2009.01.18.

 

使徒行伝講解説教 第135

 

――24:10-23によって――

 

 

 テルトロによって論告が行われたのに対し、パウロは被告として答弁を始める。それを今日は学ぶ。これは先の論告と比べ、遥かに整った弁論であるが、我々がこれを賞賛するには当たらない。これはローマの法に則って、事実をそのまま述べただけであって、パウロの本来の職務ではない。これは信仰を表明して、聞く人々に心を改めさせようとした言葉ではない。テルトロの述べたことは作り事であったが、パウロはありのままの事実を語るだけである。――しかし、事実を語るに過ぎない日常的な姿勢のうちに真実が現われ出る。
 「閣下が多年に亙りこの国民の裁判を司っておられることを良く承知していますので、私は喜んで自分のことを弁明いたします」。
 弁論の作法は踏んでいるが、余分なお世辞はない。このユダヤではローマの支配が行われ、したがってローマ法による裁判が行われていることを自分は認め、その秩序を重んじてこの法廷に協力する、という前置きである。単純なことであるが、前置きとしてのこの基本が分かっていないユダヤ人が多かった。大祭司アナニヤも、邪魔者であるパウロを排除するために総督の権力を用いたいので、総督に上辺では諂うが、内心はほどほどに関わるに留めたいという姿勢であった。ローマの支配を認めないで叛乱を起こすユダヤ人の熱心党を弁護することはしないが、彼らの過激な考えを改めさせるよう説得することはしない。
 別の見方をすれば、モーセの律法とローマの法律との関係について理解が混乱したままである。多くのユダヤ人がそうであったし、キリスト教信者の中にも、そして今日でも、この世の法は最小限認めはするが、その意味は消極的にしか認めない。だから、なるべくこの世のことには関与しないという基本姿勢をとる。そういう人が少なくない。パウロはローマが法によってこの国で裁判を行なっていることを或る意味で評価し、そこに神の御旨を認め、そのやり方に即した協力をして行こうという。
 パウロはローマの法律を認めてしまえば屈服だとは考えていない。確かに、ローマの法律に乗ってしまって、それに枠をはめられ、振り回されるという場合はある。ただ、地上の規定がどれもこれも良心を拘束するわけではなく、法、法律、規定、制度はむしろ本来の意味は、この世に住む人々のためにこそある。そうでない法や支配は、結局立ち行かなくなる。そのことが理解出来ない者は支配する任務を担えない。ペテロは第一の手紙の213節に「あなた方は全て、人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい」と勧める。それは人の立てたものであって、主の定めとは言えない。けれども、それに従うことが主の御旨であるから、主のゆえに従わねばならない。同様のことをパウロはローマ書13章で言っているが、ペテロの言い方の方が行き届いている。カイザリヤでパウロの実行しているのは、ペテロの言葉である。
 この言葉の大切さが、キリスト者の間で必ずしも注目されていないことは問題である。神の律法は守らなければならないが、この世の秩序を守ることは、信仰にとってどちらでも良いこと、せいぜい二の次のこと、低い次元のこと、というふうに構えている人たちが多い。
 神の律法とこの世の法とは対立したものだと見ているようである。神がモーセによって規定したもうた律法と、法律家が作って国が公布する法律は、別の種類のものであると言えるが、日本の聖書用語で「律法」と「法律」を区別するのは、便利な面と不便な面がある。どちらも同じ「法」という語であり、共通の意味がある。神の法には従わねばならないが、人間の作った法には従わなくて良い、ということは成り立たない。唯一の権威は神にあって、法はある意味でそれに従っている。この世の法廷に出て陳述することと、神の律法に服従することとの矛盾は本来はない。もし衝突する面があるならば、神の御言葉に適わぬことについては抵抗すべきである。
