ペテロは五旬節の朝、大きい物音に驚いて駆けつけて来た人たちに、「これは預言者の預言していた終わりの日の始まりである」と先ず宣言した。
「終わりの日」、――それはこの時代の人々が無関心でおられなかったものであるが、みんなが関心をもって一心に探求しているわけでもなかった。それでも、このしばらく前、バプテスマのヨハネという人がヨルダンの荒野に出現し、悔い改めのバプテスマという新しい教えを教え、そこが人集めには全く不適当な場所であったにも拘わらず、多くの人々が荒野を目指したという事実がある。エルサレムの議会はこれが何者なのか、受け入れて良いのか悪いのか、調査するために調査団を派遣した。この事一つを見ただけでも、何かが起ころうとしていると感じる人は少なくなかった。それは期待と不安の入り交じった時代である。
ガリラヤの領主ヘロデは、バプテスマのヨハネに心を引かれながらも、結局はその首を斬った。権力を持つ者としての判断であった。判断の錯乱と言った方が適切かも知れない。ヘロデとしてはヨハネを殺さなければ不安であった。
一例を挙げるに留めるが、思い設けない事が次々起こる不安の時代であったことについて、説明を省略しても良いであろう。安穏な、人が何も考えないで過ごす時代ならば、終わりの日という言葉が語られても、聞き流される。しかし、ペテロが説教した時、人々は聞き流さなかった。
それと今日の時代とを関連させて考えることは、余り確かな論法でないが、時代の不安といえば、今日はあの時代以上であることは確かである。終わりの日が始まっているのではないかと思う人はあちこちにいる。こういう不安は聖書を読んだことのない人々の間でも広がっている。不安になって当然だと言うべきであろう。しかし、今日、我々は現代の世相について学ぶのでなく、聖書に示されたことについて学ぶ。聖書から聞くことはもっと重大な事柄である。
「終わりの日の始まり」、――偶発的に人類の歴史が破綻して、終わりになったのではなく、また人類の悪が累積して世界がその悪の重味に耐えかねて必然的に瓦解したということでもない。神の知りたもう定めの時が来たから終わりが始まったのである。世界と人間の側に終わりの原因を求める理屈は分かり易いかも知れない。今日では地球の破滅の原因がどんどん蓄積されているという理論に納得する人は増えている。当然だと思う。
しかし、神の定めておかれた時が来る、という原理の方がはるかに堅実であるのは言うまでもない。すなわち、始まったことがどうなって行くか、我々は希望をもって見ることが出来るからである。今、我々はその日に始まったことをひたすら見詰めるのである。
では、時が来てどうなったのか。神は御子キリストを世に遣わされたのである。神が御子を遣わされた事はすでに起こった。約束の成就の時に移ったのである。
バプテスマのヨハネは「斧が木の根に当てられ、狙いが定まって、次の瞬間には振り下ろされようとしている。それが現在なのだ」と説教し、人々は震え上がって悔い改めた。同じような説教が今なされるなら、同じように人々は先を争って悔い改めに走り込むかも知れない。しかし、この時代の中で福音の説教を行なうように命じられている我々は、バプテスマのヨハネのような説教はしない。終わりが間もなく来る、と言うのではく、終わりはもう来た、と言う。
ヨハネの論法の方が説得力があったではないかと言われるかも知れない。そうなのだ。終わりが来る、と聞いたとき、それに反論する論拠はない。実際、今日の午後1時に地の底が割れるかも知れない。それと比べるならば、終わりはもう来たのだ、と言うことには反駁が容易なのだ。何も変わっていないではないか、と笑い飛ばされてしまう。確かに、説得力はないのだ。しかし、我々が宣べ伝えよと命じられているのは、こういう福音なのだ。だから、効果の大きい説得方法と思われるものがあっても、我々は無視する。
キリストは来て、「時は満ちた」と言われた。これは、「時は迫った」とか「縮まった」と言うのと同じではない。約束の成就が始まったことを言うのである。だが、約束の成就が始まっているではないか、と言っても、人々にはなかなか通じない。時期が来て桜が満開になっているように、救いの時が来たことは、目で見るものではない。聞いて信じる。
聞いて信じる者には、神の国の幕開けが見えるのである。キリストの支配が事実だということが分かるからである。「キリストの支配」などと言われても、何もないではないか、と雑ぜっ返す人が多いのだが、我々はそのように言う人に対して、罪の赦しが始まっているのは事実ではないかと、確信をもって答えることが出来る。事実、キリストは、あなた方の罪は赦されたのだから、あなた方も兄弟の罪を赦し合いなさいと言われ、我々はその教えに従って、赦し合いの王国を打ち上げることを始めた。いや、我々は内輪どうしで赦し合うだけでなく、我々に悪をなす者をも赦し、報復の連鎖を断ち切らなければならない。これは主に対する服従として現実のことである。
