2005.06.05.

 

使徒行伝講解説教 第19

 

――2:43-47によって――

 

 

 「みんなの者に畏れの念が生じ、多くの奇跡と徴しとが、使徒たちによって、次々に行なわれた」。
 今回43節から47節で学ぶことは、前回42節で簡潔に総括的に学んだことの反復であり、その個別的説明である。五旬節の説教で、終わりの時の始まりが宣言された。したがって、信仰者たちの行動は終わりの日を生きる生き方であると見るべきであろう。しかし、この生き方がそのまま終末を生きる生き方だと考えては、教会のその後の生き方の変化を考える時、混乱してしまう。
 ところで、この箇所が教会で解き明かされる機会は多くないかも知れない。説き明かしをしなくても分かる、と思われるのも理由の一つであろう。が、説教者たちは説教のしにくい箇所だと感じているらしい。しかし、聖書を日々読む人は、拾い讀みでなく、書かれたこと全体を一貫して読むのであるから、説教で飛ばされた所も読む。そして、それは心に残るのである。それは普段は忘れているかも知れないが、何かの機会に思い起こす。
 思い起こす都度、衝撃を受けるのである。初めの日の教会の有様……。それは、読めば説明を聞くまでもなく、思い描くことが出来るのである。4章32節にも似たことが書かれているが、「信じた者の群れは、心を一つにし、思いを一つにして、誰一人その持ち物を自分の物だと主張する者がなく、一切の物を共有にしていた」と言っている。そして、直ちに気がつくのは、今の我々の教会はどうなのか、という問いである。
 初めの日の有様と今とを並べて見ると、持ち物についての争いこそないが、それは争いを避けるために、各自の所有を尊重するようになっているからではないのか。自我の衝突を避けて、銘々人のことに立ち入らないだけではないか。つまり、互いに無関心なのである。
 非常に大きい段差があるのではないかと感じる人は少なくない筈である。今の教会には決定的に欠けたものがあるのではないか……。教会、教会、と言っているが、まるで遊び事ではないのか。
 そう考えると、気が滅入ってしまう教会の現実があることは否定できない。そういう現実があるので、この聖句にまともに向かい合うことを無意識のうちで避けてしまう、ということが起こっているのではないだろうか。しかし、我々は聖書の言葉をなるべく飛ばさないで読もうとしているから、ここを素通り出来ない。
 ところで、ここに描かれている昔の教会の姿と、我々が今日体験している教会の姿とは、別のものではないか、という思いに打ちのめされた経験を持つ人がいるのではないだろうか。ある人々は、昔の教会が実行したことなのだから、当然、今の我々も実行すべきであると考え、決心して実行を始め、破綻し、惨めな思いになる。
 一方、そういう事実があるのを知って、教会についてはもう深刻に考えることは絶対すまい、と心を決めたのではないかと思われるクリスチャンも実際多くいる。さらにまた、昔あった教会の真の姿は失われてしまったのだから、我々は失なわれた教会を尋ね求めて、「教会」と今呼ばれている世俗的集団を脱出しなければならないのではないかと思い立ち、それを実行している人もいる。
 それでは、彼らは求めるものを見出したであろうか。結論を言うならば、見出せなかったのである。それどころか彼らは見出そうと探求する真摯さも失って行ったのである。何故か。事情は簡単である。キリストの名を呼び求めることのない所には、一見、真剣さ、誠実さ、聖らかさがあるかのようであっても、キリストはいましたまわず、教会はないからである。
 ただし、それは、キリストの名が、名義上、形式的にでも、唱えられていさえすれば、そこは教会であるということではない。まるで遊び事をしているような教会がある。集まる人たちが遊びとは考えておらず、真剣に打ち込んでいるつもりであるけれども、人間というものは、勝負事のような無意味なことにも全財産を投げ出して熱中するのである。真剣かもしれぬが、真理はそこにない。誤りなき言葉を語っているつもりであっても、その言葉は、字面の上で間違っていないというだけで、その言葉本来の命は消え失せているという場合が実際あるのである。
 それでも、今「教会」と呼ばれているものが、教会でなくなっている、と決めつけることは、当たっている場合があるかも知れぬが、当たっていないこともあるから、このような軽率で傲慢な判断は避けたい。我々が主の言葉のもとに留まる限り、主の言葉には命があり、単にそれ自身に命があるだけでなく、聞く人を生かし、立ち上がらせる力がある。今は死んでいるようにしか見えないとしても、御言葉には死人を甦らせる力がある。
 それでは、使徒行伝で読むことの出来る初めの日の教会の姿は、我々にとって何なのか。それは我々の追求すべき模範なのか。この模範に従って我々は教会を回復する努力をなすべきか。
