長老と律法学者とから成ると言っているように読むのは正しくないであろう。
 「役人」という言葉は、3章17節で、「兄弟たちよ、あなた方は知らずにあのようなことをしたのであり、あなた方の指導者たちとても同様であったことは、私に分かっている」と言った時の「指導者」と同じ言葉である。指導者とは主として議会の議員を指して言うものと考えられる。したがって、この4章5節でも、民の指導者と取った方が良いのではないかと思う。
 「長老」という言葉については註釈の必要がないが、もともと、すなわちモーセの時から、議会は長老の会議であった。イスラエルの民を統治するために神が立てたもうたモーセ、そのモーセを補佐する役として、70人の長老が選ばれた。それが神の御心に叶った秩序であると信じられていた。イスラエルにおいては、ずっと、この秩序が受け継がれて来たのである。
 5節では「長老」という言葉が用いられるが、召集されたのが祭司と、長老と、律法学者であったと言うのではなく、召集された人たちを総括して「長老」と呼んでいるのであると見るのが適当である。
 次の「律法学者」は、確かに議会の一部であった。だから、召集されたのは議員としての律法学者である。議員でない律法学者もいた。モーセの時代には律法学者というような役割はなかった。古い時代には律法を教えまた学びを深めるのは祭司とレビ人であったが、特に学びを深める使命を持つ律法学者が生み出されるようになった。そして彼らが議会の中で重要視されたのは当然である。彼らは決して人民代表ではなく、職能代表ではない。彼らは社会的な力を持っていたとも言えない。彼らが重んじられたのは、聖書を良く知っており、その解釈が出来たからである。議会がことを決めるのは、多くの国で最も合理的と見られる制度また社会的慣習であるが、イスラエルの議会が議会制の先鞭をつけたと見たい人がいるなら、それを差し止めるのは大袈裟過ぎるとしても、神の民における会議の意味を取り違えてはならないと、と注意を促す必要はあろう。
 神の民は神の言葉に導かれる。神の言葉以外のものを指導原理としてはならない。したがって、神の御言葉が何を言うかを明らかに聞き取り、御言葉をこの世の現実に適用して行くことが大切で、それが議会の任務になる。律法学者が議会の中で重んじられたのはそのためであった。
 議会の中に律法学者がいることの意味が十分発揮されたとも言えないが、ある程度の判断があった実例として、5章34節以下の律法学者ガマリエルの発言を見ることが出来る。彼は他の人に抜きん出た思慮深さを持っていた。
 次に、「エルサレムに召集された」という書き方に注意を促される。議会というものは地方の町々にもあったが、ここに述べられているのはエルサレムの議会、全イスラエルの議会である。議会がエルサレムに召集されるのは当たり前のことである。主イエスに死刑判決を下した議会は、大祭司カヤパの屋敷に召集された。それはカヤパが議長を勤めるのであるから当然ではあるが、状況の説明として書いておいて良い。しかし、エルサレムに召集されたと言う必要はないのではないか。
 使徒行伝の筆者ルカは、「エルサレム」という場所に読者の注意を促すことによって、何か大事な意味を示そうとしたに違いない。――ここで振り返って見ると、ルカ伝と使徒行伝を通じて、エルサレムが強調されていたことに気付く。イエス・キリストの宣教活動の大部分の時間はガリラヤに当てられたが、彼の死と復活はエルサレムにおいて起こらねばならなかった。ルカ伝24章47節では、「その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、もろもろの国民に宣べ伝えられる」と書かれている。使徒行伝の初めには、昇天の前に、主が「エルサレムを離れないで、かねて私から聞いていた父の約束を待て」と言われた。
 そういう観点から、議会がエルサレムに召集された意味を考えることが出来るのである。つまり、一つは、キリストを死刑にしたのに続いて、使徒たちを裁き、イエス・キリストの名によって語ってはならないとの決定を下したのは、正規の議会であったということ事である。もし、議会と名乗るべきでない集団が、正規の議会であると主張しているなら、それを廃止して、新しい議会を建てなければならないのであるが、そうではない。新しいものを建てる必要はない。再建するまでもなく、議会は朽ちて行く。したがって、第二に、エルサレムの議会そのものが終焉を迎えたことをここで読み取らなければならない。
 イスラエルの祭司制度は、主イエスが御自身を祭司職の完成者として全きいけにえである御自身の身を献げたもうた時、すでに終わった。大祭司という職務も意味をなさないものになっていた。その大祭司が議長を勤める議会も意味をなくしたのである。
 6節では、議会における主だった人の名前が幾つか並べられる。全て大祭司である。アンナスはキリスト紀元6年から15年まで大祭司の職務を勤めた。その後、彼の息子と娘婿カヤパが務めを継ぐのであるが、大祭司の職務に関しては、ローマから来たシリヤ総督の干渉があった。カヤパが職務についたのは紀元18年で、36年には止めさせられている。総督との確執があっただけでなく、大祭司の側にも問題はあったのではないかと思う。ヨハネはアンナスの息子である。アレキサンデルについては特定出来る資料がない。アンナスとカヤパの一族であると思われる。なお、このアレキサンデルという名はギリシャ風の名であるから、ギリシャ語を使うユダヤ人であったのではないか。祭司の中にこの名の人がいたとは奇異なことと思われる。
 アンナスとカヤパについては新約聖書の中からだけでも、少なからぬ資料を引き出して論じることは出来る。だが、今は必要がない。これらの名を持つ人々はペテロとヨハネの尋問に携わった者として後世まで責任を問われることになった。
 「大祭司の一族」という言葉がある。議会の枢要な部分を一族が占めているという事情が感じとれる。これも問題にすることが出来る。しかし、今取り上げるには小さい問題である。
