2009.03.15.

使徒行伝講解説教 第139

――26:1-8
によって――

 

 

 1節に記されているのは、アグリッパがパウロに発言を許可し、パウロが弁明を始めた次第である。「手を差し伸べて語った」と言う。ここにどれだけの意味が籠められているか、良く分からないが、続く発言記録を考え併せれば、彼の雄弁ぶりが表れている。
 法廷において雄弁が発揮されることは珍しくないであろう。威圧されて何も言えなくなる人もいるであろうが、普段口数の少ない人も、ここを最終の機会として懸命に弁明する実例は良くある。しかし、パウロの場合はそれだけでなかったと思われる。
 パウロは自己保身のために懸命に訴えたのではない。主に委ねた身であって、監禁されようが殺されようが、主が宜しとされることなら、甘んじて受ける用意は出来ている。ただ、自分に委ねられている福音の宣教については、成り行きに任せるのでなく、あらゆる機会を作り、力を尽くしてキリストの証しを立てなければならない。今、多くの市民たちが聞いている所で、アグリッパ王に対する弁明を語ることは、主から与えられた機会である。その機会を逃さないだけでなく、最大の効果を上げねばならない。
 これまでもこういう機会があった、22章の初めに書かれている弁明がある。これは兵営の傍まで押し寄せた群衆に対する証しであった。パウロがヘブル語で語ったのは、これが同国民に対する信仰の証言であり、説教であることを示している。
 次に、23章の初めに書かれていることだが、議会の前に立たせられた時の弁明がある。これがどういう意義を持った場面であるか、人々には良く分かっていなかった。訴えられた者が法廷で述べる弁明と考えた人もいると思うが、パウロ自身はこの議会を審判の法廷とは見ていない。だから、議員たちに向かって「兄弟たちよ」と呼び掛ける。実際、そこにはかつてラビ・ガマリエルのもとで一緒に学び、討論をしていた学友もいたらしい。彼らは到底パウロを裁くような立場にはいない。けれども、彼らに対して証しをすることは大切である。
 今回はアグリッパの法廷、そして総督フェストも傍にいて、カイザリヤ市民も聞いている。これが正規の法廷なのかどうか、我々の持つ知識ではハッキリしたことが言えない。ここでアグリッパが判決を下したわけでもない。が、32節で聞くように、自分の意見をフェストに語っている。結局フェストが決定を下してパウロをカイザルの法廷に送ったことは確かで、アグリッパはその決定を支持したということである。しかし、32節にも記されているように「あの人はカイザルに上訴していなかったら、許されたであろうに」とフェストに語る。これも判決ではなく、意見であるが、フェストも同意見であり、パウロの弁論を聞いた人なら、悪意あるユダヤ人でなければ、この結論に同意したに違いない。これは30節に記されている人々の見解が示す通りである。
 残っている問題は、なぜパウロがカイザルへの上訴にこだわり続けるのかであり、その上訴する問題点は何かである。ここで見えて来ることが二つある。一つは、あくまでカイザルに訴えて、ユダヤ人がパウロを殺そうとしている悪意を、ローマの法に照らして論駁し、却けなければならない、と思っていることである。
 この点、使徒行伝の読者の多くにも理解されていないのではないかと思われる。訴訟を起こす人は世間では嫌われる。不利益を我慢して、人との関係を穏やかに保つのが立派な人と言われる。パウロ自身もこの姿勢が大事だと教えている。Iコリント67節に「互いに訴え合うこと自体が、すでにあなた方の敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。むしろ騙されていないのか」と言っているではないか。
 しかし、私人から侵害を蒙る場合と、公けの力が圧迫して来る場合とを区別しなければならない。パウロは公けの圧迫だから、保護を求めて、訴えるのである。今回の事件を見ると、初めは群衆の中に騒動が起こったことについて、ローマ市民として法的に保護されている彼が、裁判なしの鞭打ち刑を受けたことについて、訴えを申し立てただけである。そこに後から重ね合わされたのは、ユダヤの公権力であるエルサレム議会がパウロを告発したことである。
 IIコリント1125節で「ローマ人に鞭で打たれたことは三度」と言われるが、先に触れたエルサレムでの鞭打ちはその一つであろう。結局この迫害は、他の夥しい不当な処罰とともに、いちいち訴えている時がないままに、名誉回復もされず、片づけられた。しかし、ユダヤ議会の告訴に対して、パウロは飽くまで戦うと決意する。すなわち、ユダヤ人の力の及ばない地域では、パウロさえカイザルへの上訴を取り下げれば、彼は自由になり、囚人なみの拘束を受けずに済む。それだのに、上訴を取り下げない。それは、ローマ市民であるパウロが、ユダヤ議会によって生存を脅かされていることについて、保護を求める訴えだからであろう。時代に先駈けた人権の意識があり、もう一つユダヤ教に優るキリスト教の優位という主張があると読み取ることが出来る。
