2009.01.04

 

使徒行伝講解説教 第134

 

――24:1-9によって――

 

 

 使徒行伝24章はパウロの受けた裁判の記事である。この記事のなかに福音が輝き出ていると読むことに困難を覚える人があろう。しかし、聖書に書かれ、世々の教会が命の糧として読んできたものを、評価することがないとして軽んじるのは良くない。裁判は主イエスも受けたもうた。パウロも受けた。我々の生涯の間で受けるかも知れない。その場合、どう語れば有効かと対策を学ぶ必要はない。我々が真実であれば良い。

 パウロの受けた裁判を読んで行く時、反射的に思い起こすのは主イエスの受けたもうた裁判である。ユダヤ議会の裁判はキリストを死に定めた。しかし、ユダヤ議会は死刑の実行を禁じられていたので、総督ピラトの裁判に移管された。パウロは先にエルサレム議会の裁判に引き出されたが、議会は混乱して裁判を遂行できないので、エルサレムの治安の任務を持つ千卒長ルシヤはパウロを保護してカイザリヤに移した。24章ではカイザリヤにおける総督ペリクスによる裁きの記録を読むのである。

 キリストのお受けになった二つの裁判について、掘り下げた議論をする余裕は今はない。大祭司が裁判長になっている議会の裁判は、最初から主イエスを殺すという結論に向けられていた。一方ピラトは事情を調べて、イエスは死に当たらないと判断した。ピラトの行なったローマ帝国の法による裁判の方が正しかったのではないかと我々は思う。しかし、ピラトの判断は正しかったとしても、ピラトはその正しさを貫いて持ちこたえることが出来ず、群衆の声に押されてしまった。この二つの裁判の比較を念頭に置いてカイザリヤにおける総督ペリクスの裁判を見て行こう。

 1節、「5日の後、大祭司アナニヤは、長老数名と、テルトロという弁護人とを連れて下り、総督にパウロを訴え出た」。

 「5日の後」とは、22章の終わりで見た全議会の召集の時から5日の後という意味である。だが、5日の後アナニヤが総督の前に立ったというのか。それとも、5日の後エルサレムを発ったのか。エルサレム・カイザリヤ間の行程は通常2日である。すると、議会がパウロを総督に訴えるために大祭司と長老たちを遣わすことに決めたのは、先の会議の5日後なのか3日後なのか。どちらとも取れる。確定的なことは言えない。

 5日前、議会はサドカイ派とパリサイ派とに分れて収拾がつかなくなった。その後、議会は一つの纏まりを示すに至り、パウロを総督に訴えることに決める。議会の議長である大祭司が、議員である長老数名を同行させてカイザリヤに行く。その時、ローマの法律に詳しいテルトロという代弁人を連れて行く。彼の役目は今日の裁判所での弁護士の仕事と同じで、法廷ではテルトロが原告代理人として大祭司に代わって発言する。とにかく、エルサレムの議会は3日あるいは5日かかって決定した。

 かつてこの議会は、イエス・キリストを死に当たると定め、祭りの前に死刑宣告を総督にさせようと、一晩のうちに何度も法廷を開いた。議会がキリストを裁いたあの重大な過ちと、パウロを裁いた今度のこととを同列に置いてはならないが、それでも、議会が判決を下すことには、なかなかの重い問題が含まれる。今、我々は議会の議長であったアナニヤや、同行した議員たちの個人としての責任はどうなのかを問う余地は大いにある。だが、議論が広がり過ぎるので、議会が決めたという責任について考えるだけにしておく。 議会はパウロを律法にしたがって裁くべきだと確認した。それはそれで正しいが、その根拠はどこにあるのか。彼らにそういう権限はない、と千卒長ルシヤはすでに見抜いた。そこでルシヤはパウロの身柄をユダヤ人から引き離して保護した。その処置は正しくないということを、ユダヤ人はルシヤの上の権威を持つ総督ペリクスに訴えようと決めたのである。そう決めて良かったのか。これは審理する間に明らかになって来る。

 さて総督の裁判はどういう順序か。先ず訴えを聞いて、法廷を開くかどうかを決め、訴えられている者のいる所で、訴え、論告を言わせ、次に訴えられた者に答弁の機会を与え、また必要に応じて証人喚問をする、という順序で進められている。この順序はローマの法律通りである。訴えを聞いただけで直ちに判決を下すことはすべきでない。

