2005.05.08.

 

使徒行伝講解説教 第16

 

――2:37-39によって――

 

 

 「人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロや他の使徒たちに、『兄弟たちよ、私たちは、どうしたら良いのでしょうか』と言った」。
 人々が胸を刺される思いをした事情を理解することは困難ではないであろう。彼らはナザレのイエスについて、その死について、何ほどかは知っていた。同情的だった人も少なからずいたはずである。しかし、説教の終わりまでは、胸を刺されることはなかった。
 ペテロの語ったどの点が彼らを揺るがしたか。第一は、キリストの復活が語られたことである。復活が公けに告知されるのはこれが最初であった。語ってはならないというのではなかったが、時を待てと命じられていた。それは聖霊が降るという約束の成就するのを待つことであったが、同時に、使徒たちが語る準備をしなければならなかったという事情がある。
 1章15節には120人ばかりの人が集まったと書かれていたが、これが復活の主に出会っていたほぼ全員であった。別の資料によれば、Iコリント15章6節にあるように、500人以上の兄弟に現れるということもあったようである。それ以外の人はキリストの復活を見てもいない、この日までは聞いてもいない。或る種の不安な思いを込めて人々がナザレのイエスの死について噂することはあったであろう。その噂に、墓が空になったという噂、復活されたらしいという噂が重なったかも知れない。しかし、確かな告知として語られることはなかった。人々は公けに告知される復活を初めて耳にした。
 それを聞いても彼らには何も起こらなかったかも知れない。この事情は的確には捉えられないが、我々の住んでいる社会の中での反応と同じ程度にユダヤ人が反応したと見て良いかどうかは疑問である。民衆の間でどうであったかは別として、律法学者の間で、死人の甦りについて、熱い議論が交わされていたのは確かである。そのことを民衆が或る程度知っていたのは言うまでもない。したがって、例えば、使徒行伝17章にあるように、パウロがギリシャのアテネで死人の復活の説教をした時の無関心と同じものがエルサレムでも見られたと考えることは正しくないのではないか。
 それでも、これ以上のことは議論しても水掛け論である。ギリシャ人と違って、ユダヤ人は死人の復活について期待を持っており、その第一号として、十字架で処刑された方が甦られたことを受け止めたかも知れない。少なくとも、間もなく後に、キリストの復活は彼らの生活を一変させる要素になった。しかし、この日にすでにそうであったと言い切るのは無理かも知れない。だから、それはそのままにして、先にもっと確かに分かることで議論を進めた方が堅実であろう。
 第二に、「あなた方が救い主イエスを十字架につけたのだ」という決めつけ、これは彼らの心を揺るがせずにはおかなかった。
 彼らはそんなにまでは悪意を持っていなかったのだから、十字架につけた責任を追及することは酷ではないか、という意見があるかも知れない。確かに、この世ではこういう言い方は厳しすぎる。ナザレのイエスが殺される時、そこにいたことはいたが、何も言わず、何もしなかった人に責任が問われると言うのは言い過ぎだとされる。
 しかし、神の前ではどうなのか。また、イエス・キリストがかつて説いておられた教えの水準から見てどうであろうか。その水準は、主がこれから建てて行かれる共同体での水準でもある。
 ルカ伝11章47節で主イエスは言われた、「あなた方は禍いである。預言者たちの碑を建てるが、しかし彼らを殺したのは、あなた方の先祖であったのだ。だから、あなた方は、自分の先祖のしわざに同意する証人なのだ。先祖が彼らを殺し、あなた方がその碑を建てるのだから」。
 主がこれを語られたのは律法学者、特にパリサイ派のラビに向かってであったことは確かである。だが、それ以外の人には責任がない、という意味に取るべきでないことは論じるまでもない。
 また、主がこの時に言われたことは、ご自身の死との結び付きを暗に示していることに我々は気付かずにはおられなかった。すなわち、その数節先に、「世の初めから流されて来た全ての預言者の血について、この時代がその責任を問われる。そうだ、あなた方に言っておく、この時代がその責任を問われるであろう」。
 「この時代」、それは時が満ちて、キリストが来られ、キリストが殺された時代でもある。その時代も連帯責任を免れない、と言われたのでなく、これまでの累積された責任の決着がこの時代に着けられる、と言われた。さらに、パリサイ派の律法学者に責任が問われる、と仰ったのではなく、この時代が、と言われたことも当然である。
 ペテロのこの言い方は、確かにこの世なみの告発の仕方ではない。けれども、イエス・キリストの論法に倣ったものであった。だから我々は、ここでペテロの言った言い方を受け入れるだけでなく、キリストの命に与って生きる共同体の中では、この基準を守らなければならないということを考えて置こう。――この基準を教会の中で守らなければならないとは、互いに峻烈に裁き合うということではない。むしろ、教会は赦し合いが支配する王国である。しかし、その国の中で、各自は自分自身にこの世で通用するのと別な基準を適用する。