 そういうふうに考えている人は少なくない。だが、その考えは大きい間違いとは言わないけれども、殆ど実りのない空想である。どういうことかと言えば、教会の主は教会が地上に建てられた初めの日、それが約束の成就であることをユダヤ人に示すために、シルシを伴わせたもうたというふうに理解すべきである。今読んでいるのは、教会が建てられたことを示す徴しである。教会の実体や本質がなかったと言うのではないが、ここでは教会の本質を考えさせる材料が並べ上げられるのでないから、教会が建て上げられていることの徴しに目を向けるべきであろう。徴しがなければ、教会が建てられたことは、なかなか分からなかった。イエスの残党が辛うじて集まっているだけだ、と見られるだけであった。
 例えば、43節に「多くの奇跡と徴しとが、使徒たちによって行なわれた」と記されるが、そのような徴しがあったから、人々は教会の存在に気付いたのである。だから、その時のような徴しが今日見られないことを理由に、今は教会の死に絶えた時代だと判断するならば、間違いである。
 では、その徴しとはどういうものであったか。具体的には3章で学ぶから、今は触れなくて良いと思う。――では、その徴しはどういう意味を持つか。それも、そこで「イエス・キリストの名によって」という言葉について学ぶことであるから、その時に譲ってもよい。要するにイエス・キリストの実在の証拠である。人々はナザレのイエスは偉い人だったが死んだ、世を去った、もういない、と言っている。しかし、かつて主が地上におられた時になさった奇跡が、引き続き行なわれるということは、キリストが生きておられることの徴しである。だから、その徴しが常に行なわれていなければならないというわけでもないことに気付かなければならない。
 また、例えば、初代教会の人々は「一切の物を共有した」と44節に書かれる。これも一つの徴しである。人々が銘々自分の所有を確保し、それどころか他人の所有までかすめ取って、それを合法と主張しているこの世のただ中に、自分の物を自分の物とは言わず、喜んで他の人に差し出す共同体が現れ出ている。……これは驚くべきこと、徴しではなかったか。
 そういう共同体が新しい実体、また堅固なものとして現われ出たのでないことは、5章にあるアナニヤとサッピラの事件が示すところである。彼らは資産を手放したのであるが、心からそうしたのではなく、それを実行している人を見て、素晴らしいと感じて、人真似をしただけである。命令されたのでも、勧告されたのでもなく、そうするのは恰好が良いと感じられるので、好い恰好をしたただけである。
 この事件については改めてその所で学ぶが、人々が自分の所有を抛棄したのは、教会の実質というよりは、教会が建っていることの徴しであった。徴しは必ずしも持続しなくて良い。また、こういうことが行われなくなったのは教会の生命の枯渇だと言う人がいて、それがまた如何にも本当らしく聞かれているが、神の言葉が聞かれなくなったということと同列ではない。我々はもっと大切なことに目を向ける。
 教会は最後の日が来るまでは、「義である」と宣言された罪人の集団である。実際に罪があるにもかかわらず、キリストの贖いによって、その罪は赦され、消されたことが確かに宣言されている。教会がそういうものであることがここに表れている。初めの日からそうだったのだ。
 教会の初めの日の姿勢が持続されなくなったことについて、深刻に考えては実りのない自己卑下、自己嗜虐である。あのときのような姿勢を回復しなければ教会でない、と言うべきではない。しかし、教会が世俗主義にドップリ浸かって、これで良いのだと開き直るべきでないことも確かである。
 さて、「みんなの者に畏れの念が生じた」とは、主に奇跡が行なわれた結果について言われたのであろう。主イエスが奇跡を行ないたもうたことに、ペテロは22節で触れ、人々にその奇跡を思い起こさせた。人々はその力に畏れをなし、反論が出来なくなって、主イエスを罵ることを慎まざるを得なかった。しかし、このことは人々が心から信じたということとは全然別である。
 使徒たちが奇跡を行なって、それを見た人々が畏れたのも同様である。人々は必ずしも信じなかった。信じる者は選ばれた者だけであった。しかし、信じないながらに、彼らは威圧され、大いなる出来事が始まっていることを否定出来なかった。
 徴しはなくても良かった、と言えるかも知れない。実際、徴しを見ないで、福音の説教を聞いて信仰に入る人はいたからである。種が播かれたなら、芽が出て来るように、種としての御言葉が宣べ伝えられたならば、迫害のもとであっても、信仰が生じ、教会が建ち上がる。それでも、教会の主は、教会の初めの日に、この小さい群れを保護するために徴しを用いることを宜しとしたもうた。こういうことは、この後はなくなったのである。
 次に、「信徒たちはみな一緒にいて、一切の物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた」と書かれている。
 これが後々の時代のキリスト者に対して大きい刺激を与えたことについては、先ほど述べた通りである。これを大いなる出来事と見る必要はない。ここに教会の守るべき恒久的な規範があると思ってもならない。
 ただし、これを無視して良いと言うべきでもないであろう。だから、こういう制度を復活しようと試みた実例は決して乏しくない。アナニヤの例を初めとして、修道院の例においても、成功した試しがないことも確かである。だが、最も早い時期から、すでに偽善がここに伴ったのだから、こういうことはすべきでない、と言うのは理論的におかしい。すなわち、私有財産の否定に偽善が入り込んだに劣らず、私有財産の肯定にも悪魔が大手を振って入り込む事を我々は知っているのである。