 さて、前置きは終わって、パウロも論点の第一、それは今回エルサレムに着いてからまだ12日しか経っていないから、裁判を受けるべき行動があったかどうかはスッカリ知られていると弁明する。細かい事だが、数えれば、エルサレムに着いて兄弟たちに歓迎されたのが第1日、ヤコブや長老に会ったのは第2日。潔めの誓願を立てて実行したのが第3日から第9日。この日が終わらぬうちに騒ぎが起こってパウロは逮捕される。議会に行ったのは第10日である。この夜、主が彼に語られた。翌日パウロ暗殺の計画が出来あがる。11日目の夜、軍隊がパウロを護送してエルサレムを出る。カイザリヤに着いたのは、特別急いだとしても第12日の夕刻、そうでなければ第13日であった。その5日後にアナニヤが来たのだから、法廷が開かれたのは第18日頃になる。「12日」というのは人目に触れている間だけを数えたらしい。すなわち、証人によってパウロの動向を確認出来る時はそれだけである。
 第二点、「宮の内でも、会堂内でも、あるいは市内でも、私が誰かと争論したり、群衆を煽動したりするのを見た者はありません」。――これには誰も反論出来ない。「今私を訴え出ていることについて、閣下の前に、その証拠を挙げ得る者はありません」。――ペリクスの前に誰かがパウロの何月何日における行動を論難する人がいたとすれば、ペリクスはそれが事実である証拠を求めるであろう。そうすると嘘が明るみに出る。
 第三点、「ただ、私はこのことは認めます」。この認めますは「告白する」という意味の言葉であるが、自分の罪なきことを表明するとともに、相手方が攻撃して来る論点が、理解としては間違いだが、関連はあると率直に認めるのである。彼らが罵っている「この道」の者であるのは事実である。「この道」という言い方は「キリスト教」という意味になるのであるが、ルカも22節でこの言い方を用いている。
 キリスト者の側で「この道」と言い始めたのかも知れない。その場合は「主の道」を行くという主張が込められている。ユダヤ教の側から、邪道とか異端という意味を籠めて初めから「あの道」と罵ったのかも知れない。どちらの側でもこの言い方をしていた。一般のユダヤ教徒と同じく先祖の神を礼拝するが、異なる道にしたがって礼拝する。そういう違いが「この道」という言葉に表れている。もう少し時間が経つと、ユダヤ教とキリスト教が別々の宗教だという意識がハッキリして来るが、この頃は、同じ御言葉を信じるが、道が違うという捉え方であった。だから異邦人で入信した人を教会は差別なく兄弟とするが、ユダヤ教では異邦人の信者は一緒の礼拝には入れなかった。
 「先祖の神に仕え、律法の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを悉く信じる」。この点は双方に共通している。しかし、次の15節「正しい者も正しくない者も、やがて甦るとの希望を、神に抱いている。この希望は、彼ら自身も持っている」という点は、パウロが言い切るほどスッキリ捉えていない人が多かった。これは先の、エルサレムでの議会の中で、パウロが「死人の甦り」ということを言い出したばかりに収拾がつかなくなったことにも表れている。
 「死人の甦り」が、ユダヤ教の中で一致して信じられていたのでないことは知られている。パリサイ派とサドカイ派は衝突しているのである。パウロはしかし、この点では死人の甦りを信ずる側に絶対的な優位があると思っており、まだ分かっていないユダヤ人自身もこれを暗黙のうちに信じていると言い切って躊躇わない。
 233節以下のところを学んでいた時には、この問題に立ち入ることを省略したが、今日はもう少し深く立ち入る。パウロの論点の第四点として構えられたのではないが、我々の理解のためにこれを第四点として置く方が分かり良いと思う。すなわち、死人の甦りである。「死者の復活」についてパウロが最も詳しく、また最も力をいれて論じるのはIコリント15章であるが、今日はその箇所には触れない。またパウロにとって決定的な出来事は復活者キリストとの出会いであることも確かたが、それも今日は触れない。