 例えば、戦争罪責について、この世では、分けてもこの日本という国では、実に甘い基準が横行する。だから、この問題について、日本以外の全ての国では、反省を促すデモが起こる。日本人の中にも、このことを好い加減にしていてはならないのだと考える人は必ずしも少なくはない。そのことを踏まえて、我々に問われていることは何かを弁えなければならない。この世の人々はこの世の法廷で有罪判決を受けないことを基準の最低線に据えている。我々はしかし、天上の法廷に目を挙げて、そこで義とされることを基準にしなければならない。
 当然、私が主を十字架につけたということを捉えなければならない。私が主を十字架につけたとは、自分自身が十字架につけられた主に釘を打ち込む場面をリアルに思い描くことと同じではない。そういう場面を実際に演じて見る人がいても良いのであるが、そうしなければならないと人に強制してはならない。
 あなた方が主を十字架につけたとは、あなた方がその行動によって主を十字架につけて殺したということではない。ペテロが語っていた時には、そのような意味にとることは正当であったが、別の国、別の時代に、あなた方はその行動によってキリストを殺した、と言うとすれば、意味は通じない。
 あなた方が主を十字架につけたとは、あなた方の罪がそういうことをした、という意味である。主イエスが鞭打たれ、十字架につけられ、死にたもうた時、まだ存在していなかった私が、その責任を取ると大真面目に言っても、本人が思うほどの意味はない。ここは、彼の死によって我々の罪が担われているといううふうに受け取ることから始めるのが分かり易い。
 そのように、今の時代の我々は、私とキリストの十字架の結び付きを捉えることから始めるが、初めの時代、人々は「あなた方が主を十字架につけたのである」と言う言い方をそのまま受け入れることが出来た。
 キリストの死と私の罪の関係は、我々の信仰理解にとって最も重要であるが、ここではこれ以上立ち入ることは省略して、先に移って良いであろう。
 「兄弟たちよ、私たちはどうしたら良いか」。彼らは自分のしたことの大きさに恐れ、取り乱し、ペテロたちに助言を求める。その時、「兄弟たち」と呼び掛けていることに注意させられる。これは29節でペテロが使っている呼び掛けであるから、「兄弟よ」と呼ばれた者が、「兄弟よ」と呼び返すのは当然と思われる。
 しかし、問われている事柄は最も真剣な問題だということも見落としてはならない。これは魂の生死に関わる相談事である。「兄弟」という水平の関係の中で教えられることではないではないか。かつてダビデが罪を犯し、預言者ナタンにそれを指摘された時、神に呼ばわって、「私は自分の咎を知っています。私の罪はいつも私の前にあります。私はあなたに向かい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました」と詩篇51篇で言った。
 そのように、神に問うべきではなかったか。そして、神に問うことは、神から遣わされた使徒に問うのと同等と神は見て下さる。とするならば、使徒に向かって、神の代理人に接するに相応しい呼び掛けが必要であったのではないか。ユダヤ人社会においては、差詰め「父よ」、あるいはせめて「先生」と呼ぶところではなかったか。
 しかし、これは不心得とか、言葉足らず、というようなことではない。これで良いのだ。キリストの教会の中では、初めから互いに兄弟だった。それ以外の呼び方、すなわち上下関係はあってはならなかった。
 38節、「するとペテロが答えた、『悔い改めなさい。そしてあなた方一人一人が罪の赦しを得るために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、あなた方は聖霊の賜物を受けるであろう』」。
 先ず、「悔い改め」である。イエス・キリストが伝道を始めたもうた時の第一声も「悔い改めよ」であった。或る意味で、その声が繰り返し鳴り響くのである。これは世の終わりまで繰り返される。使徒的教会の発足の時もそうであったことを確認することは無駄ではない。我々の教会も同じである。
 神の民は遥か昔、この地上に起こされ、延々と今まで続き、これから後も続いて行くのであるが、地上にある限りは、「悔い改め」によって神の民としての生命を持続して行く。神の民という名を頂いても、その名がウソだということではないのであるが、悔い改めを忘れたならば、「クリスチャン」という名はあっても、神の民としての実質の生命は消滅しているのである。
 「悔い改め」という言葉には「悔い」という要素も含まれているから、自分の罪を悔い、それを告白することは確かに不可欠である。しかし、過去を悔いているだけで、実質的な転換は何も始まっていない、ということがある。悔い改めとは生まれ変わり、新しく生まれることである。
 次に、「罪の赦しを得るためにバプテスマを受けなさい」と勧告が行なわれる。悔い改めることとバプテスマを受けることとは、別のことでありつつ、別のことではない。先に見たように、悔い改めは繰り返される。それなら、洗礼も繰り返し行われなければならないか。そうではない。もし、悔い改めと同じように洗礼が繰り返されなければならないとすれば、教会では連日連夜、洗礼が行われなければならない。洗礼は一回だけで良い。
 それでも、悔い改めとバプテスマは切り離せるものではなく、「悔い改めのバプテスマ」という一つのものなのだ。それはどういうことかと言えば、生まれ変わりの恵みを表す印として、バプテスマが与えられるということである。バプテスマそのものは印である。バプテスマを受けたことによって罪の赦しが得られるのではない。新しく生まれた時に、すでに罪の赦しは始まっている。
