2004.12.19.

 

使徒行伝講解説教 第2

 

――1:6-8によって――

 

今日学ぶ6節から11節までは、主イエス昇天の記事である。「あげられた」という言葉が、2節にあった。主が苦しみを受け、それに勝利して甦り、そして天に上げられたもうたことはルカの福音書の最後のくだりに述べられたと使徒行伝の初めに言っている。もっとも、ルカ伝の終わりに、「天に上げられた」という言葉があるかどうか、問題にされるかも知れない。日本語の聖書でも分かるように、ここで「天にあげられた」という言葉は括弧に入れられている。すなわち、これがない写本もあるという事情がある。ただし、彼らを離れて行かれたことはルカ伝でも言っている。この離れて行かれたという点は第一に重要である。

 さて、キリスト昇天の記事は「弟子たちが集まっていた」ことから始まる。集まっていたことをことさらに強調している訳ではない。集まっていた弟子たちが主に問うたというのである。しかし、偶然集まっていた時に、主が最後の言葉を語って、そのまま天に去って行かれたということではない。どういう状況においてであるか詳しくは分からないが、主が彼らを集め、彼らの目の前で去って行かれたことは確かである。

順序を追って見て行くなら、主イエスが捕らえられ、裁判に掛けられ、処刑された時、弟子たちは散ってしまった。散って失せたというのではないが、これまで彼らを一つに纏めていた存在がおられなくなったから、団結はなくなった。ルカ伝にある最後の晩餐の記事の中で、主はペテロに言っておられる。「シモン、シモン、見よ、サタンはあなた方を麦のように篩に掛けることを願って許された。しかし、私はあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい」。

分散してしまった弟子たちが、復活の主によって、もう一度集められ、力づけられる。そこで中心的な奉仕をするのがペテロであることも指名されていた。弟子たちの信仰が崩れてしまったのではないが、個々人の心の中で辛うじて主イエスとの繋がりを保っていただけで、弟子の間の相互の結び付きを作り出す力はなかった。

弟子たちが反目しあって分裂したということではない。もともと人は孤独であるから、彼らを結び付けるものがなくなった時、丁度紐の切れた数珠玉のようになってしまう。それを主がもう一度集めたもうた。ここに至るまでの次第は、福音書の復活の主の顕現の記事から読み取ることが出来る。以前から親しかった者同士の交わりは保たれていた。それは小グループになっていた。復活の主はそれらの小グループごとに訪ねて行かれた。こうして、復活の主に出会った者から復帰して来た。

最終的に、弟子団は1人の脱落者はいたが、あとは全員回復したのである。その人たちの名前は間もなく学ぶことであるが、13節に記されている11人である。これはルカ伝では6章14-15節に上げられている名と同じである。

では、6節に「弟子たち」と書かれているのは、その11人のことであろうか。それはよく分からない。11人だけではなかったかも知れない。15節に120名ばかりの人々が一団となっていたと書かれているが、11人の一団と、おおよそ120人の一団と二つの集団が重なって交流していた。11人はその泊まっている屋上の間で集会をし、共同の聖書の学びをし、祈りをしていた。120人は屋上の間には入れなかったから、11弟子の方が出て行って集会をした。それがどこであったかは確認し難いのであるが、エルサレムの宮の中、例えばソロモンの柱廊と呼ばれる柱廊の二階であったかも知れない。主イエスが宮の中で集会を開いておられたのはそこではないかと思われる。

 6節から本文を読んで行こう。「さて、弟子たちが一緒に集まった時、イエスに問うて言った、『主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは。この時なのですか』」。

この後、12節に弟子たちは市内のその泊まっていた屋上の間、あるいは二階座敷に帰って来たというのであるから、その部屋から導き出されてオリブ山に行ったのであろう。そして、この屋上の間というのは、主イエスが12人と最後の晩餐を執りたもうた家に恐らく違いない。主はかつての夜、ここから弟子たちを連れてオリブ山の一角、ゲツセマネというところに行きたもうた。

今日も、ここからオリブ山に行かれ、そこから天に昇られた。天に昇られた地点、それがゲツセマネであるかどうかは分からない。ゲツセマネの苦しみの主と、天に昇り行きたもう栄光の主イエスのイメージの違いが大きいから、我々は全然別世界の出来事であるかのように考え勝ちであるが、同一地点であったかも知れない。少なくとも弟子たちには思い出の絆で結び合わされていた地であった。

