2009.02.01.

 

使徒行伝講解説教 第136

 

――24:24-27によって――

 

 

 今日学ぶ記事は短いが、次の出来事までの期間は2年に亙っている。ペリクスが裁判を面倒がって、公判を延期のままにしたという事実がある。27節には、彼が「ユダヤ人の歓心を買おうと思って、パウロを監禁したままにしておいた」と書かれている。ユダヤ人は有力な伝道者パウロを拘禁して置きたかった。しかしパウロはエルサレムでの伝道ではなく、ローマに行こうとしている。ペリクスの判断では、パウロには裁きに当たる悪事はない。それはルシヤが見たのと同じであって、それではユダヤ人を敵に廻すことになるから、自分が裁判するところで結論を出したくない。

 しかし、総督の怠慢によって、2年に亙って空転させられたというふうに解釈するには及ばない。神は時間を空しくしたまわない。ペリクスは個人的関心もあって、パウロを何度も呼び出して話しを聞いている。それによってペリクスという人が感化を受けたとも言えないが、パウロは時間を無駄にしなかった。

 また、パウロは自由になっていないが、友人たちの出入りは禁じられず、説教しに出掛けることこそ出来なかったが、限られた数の人々を教えたり、相談したり、手紙を書いたり、理論を深め、整理をつけることも出来た。2年あれば、エペソではかなり纏まった仕事が出来た。長い手紙を書くことも出来た。ただ、我々が想像力だけに頼って彼がこの2年の間にした仕事は何かを論じることは、慎むべきであろう。我々に分かる範囲で述べるに留める。

 裁判の延期について少し触れて置く。ローマの裁判官はユダヤ人の信仰に関わる訴訟事件を扱うのを嫌ったようである。他の民族においては宗教上のことが裁判になる場合は多分ない。しかし、ユダヤ人は宗教のことを律法の規定として扱うから、裁判に関係して来る。ポンテオ・ピラトもナザレのイエスの裁判に関わることを非常に嫌がった。

 ペリクスにとっては、ルシヤが或る程度の判定を下していたという事情があり、ユダヤ人がその点に異議申し立てをしているので、彼が来る時まで裁判を延期するという口実が成り立った。しかし、結局ルシヤはカイザリヤに来なかったのか。――来ないはずはないと思うが、来てもその機会にエルサレムから大祭司を呼び出して法廷を開くことは出来ず、ペリクスも時々はカイザリヤを留守にして巡察に出掛けたであろう。そのうちに千卒長ルシヤは転勤、あるいは退役していなくなり、法廷はズッと開かれないままで、ペリクスもまた転勤することになって、後任者フェストが着任した。ついにペリクスの在任中、パウロの裁判は開かれなかった。

 ペリクスが「この道についてかなり知っていた」とルカは22節で言う。これは重要事とは言えないと思うが、聞き流して置くわけには行かない。この「道」とは以前にも14節で触れたが、キリスト教のことである。ペリクスがキリスト教についてかなり知識もあり、関心もあった。これはルカの印象である。その印象はペリクスがパウロに質問している時、ルカが居合わせたからであろう。一般人よりもキリスト教への関心があった。

 「数日たってから、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰のことを、彼から聞いた」。

 ペリクスが再びパウロに会ったのは数日後であるが、職務上パウロにさらに尋問しなければならない点があった。公的な権威を持つ者が、職務上信仰のことを取り調べる時、伝道者は権威に屈するのではない。福音の証しをそこにおいて堂々と立てるのである。このことについて主イエスはマルコ伝13章で、「あなた方は私のために衆議所に引き渡され、会堂で打たれ、長官たちや王たちの前に立たされ、彼らに対して証しをさせられるであろう」と言われた。伝道者として務めを帯びているかどうかと別にキリスト者なら、この世の権力の前に、はばからず信仰の表明をするのである。

 またペリクスには個人的にもキリスト教の教えを知りたいという求めがあった。そして、この個人的事情には彼の妻の求めが関係していたと思われる。彼の妻には或る程度の求道心あるいは知識欲はあった。

