19節から声の調子が一段と高くなったように感じられる。パウロはここで一気に結論に入ろうとしたのではない。このあとフェストが大声で叫んで、パウロの話を中断し、それを機に人々がゾロゾロと帰りはじめたので、説教は終わったのであるが、恐らく、パウロはもっと続けるつもりであったと思う。
それにしても、パウロがここで信仰への勧めを特にアグリッパに向け、彼に信仰を持たせようとしたことは、27節の言葉からも明らかである。アグリッパがある程度キリスト教に好意的であったから、信仰の勧めをするのは当然であった。しかし、安易な期待をしたわけではない。
初めアグリッパがパウロに「自己のことを話して良い」と言ったので、パウロは話し始めたが、アグリッパの許可したのは法廷における自己一身の弁明である。パウロはそれをむしろ信仰の証しとして用い、この広間に集まっている主な市民たちに、自分が何者であり、何をしたかでなく、自分の身において主が如何なる業をなしたもうたかを演説し始めた。
彼の伝道活動はシリヤのダマスコで始まった。ダマスコ到着前に一旦打ちのめされ、失明状態が続き、3日の後そこから癒やされ、間もなく福音を語り出した。使命であったが、ダマスコのクリスチャンに対し、自分が何であるかを証ししなければならなかった。すなわち、彼らはパウロがクリスチャン迫害をエルサレムで始め、そこからさらにダマスコへ来たということを知っている。一旦倒れて死人同様になり、町に担ぎ込まれてからは、アナニヤたち、信仰者の仲間に介抱されて、健康を取り戻し、信仰の指針を受けると、直ちに信仰の証しを立て始め、人々に勧めを語った。このことは使徒行伝9章で学んだ通りである。
ダマスコの次にはエルサレムで、ユダヤ全土で、ユダヤ人にキリストを宣べ伝え、さらに異邦人にもキリストを宣べ伝えたことが20節に書かれている。これは回心以来の伝道の経歴を述べたように受け取られるが、パウロが言わんとしたのは、自分が如何に成長して来たかの経過ではなく、これまでも何度か繰り返し学んだように、ダマスコまでとダマスコ後とでは、同一人格として一貫した責任を負ってはいるが、負わせられた使命はまるで別だということである。
一挙に変わったということはなくて、だんだんに成熟して行ったというのが実際であった、と論じる人がいるであろう。我々もその考えを受け入れて良い。神の御業が人の思いを越えて以前から始まっていて、エルサレムにおけるステパノたちの宣教によって、パウロは内面で大いに揺すぶられており、だからこそ、ガムシャラにキリスト者迫害をしたのだと解釈出来る。
回心の後、エルサレムにも上らず、ダマスコからアラビヤに出て行ったとガラテヤ書1章17節で言われている。その続きの21節にはキリキヤに行ったことが書かれているが、これはタルソに帰ったという意味に違いない。そのように、アラビヤやタルソに引きこもっていた時期がある。それは伝道を止めて失意のうちに過ごしていたということではなく、今後の宣教活動の準備のために祈って、考えを深め、また整理したと理解すべきである。
このように彼の生涯に神学的・思想的に発展があったことを認めなければならない。彼の異邦人伝道はバルナバによってタルソからアンテオケに連れて来られて以後のことであるから、異邦人伝道という構想はアンテオケ教会で働く以前にはなかったと見て良いかも知れない。
しかし、今パウロの考えがどのように発展したかを問うことには意味がない。パウロはここで、自分が一転してユダヤ教の教師からキリストの使徒に変わった、いや、そのように一変させられた、ということを強調したいのである。我々も彼の言葉をそのように聞き取らねばならない。
回心以後のパウロの使命は、ユダヤ人に対しても・異邦人に対しても「悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めに相応しい業を行うように、説き勧める」ことであった。それは彼が次第次第に熟達した伝道者に育って行ったと取っては読み違いになる。だんだん悔い改めを求める言葉が強くなって来たというようなことではない。
裏から表へ一挙に翻った。だから、人々に対しても一挙に翻れと要求する呼び掛けになった。こういう急激な変化を語るのが、この所の彼の言葉なのだ。それが19節で言われている「天よりの啓示に背かず」の意味なのだ。