しかし、キリストの始めたもうた罪の赦しの王国は、人の良い理想家たちの寄り集まりというようなものではない。主イエス御自身、世の罪を負う苦しみを引き受けたもうたという事実がある。苦難に目を背けることはない。
人類には苦難という問題があった。人々が宗教を求める動機は殆どの場合これである。そこで、苦難を逃れ、あるいは苦難を苦難と思わないように発想を転換せよと教える人が出て来る。つまり苦難があってもごまかして苦難がないと思い込むように教える宗教が人を集めた。
神の備えて置かれた救いの道は、苦難を回避し、これが見えないようにして置いて、目出度し目出度しで終わる道ではない。苦難を負うことを通して苦難に勝利する道である。それは、積極的な解決だと分かるとしても、人間には無理だと言わねばならない。苦難は人間にとって負うに重過ぎる。僅かの部分を負うだけでも我々は潰れてしまう。それゆえ、神は御自身が御子において苦難の重荷を負いたもう。そういうお方の到来が預言者を通じて予め語られていた。
「我らの宣ぶる所を信ぜし者は誰ぞや」とイザヤ書53章は語っている。神は力と栄光に満ちたメシヤを遣わして、人類の苦悩を解決したもうのではない。メシヤを苦難の僕として遣わしたもうのである。このことについて理解した人はまことに少なかったが、預言はハッキリなされていた。イエス・キリストは苦しんで苦しんで、苦しみ抜くことをつうじて、御自身が救い主であることの実を示したもうた。このことがナザレのイエスの苦難と死、そして復活によって示されたではないか、とペテロは説教して来たのである。
今日はその次、25節からであるが、ダビデの預言とその成就について語られる。
ダビデを預言者と言うのは、聞き慣れないことと感じられるかも知れない。慣例から言えば、ダビデは王たる者の典型として扱われる。すなわち、来たるべき真の王であるメシヤを示す型、予型であるとされている。また、彼は詩人の代表者とも見られて来た。それはそれで良いのであるが、旧約の全体が来たるべきキリストを目指しているのであるから、ダビデがキリストを預言する預言者として扱われるのは何ら奇異なことではない。
すでに何度か触れたが、初期のキリスト教会では詩篇がキリスト証言として重要視された。主イエス御自身も詩篇をしばしば用いて御自身が何者であるかを弟子たちに教えたもうたことが分かっている。余談になるが、詩篇のキリスト証言としての意義に今のキリスト教会は余り関心を払わないようである。
「私は常に目の前に主を見た」。
これは、我々の通常使っている詩篇の16篇8節である。これ以下が引用される。この詩篇全体の説明はしないで置くが、比較的よく知られており、親しまれている詩篇である。この詩篇を以前から読んで来た人は使徒行伝における使徒たちの読み方を知って驚かずにはおられない。「ダビデはイエスについてこう言っている」とペテロは言うからである。
「私」というのはダビデ本人のことである。そのダビデが主イエスを見たというふうに使徒たちは読んだのである。これは全く奇想天外の、飛んでもない読み方だと思う人も多いと思う。
その驚きを半減させるものとして、主イエス御自身が語られた一つの解釈を思い起こそう。マタイ伝22章41節以下にこう記されている。「パリサイ人たちが集まっていた時、イエスは彼らにお尋ねになった。『あなた方はキリストをどう思うか。誰の子なのか』。彼らは『ダビデの子です』と答えた。イエスは言われた、『それでは、どうして、ダビデが御霊に感じて、キリストを主と呼んでいるのか。すなわち、「主は我が主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足元に置く時までは、私の右に座していなさい」。このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか』。イエスにひと言でも答え得る者はなかったし、その日からもはや、進んでイエスに質問する者もいなくなった」。
ここに主がパリサイ人との対論の中で引いておられる聖句は、詩篇110篇の冒頭であって、今日学んでいるペテロの説教の続きとして34節にも出て来る。すでに主イエス御自身のなさった解釈として、弟子たちの間では確定していたと思われる。
「主は我が主に仰せられた」。この句については、主イエスの時代の律法学者には的確な解釈が出来ていなかったようにマタイ伝の記事から読み取ることが出来る。その後の時代に、ユダヤ教のラビたちは、キリスト教の釈義によって自分たちの信仰が覆されるのに対抗しなければならないので、次のように解釈した。「これは主なる神が、人々の間で「主」と呼ばれているイスラエルの王に、預言者を通じて言われた言葉である」、という解釈であった。そして「こう語ったのは、誰か名は分からないが預言者のひとりである」と説明がなされた。この詩篇には「ダビデの歌」という標題がついていたのに、その標題はないことにされたわけである。確かに、王の家来が王におもねって讃美したとは取れない。預言者を通して語られた神的な言葉としてしか取れないとユダヤのラビたちも考えた。
