2008.07.13.

 

使徒行伝講解説教 第122

 

――19:21によって――

 

 

 21節と22節で言われているところは、経過がよく読み取れない書き方である。多分、テモテとエラストを先に出発させようとした事情があり、その事情についてルカが触れていないからであろう。そこが分かれば、全体はスッキリするが、そこが推測できない。テモテを先に送ると言う箇所が他にもある。ピリピ書219節。Iコリント419節、1610節であるが、照らし合わせてもハッキリしない。書かれている以外に、テモテが行かされたことはあろう。何か問題があって、テモテたちが先に行ったのだと見て差し支えないが、これ以上探求のために時間を掛けることはしないでおく。

 その問題の他に、アカヤ、特にコリントで、ユダヤの貧しい人たちのための援助金を集めようという計画が考えられていたことは確かである。Iコリント16章の初めでは、聖徒たちのための献金、それを週の初めの日に集め、それをエルサレムに送るようにしようと言っている。このために、めいめい前もってお金の用意をさせておくため、二人が先に行ったことは容易に理解される。

 マケドニヤへ行き、次にアカヤへ行き、次にエルサレムへ行く。この順序が次第にパウロの頭の中で纏まって来ていた。それに加えて、エルサレムからついにローマに行くという考えが固まる。ただし、エルサレムから先の道のりについては何のめどもない。

 ローマ行きは伝道者としてのパウロの功名心とか、達成欲とか、使命感とかいうことには無関係である。ローマ教会に宛てた手紙の1910節に、「いつか御旨に叶って道が開け、あなた方に会えるように願っている」と記されている。ローマについては耳にすることも多く、関心も深まり、意欲もある。ローマに行くよう勧める人もいたはずである。こういう最終目標に向けての姿勢が固まる経過をルカは見ていたらしい。それは、パウロにとって自分の思い付きではなく、前々から心に抱いていた思いが熟したというのでもない。御霊による確信である。

 ただし、21節にある「御霊に感じて」という訳文について、別の意見があるので触れておく。文語訳では「これらの事のありし後パウロ、マケドニヤ、アカヤを経てエルサレムに行かんと心を定めて言う『われかしこに至りて後、必ずローマをも見るべし』」。口語訳が「御霊」と訳している「プネウマ」という語を、文語訳ではパウロ自身の「心」と取っている。そのように訳す聖書翻訳の方が多い。つまりギリシャ語における言い方がその意味だったのである。だから「御霊に感じた」という言い方に固着しなくて良い。ただし、心に固く決心することに御霊の働きが関与していないと判断するならば、それは問題である。

 エルサレムに行き、さらにローマに行くことが固い決意であったことは、この通りに受け取るほかないが、それについてなお二つのことを思い起こしておこう。一つは事実彼の決意した通りにローマへ行ったのであるが、恐らく彼としては思ってもいなかった縄目を掛けられた身としてローマに運ばれたことである。すなわち、願いは叶えられたが、神のなしたもうことは人間の思いを遥かに超えていた。

 もう一つ、ローマがパウロにとって最終目的地でなかった点に留意すべきである。ローマ書152324節に「今では、この地方にはもはや働く余地がなく、かつイスパニヤに赴く場合、あなた方の所に行くことを多年熱望していたので、――その途中あなた方に会い、まず幾分でも私の願いがあなた方によって満たされたら、あなた方に送られてそこへ行くことを望んでいるのである」と言っている。明らかに、目的地はイスパニヤであり、ローマはそこに至るための通過点である。したがって、帝国の首都で華々しく伝道の戦いをしようというような抱負があったと考えない方が良い。

 21節に記された決心に関して、併せて聞いて置かねばならないのは「私はそこへ行った後、是非ローマをも見なければならない」と言った言葉である。これを傍にいる人々に語った。そして、テモテとエラスとをマケドニヤに送り出して、自分も続いて出発する心算でいた。

 「自分に仕えている者の中からテモテとエラスとを送り出す」ということがあった。パウロの手伝いをして仕える者が何人もいたようである。前回も指摘したし、今回もつい先に触れたが、エペソにおいては盛んな、そして組織的な伝道の働きが進んでいて、「この地ではもはや働く余地もない」と思われるほどの活動をしていた。かなりの人数の働き手が組織されて連日働いていた。その人たちは教会の働き人という職務でなく、パウロの個人的助手として、助けになることは何でもしていたと考えられる。