 悔い改めという精進をすれば、その努力への報いとして罪が赦されるということではない。悔い改めも、罪の赦しも、上から与えられる恵みである。その恵みの印付けとしてバプテスマが行なわれる。
 ペテロの説教を聞いていた人々は、洗礼についてかなり知っていたはずである。我々も洗礼について初歩的なことを思い起こして置こう。イエス・キリストの福音の幕開けは、ヨハネの執り行う「悔い改めの洗礼」であったとマルコ伝の冒頭は言う。さらに言うならば、これはヨハネが創設したものではなく、その前からあった。罪を犯した者が汚れを洗う水注ぎを受けることは律法の書にも記されている。多くの宗教が水の洗いの儀式を定めている。
 それが何の権威によって命じられたかと問われると、答えは苦しい。ヨハネは「私、ヨハネの名によって洗礼を行え」と教えたようである。ヨハネにそれだけの権威があったのか。それはあった。彼は老いた祭司ザカリヤと老いた妻エリサベツの子として特別な生まれ方をしている。彼は自分は何者でもなく、「荒野に呼ばわる声」として来た者、キリストではなく、その前に来た者なのだとハッキリ自覚していた。その範囲内では確信をもって人々に洗礼を受けさせた。
 これはイスラエルの宗教の形式を大幅に変えさせるものであるから、正しいのかどうか、ユダヤの人々は迷った。律法学者からなる調査委員会が作られて、ヨハネの教えが正統なのか異端なのかを調査したが、これが聖書の教えを損なうものであるとは言えなかった。とはいえ、彼らにはこれが正しいと言う確信もなかった。そのうちにヘロデが結論を出して、これを斬り殺し、ヨハネの運動は途絶える。それでも、彼の教えと実践を引き継ぐ者がいたことは、パウロのエペソ伝道の歴史によって知られる。
 主イエスの12弟子の中には、もとヨハネの弟子であった者が多く、主イエス自身もヨハネのバプテスマを受けておられる。
 ヨハネはイスラエルの宗教が瀕死の状態にあるのを見抜いた。アブラハムの子孫であるというだけでは意味がないことに気付こうともしない。名と伝統に安んじているだけだ。だから、悔い改めなければならない。洗礼は悔い改めの印であった。
 それを引き継いだとはいえ、主イエスご自身が洗礼を授けたもうたことはないし、イエスの名による洗礼を行なうよう命じたもうたのは復活後のことである。マタイ伝28章に、復活のキリストが弟子たちをガリラヤの山に集め、「あなた方は行って、全ての人を弟子とし、父と子と聖霊の名によってバプテスマを施せ」と命じておられる。
 使徒行伝の前の巻であるルカ伝には、主イエスによる洗礼の制定は記されていない。しかし、ルカ伝24章47節には、復活の主が「その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、もろもろの国民に宣べ伝えられる」と宣言されたと記される。ここにはバプテスマという文字はないが、この御言葉は「悔い改めのバプテスマを行なえ」と言っておられるのと同じであると解釈すべきである。すなわち、バプテスマは罪の赦しを得させる悔い改めに伴う印なのである。
 五旬節の前の10日、あるいは昇天前も含んで50日、この間に使徒たちは集中的努力をもって祈り、聖書を調べ、主から託された真理がどれだけの広がりのものであるかを確認した。こうして宣教活動の開始に備えたことは何度も触れたが、バプテスマを行なうべきこと、これが主の命令であることの確認もこの時になされた。
 それは「イエス・キリストの名によるバプテスマ」である。これは、もっと整った形では「父と子と聖霊の名による」と言われる。単なる水の洗いならば他にもある。他の洗いは、それなりの宗教的な意味を込めたものであろうが、確かさはない。ヨハネはキリストの先触れとして遣わされて悔い改めと罪の赦しを教えたのであるから、キリストの先触れの名にはある意味があると言える。それでも、キリストそのものの名の絶大な意味には及ばない。使徒たちは十字架の死と、三日目の復活に触れて、イエスの名の確かさを知った。
 「そうすれば、聖霊の賜物を受けるであろう」。この「聖霊の賜物」は、聖霊を賜物として賜わることである。聖霊の賜物としての異言や癒しや悪霊祓いの力を受けるという意味ではない。つまり、あなた方もキリストの名によるバプテスマを受けることによって我々の仲間になり、我々が先に受けた聖霊をあなた方も受けるのだ、と言うのだ。
 39節、「この約束は、我らの主なる神の召しに与る全ての者、すなわち、あなた方とあなた方の子らと、遠くの者一同とに与えられているものである」。
 召しに与る全ての者、その全ての者に恵みが及ぶべきであったが、時が満ちていなかった。しかし、今や時は満ちたのである。それは今や遠くの者にまで及ぶようになった。多くの宗教は一国、一民族の中に始まり、そこに閉じ込められ、一国の利益だけをはかるものになっているが、まことの神はアブラハムの一族を選んで、これをご自身の民と定め、これと契約を立て、彼らを用いて地の全ての民が祝福を受けるように定めておられた。今や、その御業が世界に拡がる時となったのである。

 


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