2009.09.06.

使徒行伝講解説教第150

――28:23-31
によって――

 

 前回讀んだところは、パウロとローマ在住の主立ったユダヤ人との最初の顔合わせであった。これはパウロの方から招いた集会で、礼儀を尽くして呼び掛けたと思われる。すなわち、ユダヤ人の側とすれば、一介の無名のラビであるパウロの招きに応じる然るべき理由は見出せない。だから、余程心を籠めた丁寧な手紙が送られたはずである。

 パウロの考えでは、エルサレムの議会から、あるいは大祭司から、ローマのシナゴーグ宛の手紙が来ているに違いなかった。すなわち、エルサレムのユダヤ社会の権威は、パウロを死に当たる者として総督の役所に訴えた。パウロがこの訴えを不当なものとしてローマの法廷に上訴した以上、ユダヤの権威はローマのシナゴーグにこの事情を通知し、ユダヤ教の名誉を守るために裁判を有利に導くことに協力せよと執拗に働きかけをしている筈だと思っていた。

 しかし、そういう連絡は来ていなかった。エルサレムの側では、カイザリヤに移され、そこからさらにローマへと移ったパウロを黙殺し、殆ど忘れ去ったのかも知れない。また、ローマのユダヤ人共同体としても、近年までユダヤ人のローマ居住は禁止されていたという事情があるので、エルサレムから指令が来たとしても対応出来なかった、あるいは手紙が届かなかったということかも知れない。そういうわけで、裁判のことでローマ在住のユダヤ人と折衝することはないということがこれでハッキリした。

 これは裁判の重荷の半分が取り去られたことを意味する。彼の裁判はローマの法律だけで審理すれば良いのである。そして、ローマ法によるならば、エルサレムの千卒長が判定し、カイザリヤで総督が認め、アグリッパ王も是認した通り、パウロは無罪である。罪なきパウロをユダヤの権威が、エルサレムの騒擾事件を口実に、裁こうとしている。かつて主イエスが罪なきお方であるとピラトも認めておりながら、ユダヤの権威とユダヤの民衆が、そこに不当に介入して、神の遣わしたもうたメシヤを十字架につけて殺した。それと同じ裁判を、ユダヤの権威はローマの法律と別の原理を持ち込んで、パウロに関しても行おうとしている。そのような裁判を成り立たせてはならないとパウロは堅く信じている。キリストが裁かれたと同じ理由で自分が裁かれるのは恐れ多いという気持ちがあったのではないか。

 裁判がローマに移され、ローマの裁判官だけが問題を処理するならば、法律家の人間的な弱さから妥協したり、面倒がって決定を引き延ばすことはあるとしても、結論は明快である。だが、ユダヤ人が別の原理があると主張し始めたならば、面倒である。ユダヤの法廷ならば、死人の復活を信ずるということを主張すれば、勝てるとは必ずしも言えないが、ユダヤの原理では却下はできない。ローマではこういうことを言っても相手にされない。

 争わねばならないのは精神的に重荷である。争いというものは人類社会に屡々起こる。争いを殊更に好む人もいる上、争いによらなければ明らかにならない問題もあるのだから、争いを避けてはならないのだという理由を楯に、争いを起こし、自分が疲れ果てるだけでなく、他の人も引き入れて人々の心を荒んだものにすることもある。争いは何としても避けなければならない。主イエスが「悪しき者と争うな」と言われた通りである。しかし、自分が争いを起こすのでなく、人が起こす場合、正義を明らかにすることが必要だから、相手の言い分をそのまま通してはならない。

 そういう場合、本能的な闘争心に駆り立てられる暴力は決して用いず、理性と良心を用い、法に基づいて論理で審理する。ところが、パウロの裁判がローマに移されて、ローマにいるユダヤ人がそれに関わり続けるとすれば、争いは長引く。キリスト者とユダヤ人との延々たる争いになる。パウロはそれを忌むべきことと見た。しかし、ユダヤ人が関わらない裁判になりそうだと分かった。喜ばしいことである。