 この頃、教会の人々はどのように生活していたのか。資産を売る人がいたから、それで三千人全員、働かなくても生活でき、専ら祈りをしていた、ということか。そうかも知れない。勿論、三千人が一団となって共同生活をしていたのではない。会堂ごとに分散し、それぞれの会堂ごとに、互いに分け合って食事をしていた、と見ることは出来なくない。
 しかし、こういう制度が成り立ったが、瓦解した、と考えてはならない。誰か制度作りの賜物に恵まれた人がいて、このように指導したのでないことは確かである。5章4節でペテロはアナニヤに、「売らずに残して置けば、あなたの物であり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか」と言う。自分の金を投げ出すことは全く自発的に行なわれてこそ意味のあることであった。私有財産を否定したと取っては正しくない。これは制度の問題ではない。
 持ち物を売って、分け合って食べて行くことが終末的な生き方なのかどうかという疑問はあるであろう。自分の物を自分の物と言わないで差し出す点では信仰的かと思われる。時が縮まっていることを知る人は持つ物を持たないように生きる。だが、他の人に寄食するのはどうであろうか。パウロはIIテサロニケ3章10節で、「働こうとしない者は食べることもしてはならない」と命じている。何もしないで、人々の世話になることが信仰的だとは原則としては言えない。
 自分の物を自分の物として主張しなかった教会が、そのうちに私有財産制度に戻ったのは堕落だと見る人はかなりいるようである。しかし、私有財産否定が私有財産肯定になったと言えるかどうかは疑問である。ここはよく考えなければならない。
 これも一時的な徴しであったと解釈するのが最も適切である。ユダヤ人の間では施しが奨励されていた。所有物に恵まれている人は、その所有を自分の物と主張すべきではなく、隣り人のために用いるべく管理しているだけなのだという理解を持たねばならない。それは、徹底していたとは言えないが「己れの如く汝の隣りを愛すべし」との律法がこういう意味であることは明らかであった。
 イエス・キリストが「明日のことを思い煩うな」と教えたもうことにより、このことは一層ハッキリし、確立した。その主の復活を信じた者が、自分の物を自分の物と言わなくなったのは当然である。それはキリストの甦りと甦りの主による新しい世界が来たことの証しである。
 しかし、教会の初期に、この徴しが一段と明らかに立てられたとしても、不思議に思うことは何もない。これは新しい制度の時代が来たということではなく、主は生きたもうということの証しである。今ではこういうことは教会の中でも廃れたと見る人はいるであろうが、そうではない。アナニヤのような人ばかりで教会を建てている場合があるとしても、主が生きたもうと知る故に、ディアコニアを実践する人はいるのである。
 「信者たちは一緒にいた」、すなわち、共同生活をしたというのも、一時的なことである。
 「絶えず宮もうでをした」というのは、次の3章でペテロとヨハネが午後3時の祈りに行こうとして宮に上ったことにも示される。朝も昼も宮に祈りに行ったのである。これはエルサレムにいた時だけである。
 「家ではパンを割き」というのは、42節で見たように、いろいろな意味に取れるが、「食事を共にし」というのと別に書かれているのであるから、共同の食事のためにパンを割くことではなく、主を記念する聖なる食事をすることではないかと考えられる。
 「神を讃美し、全ての人に好意を持たれていた」というその讃美は、聖なる生活を営む者としては当然のことであるが、ここでは特に人々の前で神を讃美したということではないかと思う。好意を持たれたとは、全ての人々が彼らの讃美を喜ばしく聞いたという意味を含むのではないかと察せられる。これも一時的な状況であった。人々から好意を持たれた日は間もなく終わる。8章の初めには「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒以外の者は悉く、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った」と書かれている。しかし、人々が好意を持ったことを儚い夢のようなこととして見ることは正しくない。
 「そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さった」。――これは教会の活動が日々行なわれていたことを示す以上に、働きたもうのは神であるということを明らかにする言葉である。勤勉な伝道者がいたことは確かであり、時代が何かを求めていたことも確かであろうが、主が救われる者を教会に加えたもうのでなければ、教会は何も変わらなかったのである。

 


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