2005.05.15.

 

使徒行伝講解説教 第17

 

――2:40-41によって――

 

 

「ペテロは、他になお多くの言葉で証しをなし、人々に『この曲がった時代から救われよ』と言って勧めた。そこで、彼の勧めの言葉を受け入れた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わった者が三千人ほどあった」。
 これまでに学んで来た五旬節の出来事、それを別に短く総括したのがこの40、41節である。先に学んだところと食い違っているとは思われない、しかし、前に記されていたことと重複しない言葉が書かれている。
 ペテロの説教は36節で終わったように我々は読んだ。説教が終わったから、それに対する反応が示されたのである。すなわち、「私たちはどうすべきか」との質問が出た。その答えとして、説教の付け足しが長々と行なわれたということなのか。そうかも知れない。だが、それと少し違う事情があったのかも知れない。すなわち、「ほかになお多くの言葉で証しをなし、また勧めた」と言われるのは、上に書かれたほかに、いろいろなことが説教として語られたのだ、と言おうとしたのではないかとも思われる。
 「証しをした」というのは、主のなさった何かの御業、あるいは語られた何かの言葉についての証しを語ったと取っても良い。証しは要するにキリストの証しだからである。しかしまた、これは「説教した」というのと同じ意味であったと取って、少しもおかしくない。また、「勧めをした」という言葉も、「説教した」という意味に取っても不自然ではない。
 ルカは使徒行伝を纏めるため、当日そこにいて説教を聞いた人たちから材料を集めた。そして、ペテロの説教が14節から36節に及ぶものとして一応纏まった。それはペテロの語ったままを書き留めたと感じさせる書き方であるが、語ったことの一切ではないのではないか。これは短いとは言えぬとしても、実際にはもっと時間を掛けて語られたものであるということを、その場にいた人たちは知っている。だから、もっと多くのことが語られたと言いたい。そういう意味をこめて、「ペテロは、ほかになお多くの言葉で証しをした」と書き加えたのかも知れない。
 あるいは、バプテスマの勧めを主にした第二の説教が、第一の説教の後に続いたと見ることも出来よう。36節までの第一の説教には、バプテスマのことは一ことも出て来なかったように見られる。三千人の人がこのとき洗礼を受けたということなら、それだけの勧めがあったと考えられるではないか。バプテスマの勧めが使徒によってなされたのは初めてのことである。バプテスマの勧めがあったのち、いきなりそれが執行されたということではなかったであろう。会衆はヨハネのバプテスマについて聞いてはいるが、ヨハネからもバプテスマを受けよと勧められたことはなかったと思われる。だから、勧めが必要であった。
 その勧めの骨子は、前回38節で聞いたものである。「悔い改めなさい。そして、あなた方一人一人が罪の赦しを得るために、バプテスマを受けなさい」。これまでは、「ユダヤの人たち、並びにエルサレムに住む全ての方々よ」というふうに一纏めにして呼び掛けられた。しかし、悔い改めとバプテスマという問題になると、人間を一纏めに扱うことは出来ない。一人一人が悔い改め、かつ信仰を告白し、一人一人がイエス・キリストの名によってバプテスマを授けられる。彼らは神の民であって、全体として約束のうちに置かれていた。しかし、その約束が現実に働き出すときには、各自が己れ自身に立ち返らねばならない。
 これは先ず「悔い改めのバプテスマ」と呼ばれる。使徒たちはヨハネのバプテスマを知っていたし、これを受けていた。12使徒の欠員を補う場合も、誰でも良いのではなく、1章22節にも記録が残るように、ヨハネのバプテスマの時から知っていることが条件であった。
 しかし、最も重要なのは、「イエス・キリストの名によるバプテスマ」であるということである。罪の赦しに至る悔い改めの核心部は、イエス・キリストが持っておられる。ヨハネのバプテスマによって前もって示されたものではあるが、ヨハネのバプテスマを越えなければならない。
 悔い改めのバプテスマということは確かに重要であるが、「悔い改め」という一点に固執し過ぎると、悔い改めの表明の足りない者は排除されることになる。この日のバプテスマについて、分かっていないところが多いが、39節には「あなた方とあなた方の子ら」と言われたように、子らも約束に入れられている。この日に子供もバプテスマを受けたかどうかは確定的には言えないとしての、バプテスマの約束が子たち、幼な子をも含んでいることは確かである。彼らには悔い改めの生活に入っているという徴しはないかも知れない。しかし、「幼な子の我に来たるをゆるせ。とどむな」と言われたキリストの祝福は彼らに達している。