この日は復活の後の40日目だということに一応なっているが、確定していると見なければならないわけではない。この日はキリスト教では意味を持つ日だが、ユダヤ人の祭りではなかった。

 彼らは屋上の間から連れ出されたのではないか、と先に言ったが、誰かが何かの示しを受けて「あのオリブ山に行って、あの場所で主に会おうではないか」と提唱したのかも知れない。彼らが前もって指令を受けていて、オリブ山へ行ったのではないように思われる。屋上の間で集まっていて、オリブ山に行かないわけに行かないことになったのではないか。それは聖書研究をしていた時ではなかったかと先に言ったが、突飛な着想ではなく、15節以下のペテロの言葉を読むと、これは聖書研究の中で今し方発見され、確認されたことのように読み取るほかないのではないか。

「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。この言葉は単なる思い付きのように聞こえるかも知れないが、問うた者にとっては、かなりの確かさを持つと期待した問い、したがって主に問うて確認したいと思われたことである。そのような思いに至ったのは、議論をしていたからというよりは、聖書を調べていたからであろう。主の苦難と死、そして復活、これを見たことは絶大な体験であったが、彼らがかつての日の主から受けた教育を思い起こして聖書の学びをして行くと、主がかつて語っておられたことも多いのであるが、聖書の約束のイエス・キリストにおける成就を読み取る発見の連続に圧倒されるほかなかった。だから、イスラエルの王国の復興はこの時ではないかと彼らは考えたのであろう。

王国の復興とは、かつてあって、その後地上では消されて仕舞った王国、それを今打ち建てる。死に勝利した私が王であると主イエスが宣言される、という意味である。

弟子の誰か一人が自説の正しさを主によって支持して頂こうとしてこう提案したのではない。そういう質問ならかつて屡々行なわれた。今度はそうでないと思う。弟子たちが、全員一致して、こうではないか、と問うている。イスラエルの王国の復興というテーマは弟子たちにとって終始最重要な関心事であった。

先にも触れたが、最後の晩餐の中で、弟子の散り失せることと再結集を預言される直前に、主イエスはこう言われる。「あなた方は私の試錬の間、私と一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。それで、私の父が国の支配を私に委ねて下さったように、私もそれをあなた方に委ね、私の国で食卓に就いて飲み食いさせ、また位に座してイスラエルの12の部族を裁かせるであろう」。

 主イエスのこの言葉と、昇天日における弟子たちの判断が飛んでもなく食い違っていると考えることは要らない。全くピッタリとは言えないが、主の教えられたところにかなり近いのである。

神が昔、ご自身の民としてアブラハムとその子らを選び、それを12部族から成る国と定め、部族の長を定め、律法を制定し、受け継ぐべき土地を賜ったこと、これは昔話として讀み過ごされて良いことではない。地上の王国が醜悪、かつ悲惨な権力闘争に明け暮れている中に、ご自身の王国を終わりの日に成就すべき真の王国、神の国の雛形として提示しようとされた。

イスラエルの王国は、初めは必ずしも王がなくても治まるようになっていたのであるが、人々が王制を強く望むので、預言者サムエルは神の許可を得て王を立てた。もとは各支族の長老が集まって、会議を開いてことを決めていたのである。しかし、王制だけが失敗だったというのではないが、王も官僚も人民も神の律法を守る誠意がなく、神の国の雛形に相応しくなかったので、神は王国を廃止したもうた。したがって、アブラハムの子たちは、捕囚にされたり、異民族支配のもとに置かれたり、離散した民となって過ごしたのであるが、神は預言者によって王国の回復の時が来るとの約束を与え、信仰あるイスラエルはその約束を待ち望んだ。これが旧約聖書の信仰に生きる民らの信仰の基本軸である。さらに、これは新約聖書における神の民に受け継がれる。

ナザレのイエスが出現したもうた時、活動を始めるに当たって、「時は満ちた。神の国は来た。悔い改めて福音を信ぜよ」と宣言された。信じて集まって来る人々は、王国の王はナザレのイエスであり、その王のもとで、王国を12の地方に分けて取り仕切る栄誉に与るのが我々であると考えた。その考えには、時には全く世俗的・肉的な支配欲が露わである場合も多かったが、主は王国の完成という形で約束の成就を教えておられた。

