2009.07.05.

使徒行伝講解説教 第145

――27:13-20
によって――

 

 

 パウロたちの乗った船はクレテ島の南岸を強い逆風に悩まされながら航行し「良き港」と呼ばれる入江に錨を下ろしていたが、ようやく風も収まり、南風が静かに吹き始めたので、今のうちにピニクス港に移ろうと入江を出た。彼らは用心深く、北風を避けるために陸岸からなるべく離れないように航行していた。この時は帆を上げて風の力で進んだようである。16-17節に小舟を処理したことが書かれているが、「良き港」に入った時、小舟を降ろして陸岸との連絡に使ったようである。そして、風向きが良くなったので、急いで出航しようとして、小舟を大船に引き揚げる暇もないままに、綱で引いて行ったと思われる。
 ところが、間もなく「ユーラクロン」という強烈な突風が吹いて来た。ユーラクロンという名は、東風というギリシャ語と、北風というラテン語を合成したもので、東北東の風である。イダという名の山があってそこからにわかに吹き下ろすということである。帆を揚げている船には非常に危険な災害である。
 船長がこの風のことを知らなかったとは思われない。が、彼らはそれが今日吹くとは思わなかった。今日は穏やかな南風が吹いてくれる日と思い込んでいた。パウロが「良き港」で冬の過ぎるまで待てと勧めたのに、彼らがそれを聞かなかったことについては弁明の余地がない。が、我々も一緒になって船長の判断の誤りを責めても意味がないのを知っているであろう。
 結果から明らかになった判断の誤りについて、責任追及するだけでは意味がない。むしろ、同じ失敗を二度と繰り返さない措置をしなければならない。すなわち、どの段階で判断ミスがあったかを突き止めなければならない。
 「良き港」と呼ばれる小さい湾で冬を越すのと、ピニクス港まで行って冬を越すのと、どちらが良いか、彼らは比較した。小舟を下ろしたのは、湾内を調査するためであったと思う。ここでは不便と労苦が多過ぎると彼らは判断したのである。しかし、迫り来るもっと大いなる患難を思うならば、ここで労苦に耐えるほうを選択しなければならなかった。だが、この災難が見えなかった。ユーラクロンが起こり得るとは考えたが、ないかも知れない。
 この「ないかも知れない」と思われる方を選んだことが、禍いの発端である。ないかも知れない、という方に賭けたために、パウロの警告は筋の通ったものであるのに、耳に入らなくなった。一旦湾を出るとやり直しが出来ない。
 パウロの警告は所謂「取り越し苦労」ではなかった。シドンを出て何日かのうちに、今年の気象は異常ではないかという危惧がパウロには起こったはずである。その恐れはますます募って行く。パウロに確かなお告げが示されたのは、23節で彼が語るところである。これは、粗雑な言い方が許されるとすれば「救いの言葉」である。だから、御使いを通して語られるという確かな出所が示されねばならない。良き港を立ち去ってはならないとの警告の場合は、パウロの判断であって、これが神から来たという経過は説明されていない。
 ただし、神がハッキリした言葉で、御使いを通じて語らせたもうたのでなくても、別の経路で、人間の判断力を通じて、警告を伝えたもう場合はある、と考えて良いであろう。「あなた方は救われる。確かに、神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜っている」と預言される場合と同じだけの確かさはなくても警告は聞けるであろう。すなわち、日常的な慎重さを、やや強調すれば良い。
突風が吹き付けて、帆を下ろす暇もなく、何の対策も取れないままに、クラウダという島の傍まで一気に流された。クラウダという島ほ、地図で距離を測ってみるとクレテ本島の南約30キロの所にある。多くの人口を抱えることの出来ない小島であるが、パウロがこの島陰で嵐の難を逃れたという故事のゆえに、のちに重要視され、ここには司教が配置されることになったという。その小島まで斜めに吹き流され、島の南側で風を避けた。そこでやっといろいろな処置をする。
 先ず、小舟の処置である。古代の技術でも、大きい船なら、重い物を持ち上げるために、帆柱の根元にクレーンを取り付けていたが、この腕を伸ばして小舟を海面から吊り上げたのである。動かす動力は人力であるから、手のあいている人を動員してウインチを巻き上げたはずである。15節に「私たちはやっとのことで小舟を処置することが出来た」と書かれているのは、ルカもこの作業に動員されたことを示す。こうして甲板の上に小舟をくくりつけるという作業をした。