 ドルシラが「ユダヤ人」と言われていることにも触れて置かねばならない。このドルシラという女性について、ユダヤ人歴史家ヨセフスが書いた記事があるので、今ではクリスチャンの中でも知る人も多い。だが、ルカがそのことを意識して書いたかどうかは分からない。ドルシラが「ユダヤ人」であると書かれているが、彼女はヘロデ・アグリッパの娘で、2513節にあるベルニケの妹である。これをユダヤ人と言えなくはないが、当時、一般にヘロデ一族をユダヤ人として扱っていたかどうか疑問はある。厳密な意味のユダヤ教徒ではない。

 ドルシラは、もとアジゾスという王家の人の妻であったが、ペリクスがそれを引き離して自分の妻にしたこともヨセフスの書物によって知られている。使徒行伝の著者がペリクスのユダヤ人の妻ドルシラについて書いたとき、ヘロデ一族に入り込んでいた汚らわしい男女関係を意識していたかどうか。私には判断がつかない。

 思い起こされるのは、バプテスマのヨハネの姿勢である。領主ヘロデが兄弟の妻であったヘロデヤを離婚させて、自分の妻とした時、ヨハネはこれを公然と非難し、そのために投獄され、ついには殺された。つまり、権力者の間にある肉欲本位の不倫な生活態度について、ヨハネは潔癖にこれを断罪したのであるが、同じ様な汚らわしいことをキリスト教会はどのように見たか、それが分からない。

 我々に分かるのは、ドルシラとペリクスがキリスト教について尋ねた時、パウロがこれらを汚らわしいとして追い出しはしなかったことだけである。バプテスマのヨハネよりは大らかであった。

 ペリクスらが果たして福音を求めていたのか。ペリクスよりはドルシラの方がパウロの話を聞きたがっていたらしい。でも、純粋な動機はなかったのではないかと思う。それでも、伝道者たちは、聞こうとする人の資格を審査して、語って聞かせるに相応しいと見てから語る、というのではなかった。福音は価なしに与えられるものである。聞く者が聞くに相応しいかどうかは問題にならない。「福音に相応しく」ということを我々は始終聞いているではないか。しかし、良く注意しよう。相応しい者だから聞かせられるのではない。聞いた者だから、聞いた者に相応しくなるのである。順序を取り違えてはならない。

 もう一つ、問われても主がお答えにならなかった場合があるように、福音を語る者も語らない時があるべきではないのか、という問題がある。ここでも思慮深く考えたい。神の沈黙は大いなる出来事である。神は時に語ることを差し止めたもう。しかし、原則的には「時が良くても悪くても語れ」というのが我々に対する命令である。語る者の判断で、今は語ってはならない時だと思う場合が、決してないわけではないが、人間の勝手な判断に任せられていることはないと見るべきであろう。

 だから、時が良くても悪くても語るのだが、どのように語るかについては、知恵を十分に用いなければならない。福音の垂れ流しにならないようにすることが大事である。

 ペリクスについては、「パウロから金を貰いたい下心があったので、たびたび呼び出した」と書かれている。その下心はルカが見抜いていたものであろう。それにしても、総督が金をせびるという事情は分かり難い。役人がいろいろな名目で依頼人から金を受け取ることは今日でも珍しくないが、昔もあった。ペリクスは賄賂を貰うのが特に好きな役人であったことも理解出来なくはない。けれども、そういう要求にパウロが応じたであろうかというのが一つの疑問である。

 さらに、総督が要求した時、パウロには応じるだけの金があったのかという疑問もある。パウロの財布はどうなっていたのか。彼が伝道の働きによって生活の資を得たのでないことは分かっている。マケドニヤなどの貧しい教会がパウロの伝道を支えたことも分かっている。しかし、その事情が分かっていたとしても、ペリクスが知っていて金を要求したことの説明はつかない。