 弟子たちが神の国の教えを肉的な支配欲の観点からしか受け取らなかった場合が多かったことは確かである。そのために、我々が神の国の教えを敬遠し、警戒する嫌いがある。その結果として、神の国の教えが気の抜けた、理想物語のようになっている実例が多い。しかし、イエス・キリストの教えはあくまで神の国の教えであり、その教えは命に満ちたものなのだということを忘れてはならない。

イエス・キリストは古い形式に囚われぬ当意即妙の答えを与えて人々を喜ばせたり・感心させたりしておられたのではない。彼自身、その教えをルカ伝の終わりに要約して言っておられる。「私が以前あなた方と一緒にいた時分に話して聞かせた言葉はこうであった。すなわち、モーセの律法と預言者と詩篇とに、私について書いてあることは、必ず悉く成就する」。

弟子たちは、キリストが苦難を受けて、これを克服し、復活したもうたからには、約束は悉く果たされたではないか。だから、今こそキリストが王座に就き、支配を実施したもうべきではないかと考えた。それが間違っていると言うべきであろうか。

 確かに、キリストの受難と復活によって、キリストにおける神の王国は成就したのである。使徒行伝の中に生き生きと描かれている初代教会の信仰者の生き方、それは古き世における生き方を引き継いだものではない。全く新しい生き方が描かれている。人々は神の国に生きるに相応しく生き始めた。

だから、「今が王国の回復の時期ではないか」と弟子たちが問うたのは間違いではない。ただ、初期には弟子たちはキリストの苦難と復活と世の終わりとが極めて接近していると思っていた。ヨハネ伝の最後のあたりを学んでいた時、主イエスがヨハネについて、「たとい私の来る時まで彼が生き残っていることを、私が望んだとしても、あなたには何の係わりがあるか」と言われたことで、間違って受け取る人がいたという記事があった。誤解の一つの原因は、主の来たります日、つまり世の終わりの日が近いという気分が濃厚であったことになる。

復活と再臨が極く接近しているという考えが初期には強かった。だから、主の再臨が来ないうちに死んで行く人がいることは、例えばテサロニケの教会の人たちにとっては深刻な問題であったという事情がI テサロニケの中に容易に読み取れる。時代を経過するにつれて、復活と再臨の時間的隔たりが延びて行っても深刻に考えなくて良いという理解が定着する。これは五旬節よりも、昇天よりも前であるから、弟子たちには復活と再臨との開きについては理解がなかった。

 主はこの問いを斥けるような形では答えておられない。こう言われる、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなた方の知る限りではない」。

「あなた方の知るべきことではない」。これは主イエスの教えの中の重要なものである。人に先立って時を知るならば、他の人に優越する。大儲けも出来る。それで、人々はまだ起こらないことを知りたがる。しかし、貪欲や支配欲があるからいけないというだけでなく、人間は知る欲望を慎まなければならない。つまり、神のみが知りたもうということに満足し、とどまらなければならない。マルコ伝13章32節で、「その日、その時は誰も知らない。天にいる御使いたちも、また子も知らない。ただ、父だけが知っておられる」と言われた。

さて、7節でこう言われる、「時期や場合は父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなた方の知る限りではない。ただ、聖霊があなた方に降る、あなた方は力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、私の証人となるであろう」。

「時期や場合」と訳されるのは「カイロス」と「クロノス」という二つの語で、この違いを説明することは難しい。だから複雑な説明をつけるよりは、同義語であると言って置く方が良い。「時」という意味である。それは終わりの時という意味である。

時がいつ来るかについては答えたまわなかった。その代わり、ここで重要なことを教えたもう。復活と再臨の間に聖霊降臨の時がある。聖霊の降ることについては旧約の時代から何度も教えられて来て、驚くには当たらないのであるが、復活や再臨と並ぶ出来事として聖霊降臨が教えられることは銘記して置くべきことである。

ナザレのイエスがキリストであることは、死と復活によって明らかになった。これは決定的なことであった。イエス・キリストは王であると宣言されてよかった。事実、死と復活を経たもうた彼を、主というもろもろの名に優る名で呼ぶのである。キリストが王となりたもう時が来た。キリストの王国が始まった。使徒行伝で読むのはキリストの王国の事実だと言って良い。

それはその通りである。けれども、主はもう一つのことをこれに重ねて教えたもう。それは聖霊の時が始まるということである。

 


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