 その中からテモテとエラストが呼ばれた。テモテについてはパウロの信任を得た人物であることが分かっている。エラストについては、ローマ書1623節に「市の会計係エラスト」と書かれている人物、つまりコリント市の会計係だった人、またテモテへの第二の手紙の420節に「エラストはコリントに留まっており」と書かれている人であると思われる。もっとも、同名異人ではないかという説はある。ありふれた名前であるし、市の会計係、すなわち出納長、あるいは収入役として、市のお偉方の一人に数えられる人がパウロの補助伝道者になるとは考えにくいと言われる。しかし、エラストの名が上がる所は全部テモテと関連があるので、三箇所に上がっているエラストは同一人物と見てよいのではないかと思われる。だとすれば、エラストはパウロのコリント伝道によって入信し、市の会計係を辞めて、パウロに随いてエペソに行った人である。コリントにおける募金のためには必要な人である。

 この後に、23節から41節までの、エペソにおける大騒動の記事がある。それは社会的には大事件であるが、救いの進展に関して特に重要なこととは思われない。出発することに決まっていたが、事件が起こって、すぐには出発出来なくなった。

 この記事はルカが他から聞いてきて書き入れたものではないかと思われる。騒ぎを起こした銀細工職人デメテリオ、騒動を説得によって鎮静させようとして失敗したアレキサンデル、最終的に騒ぎを静めた市の書記役などの具体的人物が登場して興味津々だが、パウロの伝道活動と直接には関係ない。関係があると思われるところは、キリスト教の伝道が著しく進展したため、アルテミスの神殿の模型の銀細工を売っていた細工人が商売にならぬということで騒動を起こしただけである。

 騒動を起こした人たちは、パウロが「手で造られた物は神でない」と言い、エペソの人々は信ずる信じないを問わず、その言葉に納得して、銀細工を買わなくなった。それが営業の妨害であるから、パウロを排除すべだと言ったのである。一部の職人の儲けがなくなったということでは騒動にならない。だから、エペソの神アルテミスが軽んじられ、それがエペソの富と名声に関わっているというふうに論じ、エペソ人の愛郷心、あるいは愛国心に火をつけたから、騒ぎが燃え上がったのである。

 アルテミスという女神について興味のない人が多いであろう。知っても意味のあることではない。しかし、少しは触れて置かねば、実際面を捉えにくいであろう。紀元前11世紀にはアルテミス神話があったようである。これはクレテ島とエーゲ海の島々の人たちが信じていた豊饒と出産の女神である。ローマでは古くからディアナという名の同じ性質の女神が尊ばれた。エペソにおいて造られた大きい偶像は、胸一面に乳房をつけた姿になっている。

 エペソはアルテミス信仰の発信地ではなかったが、この地の神殿や、神像、またエペソ市が経済的に発展したことと相乗作用で、「大いなるかな、エペソの女神アルテミス」という呼び声が有名になったようである。

 エペソのアルテミス神殿は紀元前6世紀に建てられ、前356年に火事で焼け、200年以上再建出来なかったが、再建された神殿は巨大な建造物で、世界の七大建築物の一つとされていた。長さ128メートル、幅73メートル、屋根の高さは18メートルあった。パウロの時には現存していた。

 地中海全域から参詣者があったということである。当然、遠隔地からの参詣人は銀細工の神殿模型を土産に買って帰ったであろうから、銀細工人の収入は潤沢であったであろう。しかし、パウロの伝道によって銀細工の売れ行きがパッタリと落ちるというようなことがあったかどうか。

 この後の時代、キリスト教が盛んになっても、アルテミスの神殿は建っていたのであるから、銀細工が売れなくなったと言って大騒ぎするのは軽率に過ぎるであろう。しかし、キリスト教を信じる人がどんどん増えて、アルテミスを信ずる宗教が衰頽するであろうと心配した人がいたことは十分あり得る。10節に「アジアに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシャ人も皆、主の言葉を聞いた」と記されたことは偽りではない。皆信じたということではないが、皆聞いた。聞いた人は、「人が手で造った物を、人が神として拝むのは矛盾ではないか」と言われると、古い時代からの預言者の言葉に、なるほど、と頷かないわけには行かなかった。だから、銀細工の宮殿の売れ行きが落ちた。

