2009.08.23.

使徒行伝講解説教第149

――28:17-22
によって――

 



 ローマのキリスト者たちに迎えられたパウロは、3日経ってからユダヤ人の代表者挌の人たちと会合を持つ。キリスト者との集会はその前に行なわれたということであろう。ローマ入りする前、少なからぬキリスト者たちが途中でパウロを出迎え、一緒に歩いて来た。到着して先ず祈りがあり、説教があった。それから、カイザルの法廷に訴える用件についてローマのキリスト者に説明がなされた。「3日経って」と言われている日までの期間に、ローマの兄弟たちとの話しがなされたと思われる。
 その次に、ユダヤ教を信じるユダヤ人グループの指導者と接触し、また彼らに福音を聞かせなければならない。最初の接触は、17節から22節までに記録されている。その時に日を決めて、もう一度集まり、今度は主立った者だけでなく、出来るだけ多くのユダヤ人を集めて、朝から晩まで、本格的にキリストの福音を伝えた。それが23節以下の記事である。今日は先ず17節からの最初の話し合いを見ることにしよう。
 すでに感じ取っているが、パウロの到着を途中の町まで出迎えに行った熱心なキリスト者の群れと、3日経てから呼ばれたユダヤ人とは、殆ど異質で、これまで個々の交流例はあったとしても、群れ相互の接触がなかった。
 少し分かり難いのは、パウロがユダヤ人グループと交渉しようとする関心と熱意である。つまり、これまではどの町でも共通に見られたが、パウロはいきなりその町のユダヤ教の会堂に入って説教する。接近の仕方が違い、人を介して接触した。仲介した人はキリスト者になったユダヤ人で、ユダヤ人の中でも長老クラスの人である。招かれた人たちは主立った人たちであるから、招く人も重んじられた人である。
 主立った人たちと会う理由の一つは、前回見たとおり、すでにローマにはキリスト者の群れが成立していて、ユダヤ人グループを介さなくても福音宣教が展開されていた。そこに使徒が来て、ユダヤ人会堂を無視して福音宣教を推進することは良くない。
 カイザリヤの法廷では決着しないため、ローマの法廷に上訴したが、今度はローマにいるユダヤ人社会とその有力者がパウロの敵側になるかも知れない。すでにエルサレム議会からの働きかけがあるかも知れない。そこで丁寧に接触する必要があった。
 もう一つの理由がある。パウロの確信は、旧約における神の約束が、イエス・キリストによって成就したのであるから、約束を信じて来た民族は、今やキリストの民になるのが当然である。それならば、キリストの民となるべきユダヤ人が、キリスト者になって行く道を妨げてはならない。そこで、全ての国民をキリストの民とする使徒の使命とともに、ユダヤ人をキリストに導くユダヤのラビとしての使命を遂行しなければならない、そういう確信であった。
 この確信は使徒としての働きを重ね、幾多の困難を味わってきて、ますます強固なものとなった。だが、問題の難しさも分かって来た。最初の困難は、ユダヤ人でキリスト者になった者の間に起こった躓きである。すなわち、ユダヤ人キリスト者の教会と、異邦人キリスト者の教会の対立の危険が起こった。具体的に言えば、エルサレム教会とアンテオケ教会の確執であって、争点は異邦人の入信者に割礼を義務づけるかどうかである。これについて、エルサレムの教会はアンテオケ教会の代表者を加えて会議を開き、異邦人の入信者は割礼を受けずにバプテスマに与って良いという決定をした。その決定の実施に当たって混乱が生じないように、エルサレム教会の伝道区域と、アンテオケ教会の伝道区域を分けることも定めた。
 その後、別の問題が起こった。それは教会内の問題でないが、先のことと全然無関係とも言えない要素がある。エルサレムにあるユダヤ議会が、パウロを律法無視の異端として抹殺しようとしたことである。ユダヤ議会はユダヤの宗教と生活の全てに亙る最高決定機関であると自認している。この議会は先にナザレのイエスを死に当たる者と確定した。しかし、ナザレのイエスの弟子たちに対しては、やや穏健な処置をするようになった。ナザレのイエスの名によって説教をしてはならない、と一旦は確定し、それでもイエスの名による説教を止めない使徒らには、鞭打ちの刑が行なわれたし、ステパノを初めとし死をもって罰する処置もとったが、キリスト者の群れが大きくなって行く中で、暴力的に迫害することは差し控えていた。