 ところで、裁判はこの後結局どうなったか。それについて我々は何も聞いていない。だが「借りた家に満2年住んだ」という30節の記事から考え、後2年裁判が続いたということ、そしてパウロは晴れて無罪になって、自由な活動が出来るようになったということが讀み取れる。そして、自由になって伝道に励んだが、間もなくネロの迫害があって、ローマに大火災が起こり、キリスト教迫害が激しくなり、パウロはペテロと同じ頃殺されたという事情はほぼ確かである。あるいは、その前に短期間イスパニヤ伝道に行って、また帰ったのかも知れない。

 パウロはローマにいるユダヤ人を訴訟に関わらせることなく、彼らに対しては、福音の宣教だけをすれば良いことになった。ただ、これに関連して、パウロについて明白に敵対的な情報は聞いていないが、この宗派について、至るところで反対があることを、ローマのユダヤ人は噂として聞いていたと答えられる。パウロについてではないが、キリスト教というものについて、至る所で反対があり、悪評があるというのである。

 ということはローマにおいては、キリスト教について、まだ噂しか聞いていないという意味のように思われる。ところが、繰り返し言うように、ローマに於ける教会の活動は始まっている。それはローマの政府によってユダヤ人追放が行われるよりも前であった。では、どういうことなのか。

 パウロがローマ書16章に名を挙げているキリスト者の中に、異邦人と思われる人の他、ユダヤ人であったと判断される名が何人も見出される。それは、ローマにいるユダヤ人の一部が、キリスト者となってシナゴーグから出て行ったことを指している。その出来事にユダヤ人の主だった人が全然気が付いていないということは、どういうことなのか。――ここは良く分からない。

 パウロが会った主立ったユダヤ人たちは、ローマ放逐が解かれた後にここに住むようになった人で、以前のことは知らなかったのかも知れない。とにかく、この日は次回の会合の日取りを決めるだけで解散した。

 その決まった日に、大勢のユダヤ人たちがパウロの住む家に集まった。思い起こすのは先に2311節で聞いたことである。エルサレムの議会でパウロが語ったその夜、主が彼に現れて「シッカリせよ、あなたはエルサレムで私のことを証ししたように、ローマでも証ししなければならない」と言われた。その証しが今はじまる。

 パウロのローマ伝道の模様は詳しく記録されていないが、その実際はこれまで彼が異邦人の地でユダヤ教の会堂において行なっていた説教と、基本的に同じであると言うほかない。すなわち、比較的詳しく述べている例としては、1316節以下に記されたピシデヤのアンテオケにおける説教がある。必ず旧約の言葉が引かれ、それが成就したのだと宣言される。これが基本的な型である。

 今回も「モーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得に努めた」と記される。モーセの律法と特に言うのは、厳密に言おうとしたのかも知れない。すなわち、ユダヤ人はモーセによって与えられた戒めだけでなく、戒めの施行細則として加えられた言い伝えや慣習も「律法」と呼んでいたが、本来の律法だけに絞っていることを示すのかも知れない。「聖書は私について証しするものである」と主はヨハネ伝539節で言われたが、その聖書を引いてキリストを証しした。

 そのことと意味の上では重なる言葉であるが、今回のところでは「神の国のことを証しした」と言われる。これは我々にとって聞き慣れない言葉では決してない。むしろ、最も大事な言葉として聞いているものである。すなわち、主の口から「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信ぜよ」と言われたのがイエス・キリストのガリラヤにおける第一声であったということを我々は知っているのである。

 使徒行伝の結びの言葉も、「憚らず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教え続けた」となっているが、使徒パウロの働きは結局これに帰すると言うべきであろう。