 余談ではあるが、我々信仰者がどこかから訴えを聞いた時、聞いた訴えには比較的敏感に反応する。だが、その言い分だけを受け入れ、訴えられている側の言い分を聞かないで判決してしまうケースが割合多いことに警戒すべきである。こういうことはローマ法では禁じられていた。

 さらに我々の場合、上のことと関連するが、訴えがあっても、その訴えが声になり、一定の輿論になっていない段階では、聞こえていても決して聞こうとしない、頑ななまでの鈍さが我々にあることにも警戒しなければならない。

 テルトロという人物はここに一回登場するが、それ以外には彼についての何の情報もない。しかし、どういう人であるかは知るに必要な限りではほぼ十分に聞き取れる。テルトロという名前はローマ風のラテン語である。正式にはテルトゥリアヌスと言うところ省略してこう呼んだ。しかし、大祭司と議会の訴訟代理人として来ていることからも、また彼の発言内容からも、レッキとしたユダヤ人であることは確かである。ただしユダヤの名前もあったが、それは分からない。

 彼はユダヤ人ではあるが、ギリシャ語を用いるユダヤ人である。そしてローマ市民権も持つ。ローマの支配下にあるユダヤでは、ローマの法律に詳しい人が必要であるから、それを学んで来た。またローマ式弁論術も学んで来た。その弁論術は、彼の語る論告の冒頭の前置きに表れている。これを総督に対するおべっかと見る必要はない。

 また彼が金で雇われた代弁人であって、依頼人の言うままに、自分が信じてもいないことを述べ立てたと見ても意味はない。彼がどういう品性の人間であるかを論じるよりも、彼が法廷で何を言ったかを見るだけで良い。

 2節に「パウロが呼び出されたので、テルトロは論告を始めた」と書かれる。パウロのいないところで、彼を罪人と定める論告をしてはいけなかったのである。

 ところで、テルトロの言葉をルカはどうして書き留めたのか。この時ルカはエルサレムにいた。パウロを追ってカイザリヤに来ていたということが全くあり得なくもないが、エルサレムではパウロがルシヤの計らいで急遽カイザリヤに移されたことをスグには知られなかった。23節の終わりに、「友人らが世話をするのを止めないようにと命じた」とある、その友人の中にルカも間もなく加わったであろうと推察されるだけである。

 では、この日の法廷におけるテルトロの論告とパウロの答弁はどうしてルカに伝えられたのか。それはパウロが覚えていて後日ルカに語ったのである。パウロは裁判の模様を正確に伝えようとした。ルカもその意向に沿った。

 テルトロはいう、「ペリクス閣下、私たちが閣下のお陰で十分に平和を楽しみ、またこの国がご配慮によって、あらゆる方面に、また至る所で改善されていることは、私たちの感謝して已まないところであります」。――これを軽薄な諂いの言葉と取る必要はない。むしろ弁舌を整えて話しを聞きやすくする修辞法に適った言い方である。そしてここに、ユダヤ人がローマの支配をどのように受け入れていたかが示される。

 ローマの支配下にある平和を、ユダヤ人の多くはそれなりに評価していた。我々も同意見であって、国が余り酷い不公平なく、平和に治められておれば、それは神の御旨であると信じる。国が分かれ争い、民衆が疲弊していたのと比べて、ローマが大帝国を築いて、比較的安定した平和を長期に亙って実現したことをユダヤ人も評価していたのである。また、ローマの行政は至る所で「改善」されていたから、人々は或る種の満足感を持っていた。勿論、それでスッカリ満足していた訳でないことは言うまでもない。特にユダヤ人の間には不満があって、国を挙げてローマに対する叛乱を起こす日が来る。しかし、それまでは比較的よく治めてくれていることをユダヤ人は認めていた。

 次に、4節に、ここでは要件が手短に語られることになっているという前置きがあって、5節以下が論告である。先ず、パウロが「疫病のような」人間だと言われる。すなわち、放置して置くと害悪を拡大するから取り締まらなければならない。