 ところが、パウロがエルサレムに行った機会に、パウロに対する暴行事件が起こる。キッカケとなったのはエペソから来たユダヤ人の悪意と勘違いである。同じ種類の陰謀がすでに海外にいるユダヤ人の間に或る程度広まっていることを我々は使徒行伝で讀んで来た。誤解に過ぎないと言えば、その通りなのであるが、攻撃の対象はパウロ一人に絞られている。初めはパウロを暗殺しようという有志の密約であったが、ユダヤ議会が全面的に関与して、彼を死に当たる異端者と決めたのである。
 彼らは海外のユダヤ教の会堂にも連絡を取っているのではないかとパウロは用心している。だから、ローマのユダヤ人と会って、誤解がないように、また誤解していたならば、真実を知らせるようにしたい。
 パウロがローマに来た理由は、カイザルの上級法廷に訴えて、ローマの法律にしたがえば、パウロを有罪とすることも、彼の死刑を執行することも出来ないことを確定するためである。もう一つ、これまで取り上げられなかった論点であるが、ユダヤ議会がパウロを違法として審くことは出来ない理由を明らかにしたいのである。これは236節でパウロが議会に対して言明した言葉に含まれている。「私は死人の復活の
望みを抱いていることで裁判を受けているのである」。
 つまり、こういうことである。エルサレムの治安を守るべき千卒長は、パウロはローマの法によれば保護されねばならないと判定した。それが正当なのだ。それと別のユダヤの法によって判定しようというなら、パウロが死人の復活を信じていることを違法として裁判できるかどうかを明らかにしなければならない。23章での議会に向けてのパウロの発言は、「あなた方はこの希望を裁くことが出来るか」という問題提
起である。その問題提起への解答をパウロは持っている。それを公言してもいる。しかし、ユダヤの議会は答えられない。その答えがイエス・キリストの復活の中に差し出されているのをユダヤ人は読み取ろうとしない。
 21節でユダヤ人が「私たちはユダヤ人たちからは、あなたについて何の文書も受け取っていないし、兄弟たちの中からここへ来て、あなたについて不利な報告をしたり、悪口を言ったりした者もなかった」と言っている。反パウロの企てはローマに及んでいなかったと見て良いであろう。
 17節に入って行こう。「主立ったユダヤ人」が招かれた。パウロの方から出向くことは出来ない。彼はかなり自由であるが、監視されていて出歩くことの出来ない。すでに見たように、ローマにおけるユダヤ人共同体とキリスト者共同体は余り関わりを持っていなかった。ユダヤ人の指導者を招いた時、彼らが抵抗なくパウロの招きに応じたであろうか。海外のユダヤ人社会の中でパウロがそれほどの権威を認められてい
たのか。良く分からない。パリサイ派のラビとしては或る程度知られていたかも知れない。それにしても、声を掛けさえすれば人々が集まってくれるような事情ではなかった。
 したがって、三つのことを考えねばならない。一つはその人たちを集める並々ならぬ努力と誠意である。これにはキリスト者たちが協力してくれた。もう一つは主の御手がそこに働いたことである。さらに、第三に呼ばれた人はローマのユダヤ人共同体の長老であって、長老の会議に準じるものとして集まったのではないだろうか。ローマではユダヤ人迫害があって、クラウデオ帝の時アクラとプリスキラも全てのユダヤ
人とともに追放されたことが182節に書かれていた。そのような環境の中でユダヤ人共同体が堅く結束している必要があった。
 先ず「兄弟たちよ」と呼び掛ける。これは教会の中で互いに呼び合う呼び方であるが、その呼び方はユダヤ人社会から見習ったものである。「兄弟よ」という呼び掛けが心からのものであった見て良い。
 パウロに対する暴行事件の際に見たことであるが、アジアの異邦人キリスト者をパウロがエルサレム神殿に連れ込んだと思い込んで、神殿冒涜だと、エペソから来たユダヤ人が騒ぎ出した。この誤解は選ばれた民の持つ尊厳を無視して、他の民族を無差別に入らせているという憤りを引き起こした。