「天よりの啓示」とは、天からの示しとして彼が受けたもののことである。使徒行伝9章3節-6節はこう記している。「道を急いでダマスコの近くに来た時、突然、天から光りが射して彼をめぐり照らした。彼は地に倒れたが、その時『サウロ、サウロ、何故私を迫害するのか』と呼び掛ける声を聞いた。そこで彼は『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねた。すると答えがあった、『私はあなたが迫害しているイエスである。さあ、立って、町に入って行きなさい。そうすれば、そこであなたもなすべき事が告げられるであろう』」。
パウロが「天よりの啓示」と呼んでいるものは、復活して天に行きたもうた主イエスが天から現れて、御自身をパウロに示したもうたことと、パウロのこれから果たすべき使命とそれのために彼が選び分かたれていたことを示したもうたこと、この二つを合わせたものである。彼の使命については、天からであるがアナニヤによって伝えられた。
異邦人伝道の使命があるというアイデアが頭に閃いた、というような受け取り方ではいけない。復活の主御自身がパウロに現れて、その威光をもって彼を打ち倒し、御自身に逆らう者に対する力の表れが絶大であることを味わわせたもうた。だから、パウロは根本から変わらなければならなくなった。彼は持つ物を捧げ尽くして、この使命のために働かざるを得なくなった。彼ほど力を出し尽くして伝道した人はいないと言っても良いのだが、それは彼が伝道者の中の最高ランクであるというふうに取るべきことではない。他の人と比較すべきことではなく、伝道者はそれぞれが示された使命にしたがって全力を挙げるのである。
21節には「そのために、ユダヤ人は私を宮で引き捕らえて殺そうとしたのです」と言う。21章28節以来の、いやそれよりもっと前からの、パウロを殺そうとする陰謀と暴力を説明している。
彼を殺そうとのユダヤ人の企みは、数え切れぬほどあるが、組織的な殺人行為の計画はテサロニケ伝道の機会に始まったのではないかと思われる。使徒行伝17章5節によれば、パウロの伝道がユダヤ人にも異邦人にも向けられて、そのどちらの人もキリスト信仰に入るので、キリストを信じないユダヤ人はパウロの伝道の進展を「妬んだ」と書かれている。ユダヤ人の間でも異邦人伝道は行なわれ、神を敬う異邦人がユダヤ教の会堂にある程度加わっていたのであるが、それよりも遥かに多くの異邦人信仰者が教会に集まって来たので、ユダヤ人は嫉みを起こした。
キリスト者の殺戮はエルサレムでステパノが殺されたことに端を発したのであるが、これはギリシャ語を用いるユダヤ人でキリスト者になった者らへの、ヘブル語を用いるユダヤ人の反動であって、エルサレムに始まったが、これは鎮静した。パウロを襲って殺そうとする試みは、これとは別の性格のものであって、マケドニヤに始まり、アカヤに移り、エペソに移り、エルサレムにも来た。これはパウロを殺す企みで、実行の首唱者は外地在住のユダヤ人であったらしい。パウロ以外の伝道者にはそれほど大きい危険はなかった。
かつてパウロが最も熱心にキリスト者を迫害したのと対照的に、今度はパウロが集中的に襲われる。そのことについてパウロは自分の不幸を嘆くようなことはしない。22節には「しかし、私は今日に至るまで神の加護を受け、このように立って、小さい者にも大きい者にも証しをなし、預言者たちやモーセが、今後起こるべきだと語ったことを、そのまま述べて来ました」と言う。
神の御旨のままに事が起こるのであるから、神の命じておられることの実行には神の加護があると信じ切っている。したがって、恐れもないし、泣き言も言わない、不平もない。使命に生きるとはそういう生き方である。
伝えるべきことは「小さい者にも大きい者にも」伝えるようにした。社会的に低い者と高い者を差別することはあってならない。人々から注目を浴びている人を重視して、そういう層の人たちが信仰の仲間に入って来るように努力することも、またその逆のことをしたりもしないのである。
次に大事なことは、伝えたメッセージの中味であって、「預言者たちやモーセが、今後起こるべきだと語ったこと」それを、そのまま述べたのである。これが彼の務めであった。天からの啓示を受けてそれを語るのではなかったのか。