 「神の国」とはキリストがキリストたることを現して語りたもうた第一声というだけでなく、彼の教えの全体がここに凝集していると理解して良い。しかし「神の国」という言葉は基本的な重要語であるにも拘わらず、我々の間で信仰の語り合いの主題になる機会は少ない。それを軽んじているわけではないが、意味が包括的であるため、語り合いが散漫に流れる恐れがあるから議論の中では用いない。

 「神の国」という言葉では散漫になる恐れがあることは事実である。そこで、キリストの民の間では、そうならないように、「神の国」という代わりに、「御国」、すなわち「キリストの御国」、「キリストの王国」という言い方で神の国への信仰を言い表す場合が多い。我々の間では、ニカイア信条を唱える時、「その国は終わることなし」という言葉を欠かすことがないように唱える。これは旧約の時代から連綿と続いている神の国信仰の言い表わしである。

 すなわち、キリストは神の右に座して権能を行使され、天においても地においても一切の権能を掌握し、御子ではあるが事実上の王であられ、王として支配したもう。

 「神の国」という言い方が用いられたのが、ユダヤ人に向けてであったことに目を向けて置こう。異邦人伝道に際して神の国という言い方を使わなかったことを取り立てて論じ過ぎてはいけないであろうが、異邦人は旧約の民とは違って、世界を造り、歴史を指導される神については教えられていなかった。彼らにも神の王国について語って、或る程度理解させ、受容させることは出来なくない。ギリシャの哲学者にも或る意味の神の国を受け入れさせることは考えられなくなかった。実際、アテネでそのような説教が試みられ、或る人々には或る程度は通じた。

 しかし、イエス・キリストが「神の国は来ている」と宣言し、ガリラヤのユダヤ人がそれを聞いて心を動かされたようなこと、すなわち神の国のリアリティーは、異邦人世界では起こらなかった。ユダヤ人は先祖のときから神の国について聞いていたから、これを受け入れるか否かは別として、言葉としては分かる。

 イエス・キリストがガリラヤでユダヤ人たちに向けて語りたもうたのと似たような状況で、パウロはローマのユダヤ人に語った。「あなた方は約束を受けていた民であるが、約束の成就の時が来て、人々が悔い改めて神の国に突入することが始まった。今がそこに入る日なのだ。入りなさい!」と呼び掛けた。

 この日、パウロが一日朝から晩まで語っただけで、信じない者に早々と見切りを付けて、あなた方を見捨てて異邦人の方に行く、と言ってしまうのは、短気を起こしたことではないかと思う人があろう。それは誤解であって、長い間約束を聞いて来た者と、何も聞いていなかった者との違いを無視している。

 旧約の民は約束の御国について、かなり教えられていた。人間が神の教えたもうことを如何に無理解であり、如何に忘れっぽいかについては、旧約の歴史だけでも多くの実例がある。だから簡単に扱ってならないのは確かであるが、約束の民には、「約束の成就の日が来た」と言うだけで本来は用が足りたのである。だから、この一日でユダヤ人伝道は済んで、あとは異邦人伝道に向かうことになった。もっとも簡単に割り切ってはならない。

 このことよりも前に、パウロはユダヤ人をも含むローマのキリスト者に手紙を書いて、その9章から11章に亙ってユダヤ人問題を特別に論じている。その11章で「神はその民を捨てたのであろうか。断じてそうではない」と断言する。一面、神が彼らを捨てたもうたと見られる。それはイザヤ書6章で讀むとおりで、使徒行伝の終わりでもそれが追認される。しかし、これをさらに大きい枠で捉えるなら、ユダヤ人の罪過によって救いが異邦人に及ぶためであって、それによってイスラエルを奮起させることになり、こうしてイスラエルの救いの道がまた開かれるのであると、11章に書かれている。

 だから、神の選びについては我々の感覚でアッサリと打ち切ってはならない。けれども、異邦人の救いの門が開かれるための衝撃的事件があったことに目を閉じてはならない。使徒行伝の終わりに記されていることは、そのような衝撃なのである。


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