 「そして、その真ん中に使徒たちを立たせて、尋問した、『あなた方は、一体何の権威、また誰の名によって、このことをしたのか』」。
 真ん中に立たせたとは、正式の尋問をする位置につかせた、という意味であろう。すでに犯罪の容疑の濃い人物として扱われているのである。大祭司たちが中心になって裁判を遂行した。彼らは使徒たちを取り囲んだのであろう。
 「何の権威、誰の名でこのことをしたのか」と尋ねるのは、使徒たちが宮の中でしたことの全てを含むと思われる。第一に奇跡である。それだけでも人騒がせな事件であった。癒しが悪いことだと咎めることは出来ない。しかし、単なる超能力を示して人を驚かせるだけの悪質の業かも知れない。さらに、第二に、その後に続いてソロモンの柱廊で行なわれた説教である。これは、神を冒涜する者として処刑されたナザレのイエスを褒め称え、彼を死に当たる者と判決した議会の権威を攻撃している点が挙げられる。それは議会が持つ以上の権威に基づかねば出来ないことだが、それを持っていないではないか、と非難したのである。
 しかし、8節から12節までの間のペテロの答えでは、この第二部分について何も答えていない。イエスの名によって歩め、と言うだけで、足腰の立たない人が癒されたのであるから、イエスの名によって宣教活動することについて、釈明することはないと考えているのである。
 「何の権威によって、また誰の名によって」、と尋問するのは。この神殿の域内では自分たちの持つ以上の権威、権限を有する者はいないのだという主張が籠っていると感じられる。「権威」という言葉は、あるいは単純に、どういう力、能力についてしたのかと尋問したのかも知れない。お前たちの力では出来るはずはないことであるが、それがどこから来たのか、と尋ねるのであろう。
 「誰の名によってか」と問うのは、「何の権威によってか」というのと結局は同じだが、誰が命じたのか、あるいは誰が許可を与えたのか、という含みである。そして、それがナザレのイエスの名によるということも分かっているので、すでに刑死した人の名を用いることはないではないか、と難じているようである。
 先に触れたように、どういう力、どういう権威によってか、というような問いには殆ど意味がなく、イエス・キリストそのものが生きて働きたもうという単純な事実の前に消え失せるべきものである。
 「その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、『民の役人たち、並びに長老たちよ。私たちが、今日、取り調べを受けているのは、病人に対してした良い業についてであり、この人がどうして癒されたかについてであるなら、あなた方ご一同も。またイスラエルの人々全体も、知っていて貰いたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなた方が十字架につけて殺したのを、神が死人の中から甦らせたナザレのイエスの御名によるのである』」。
 これはペテロが一人で答えた。ペテロにしか答えられなかったことではない。我々にも十分答えられる。これまでの経過から、ペテロによって答えられることは分かっているからである。しかし、誰にでも答えられる分かり切ったことが答えとして与えられたと取ってはならない。
 ペテロは、分かり切ったことを語ったのでなく、聖霊に満たされてこれを語ったのであり、聖霊によらなくても答えられるものと受け取ってはならない。つまり、ペテロの語った言葉は、簡単で、誰でも真似して語ることが出来ると見られるかも知れないが、ペテロの語ったのは聖霊の語らしめた言葉である。答えでなく、預言として聞こう。
 聖霊の語らしめた言葉ならば、力ある言葉であろうと思う人がいるであろう。確かに、力ある言葉であった。しかし、その力によって、聞く人は信じないではおられなくなったというわけではない。聖霊の語らしめる言葉を聞いても信じない場合はある。ペテロが聖霊に満たされて語ったのは、エルサレム議会の死亡宣告であったからであろう。
 この人が癒されたのは誰によってか。それはあなた方が殺したのに、神が甦らせたもうたイエス・キリストによってである。イエス・キリストのなしたもう奇跡については人々はすでに多かれ少なかれ聞いていた。彼は死んだと思った人は多いのであるが、彼は甦って働きたもう。
 この人が元気になって、人々の前に立つのは、あなた方ユダヤ人が殺し、神が生かしたもうたお方が、今ここに働いておられるということなのだ。
 次に、ペテロは聖書研究の新しい発見と言うべきか、使徒の説教にこれまで出て来なかった言葉を語る。「このイエスこそは『あなた方家造りらに捨てられたが、隅の首石となった石』なのである。この人による以外に救いはない。私たちを救い得る名は、これを別にしては、天下の誰にも与えられていないからである」。
 「家造りの捨てた石」という詩篇118篇22節の言葉は、昔あった出来事に基づいて歌われた詩の一句である。どういう事実があったのか確認は出来ないが、恐らく神殿造営の時、一番重要な「隅のかしら石」が得られないで苦慮したことがあった。しかし、建築師が見込みなし、と抛棄した物の中に最も相応しい石材があった。人々は恐れかつ喜んで、神のなさることは人間の思いを遥かに越える、と讃美し、詩篇が作られ、歌われた。
 この詩篇はルカ伝では20章17節に引かれるが、主イエスが前から教えておられるものであるから、使徒たちの新しい発見になるキリスト証言の言葉ではない。彼らは主がかつて語りたもうたことを復活の後に思い起こしたのである。しかし、聖書共同研究によって確認された。
 イエス・キリストは家造りに捨てられた。そして神に建てられ、神はこれに寄らずには救いがないと保証したもうた。この保証を語るためには、語る人は御霊に満たされなければならないのである。

 


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