2005.04.17.

 

使徒行伝講解説教 第14

 

――2:29-36によって――

 

 

 「兄弟たちよ、族長ダビデについては、私はあなた方に向かって大胆に言うことが出来る」。
 先にペテロは説教の中にダビデの詩篇を引用した。その時、この説教を聞いていた人は非常に多かった。その日にペテロの説教によって悔い改めてバプテスマを受けた人は3000人ほどであったと言われる。それだけの人の集まる場所はどこだったのか。それだけの人に、説教の声が通ったのか。その場面を想像して見よ、と言われても、我々の想像力はハタと行き詰まってしまう。
 しかし、その時の情景を思い浮かべようとしていると、いろいろ考えたり調べたりしたあげく、大事なことを学ぶ時間がなくなってしまう。我々は予備知識を積み上げることなしに、この私に語り掛けられる言葉として、ペテロの説教を聞き取らねばならない。実際、そういう言葉なのである。
 「兄弟たちよ」とペテロはここで声の調子を改めて呼び掛ける。すでに見て来たところを振り返って見ると、説教の冒頭に、「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住む全ての方々」と呼び掛けられた。
 説教の第一段、これは終わりが来たという宣言であったが、その宣言が終わって、第二段の初めには、「イスラエルの人たちよ」と呼び掛けられた。この変化については、22節を学んだところで考察した通りである。そして、今、第三段、「兄弟たちよ」と呼び掛けられる。
 語る調子が切り替えられていることについては、説明の必要もない。また、説明を聞いて分かる、という事柄でもない。呼び掛け方が変わった意味を説明されて、なるほどと感心しているようなことでは、説教を鑑賞していることにはなろうが、説教を聞いて生きるという態度で聞いているのとは違う。
 「兄弟たちよ」という呼び掛け、これについては解説は要らない。むしろ、解説をはさむとウソになるとは言わぬまでも、気の抜けた言葉になってしまう。「あなたと私とはこうこういう関係があります」と前置きをしなければ言葉が届かないというようなことではない。これは直接の呼び掛けが通じる関係であることを示している。それが、この続きで「大胆に語ることが出来る」と言う事情である。この「大胆に語る」という言葉については、すでに馴染んでいる人も多いが、使徒行伝の中では、いや、使徒行伝だけでなく、聖書の中では「キーワード」と言って良いほどの大事な言葉であるから、讀み過ごすことは出来ない。すぐ後でやや詳しく見ることにしよう。
 「兄弟よ」と言う言い方は、先には1章16節でなされた。イスカリオテのユダが脱落して行った後、補充選挙をしなければならないと相談する時の呼び掛けである。内輪の関係、信者同士の間で呼び合う関係である。「ユダヤの人たち、並びにエルサレムに住む全ての方々」と呼び掛けたときにはまだ結び付きは浅かった。そういう関係にまで語り手が深入りしたという意味であろう。
 ペテロが語り掛けの調子をだんだん変えて、聞き手の心に肉迫して来た、とその語り口の巧みさに感心しているというようなことでもない。クドクド言って来たが、要するに何のコメントも要らないということなのだ。語られていることがスーッと受け入れられるような状態で聞いているのである。
 話しは新しい段階に移ったと言ったが、内容は続いている。ペテロは、ダビデの詩篇を引いてその預言が成就したと示したが、その次に、作者たるダビデ自身の存在そのものによる証言を語ろうとしているのである。
 「族長ダビデについては、私はあなた方に向かって大胆に言うことが出来る。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、私たちの間に残っている。彼は預言者であって『その子孫の一人を王位に即かせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、キリストの復活を予め知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである」。
 この言葉が大胆に語られたのである。では、大胆に語るとはどういう語り方であるか。同じ言い方で典型的な例は、4章29節であろう。「主よ、今、彼らの脅迫に目を留め、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい」。そして、次の1節を置いて、「彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」とある。
 ここに用いられるのは「パレーシア」というギリシャ語である。大胆に、自由に、と取って良いのであるが、勇敢な、あるいは剛胆な素質があったので大胆に語るという意味にとっては、真意を読み落とす恐れがある。31節では、聖霊が働いたからこそ大胆に語ったということが良く読み取れるのであるが、そういう解釈が重要である。