 エペソの人々が狂騒状態に陥った。そして、マケドニヤから来たガイオとアリスタルコを捕らえて、糾弾集会を開くために一斉に劇場になだれ込んだ。ガイオとアリスタルコはエペソでパウロが連れ歩いた伝道補助者であるから、市民に顔を知られていた。このガイオは、204節にあるデルベ人ガイオ、またアリスタルコは、同じ節にあるテサロニケ人アリスタルコのことではないかと思う。すなわち、1929節のマケドニヤ人はアリスタルコにだけ掛かると考えられる。これらの「パウロの同行者」については、次回に204節でもう一度触れる。

 この二人が劇場の中に連れ込まれた時、「パウロは群衆の中に入って行こうとしたが、弟子たちがそれをさせなかった」と30節に書かれている。同行者2人が劇場に連れ込まれているのに、自分が安全な所にいることはパウロにとって、無視出来ない事であった。自分こそ劇場に入って行って、二人が釈放させなければならないと考えたからである。弟子たちがそれを留めたし、アジア州の議員でパウロの友人であった人たちも使いを寄こして、パウロが入って行くのを思い留まらせた。

 十字架のキリストの後に随いて行くべき使徒が、危険に際して逃げて、代わりに他の人が捕らえられるということはあってはならないことである。だが、パウロは劇場に入って行こうとした。それをさせないのは間違いであったろうか。そうかも知れない。ただ、この場合、パウロに入らせないようにした人たちの判断が間違っていたとも言えない。劇場の中は狂騒状態であった。人々は別々のことを喚いている。パウロが入って行けば騒ぎが大きくなるばかりであると彼らは見た。

 33-34節にユダヤ人らがアレキサンデルという名の人を促して発言させようとしたが、彼がユダヤ人と知られているので、群衆はますます狂乱状態に陥ったことが書かれている。このユダヤ人はユダヤ教を固守するユダヤ人であろう。パウロに対する悪意が募っていることは、自分たちにとって好都合であり、この際、ユダヤ教徒とキリスト者の違いをハッキリさせたいと思ったのであろう。けれども、ギリシャ人の群衆は、ユダヤ人も手で造られた神を礼拝することを非難するのを知っていたから、いよいよいきり立ったという事情であろう。

 適切な処置を執った人は名前は知られないが市の書記役であった。訴えるべき不正があるなら裁判所に訴えるべきである。裁判の日は決まっているし、総督もいる。議会の為すべきことが為されていないなら、議会に請求すれば良い。そういうことのための政治秩序が定められているのであるから、その秩序に従わずに直接的な欲求を叫ぶのは治安を乱す罪であると決め付けた。人々はその説得に従うほかなかった。確かに、これは町の治安に関することであった。

 アジア州の議員でパウロの友人だった人たち。これをこう訳して良いかどうかも分からないが、高い地位だったらしい、これがクリスチャンであったかどうかも分からない。パウロの安全を考えてくれた。

 この事件は正しく収拾をつける人がいなかったなら、狂乱が狂乱を呼び、あってはならない惨事になったかも知れない。例えば、主イエスが裁判に掛けられた時、ピラトは罪なき人の血を流してはならないと弁えていたが、ユダヤの人々は狂ってしまい、この人を十字架につけよ、と叫んだ。こういうことが常に起こると考えてはならない。あってはならないことは、あってはならない。この世が治安を保つのは当然であり、それが神の御旨である。エペソ市の書記役のような人が、神を信ずる人であるかどうかと無関係に、この場を平静にして行くように知性を活用しなければならない。その義務を怠るのは神の御旨に逆らうことになる。

 それは福音そのものでなく、福音の外のことであるが、そとのことだから無関心で良いということにはならない。世間が狂乱に陥って行くことがないように目を覚まさねばならない。

 


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