 ここには自分の利益を守ろうとする動機はなく、公けのために、教会のために、後の代のために、正当な権利を確保して置こうという志がある。ユダヤにおいては、ユダヤ教の権力が数を頼みとしてユダヤでしか通用しない理不尽を通そうとすることに対して、ローマの権力が、そんな無理は通らないと道理を示してくれなければならない。ローマの官憲がそれをキチンと果たさないから、訴えて、職務を果たさせねばならない。
 もう一つは、この場を用いて福音の証しを立てることである。パウロはもう2年も人々に呼び掛ける機会を奪われていたので、ここで立会人、あるいは傍聴人として来ているカイザリヤ市民に、法廷の弁明を、福音の宣教として聞かせようとしたのである。
 23節は弁明の本論に入る前置きである。これはアグリッパがユダヤ教を良く知っているから、私の弁明を正当なものと認めるであろうと巧みな言い方で誘導する。アグリッパがユダヤ教の事情に詳しいということは、先にも触れたことだが、祭司の服装に関して強い規制をした事件がある。パウロはそれを知っていたし、アグリッパのその処置が正しかったと認めている。
 4節からの本論では先ず自分の幼い日と青年としてエルサレムで学んだことを述べる。これまでにも語ったことの纏めである。「初めから自国民の中で」と言うその「自国民」はユダヤ人を指しているように取られるが、キリキヤのタルソの人たちのことを意味していると見られる。彼はそれからエルサレムに来て学んだ。5節で「彼らは私を初めから良く知っている」というのは、パウロを訴えている議会の議員がかつては一緒に学んだ学友であることを示している。
 この事情と重なることを語るのは、ピリピ書35節以下の言葉である。「私は8日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である」。
 また使徒行伝223節から5節にも記されている。「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルの膝元で先祖伝来の律法について厳しい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛り上げて獄に投じ、彼らを死に至らせた、このことは大祭司も長老たち一同も、証明するところである」。――これはエルサレムの宮でユダヤ人の起こした騒動の時、千卒長がパウロの身柄を保護し、民衆に語ることを許してくれたので、彼らにヘブル語で語り掛けた説教の中に含まれている言葉である。
 パウロのここで訴えようとするのは、自分が今迫害する人以上に、ユダヤ教の信仰に最も忠実に生きて来た。そのことは多くの人が見て知っているではないか、という点である。
 次にもっと本質的なことを言う。彼は先祖以来の信仰の中心となるのが、外的な「律法」というよりは、むしろ内的な「希望」であり、自分はその点を彼ら以上にシッカリ把握していると断言する。
 こういう主旨の説教を13章で、ピシデヤのアンテオケで、ユダヤ人と神を敬う異邦人に向けてしたことを我々は思い出す。その31-38節をもう一度聞こう。「私たちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。神はイエスを甦らせて、私たち子孫にこの約束をお果たしになった。それは詩篇の第2篇にも『あなたこそは私の子、今日私はあなたを生んだ』と書いてある通りである。また、神がイエスを死人の中から甦らせて、いつまでも朽ち果てることのない者とされたことについて『私はダビデに約束した確かな聖なる祝福をあなた方に授けよう』と言われた。だから、ほかの箇所でもこう言っておられる、『あなた方の聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。事実、ダビデはその時代の人々に神の御旨にしたがって仕えたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、ついに朽ち果ててしまった。しかし、神が甦らせた方は、朽ち果てることがなかったのである。だから、兄弟たちよ、この事を承知して置くが良い。すなわち、このイエスによる罪の赦しの福音が、今やあなた方に宣べ伝えら今やあなたがたに宣べ伝えられている」。