 次に船体を綱で巻いた。これは波の力で船体が裂けて解体することにならないように、船体を外から何重ものロープで締め上げたということだと思われる。つまり、最悪の事態まで予想したのである。これだけの作業をクラウダの島陰で遂行するのは極限までの努力であった。
 次に、スルテスの洲に乗り上げるのを恐れて「帆を下ろした」と口語訳は言うが、新共同訳では「海錨を下ろした」となっている。後者の方が正しいのではないかという説が強い。が、言葉自体ハッキリしないので、確かなことは言えない。「海錨」というのは、錨を海底に着くまで下ろしてしまわないで、一定の深さに吊り下げておき、海底が浅くなると気が付くようにして置く用法のことだと思う。27節に「真夜中ごろ、水夫らはどこかの陸地に近づいたように感じた。そこで水の深さを測った」とあるのは、このことの繋がりである。錨が海底に触った感じがあった。
 「スルテスの洲」というのはずっと南、アフリカのリビヤの北岸にある遠浅の大きいスルテス湾にある浅瀬である。そこまで流されるかも知れないと恐れたのである。
 要するに、船は漂流することに決めたようである。帆が駄目になったということであろう。この時代の船は殆ど帆で走る。逆風でも或る程度は前進できる。しかし、風がない、あるいは帆が広げられないということになると、人間の意志と知恵によって動かすことは出来ない。漂流になる。浅瀬や暗礁を避ける手だてが残るだけである。
 ユーラクロンがは局地的な異常気象である。したがって、間もなく止んだはずである。14日以上ずっと嵐が続くのだが、クラウダの島陰にいた時だけは風が静かであったということであろう。上に見た作業が済むか済まないうちに、次の嵐が吹き始めたということである。ユーラクロンは東北東の風であった。通常の季節風は西風である。ところが、今度の風は東風で、彼らは西へ西へと流された。
 「私たちは暴風に酷く悩まされ続けたので、次の日に人々は積み荷を捨て始め、三日目には船具までも手ずから投げ捨てた」。
 強風が吹くとは大波が襲い掛かるということでもある。波に揺られるどころではない。高く持ち上げられると、次には低い谷間に叩きつけられ、船は今にも折れそうにきしむのである。人は倒される。また波は船の上を越えて行き、船内にも水がどっと入って来る。「私たちがひどく悩まされた」というのはルカたちが疲労困憊したことであり、人々が積み荷を捨て始めたというのは水夫たちの作業である。船具までも手ずから投げ捨てたのは、船員以外の者も働かざるを得なかったことを示している。
 嵐の時に積み荷を捨てることは昔からの知恵で、ヨナ書15節にもある。船は水に浮かんでいるのだから、積み荷を減らすと浮く力が強くなる。波をかぶる危険はそれだけ少なくなる。しかも、漂流状態であるから、軽いほど便利であった。
 積み荷は、主としてエジプト産の穀物である。これはローマ市民の食糧であるが、運ぶ船員と船主にとっても生活費の源泉である。これは命そのものには換えられないから思い切って捨てた。なお、穀物は大部分捨てたが、船に乗っている者の食糧は捨てなかった。助かると分かった時に捨てた。このことは38節で見られる通りである。
 次の日には船具も捨てた。どういう船具を捨てたか、私には詳しい知識がないので分からない。非常に大事な錨や小舟はこの時まだ捨てていない事は後で見る通りである。
 20節「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風は吹きすさぶので、私たちの助かる最後の望みもなくなった」。
 太陽も星も見えなかったとは、昼夜を通じて暗黒が支配したと考えなくても良い。昼夜の区別はついたが、太陽の光が射す時はなかったのである。星が見えなかったことは水夫にとって痛手であった。まだ、星の角度と時刻を精密に測って船の現在位置を割り出すという天文航法は開発されていない。だが、船乗りは星の名を覚えているから、それによって方向を知ることは出来た。ところが、その星が見えない。どちらに向いて流されているかも掴めない。
