2009.03.22.

使徒行伝講解説教 第140

――26:9-18
によって――

 

 

 先に続く弁明の第二項として、パウロの自分自身の回心についての立証が行なわれる。それはナザレのイエスの名に逆らい、この名を抹殺することに打ち込んでいた立場と、そこからの逆転である。
 以前の立場について、しばらく考えて見よう。先ず、パウロがナザレのイエスを意識し始めたのは、主イエスの地上の生涯の終わり頃ではないかと推測される。生前の主のお姿を見たのである。だから、復活の主を見たと証言することが出来た。これが「使徒」たることの必須条件であったことを我々は承知している。肉の日のキリストを見た人が亡くなった後、信仰者は続々と生まれる。しかし、新しく「使徒」として任命される人はいない。肉体をもって現われたもうた主を見ていないからである。では、以後の人は一段挌が落ちるのか。そうではない。見ただけでは信ずることにならないから見た人に優先権がある、とは言えないのである。
 もう一点、パリサイ派の律法学者であったパウロが、主イエスの教えを何らかの形で聞いたであろうということは考えられる。ただし、何かの感化を受けたとか、キリストに全面的に帰依するに至る道が始まったというのではない。パリサイ派とナザレのイエスの対決場面を我々は福音書で沢山読んでいる。それは律法を行うことを貫徹する者こそ義と認められるというパリサイ派の確信に対するイエス・キリストの攻撃の場面であった。主イエスは、ただただ父なる神の恵みによる罪の赦しを、信仰によって受け入れることを通じて、人は義とされると教えたもうた。
 パリサイ派であった時のパウロは、主イエスのこの教えを受け入れることが出来なかった。主イエスの教えをシッカリ聞いたなら、そして旧約の教えが、律法を行なうとはどういうことかを示しているこころを良く聞き取っていたなら、その段階でパウロはナザレのイエスの弟子になったであろうと言えよう。しかし、実際は主イエスの教えは真っ直ぐにはパウロの心に届かなかった。それを伝える人が曲げて伝えたということもあろうし、パウロ自身のうちにも聞いたことを素直に受け入れまいとする頑なさがあったからである。
 それで結局、キリストの教えを聞いてもパウロは何も変わらなかった。むしろ、パリサイ派の信念をますます頑なに主張するようになる。
 ペテロを代表者とする主の弟子たちの活動が、エルサレムで次第に盛んになって行く。その時、パウロは自分の根底が揺すぶられるのを感じるには到っていないらしい。我々の得た知識を整理して見ると、エルサレムに建てられた教会は、一つなる教会であるが、ヘブル語を使うユダヤ人グループと、ギリシャ語を使うユダヤ人グループ、すなわちヘレニストから成っていた。そして、活動としてはギリシャ語グループの方が盛んであった。ステパノのような強い説得力を持つ伝道者が生み出されており、それ故にステパノは殺されたのだが、貧しい寡婦たちの給食のような奉仕もギリシャ語を使うユダヤ人の間でより活発に盛り上がったと思われる。
 ステパノが殉教の死を遂げた時、パウロは見ていた。彼を殺すことを宜しとした、と書かれているが、それはパウロがこのことに関わっていたことを示す。怒りに駆られて直接石を投げて殺すことに手を出してはいないが、理論的にそれを是とする立場であった。パウロはタルソで育ったから、当然ギリシャ語を用いるユダヤ人である。エルサレムに在住するギリシャ語を用いるユダヤ人のうち、どの程度の比率であったかは掴めないが、かなりの数の人がクリスチャンになった。それだけに、パウロはそれを無視できない。ますます意地を張ってパリサイ派の主張を守らなければならない。
 パウロはパリサイ派の学校の中枢部に近いところにいたから、ナザレのイエスの教えと真っ向に対立する律法主義に立ったのである。だが、もう一面、パリサイ派の教えるように「死人の復活」はある、と考えずにおられない。ただし、この教えには何か足りないものがあると感じていたに違いない。すなわち、旧約聖書の幾つもの聖句から、神の恵みのもとにおいて、窮極の敵である死が克服されることを、原理としては受け入れたい。だが、サドカイ派が復活を否定するのに対抗できる確実な根拠が掴めていなかった。キリストの復活の事実をキリスト者が宣べ伝えることは知っていたが、あれは嘘だ、作り話だと思っていた。死人の甦りについて、パリサイ派はサドカイ派よりもナザレ派に近いものを感じた筈であるが、この点での接触の機会はなかった。だから、この問題はパウロの内部でずっとくすぶっていた。これは我々がパウロの回心を理解する鍵となるべき点である。