 使徒行伝では「大胆に」と訳されて10回以上出ているが、他の書では別の人が訳したからであろう、また、後で訳語の統一をつけなかったからであると思われるが、他の訳語に訳される。例えば、マルコ伝8章31,32節。「それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後に甦るべきことを、彼らに教え始め、しかもあからさまに、このことを話された」。――この「あからさまに」というのが、「大胆に」と同じ言葉である。
 ヨハネ伝10章24節に「いつまで私たちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとハッキリ言って頂きたい」というユダヤ人たちの要求が記されている。ここにあるハッキリは大胆にと同じ言葉である。同じ言葉で表現されるに適する共通の状況があることに、すでに気付いた人は多いであろう。
 不幸にして、一つの言葉が幾つかの訳語に分散されてしまった。そのために、聖書の中にしきりに出て来る「パレーシア」という言葉への関心の集中が、殺がれるという結果が生じた。キリストが御自身について断固として語りたもう場合、またキリストを信ずる者がキリストに関わることを断固として言い表す場合、大胆に、あからさまに、ハッキリ語らなければならない。それはモガモガとした言い方ではない。
 大胆に語るという言い方に関しては、もっと多くの用例をあげれば、もっと良くわかるから、興味を感じた人はこの用語をさらに掘り進めれば良い。
 すでに上げただけの用例によっても、この言葉がどういう意味のものであるかは分かったと思う。これは信仰の告白に関わる言葉であり、宣教に関わる言葉である。だから、ペテロが、あなた方に向かって大胆に言う、と言うのは、「今語るのは、自分たちの信仰の弁明ではない。説教なのだ」という意味である。
 大胆に語られるのは、先ず「族長ダビデ」についてである。つまり、今引用したから、ダビデに関して、ことのついでに触れて置くというのでない、もっと踏み込んだ宣言がある。
 ところで、「族長ダビデ」という呼び方であるが、この人物については説明の必要はないとしても、ダビデが「族長」と言われるのを意外に思う人はいるであろう。族長というのは一つの氏族の起こりとなる先祖という意味である。普通、族長と呼ばれるのはアブラハム、イサク、ヤコブである。モーセ、アロン、その父であるアムラムを加えることもあるが、特別に尊ばれている。彼らには肉体の朽ち果てることがないとの約束があったと通俗的には考えられていたようである。
 ダビデはユダ族の先祖でもなく、末裔であり、エッサイの末子である。族長が先祖の中で特に尊ばれるのは、恐らく、通常、人の名は「誰それの子の誰」と呼ばれ、父の名が我々の場合の姓に当たる。ところが、族長については何々の子とは呼ばないから、特別扱いである。
 ダビデは「エッサイの子ダビデ」と呼ばれたから族長ではなかった。しかし、例外的に彼の名を重ねる子孫が生まれた。すなわち、「ダビデの子イエス・キリスト」である。この呼び名を大っぴらに使ったのは、マルコ伝10章46節にあるテマイの子バルテマイという盲人の乞食が最初であった。彼は「ダビデの子イエスよ、私を憐れんで下さい」と叫んだ。人々は慌てて彼の口を封じようとしたが、そういう呼び方は陰で秘かに語られるだけなら良いが、大っぴらには言えなかった。主イエスはバルテマイを呼んで、「あなたの信仰があなたを救ったのだ」と言われた。すると、たちまち、バルテマイの目が開けた。それが受難週の直前であった。
 「ダビデの子イエス」、あるいは「ダビデの子イエス・キリスト」という呼び方は主の復活の後、主イエスに従う者の間で急速に広まったと思われる。キリストがダビデの子孫として生まれるとの約束があり、その約束が成就した、と信仰者たちは信じた。だから、キリスト者の間でこの族長ダビデという呼び方が定着した。
 「彼は死んで葬られ、現にその墓が今日至るまで私たちの間にある」とペテロが言ったのは誰もが認める真実である。ダビデの墓は今もエルサレムにあるはずである。訪ねて行くのは大変かも知れないが、写真を見ることは簡単である。ダビデは死後、エルサレムにあるダビデの町に葬られた。彼の子孫の代々の王たちも死ぬと先祖と同じ墓に葬られた。墓はもとは洞穴であったと思うが、代々の王たちの棺を収容するのが困難になったので、上に延びる石造りの建物に建て替えられた。ペテロの言うのはそれであろう。
 墓があるということは、その人が死んだことの証拠と看倣される。例えば、モーセの墓はない。死んだことは記録されているが、同時に、神がモーセの遺体を取り去りたもうたので、これを見つけることが出来ない。そこで、モーセはまだどこかで生きていると考える人が出て来る。
 預言者エリヤの墓もない。列王紀下の2章にある通り、神がエリヤをつむじ風によって地上から召したもうたからである。そういうことがあるので、モーセやエリヤは特別視され、エリヤが先ず来て、その次に約束のキリストが来られると信じられた。あるいはまた、モーセとエリヤがキリストと出会って語り合うという場面が期待され、それが山上の変貌の場面で実現した。