しかし、主イエスの解釈の方がもっともであると我々は思う。すなわち、主イエスはこれを「主なる神が、ダビデにとって主であられるキリストに対して語られた言葉」と取り、この詩篇を歌ったのはダビデであると取られた。
このようにイエス・キリストの語られた解釈を読んで来ると、詩篇16篇もダビデがキリストに献げた讃美であるとペテロたちが取ったことが少しもコジツケでないと思われることになるではないか。
さらに、使徒たちの解釈にはもう一つの驚きがある。「私は常に目の前に主を見た」。この聖句についてペテロは何も説明を付け加えてはいないが、この一行目の句もキリストの復活に関わる預言として理解したらしいと考えられる。この詩篇16篇がキリストの復活を語ったのは、27節にある「私の魂を黄泉に捨ておかず」という下りにおいてだけだと受け取られやすい。しかし、ペテロがここに引用したのは、1節だけでなく、4つの節に亘っている。前後関係を分からせるために付け加えたのではなく、この全体がキリストの復活を語っているとペテロは考えていたと取りたい。
「私は常に目の前に主を見た」。これは父なる神に対するキリストの関係が、永遠に揺るぐことのない関係であると言ったものであるが、「常に」とは変わりなく、というだけでなく、「昨日も、今日も、とこしえまでも」という意味であると取ったほうが言わんとすることが良く通じる。
常に見るというのであるから、メシヤが死んで、父なる神を見ることが出来なくなったというようなことはあり得ない。メシヤは常に神の前に立って、おられる。
こういう意味は、先ほどパリサイ派の律法学者を論駁したもうた記事を読んだ少し前、マタイ伝22章23節から32節で、主イエスがサドカイ派の学者たちと対論された時の論旨と似たものがある。サドカイ人らは死人の甦りを否定するために、詭弁を弄する。7人の兄弟の長兄が一人の女性を娶って死に、弟が次々と同じ女性を娶っては死んで行ったとすれば、甦りの日に彼女は誰の妻になるのか。こういうまことに愚劣な質問をした。その時、主イエスは神が「私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と自らを名乗りたもうたことを引かれた。そして、これは神が生きている者の神であって、死んだ者の神ではない、だから、生ける神の前で人もまた生き、死者は甦るという意味であると言われた。
神御自身が永遠者であられるから、そのお方との関係において、死者の死からの復権がなければならない。そのことが「常に目の前に主を見た」という言葉にも適用されねばならない。
ところで、「常に見た」というのであれば、死はなかったのか。キリストが死なれたのは、そう見えただけで、本当は死んでおられなかったと取らなければならないのか。こういう問題を片付けて置かねばならない。キリストは事実、真実に死にたもうた。すなわち、人間が死に対する真実のまた現実の勝利を彼から受けるために、彼はまことの人として真実に死んで、それゆえ真実に復活されたことはシッカリ捉えなければならない。
「主は私が動かされないために、私の右にいて下さるからである」。これがキリストの父の右の座と関連したものと受け取られることは省略して良いだろう。
26節に移る。「それ故、私の心は楽しみ、私の舌は喜び歌った。私の肉体もまた、望みに生きるであろう」。
この説明はもう必要ないであろう。神は人の魂にとっての神であられるだけでなく、肉体の神でもあられる。だから、魂を生き返らせ、魂の救いを与えるだけでなく、肉の復活をも与えたもう。
27節、「あなたは私の魂を黄泉に捨て置くことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう」。
ここでも言葉の解説は要らないと思う。ただ、先日復活節に際して学んだこと、体の甦り、また死人の甦りの重要さをもう一度確認して置こう。五旬節の説教においても、キリストが復活されたというだけでなく、死人の甦りが始まったという主張があることを読み落とさないようにしたい。
28節、「あなたは命の道を私に示し、御前にあって私を喜びで満たして下さるであろう」。
この節に関しても語句の説明は不要である。神は命の道を与える神であって、死の道を与える方ではない。いや、むしろ共に歩んで下さる方が命の主でありたもうことによって、そこが命の道なのである。
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