 5章を学んだ時に教えられたことであるが、キリスト者に対する態度は、パリサイ派とサドカイ派でかなり違っていた。17節には、サドカイ派の議員、大祭司とその仲間が、使徒たちを捕らえて留置場に入れたと書かれている。これはサドカイ派の単独の決議であったと見るほかない。34節には、パリサイ派の指導的な律法学者であるガマリエルが、使徒たちに対する穏健な扱いを主張していた。ガマリエルはパウロの直接の先生であるから、パウロは少なくともサドカイ派よりは穏やかな態度をクリスチャンに対して取ったと考えざるを得ない。
 しかし、そのパウロがキリスト教迫害の急先鋒に立つようになった。どういうことが起こったのか。パウロの考えを変えさせる外的な要因もしくは内的な要因があったのであろうが、それは分からない。このことについては、これ以上論じても何も得るものはないから触れない。しかし、迫害の急先鋒であったあったパウロが、キリスト教の最も熱心な伝道者になったことは分かる。
 そのパウロがダマスコの近くに行った時、いきなり大きい力で地面に叩きつけられ、その力ある者に対して「主よ、あなたは誰ですか」と尋ねると「お前が迫害しているイエスである」との答えが返って来た。
 パウロは、主イエスが甦りたもうた光景を見たというよりは、自分を打ち倒す力、目を潰してしまう光りとして、復活の主を体験した。もうそれ以上復活について教えられることは要らなかった。復活の主について教理を教えられて納得したというのでなく、事実を体験によって知った。これはそのまま人生の転換である。復活を理解しようと苦闘するのでなく、復活のキリストの後に随いて行きさえすれば良い。
 ただし、この体験を少し時間を掛けて整理しなければならなかったことは事実である。ダマスコ教会にいたアナニヤが助言してくれたことも必要であった。パウロ自身がアラビヤに籠って深く考えたことも事実である。しかし、考えて、思想を生み出して、発展させて、こうしてパウロの思想が築き上げられ、パウロの事業が遂行されたということではない。最初の一撃で全て決まった。
 以上、それまでの姿勢からの急激な変化について簡単に述べたことを、視点を変えて、パウロの内部変化の出来事として、もう少し詳しく見て行こう。これは先に9章の1節から9節までのところで読んだことの繰り返しになるが、今日の箇所では先ず、「私自身、ナザレ人イエスの名に逆らって反対の行動をすべきだと思っていた」と言う。
 これはキリスト教会の活動を全面的に否定していたという意味である。「ナザレのイエスの名」という言い方の説明は、要らないのではないか。36節の言葉を思い起こせば十分であろう。「金銀は私にはない。しかし私にある物を上げよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。こう言って右の手を取って起こしてやると、足と、踝とが立ち所に強くなって、踊り上がって立ち、歩き出した。そして彼らと共に宮に入って行った。……このようなことが「イエスの名によって行なわれること」であって、その一端をここにありありと見ることが出来る。以前のパウロはそういうことを全て抹殺しようとしていた。
 ここにはまた、イエス・キリストのことを「ナザレ人イエス」と呼ぶのが当時の習わしであったことも描き出されている。そのようなキリストに関する一切を、パウロは抹殺しようとしていた。そのためにはイエスの名を唱える者を殺せば良いと考えたようである。あるいは無理矢理に神を汚す言葉を言わせようとした。つまり、キリストへの信仰を捨てると表明させた。
 使徒行伝で見た通り、初めのうち、迫害はあったが、殺害はなかった。使徒ペテロとヨハネがイエスの名によって語ることを禁じられ、それでも語るので、鞭で打たれたが、死刑にはならなかった。また、イエスの名によって語ることを恐れない人たちがいるから、宣教活動は止まなかった。そこで、ステパノがリンチによって殺される第一号になり、そこから、堰を切ったように迫害がエルサレムに横行することになり、パウロは迫害の急先鋒となってしまった。