天からの啓示を受けて語ったというように理解することは間違いでない。しかし、使徒たちの間にもっとシッカリ行き渡っていた方法は、それではなかった。すでに何度も聞いたことであるが、預言者たちが語り、したがって預言の書として伝えられて来た聖書の言葉は、「後の日にはこういうことが起こらねばならない」といっていた。それが起こったのだということ、成就したのだということ、それを触れ示さなければならない。すでに使徒行伝の初めから繰り返し見たように、使徒たちはそのように説教していた。これが使徒的宣教のタイプであった。
もう一つ、モーセが今後こういうことが起こると言っていた点にも注目しよう。モーセが預言者であったということは余り聞かれないかも知れない。しかし、モーセが預言者であることは、旧約の理解としてかなり大事なポイントである。というのは、申命記18章15節にこういうモーセの言葉が記されているからである。「あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞のうちから、私のような一人の預言者をあなたのために起こされるであろう。あなたは彼に聞き従わねばならない」。
これはキリストを指した預言の最も重要なものである。その預言があって、それが成就したことを宣言しなければならない。今日我々が旧約があって、その成就が新約だと言うのと同じである。
さらに、これと少し違うが、主旨は窮極で同じことになるものに、主イエスがマタイ伝5章17節で宣言された御言葉がある。「私が律法や預言者を廃するために来た、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである」。
今後起こるべきことの最重要、最高のことが23節にある。「すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初に甦って、この国民と異邦人とに、光りを宣べ伝えるに至ることを証ししたのです」。
「救い主が来られる」と言われるなら、何となく分かって、受け入れる人は多いのではないか。この世の現実を見ていても、至る所に破綻が現れているのが感じられ、救い主が出現しなければ、もうどうにもならないと考える人は今日でも増えている。だから、問題の解決者、人類を苦悩から救済してくれるメシヤについて語られると、直ちに熱狂的に歓迎するとは言えないとしても、少なくとも無関心ではおられない。
ユダヤの人々にも、異邦人にも、このような受け入れ易いキリストを思い描く傾向が強かった。ところが、預言によって約束されていたキリストは、人々に容易に理解される問題解決者ではなかった。イザヤ書53章に語られているのは、「誰が我々の聞いたことを信じ得たか。主の腕は誰に現れたか。………彼には我々の見るべき姿がなく、威厳もなく、我々の慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔を覆って忌み嫌われる者のように彼は侮られた。我々も彼を尊ばなかった」というような苦難の人としてのメシヤ像であった。
実際に約束にしたがって世に来られたキリストは、苦難の僕であった。キリストを宣べ伝えるとは、そのようなキリストを語ることであった。パウロが人生を一転させて語り出したのは、そのようなキリストである。そのことをアグリッパ王の前で証ししている。これはパウロに限らずキリストの使徒たちが皆していたことである。
そんな話しで人々を引きつけることが出来るはずがないと人は言う。しかし、本当にパウロたちはそうした。そして人々は信じた。Iコリント2章2節に「私はイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなた方の間で何も知るまいとしていた」と言う。それが人々に受け入れられたのは、語る人の力に寄らず、聞く人の力によらず、神の力によってであった。
この苦難のキリストを神は栄光の主として立て、死人の甦りをここから始められ、闇に勝利する光りを顕し、それを宣べ伝えさせたもうたのである。
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