 キリストにあって全人類の平等が実現したということはイエス・キリストの基本的メッセージである。この点は一歩も譲れない。しかし、キリストによる成就に先立って予告の時、あるいは約束の時があって、この約束を信じて待っていた民があった事実も動かせない。しかし、約束の成就を待つ民がいたという点を見落とす人が多い。この誤解についてユダヤ人がキリスト教徒を非難することはあった。
 パウロは弁明する。「私は我が国民に対しても、或いは先祖伝来の慣習に対しても、何一つ背く行為がなかったのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡された。彼らは私を取り調べた結果、何ら死に当たる罪状もないので私を釈放しようと思ったのであるが、ユダヤ人たちがこれに反対したため、私は已むを得ず、カイザルに上訴するに至ったのである。しかし私は我が同胞を訴えようとしているのではない」。
 この事情について我々はすでに知っているが、エルサレムでユダヤ人がパウロに対して取った処置が不当であったことをパウロは主張しなければならない。ただし、それが度を越えた非難にならないよう随分気を配っている。パウロがここでユダヤ国民に対して、何一つ違反行為をしていない、と言い切るのは、ユダヤ人によって裁かれるようなことを何もしなかったという意味であるが、含みとしては、私のしていることこそイスラエルの本来の道であると仄めかしている。
 そこで続けて言う、「こういうわけで、あなた方に会って語り合いたいと願っていた。事実、私はイスラエルの抱いている希望の故に、この鎖に繋がれているのである」。
 「こういうわけで」とは、これまで言って来た理由によってという意味であるが、エルサレムのユダヤ人が私に対して抱いた誤解があるので、あなた方は誤解しないよう、会って話さなければならなくなったと言うのである。他の町々では、確かに、そこのユダヤ人の主立った人と先ず会うということはなくてよかった。
 ところが、その次に言う「イスラエルの抱いている希望の故にこの鎖に繋がれている」との重要な言葉は、聞く人々にとって必ずしも当然のこととして受け入れられるものではなかった。しかし、パウロとしてはこう言わずにおられないのである。これは先にも表明されたことである。すなわち、236節でエルサレム議会の前で「私は死人の復活の望みを抱いていることで、裁判を受けている」と言ったのと主旨は同じである。そのことを我々は理解しなければならない。
 「イスラエルの抱いている希望」について、ローマの主立ったユダヤ人には、十分な理解がなかったのではないかと思われる。しかし、我々は知っていなければならない。福音書の初めに書かれているが、バプテスマのヨハネがヨルダン川に現れて、宣教活動を始めた時、ユダヤとエルサレムの人々は動揺し、約束されていた「来たるべき者」はこの人ではないかと感じた。エルサレム議会からは調査委員会が派遣されて、彼が「来たるべき者」であるかないかを調べた。ヨハネ自身も自分はそれでないと明言した。次に来る方がそれであると知っていたからである。
 そのヨハネ自身、牢獄に閉じ込められて、死の時が迫っているのを予感した時、弟子たちを主イエスのもとに遣わし、「来たるべき者はあなたですか。それとも別の人を待つべきですか」と尋ねさせた。マタイ伝11章にある通りである。
 それだけ言えば、我々は「イスラエルの望み」と言われることの内容が何であるかを思い起こす。すなわち「来たるべき者」に彼らの希望が掛かっていたのだ。「来たるべき者」という言い方ではハッキリしないと批判する人があろうが、待ち望んでいた人には十分分かっていた。
 待ち望まれている人が誰か、ということは肝心の点であり、言うまでもなくキリストであるが、それが誰であれ、イスラエルの民にとっては、今いる人に心を寄せるよりも、まだ来ていないお方、「来たるべきお方」を待つことに存在が掛かっていたのであった。来たるべきものを人ではなく事件として捉えるなら、それは「死人の復活」である。
 これはローマのユダヤ人にとって難解な語り掛けであったかも知れない。一度では悟れなかったかも知れない。しかし、来たるべきお方、来たるべき事実に向けて旧約の民が開かれていた事実は、分かっても分からなくても、聞かせなければならないことであった。

 


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