 では、どういう害悪か。「世界中の全てのユダヤ人の中に騒ぎを起こしている。ナザレ人らの異端の頭目である。そして宮まで汚そうとした」。これが犯罪事実である。

 ここでキリスト者のことが「ナザレ人らの異端」と呼ばれる。こういう呼び方もあったらしいが、良く分からない。主イエスのことを多くの人が「ナザレのイエス」と呼んだことはよく知られている。それと一見似ているが、ナザレ人の異端というのは別の捉え方である。すなわち、主イエスがナザレ人と呼ばれたのは彼がナザレ人であられたからである。「ナザレ人らの異端」という時、キリスト者を一纏めに「ナザレ人たち」と呼ぶ呼び方があったらしい。そしてこの集団がユダヤ人の中の異端・分派と見られていた。イエス・キリストがナザレ人と呼ばれるのは預言の成就であるという捉え方があることを、降誕節にマタイ伝2章の終わりで見たが、ナザレという地名から来たナザレ人と旧約の律法を厳格に守る人の意味であるナジル人がかけ言葉として用いられた。ただしキリスト者が「ナジル人」と呼ばれたことはなかったのではないか。

 パウロがナザレ人の異端の首であるというのも、ほかでは聞くことがない。

 ユダヤ人は以前から世界に広がっていたが、至る所でナザレ人の異端を蔓延らせたと訴えられる。キリスト教会が異端と呼ばれていた。パウロがラビの資格でユダヤ教のシナゴーグに入って説教し、聴衆を引き寄せ、シナゴーグの外に連れ去り、キリスト教会を建て、異邦人を信者にし、異邦人とユダヤ人の区別を撤廃した。それは特にアジア州のエペソにおいて顕著な活動であって、エペソでユダヤ教に残った者たちには脅威と感じる事件であり、彼らの間にパウロへの憎悪が募った。パウロが悪の頭目のような人物で、折角ローマ帝国が全ての人々の間にある平和を実現しているのに、それを混乱させるのはローマ帝国の治安を乱すものだと言う主張である。

 その主張は受け入れられるであろうか。自分たちの集団が盛んにならず、異邦人に福音を語るキリスト教会が発展しているので、嫉みを起こしたというだけのことではないか。彼らの陰謀、彼らの暴力こそ取り締まらねばならないのではないか。テルトロの論告を聞く人はそう思ったはずである。ペリクスには分かった。

 エルサレムで最近起こった騒動についても論告される。パウロが騒動を起こした、あるいは騒動の機縁になることをしたとテルトロは言うが、それが正当な訴えであるかどうかは、事実そのものが明らかにする。それは一部ユダヤ人の思い込みに過ぎなかった。この後でパウロが事実そのものを述べる時、証拠調べをしてパウロの発言を検討する必要もなかった。

 エペソからエルサレムに来ていたユダヤ人が、エルサレムの町中でパウロと一緒に歩いているエペソ人のキリスト者トロピモを見掛けた。そのユダヤ人が宮の聖域の中でパウロを見つけ、その時はパウロ一人であったか、一緒にいた人がいたとすればキリスト者となったユダヤ人で、潔めの誓願を立てていた人だが、どういう思い違いをしたのか、パウロは宮の内にも異邦人トロピモを連れ込んで、宮を汚したと騒ぎだした。これは2127節以下に書かれている通りである。一匹の犬が吠え始めると、それに釣られて犬という犬が挙って吼えるように、宮の聖域ではユダヤ人は全部騒ぎ出した。彼らはこの時吹き込まれた思い込みを確かめて見ることはせず、ますます強く思い込んで、パウロを殺さなければならないという信念を強固にした。テルトロもその信念に同化した。

 6節後半から7節に掛けての、千卒長ルシヤの干渉の部分は最も古い写本では欠けているので、本来なかったものが挿入されたのであろうと思われている。これを削除すべきか否かは取るに足りないことである。ルシヤがユダヤ人の暴力からパウロを保護しようとしたことについては、すでに学んだ通りである。ユダヤ人はそれを不公平な保護だと見ているが、ペリクスもルシヤと同意見であったことは22節の記事から読み取ることが出来る。 テルトロはペリクス自身が調べれば、ことが明らかになるはずであると言う。つまり、パウロやルシヤに聞かないで自分で調べれば、分かると断言している。しかし、この法廷は2年も休廷のままで置かれ、結局パウロの訴えはローマに持って行かなければならないことになるが、事柄そのものは法廷を開いて審議してもしなくても、殆ど意味のないままに終わった。

 だから裁判というものに、真面目に取り組んでも意味がない、と見てはならない。地上の法による裁判の上に天の法廷があるが、この世の秩序を守ることは神に従う道の一部である。その道を歩んで裁判に掛けられる時、何をどう言おうかと思い煩うことは要らない。主が御霊によって導いて下さる。それが今日の学びである。 


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