 旧約聖書がいろいろな場所で復活を語っているが、それは「謂わば死人が甦るようなものだ」という比喩的・象徴的表現であると取られる場合が少なくない。しかし、ダニエル書122節で「地の塵の中に眠っていた者のうち、多くの者は目を覚ますでしょう。そのうち永遠の生命に至る者もあり、また恥と限りなき恥辱を受ける者もあるでしょう」と言うくだりは、死人の復活を端的に語ると取るほかないであろう。世の終わりに思いを向けるならば、死人の甦りという問題が明らかになって来る。
 ペリクスはキリスト教についてかなり知識を持っていたことが22節で述べられるが、パウロは今法廷での弁論によってこの総督に伝道しようとしているのではないから、今読む聖句を復活信仰の主張として見る必要はない。しかし、パウロの信仰がここに現われ出ていることは確かである。
 復活に関しては、世の終わりに思いを向けなければ分からない。すなわち、義しい者と義しくない者が、この世では必ずしも公正に扱われないままに死んで行くのである。だから来たるべき日に、義人も不義なる者も甦らせられて、正しい裁きを受けなければならない。こういう面から説いて行けば、死人の復活を信じないと言う人も信じないわけには行かなくなるとパウロは考えていた。
 第五点として、「私はまた、神に対しまた人に対して、良心に責められることのないように常に努めている」と言う。「良心」という言葉がキリスト教の中で使われるようになったのはパウロが初めである。今日では良心という言葉の出所が聖書だと思っている人が多いし、そう思われるのも頷ける。しかし、この用語はギリシャのストア哲学の言い出したもので、タルソに育ったパウロはタルソにあったストア哲学の学校でこれを学び、この言葉をキリスト教に持ち込んだのである。
 ただし、こういう捉え方が本来聖書になかったと言ってはならない。良心という言葉は旧約聖書になかったが、良心の働きに該当する心の働き、また認識の仕方を聖書は随分語っている。だから良心という言葉を借りて来てはめ込めば良く分かることは沢山ある。最も良い例は詩篇にある。詩篇はみな良心の歌である。
 良心は神に対しても人に対しても目覚めている。もともと自分が自分に対して目覚めているその働きが良心である。そういうものがあることに気が付かなかった人も、教えられれば分かる。そして、それをさらに良く目覚めさせようと努力し・訓練する。こうして、良心的であることがキリスト者の目印のようになった。
 良心によって自分自身を見張っているパウロには、神の前に己れの正しさを主張することが出来ないという自覚がある。したがって、良心のことを論じ始めたならば、罪の赦しまで行かなければ決着がつかないことは確認して置こう。今日はそれを論じることを省略し、パウロの論述に留める。けれども、とにかく人から訴えられるような悪は犯していない。ところが、何も問題がなかったのに、アジアから来た数人のユダヤ人がパウロを陥れんとして作為的な騒ぎを起こした。彼らに訴えたいことがあるなら、自ら告訴人となるべきだのにそれをしないで議会に訴えさせている。
 「ただ私は彼らの中に立って『私は死人の甦りのことで、今日あなた方の前で裁きを受けているのだ』と叫んだだけのことです」。これは236節に書かれていた事実である。それが裁判によって取り締まらねばならない公共の不利益になることであったのか。すでに見た通り、エルサレムの千卒長ルシヤはパウロの正しいことを認めた。
 総督ペリクスも同じ判断であった。しかし、ペリクスはルシヤよりも卑怯であったのではないか。ユダヤ人の有力者にこの場で反対することを躊躇った。ルシヤが下って来るまで判決を引き延ばす。2年の後ペリクスの職はフェストに継がれる。フェストも決着を付けきれず、パウロをカイザルの法廷に送る。
 ペリクスはパウロを釈放しなかったが、その言い分が正しいと思っていたから、獄中に置くとしても、出来るだけ寛大に扱うべきであり、友人の出入りを禁じないように命じた。身柄を拘束されたままであることは確かに不幸なことであった。けれども、パウロが主から命じられている務めを遂行することは出来たのである。

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