 墓が設けられるのは何故か。墓が最初に築かれた場合について考えると、アブラハムは妻サラの死んだ時、マクペラの洞穴を買い取って墓にした。それは死者が終わりの甦りの日を待つ場所とされたと理解される。だから、死んだことの証しであるとともに、甦りの信仰の証しでもある。墓の中で死者の体は朽ち果てるのであるが、死人の復活の信仰は揺るがないと信じられた。
 次にペテロは、ダビデが「預言者」であったと言う。ダビデを預言者として見る見方が以前からあったかどうか、私は知らない。しかし、そういう見解が以前はなかったとしても、問題はない。イエス・キリストは聖書の成就が御自身において起こるということを、弟子たちに教えておられた。それは聖書の説き明かしという形で教えられたのであるが、その聖書の中で詩篇にかなり重きを置かれていたことを我々は知っている。詩篇を預言の書として扱われたのは主イエスが最初ではないか。
 ダビデが預言者であったという解釈を主イエスがされたのは、全く新しい考えであったと見る人もあろうが、イスラエルの信仰の歴史の中で生み出されたものであると取るのが正しい。
 サムエル記下7章に一つの重要な事件が記録されている。これはダビデの生涯の最も重要な事件であるが、これに注目しないクリスチャンも多いようである。こういう事件である。
 ダビデは国を統一し、安泰にし、エルサレムに王宮を建てたが、神の家はまだ幕屋であった。それを恐れ多いと感じ、神の宮を建てようと決意して預言者ナタンに相談する。ナタンはその計画を推進しなさいと答える。
 ところが、その夜、主の言葉がナタンに臨んで、先の言葉を撤回せよと命じる。ダビデは神の家を建てる資格がない。彼は軍人として人を殺した。神の家を建てるのは平和の人でなければならない。だから平和という名を持つソロモンが王に立つまでは神殿の造営を始めてはならない。
 大事なことは人が神の家を建てるのでなく、神が人のために、ここではダビデのためにであるが、家を建てると約束したもう。この約束には何重にも意味が重なっている。一つはダビデの王家を建てることである。すなわち、ダビデの王家が幾重にも危機をはらんだものであった。ソロモンの死後、王国の北半分はダビデ王家から離れ去った。また、ダビデの死後ダビデの望み通りソロモンが世継ぎになれるかどうかについて大きい心配があった。母を異にする息子が何人もいたのである。ダビデが生きている間も息子アブサロムの叛乱があった。
 ダビデは理想の王のように語られることがあるが、詳しく見て行くと欠陥だらけである。それでも、神はこれを建てて神の王国のある意味での象徴とされ、その任務に支障がないようにされた。最も重要な点は、ダビデの子孫が真の意味の王として建てられるとの約束である。その約束の第一段はソロモンが後継者となって神の家を建てることであったが、第二段の本番として、ダビデの子孫がメシヤとして来ることが約束される。この約束については、預言者イザヤも頻りに語ったことは割合よく知られている。また、詩篇89篇はエズラびとエタンの歌であると題されているが、ダビデに与えられた約束の意味を個人的なものを脱却したイスラエルの信仰として位置付けた。これらを総合して、主イエスは、ダビデを預言者として捉えるようにと教えたもうたのである。ペテロはそれに従って、預言者ダビデと大胆に言うことが出来た。
 預言者としてのダビデの言葉のうち、比較的知られているのはダビデの子なるメシヤの到来であった。ところが、五旬節におけるペテロの説教では、ダビデの預言の頂点として、キリストの復活があったと捉えている。
 ダビデに預言者ナタンを通じて約束されたのは、子孫が王位に即くことであった。その約束をダビデはソロモンの王位継承、またその子孫によるダビデ王朝の継続として先ず受け取った。これは一般に理解されているところである。しかし、ペテロはそれ以上を旧約聖書から読み取った。それはペテロに特別な示しが与えられたからであると解釈して支障はないが、主イエスから教えられたことが元になっていることは無視してはならない。
 そのようなダビデであったから、キリストの復活を預言したのである。だが、ダビデが詩篇16篇で歌ったのは、彼自身に死人の復活が約束されたという確信ではなかったのか。たしかに、そう読むことが出来る。しかし、ペテロはダビデの墓がまだ閉ざされたままであることを知っていた。死人の甦りが約束されているのだから、ダビデも復活する。しかし、今確認することの出来るのは、死人の甦りの初穂だけである。だから、ダビデは自分の復活でなく、自分の子孫の復活を信ずることこそがイスラエルの信仰の鍵であると把握した、とペテロは教えたのである。
 甦りの初穂があった。それならば、約束を得ている者はその初穂について行くのは当然なのである。


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