 この日の洗礼の勧めが「この曲がった時代から救われよ」という言葉で集約できると言えるかどうかは分からない。バプテスマの勧めとして「この曲がった時代から救われよ」という言葉が語られたという証拠はないからである。それでも、洗礼を受けて、この時代から脱出し、この滅び行く時代と絶縁し、この時代の人々と軛を同じくしない立場に立ったということはハッキリしている。
 「曲がった時代」と呼ばれるが、ここで言う「時代」は時ではなく、その時の中に生きる人、我々の言葉では「世代」と言っているものである。例えば、モーセに率いられてエジプトから脱出した世代、これは奴隷の境遇から解放された世代であるが、咎のゆえに約束の地に入ることが出来なかった世代である。約束の地に入ることは、なお約束のままで次の世代に引き継がれ、次の世代になってから約束は成就された。この世代と次の世代はハッキリ区分される。
 先にも少し触れたが、主イエスは、全ての預言者の血について、今の時代がその責任を問われる、と教えたもうた。この論法に従って、ペテロは「あなた方が救いの君を十字架につけて殺した」と言うことが出来たのである。まさに、この時代は「曲がった時代」であった。
 今の時代の責任というものについて、我々は呑気であってはならない。この世とこの世を越えた世との区別を弁えることは必要である。だから、この世ですでに報いが得られてしまうようなものを善として追い求めてはならず、また、この世に宝を貯えることをすべきではない。この教えはこの世が続く限り通用する真理である。しかし、主イエスが、「アベルの血から、祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで、世の初めから流されて来た全ての預言者の血について、この時代がその責任を問われる」と
ルカ伝11章50節で言われたことを、今の我々の時代の中でよく考えなければならない。預言者を殺した人は過去の時代に属する。だから、我々にはその責任は帰せられない、と人は思ったであろう。しかし、主イエスはこの時代がその責任を問われるのだと言われた。
 我々の時代に過去の時代の責任が追及されるということが説かれたのではない。しかし、主イエスがここで論じておられる論法に耳を傾けるならば、今の世代には過去の世代の責任が負わせられることがない、と呑気な顔で言うことは出来ない、ということに我々の目は開かれる。60年余り前、日本のキリスト教会が犯した罪について、あれはあの時代の人々の錯誤であったと言って、すました顔をしてはおられない。
 ペテロが今の時代を「曲がった時代」と呼んだ時、この世の時代はいつの時代も曲がっているのだという意味を含めていたことは確かであろう。しかし、それだけでないことも十分確かに読み取れる。一つには、ペテロが「あなた方が十字架につけたこのイエス」と言っている言い方である。第二に、主イエスご自身が、この時代が責任を問われる、と言われた論法である。
 では、この曲がった時代に生きた者は、この時代とともに裁かれて、滅びなければならないのか。そうではない。「この曲がった時代から救われよ」と言われる。曲がった時代を真っ直ぐになるよう修繕するというのではない。曲がった時代はこのまま滅びて行くのである。しかし、神はみこころに適う者をこの時代の中から救い出される。これが神のしばしば用いたもうた手段である。
 一つの世代がどうにもならない悪い状態になった時、神はその時代をソックリ滅ぼして、ノアとその一家だけを救いたもうた。また、ソドム、ゴモラの堕落が甚だしくなったとき、神はこれらの町々を天からの火で滅ぼし、ロトの家族だけを救い出された。そのような前例がある。
 ペテロが「この曲がった時代から救われよ」と言ったのはそのことである。それでは、全ての預言者の血について責任を問われるべきあの時代にはそうであったとしても、今日では事情が違うのではないか。だから、かつて適用された手段は用いられないのではないか。
 今の時代がキリストを十字架につけた時代よりも悪いのか。少しはマシなのか。――もっと悪いと感じている人は少なくない。あの時代は悪い時代ではあったが、神は真実な人々を残しておられた。だから、彼らはキリストの教会を世界中に建てることを始めた。今はどうか。キリストの教会が次々と崩れて行くではないか。世界が崩れて行くだけでなく、教会も崩れて行っている。
 そのように、今の時代の方が悪いと言えると思うが、そう断言する証拠はない。だから、今の時代が悪いかどうかは別として、この時代から、みこころに適う人を神が救い出されることは確かである。なぜなら、39節で聞いたように、「この約束は、我らの主なる神の召しに与る全ての者、すなわち、あなた方と、あなた方の子らと、遠くの者一同とに与えられているものである」。
 「この時代から救われよ」と言って差し出された手段は、この後の世もズッと有効なのである。ノアの箱舟はバプテスマを象徴するものである、とI ペテロ3章21節で言われている。