 パウロの説教の基本的構造が把握出来る記録として、ピシデヤのアンテオケにおける説教は数少ないものの一つであるが、その基本的なものが、カイザリヤにおいても明らかに示されたと見られる。一言に絞るならば「希望」である。旧約は神の約束であったから、それを受け入れるとは約束の成就を待ち望む希望であり、待ち望んだ民は約束の成就を捉えたのである、と宣言する。
 パウロに対するユダヤ人の迫害は、先祖からの道の逸脱と見たからであるが、パウロは一貫して、自分は先祖の宗教に最も忠実に生きた。そのことは外面への現われからいえば律法の遵守であった。内面から捉えれば、イスラエルの民の信仰の真髄は、約束から成就へと方向付けられた「希望」という一線が貫かれるという点である、と言う。こういう解釈は、旧約時代には余り聞かれなかったが、新約時代に入ってからも、まだ教会の教理が整備されていなかったので、こういう説教はなかった。しかし、これまでの路線がパウロによって変えられたのでなく、これこそがより適切な言い方である、と信仰者たちは確認出来たのである。
 その希望は、約束されていたキリストが来られたから成就したというのか。一面ではそう言わねばならない。しかし、キリストが来られたからこれで全て満たされ、終わりになったというのではない。キリストが来られたから、そこで新しい将来の展望が開けるようになったのである。希望は役目を果たして無用になったのではなく、希望が更新され、希望の輝きが増して来たと捉えられた。
 それはどういうことか。まだ終わりになっていないので、終わりを全うするためにキリストがもう一度来られるということか。――そのように纏めを着けることは間違いではない。しかし、もっと適切な捉え方を我々は教えられている。
 キリストが約束されていて、ついに来られた。このことはシッカリ捉えなければならない。だが、そのキリストはどういうキリストか。そのお方こそ十字架の主であり、殺され、葬られ、復活された方である。「甦りの初穂」となられた方だ。その初穂である方の後ろに私が随いて行く。希望とはそういうこととして展開して行くのである。
 「今、私は神が私たちの先祖に約束なさった希望を抱いているために、裁判を受けているのであります。私たちの12の部族は夜昼熱心に神に仕えて、その約束を得ようと望んでいるのです。私はこの希望のためにユダヤ人から訴えられています」。この訴えはそこで聞いた人たちには把握し難いことであったかも知れない。しかし、人のことを言う必要はない。我々のことが眼目だ。そして我々には分かるのだ。
 神がアブラハムを選び、イサクを選び、ヤコブを選び、ヤコブの子12部族を立てたもうたのは、希望を掲げる民を地上に打ち立てるためであった。この希望の民のために、神は約束を与え、次いで約束を成就したもうが、その約束を更新し、更新された約束を成就したもう。これは先に236節で「私は死人の復活の望みを抱いていることで、裁判を受けている」と言ったことと同じである。
 このことを言葉の説明によって分かり易く言い換えて、受け入れさせることに我々の使命があるのではない。今の代にも希望を掲げて歩むことを使命とする民がいることを思い起こせば良いのである。人々は希望があれば良い、と言っているかも知れない。その人たちに希望があると説明するのも良いことであろう。しかし、今日学ぶのは、かつての時代にも希望を掲げることを使命とする民がいた。今もそうなければならない。ただし、希望を受け継いで行くと言いながら、彼らは希望を失って行き、希望なき民になった。あるいは希望の民は衰滅したと言わねばならないのではないか。
 希望が失われないように、これを繰り返し新たに、御言葉によって捉えなおして行く民が今なければならない。その絶えざる捉えなおしがなされているのかどうかが今日問われていることである。

 


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