 助かる最後の望みも失せたというのは誇張でないかと言う人があろう。食糧は残してあった。錨も最後に上陸するために船を固定するのに必要だから残した。小舟も残した。ロープ類も残してあった。しかし、帆や帆綱、帆布、船内の道具類はみな捨てた。一応生きてはいるが、助かる望みは持っていない。したがって生き延びるための気力はもうなくなって、死を待つだけであった。
 14日波に翻弄され、食べ物を調理することも出来なかったし、船酔いで食べられなかったことも確かだが、生きるためには食べなければならないという意志もなくなって、飢餓状態にありながら、食べることをしない、生きた人とも思われない有様であったことを想像して見よう。そして、そういう想像が無理なことではなく、現実を一皮剥けば露わになる実相だということにも容易に思い至るのである。
 その時パウロがみんなの中に立ち上がる。そのことも遠い昔の話しとしてでなく、極めて身近に感じられることに気付いて置こう。
 なるほど、この時、みんなの者が集合していたとは考えにくい。集まる場所があるとすれば上甲板であるが、暴風雨の中、とても船倉から出られなかったのではないか。体力がなくなっているから、揺れている船の中を歩くのも大変であった。全部で276人だったと37節に書いてあるが、これだけの人数が集合する場面を想像するのも困難ではないか。――しかし、パウロがこれだけの人数の人に語り掛けたことの現実性を我々は受け入れるほかない。
 「皆さん、あなた方が私の忠告を聞き入れて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくて済んだはずである」。――今更、彼らの判断の誤りを指摘しても、時を失した後ではないか。それはそうなのだが、パウロは彼らを責めるよりも、自分を失っている人に気力と考える力を取り戻させるために、こう前置きし、それから言ったのである。
 「だが、この際お勧めする。元気を出しなさい。船が失われるだけで、あなた方の中で生命を失う者は一人もいない!」。叱るのでなく、励ましている。
 彼らは持つ物を全部捨てた。物を捨てる自分自身だけは残っている。その自分自身も身を託している船が砕ける時には亡くなってしまう。しかし、そのあなた自身は助かるのだとパウロは断言する。その断言には根拠がある。あなた方は神を信じていないが、私には信じ・仕える神がおられる。その方が私の確信の根拠である。
 「昨夜、私が仕え、また拝んでいる神、その神からの御使いが、私の傍に立って言った。『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。確かに、神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜っている』。だから、皆さん、元気を出しなさい。万事は私に告げられた通りになって行くと、私は神かけて信じている。我々はどこかの島に打ち上げられるに相違ない」。
 この船で267人のうちの1人であるパウロに、人は無関心であった。カイザルの法廷に上訴した人間というので興味を持った人がいたとしても、せいぜい数人である。しかし、神の目から見ると、このパウロを裁判のためにローマに送ることが計画されていて、その計画の実現を中心として、この船に関わる全てはそれに随伴する。
 パウロという人の重要さが事柄の核心だと言えば正しくないが、パウロを用いてなされる神の計画の遂行の中に、同じ船に乗り合わせた人の生死の問題が包み入れられる。そこではパウロの存在、彼の持つ確信、その言葉と振る舞いは船内の全ての人に関係する。それは彼らの永遠の救いの問題ではない。パウロが福音によって彼らに救いを齎らしたかどうかは別問題である。この世での過ぎ行く命に関わるだけのことである。それでも、福音のために生きる一人の人の歩みに何百人もの人の幸不幸が依存し、この一人が信仰なき何百人に指令を与えて命を助けるということは事実あった。

 我々も信仰なき何百人を救わねばならない、と言っては、論理の飛躍である。それは慎まねばならない。しかし、福音によって生きる我々に何百人の人の存否が懸かるという現実は常にある。ここで福音の一ことも語られなかったのは事実である。だから信仰による救いが教えられたのではない。けれども、35節が言うように彼はパンを取り、感謝してこれを割いた。これが何を指し示すかは我々には明らかである。御自身を与えたもうキリストが示されたのである。

 


目次へ