 我々に差し出されているバプテスマには、この時代から脱出する手段という意味がある。ということは、我々はこの時代に対して最早責任を負わなくて良いという意味ではない。クリスチャンと言う人の中には、この世とこの世に生きる人々に無関心になって、彼らが滅び行くこと、彼らがこの世で平和と正義に適う歩みをすることが出来なくなっても、魂が救われれば良いと見て、痛みを感じない人がいる。イエス・キリストがこういう問題にどう立ち向かわれたかを考えれば、それで良いかどうかはスグに明らかになる。我々はこの世に遣わされている。
 しかし、ノアの箱舟に乗っておれば滅びを免れたように、バプテスマを受けた者はこの世と滅びを共にするのではないという証しがキリストから与えられる。それは単に安全を保証する徴しであるだけでなく、曲がった世に属していず、そこに入り浸っているのでないことの徴しである。
 「曲がった世」という言葉を今日の我々は深く捉えるように促されている。今日の時代も、まさしく「曲がった時代」と呼ぶべき時代である。自分自身はこの世でそれほど不正に出会っていない、といえるかも知れないけれども、私以外の多くの人が世の不正に苦しんでいるならば、今の世は曲がった世である、と言うべきであることはハッキリしている。自分は社会の不公正のおかげで得をしているので黙っている、というようなことは赦されない。
 「この曲がった時代から救われよ」という呼び掛けは、使徒の時とは少し異なる意味であるとしても、今の時代に、真剣に叫ばれねばならない。
 五旬節に集まった人たちが受けたバプテスマの印は、この世の不正と軛を共にしないという旗印でもあったことを覚えたい。この世と何もかも違った生活が打ち立てられたことを我々は間もなく見る。45節に書かれていることだけ取り上げても、抜本的に違った生活が始まっていることが分かる。
 使徒行伝の中に記録として収められているものではないが、主イエスがこの時代に責任が問われると預言されたのは、ユダヤとエルサレムの滅亡の預言ではないかと我々には思われる。紀元70年、ユダヤ人はローマの支配に抵抗して一斉蜂起し、エルサレムに篭城し、エルサレムは徹底抗戦の後、壊滅した。それからユダヤ民族の長い流浪の時代になる。
 その時、エルサレム市内でかなりの人口に達していたキリスト者は、ユダヤ人であるが、他のユダヤ人のようには民族意識を持たず、隣人たちが国に殉じる決意でエルサレムに立てこもった時、総員、都を立ち去って、ペラという町に移った。どうして同国民と苦難を共にしなかったのかと、今のクリスチャンなら不思議に思うであろう。それはキリストの民として、教えを守って戦争を拒否したからであるが、ユダヤの中にあってユダヤの民であることを拒否したという面も読み取ることが出来る。
 このキリスト者の行動について様々な議論がなされるが、そのいちいちについて論じることは今はしない。ただ、彼らが地上の国、また地上の祖国に属していなかったことには注目して置こう。そのような新しい国が始まっていた。まだ地上的なものではあるが、霊的王国を映し出すにいっそう相応しい形になった。
 さて、その次に移るが、「その日、仲間に加わった者が三千人ほどあった」。一日に三千人がバプテスマを受けたとは驚くべきこと、信じがたいことと思う人は少なからずいる。この三千人というのは、エルサレムだけでなく、この時期に始まったガリラヤ伝道で入信した人も加えてあると見る人もいる。
 五旬節の朝、使徒たちのいる所に駆け集まった人は、ここにいるのが皆ガリラヤ人だということを発見した。他の福音書には、復活後の主イエスと使徒の行動に関してガリラヤに触れるところが多いが、使徒行伝では、ガリラヤについては9章31節まで記事がない。そこには、「教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地に亘って平安を保ち、基礎が固まり、主を恐れ、聖霊に励まされて歩み、次第に信徒の数を増して行った」と書いてある。ガリラヤの伝道は早い時期に始まっていたことがこれで分かる。記録はないが事実はあった。
 使徒行伝4章31節を見ると、「彼らが祈り終えると、その集まった場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」と書かれていて、その活力が伝わって来る。五旬節当日もバプテスマが行なわれた後、そういうことであったはずだ。ところが、説教の記録に続くそういう記事がない。説教の後の記事は、その場の光景を生き生きと捉えたものでなく、一旦メモに書かれ、それから記事にされたような感じである。
 五旬節の日の情景をありありと伝える記録はない。しかし、たしかに驚くべきことが起こった。かつて主イエスはガリラヤで5000人にパンを割いてお分かちになった。そのようなことが五旬節にエルサレムでも起こるのは当然である。
 一度に三千人の会員が増えるのが教会の本来の命だと考える必要はない。むしろ、そのような拡張主義的誤解によって教会が真理と生命を失ったことを反省しなければならない。今は失なった真理と生命を取り戻す時である。


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