 パウロには資産はなかったと考えるのが一つの考えである。それがあるかのように考えてそこから賄賂を貰おうとしたところにペリクスの嫌らしさがあったというのが一つの解釈であろう。そしてペリクスが、パウロに金があると推測したのは、海外にいるユダヤ人の中に巨額の資金を貯えた者がいることを知っていたからである。我々もクプロ生まれのユダヤ人のバルナバが莫大な資産を持っていて、それを悉く教会に捧げたことを知っている。パウロもタルソに資産を持っていたはずである。しかし、この問題は我々の穿鑿すべき性質のものではない。パウロがこれからローマに行くことを考えており、そのために幾らかの費用を用意していたことも当然あると考えられるが、それ以上は考えない方がよい。

 ペリクスは「キリスト・イエスに対する信仰のことをパウロから聞いた」とあるが、イエスという名がなかったのが初めの形ではなかったかと考えられている。だからキリストを信ずる信仰という点が強調されたことがハッキリする。

 ドルシラとペリクスは信仰について特に聞きたいと願ったようである。それは彼らには理解出来ないものであった。どういう動機でこのことを聞きたかったのかは分からない。25章の23節にアグリッパ王とその姪であるベルニケがパウロに会う場面がある。ベルニケがどれほどキリスト教に関心を持ったかはドルシラの場合以上に分からないのだが、この二人の王族の女性にキリスト教についての共通した関心があったと考えられる。ユダヤ人は先祖以来の宗教に熱心であるが、キリスト教がそれ以上に熱心であり、信者が増えて行くことに関心を持たざるを得なかった。だから、彼らの信仰について問いたかったということであろうか。

 「そこでパウロが正義、節制、未来の審判などについて論じた」。先に「信仰」についてはペリクスの側から尋ねた。それに対して答える中で、正義、節制、未来の審判等の項目がパウロの側から進んで述べたと見られる。キリスト教の教えを体系的・思想的に語ったのであろう。これは重要な点であると思うが、短い言葉で述べられているから、内容を的確に捉えることは容易でない。

 先ず「正義」と言われるのは何か。社会の維持のために第一に必要と言われる正義、人と人との正しい関係のことであるか。そういうふうに考えることは出来る。すなわち、人と人との間には正義に適った関係が必要であり、これが失われると、人類社会が立ち行かなくなるから、この世で「正義」が支配しなければならず、そのためには一人一人己れに「節制」を課さなくてはならない。こうして今の世において実行されず、また実現しなかった正義については、来たるべき日の審判で決着がつけられる、とパウロが説明し、ペリクスたちがそれで信仰に入ったということではないが、一応納得したと取ることは出来る。パウロがこういう説明でペリクスたちに伝道ではないが、キリスト教の理解を広めたということはあったかも知れない。

 しかし、今「正義」と言ったもの、それはパウロがローマ書などで神の「義」と言っている根本テーマ、「神の義は福音によって信仰に啓示され、信仰より信仰へと進ましめる」と言う時の義として捉える方がもっと適切ではないだろうか。

 「節制」というのも道徳的生活を営むために必要だと一般に同意されているものであるが、それではなく、神の救いの御業に答えて行く信仰者の側の励みとしての節制と把握する方が分かり易いであろう。

 「未来の審判」というのも、この世では不義が栄え、正義は抑圧を受けることが多く、これでは引き勘定が合わないから、来たるべき世の審判で報復が行われ、それによって正義の決着がつく、というふうに説いても納得させることは出来る。この論法を受け入れる人は多い。しかし、その論法でなく、審判者としてのキリストが後の日に再び来られ、死人を甦らせ、すでに始めておられる約束の成就を完成したもう。そのように我々は信ずる、という主旨であると読み取るのが適切である。

 そこには福音があるのだが、ペリクスはそれを喜びの報せとは聞かず、これを聞いて不安になった。すなわち、自分のしていることは来たるべき日の裁きによって罰せられると受け取った。それも聞き取るべき一面であったが、もっと大事なこととして、キリストによる罪の赦しが説かれたはずである。それには心が開かれなかった。

 2年してポルキオ・フェストがペリクスの後任のユダヤ総督として着任した。このフェストはペリクスよりも真面目な総督である。主はフェストの手によってパウロをローマに送りたもうたのである。ローマの機構における人事異動としてよりも、主の手によってペリクスはフェストに変えられたのである。


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