 今日の良識で見れば、良心が麻痺し、むしろ倒錯したため、悪を悪と判断することが出来ないどころか、悪を善と信じ、狂気に駆られた残虐行為に耽ったと言うほかないのであるが、パウロ自身は聖なる使命に身を捧げていると信じ切っていた。行き過ぎと言うべきであるが、パウロは主のためだから熱心に実行しなければならないと考えていた。正しいことであるから、自制してはいけないのである。
 「至るところの会堂で彼らを罰し」と書かれている。キリスト者で占められた会堂が幾つもあったことはすでに見たが、会堂の中を調べてキリスト者がいないかどうか調べたようである。このような処罰の権能の規定があったのであろうか。また、その権能をパウロが行使できたのであろうか。これについて、我々には分からない。大祭司にはその権威があったらしく読めるが、そういうことが総督によって認められたかどうか。良く分からないが疑問である。主イエスを罪に定めることでも、大祭司にはその権限がなかったから、ピラトの法廷で死刑判決がなされる必要があった。しかし、パウロの残虐行為が作り話であると見ることは出来ない。だから、パウロが暴れ回ったのは一時的に治安が乱れていた期間があったからかも知れない。
 このように、エルサレム市内で苛烈な異端取り締まりを行なったが、それだけでなく、外国であってもユダヤ人がいる所なら、そこまで出掛けて行って粛正しようとした。こういうことが大祭司の書面を貰って行けば出来たのか。これも良く分からない。とにかく、ついにシリヤのダマスコまで乗り込もうとし、そこで挫折することになる。
 行き過ぎだから、このような乱暴は如何なる場合も自滅する、と人は言うかも知れない。主が手を下したまわなかったとしても、パウロの先生であるガマリエルが生きておれば、かつて534節で人々をたしなめたようなことをした筈であり、ガマリエル没後であっても、その教えを思い起こす人はいたに違いない。しかし、そういうことではない。自然の道理に反したから自滅したのでなく、主が介入して来られたということを見なければならない。いや、むしろパウロが行き過ぎと言う他ない行動を取ったのは、彼自身の負い目として生涯負って行かねばならないものではあるが、神がこれをなさしめたもうたということを見なければならない。
 主がここに介入して来られたことは、パウロが捉えたとおりであるが、我々はパウロが言い、一般に語られている以上に、ここに主の御手の働きがあったことを読み取ってこそ、主の御業の全体の意味を捉えることが出来るのである。
 ここにはパウロを打ち倒した力があるだけではない。砕けてしまったパウロを生かし、前進させる力があった。主の力は反逆する者を倒したところで終わるのでなく、立ち上がらせ、新しい使命に突き進ましめる。出発点が描かれているだけではない。先まで見えているのである。「さあ、起き上がって、自分の足で立ちなさい。私があなたに現われたのは、あなたが私に会った事と、あなたに現れて示そうとしている事を証しし、これを伝える務めに、あなたを任じるためである。私は、この国民と異邦人との中から、あなたを救い出し、改めてあなたを彼らに遣わすが、それは彼らの目を開き、彼らを闇から光りへ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪の赦しを得、私を信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである」。
 異邦人の救いは旧約の預言の中に僅かであるが示されていた。その成就が今や大写しになって示され、パウロ自身が異邦人の救いのために用いられることが宣言される。今日、主の御業に逆らっている者が、打ち砕かれることがあろうと我々は望み見るのであるが、その器は新しく立てられて、新しいものを作って行くのである。そこまで見なければならない。

 


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